17
「その日から私は、知らない場所で暮らすことになったの。」
「周りの大人たちは、そこを"研究所"って呼んでいたわ。」
「何を研究している場所だったの
か。」
「……それは、今でも分からないまま。」
小紫さんは小さく目を伏せた。
「ただ。」
「身寄りのない子どもや。」
「帰る場所を失った人たちが集められていた。」
「だから。」
「きっと、まともなことはしていなかったんだと思う。」
「誰も理由なんて教えてくれなかったし。」
「聞いてはいけない雰囲気だった。」
「私は。」
「ただ、生きることだけで精一杯だったから。」
小紫さんは静かに視線を落とす。
「ただ衣食住は用意されていたわ。」
「温かいご飯も。」
「眠る場所も。」
「着る服も。」
「両親と暮らしていた頃より、ずっとまともな生活だった。」
一度言葉を切る。
「……でも。」
「そこでの毎日は、決して幸せなんかじゃなかった。」
「朝はまだ暗いうちに起きて。」
「勉強。」
「礼儀作法。」
「格闘術。」
「体力づくり。」
「暗号。」
「語学。」
「一日の予定は、朝から夜までびっしり。」
「失敗すれば叱られる。」
「泣いても休ませてもらえない。」
「弱音を吐けば。」
『そんなに弱くてどうするの?』
『ここでは弱者は淘汰されるだけよ。』
「そう言われるだけ。」
小紫さんは苦笑する。
「最初は何度も逃げ出そうとした。」
「でも。」
「逃げる場所なんて、もうどこにもなかった。」
「だから私は。」
「生きるために。」
「言われたことを必死に覚えて。」
「笑うことも。」
「泣くことも。」
「少しずつ、忘れていったの。」
「そんな私を。」
「唯一、人として扱ってくれたのが……。」
「ロゼお姉さまだった。」
「厳しくもあったけど、私の面倒はちゃんと見てくれていた。」
「勉強も。」
「礼儀も。」
「戦う術も。」
「全部、お姉さまが教えてくれた。」
「できない時は、ちゃんと叱られた。」
「でも。」
「理不尽に怒られたことは、一度もなかった。」
「熱を出した時は、一晩中付きっきりで看病してくれた。」
「怖い夢を見て眠れない夜は。」
「眠るまで、ずっと隣にいてくれた。」
「誕生日には、小さなケーキを用意してくれたこともあった。」
「だから。」
「いつの間にか私は。」
「お姉さまのことを、本当のお姉さんみたいに思うようになっていた。」
小紫さんは少しだけ微笑む。
その笑顔には、どこか懐かしさが滲んでいた。
「でも、お姉さまはいつも言っていたの。」
『楓。』
『私は優しいからあなたを育てているんじゃない。』
『あなたを生かすためよ。』
「その頃の私は、その意味がよく分からなかった。」
「だけど、今なら分かる。」
「九十九会では。」
「弱い人は、生きていけない。」
「だから、お姉さまは。」
「私が生き残れるように、誰よりも厳しく育ててくれたの。」
「それから何年もの間。」
「私は、お姉さまの指導の下で訓練を受け続けた。」
「正直、何度も逃げ出したくなった。」
「でも。」
「お姉さまは一度も『頑張れ』なんて言わなかった。」
「ただ。」
『生きたいなら立ちなさい。』
『生き残りたいなら覚えなさい。』
「それだけだった。」
「その言葉だけを信じて。」
「私は訓練を続けた。」
小紫さんは膝の上で握った手を見つめる。
「そして。」
「お姉さまから初めて任務を任されたの。」
「神白さんを監視し。」
「その行動を逐一報告すること。」
「その任務を受けて。」
「私は初めて、あの研究所を出た。」
「そして。」
「開路学園へ転入してきた。」
「それが。」
「私がここへ来た本当の理由…。」




