20
「……百鬼。」
「……あいつは、狂ってる。」
静かな声だった。
だけど、その一言には嫌悪と恐怖が滲んでいた。
「九十九会では。」
「主に尋問や。」
「暗殺みたいな……。」
「決して表には出せない仕事を任されている。」
「でも。」
「それは建前。」
「本当のあいつは。」
「仕事だから人を傷つけているんじゃない。」
「人を痛めつけること、そのものを楽しんでる。」
「まるで。」
「趣味みたいに……。」
小紫さんは小さく拳を握る。
「あいつにとって。」
「悲鳴も。」
「恐怖も。」
「命さえも。」
「ただの遊び道具。」
「だから。」
「九十九会の中でも。」
「あいつを好いている人なんて、ほとんどいない。」
「お姉さまでさえ。」
「百鬼だけは、本気で嫌っていたわ……。」
俺と青嶌さんは、無言のまま顔を見合わせた。
やはり――。
俺たちの考えは、間違っていなかった。
青嶌さんが静かに口を開く。
「……やっぱり。」
「私たちの見立ては、間違っていなかったようですね。」
俺もゆっくり頷く。
「……そうみたいだね。」
その様子を見た小紫さんが、不思議そうに首を傾げる。
「……何か、思い当たることでも?」
俺は小さく息を吸った。
「うん。」
「黒天狗事件の次の日に報道されたニュース、覚えてるかな。」
「御影グループの役員だった香取さんが殺害された事件。」
小紫さんは少し考えた後、小さく頷く。
「ええ。」
「神白グループの競合他社……。」
「御影グループの役員だった香取さんが、自宅の駐車場で殺害された事件よね。」
「ニュースでも大きく取り上げられていたから、覚えているわ。」
青嶌さんは真っ直ぐ小紫さんを見つめた。
「はい。」
「実は。」
「黒天狗の天宮たちは、その事件が起きる前に。」
「百鬼たちに拉致されていたんです。」
小紫さんは小さく頷いた。
「ええ。」
「それは知っているわ。」
「現場へ駆けつけた警察官の一人が、お姉さまでしたから。」
「でも……。」
「それと香取氏に、何の関係があるの?」
青嶌さんは真剣な表情のまま答える。
「実は。」
「黒天狗の鷹取たちは。」
「助けてもらう条件として。」
「神白さんの誘拐を依頼した黒幕の名前を話したんです。」
「その人物が――。」
「御影グループ役員、香取。」
その名前を聞いた小紫さんは、静かに目を閉じた。
「……そう。」
「それなら。」
「十中八九、百鬼で間違いなさそうね。」
重苦しい空気が流れる。
小紫さんはゆっくりと俺たちを見渡した。
「でも。」
「一つだけ。」
「皆さんには勘違いしてほしくないことがあるの。」
「お姉さまは。」
「人を傷つけることには躊躇しない。」
「でも。」
「人殺しだけは。」
「絶対にしない。」
「それだけは、どんな任務でも貫いてきた人なの。」
「だから。」
「香取氏を殺したのは。」
「お姉さまじゃない。」
「……私は、そう信じている。」
俺は小紫さんを真っ直ぐ見つめ、小さく頷いた。
「うん。」
「分かった。」
「信じるよ。」
小紫さんの瞳が少しだけ揺れる。
俺は静かに続けた。
「ロゼさんを信じる……っていうより。」
「俺は。」
「小紫さんを信じてるから。」
「小紫さんが、そういう人だって言うなら。」
「俺は、それを信じる。」
しばらく俺を見つめていた小紫さんは、ふっと力が抜けたように微笑んだ。
その横で青嶌さんも優しく笑う。
「私も。」
「黒鉄君と同じかな。」
「小紫さんがそう言うなら。」
「私は小紫さんを信じる。」
「……ありがとう。」
小紫さんは小さく呟くと、一度深呼吸をした。
「それじゃあ。」
「続きから話すわ。」
少し表情を引き締める。
「九十九会の頂点には。」
「"総帥"と呼ばれる人物がいる。」
「でも。」
「私は、一度も会ったことがない。」
「姿も。」
「名前も知らないわ。」
「その次が。」
「九十九会を統括している。」
「一条銀次。」
「私たちが"先生"と慕っていた人よ。」
「先生は。」
「組織全体の運営や。」
「幹部への指示。」
「人員の管理や育成。」
「九十九会そのものをまとめる役目を担っていた。」
「現場へ出ることは、ほとんどなかったわ。」
「そして。」
「実際に現場を取り仕切っているのが。」
「総司令。」
「藪銅利。」
「作戦の指揮や。」
「戦闘部隊を率いるのが、あいつの役目。」
「それから。」
「幹部の一人。」
「霧ヶ谷灰。」
