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「……私がまだ十歳になる前だった頃の話。」
小紫さんは静かに息を吐いた。
「その頃の記憶が、少し曖昧で…。」
「だから、これから話すことは。」
「ロゼお姉さまから聞いた話。」
少しだけ目を伏せる。
「私のお父さんとお母さんは。」
「裏カジノへ通っていたらしいの。」
「負けてはツケを重ねる。」
「それを何度も繰り返して。」
「気付いた時には、どうにもならないくらい借金が膨らんでた。」
「追い詰められた二人は」
「最後にイカサマへ手を出したの。」
「馬鹿よね、すぐにバレるのに…。」
「その報告を受けて、その場へ向かったのが。」
「ロゼお姉さま含めた数名。」
「その時の私は。」
「何も知らずに家で待っていた。」
「ロゼお姉さまの話では。」
「借金を返せる当てなんて、最初からないことは分かっていたらしい。」
「だから。」
「新薬の実験体にするか。」
「臓器を売らせるか。」
「そんな話をしていたみたい。」
「すると、お父さんとお母さんは。」
『娘がいます。』
『あの子を差し出します。』
『だから、借金を帳消しにしてください。』
「……そう言ったって。」
小紫さんは、自嘲するように小さく笑った。
「……ひどい両親でしょ?」
その笑みは笑っているのに、どこか寂しかった。
「でもね。」
「私は、あまり驚かなかったの。」
俺も青嶌さんも黙って耳を傾ける。
「もともと、お父さんとお母さんには。」
「虐待まがいなことをされていたから。」
「殴られることも。」
「食事を与えられないことも。」
「部屋に閉じ込められることも。」
「それが当たり前だった。」
小紫さんは遠くを見るように視線を落とす。
「だから。」
「私を差し出したって聞いた時も。」
「やっぱりって思っただけ。」
その言葉に、胸が締め付けられる。
十歳にも満たない子どもが、そんなことを当たり前だと思っていたなんて――。
小紫さんは小さく首を横に振った。
「……でも。」
「そんなことが許されるはず、なかった。」
「お父さんとお母さんは。」
「あの日から、二度と私の前に現れなかったわ。」
静かな声だった。
だけど、その一言がすべてを物語っていた。
「私は何も知らないまま。」
「一人で家に残されて。」
「いつ帰ってくるのかなって。」
「毎日、玄関を見つめながら待ってた。」
一日。
二日。
三日。
幼い私は、何日待てば『ただいま』が聞けるのかも分からないまま、ただ帰りを信じて待ち続けていた。
「……そして。」
「数日が過ぎた頃。」
「玄関のドアが開いたの。」
小紫さんは静かに息を飲む。
「帰ってきたって思った。」
「嬉しくて、玄関まで走った。」
「『お父さん!』『お母さん!』って。」
「何も疑わずに扉を開けた。」
「でも。」
「そこに立っていたのは。」
「知らない女の人だった。」
「薄桃色の髪で。」
「とても綺麗な人だったのを覚えてる。」
「でも、その時の私には。」
「その人が誰なのかなんて、分からなかった。」
「その人は。」
「何も言わずに、しばらく私のことを見つめてた。」
「その目は……。」
「今思えば、どこか悲しそうだった気がする。」
小紫さんは少しだけ視線を落とす。
「しばらくして、その人は私の前まで歩いてきて。」
静かな声で言った。
『楓。』
『荷物をまとめなさい。』
「私は意味が分からなくて。」
「『なんで?』」
「『どこに行くの?』」
「『お父さんとお母さんは?』」
「って、何度も聞いた。」
「でも。」
「その人は静かに首を横へ振って。」
『もう……帰ってこないわ。』
「ただ、それだけ言った。」
小紫さんは寂しそうに笑う。
「十歳にもなってなかった私は。」
「"帰ってこない"って言葉の意味が分からなかった。」
「だから。」
「『帰ってくるもん。』って。」
「玄関でずっと待ってた。」
「夕方になっても。」
「夜になっても。」
「帰ってこなかった。」
静かな沈黙が流れる。
「そんな私を見て。」
「その人は、ゆっくり私の前にしゃがんだ。」
『楓。』
『あなたは何も悪くない。』
『悪いのは、駄目な大人よ。』
「そう言って。」
「初めて私の頭を優しく撫でてくれた。」
「その人が。」
「今の……ロゼお姉さま。」
「私の育ての親。」