「私は会ったことがないけど。」
「名前だけは聞いたことがある。」
「最後に、お姉様ね。」
「他にも何人か幹部はいるみたいだけど。」
「私が知っているのは、そのくらい。」
小紫さんは一度言葉を切り、静かに俯いた。
「……本当なら。」
「皆さんが一番知りたいのは。」
「どうして神白さんが狙われているのか。」
「その理由よね。」
「でも。」
「それだけは。」
「私にも教えられていなかった。」
「監視して。」
「報告する。」
「私に与えられていた任務は、それだけ。」
「理由を聞くことすら許されなかった。」
小紫さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「……ごめんなさい。」
「一番大事なことなのに。」
「私は、何も知らないの。」
青嶌さんが腕を組み、静かに考え込む。
「つまり、現時点で分かったことを整理すると──。」
「九十九会には。」
「総帥。」
「統括・一条銀次。」
「総司令・藪銅利。」
「幹部の百鬼虹士郎。」
「霧ヶ谷灰。」
「ロゼさん」
「少なくとも、この六人がいる。」
俺も頷く。
「そして。」
「百鬼は香取さん殺害の実行犯である可能性が高い。」
「神白さんを狙っているのは九十九会。」
「でも、その理由だけは分からない。」
青嶌さんも静かに頷く。
「ええ。」
「それが一番の問題ですね。」
「理由が分からなければ。」
「次に何をしてくるのかも読めません。」
重苦しい空気が流れる。
その時だった。
小紫さんが、何かを思い出したように顔を上げる。
「……あと一つだけ。」
俺と青嶌さんが同時に小紫さんを見る。
「確証はないけど。」
「気になっていることがあるの。」
俺と青嶌さんは同時に小紫さんを見る。
「私が先生やお姉様から教わった武術。」
「征砕流っていう流派なんだけど……。」
「黒鉄流とどこか似ているの。」
俺は思わず目を見開いた。
「……似てる?」
「ええ。」
「構えや体の使い方。」
「力の流し方まで。」
「細かい部分が、とてもよく似ていた。」
「私も最初は気のせいだと思っていた。」
「でも。」
「監視任務を始めた頃。」
「私がお姉さまへ電話で。」
『黒鉄流の使い手です。』
そう報告した時。」
「お姉さまの声が、一瞬だけ止まったの。」
「それまで冷静だったのに。」
『……黒鉄流?』
「そう聞き返した後。」
「少しだけ考え込んでいた。」
「結局、その時は何も言わなかったけど。」
「何かを引っ掛けている様子だった。」
「だから。」
「もしかすると。」
「征砕流と黒鉄流には。」
「何か関係があるのかもしれません……。」
その言葉に、俺と青嶌さんは顔を見合わせた。
今までバラバラだった点が、少しずつ一本の線で繋がり始めている気がしていたが、まだまだ分からないことの方が、圧倒的に多い。
重苦しい空気の中、俺は一つだけはっきりしていることを口にした。
「……とりあえず。」
「今、一番考えなきゃいけないのは。」
「これから小紫さんをどうするかだ。」
俺は少し考え込む。
そして、頭に浮かんだ案をそのまま口にした。
「母さんに相談して。」
「しばらく俺の家で暮らしてもらうっていうのは……。」
「え……。」
小紫さんが少し驚いたように目を瞬かせる。
「黒鉄君の……お家ですか?」
その頬が、ほんのり赤く染まる。
俺は慌てて首を振った。
「い、いや!」
「変な意味じゃなくて!」
「安全な場所が必要だと思っただけで……。」
そんな俺たちを見ていた青嶌さんは、小さく笑ったあと、すぐに真剣な表情へ戻った。
「黒鉄君らしい考えだけど。」
「私は、あまりいい案だとは思わないかな。」
「九十九会が本気で小紫さんを連れ戻そうとしているなら。」
「黒鉄君の家族まで危険に巻き込む可能性がある。」
「それに。」
「今までの話は、お父さんにも報告しないといけない。」
「九十九会のことも。」
「小紫さんのことも。」
「全部相談してみる。」
そして、俺たちへ向き直る。
「だから。」
「二人も、一緒に来て。」
「お願い。」
その瞳は真剣だった。
俺は迷わず頷く。
「分かった。」
小紫さんも、小さく息を吸ってから頷いた。
「……はい。」
「お願いします。」
三人は顔を見合わせる。
次に向かう場所は決まった。
青嶌家。
九十九会との戦いは。
ここから、本当の意味で動き始めようとしていた。




