3
倒れた金髪の男へ視線を向ける。
側頭部を正確に捉えた一撃。 踏み込みも、腰の回転も、蹴りの軌道も。
昨日動画を見ただけの人間が再現できる動きじゃない。
(トルリョチャギ……。)
テコンドーの回し蹴り。 本来なら何度も反復練習を重ね、ようやく形になる技だ。
それを、たった一度見ただけで。
(黄瀬王輝……。)
こいつは。 思っていた以上に、とんでもない奴なのかもしれない。
「朝陽?」
「……なんでもないよ。」
考えるのは後だ。 まだ終わっていない。
その時だった。
「この……クソガキがぁぁぁッ!!」
投げ飛ばしたスキンヘッドが、ふらつきながら立ち上がる。
顎を押さえ、血走った目で俺を睨みつけた。
「殺すッ!!」
一直線に突っ込んでくる。
「朝陽!」
黄瀬の声が飛ぶ。
「大丈夫。」
俺は短く答え、一歩だけ前へ出た。
怒りに任せた拳は速い。
だが、感情任せに突き出す拳ほど、軌道を読みやすいものはない。
向かってくる拳の勢いを殺さず、左手を軽く添えて軌道だけを逸らす。
祖父の言葉が頭をよぎる。
『相手の力を奪うな。その流れを、そのまま返してやればいい。』
突き出された右拳の手首を掴む。
両手で包み込むと同時に腰を回し、関節を外側へ強く捻る。
完全に体勢を崩した男の身体は、円を描くように宙へ浮き、そのまま地面へ叩きつけられた。
ドンッ!!
鈍い衝撃音が路地に響く。
「ぐ……ぁ……。」
肺の空気を吐き出し、男は苦悶の声を漏らした。
もう立ち上がれない。
長髪の男も、金髪の男も倒れている。
路地に立っているのは、俺たち四人だけだった。
静寂が訪れる。
「……終わった?」
黄瀬がぽつりと呟く。
俺は周囲を見渡し、小さく息を吐いた。
「うん。もう大丈夫。」
倒れた男たちから目を離さず答える。
そして視線は、震えながら立ち尽くす神白伊吹へ向いた。
彼女は何かを隠している。
それだけは、もう間違いなかった。
「怪我はない?」
「……ありません。」
声はまだ震えていた。
青嶌さんも静かに息を吐き、周囲を警戒するように見回している。
「とりあえず警察を――」
俺がスマートフォンを取り出しかけた、その時だった。
「……駄目です。」
神白さんが震える声で呟く。
「え?」
「警察は……呼ばないでください。」
その一言で、その場の空気が止まった。
「いや、なんで?」
黄瀬が思わず聞き返す。
普通なら助けを呼ぶ場面だ。
それを止める理由が分からない。
神白さんは俯いたまま、制服のスカートをぎゅっと握り締めていた。
「……お願いです。」
消え入りそうな声だった。
すると、少し離れた場所から慌ただしい声が聞こえてくる。
「お巡りさん! こっちです!」
通行人の一人が、近くの交番へ駆け込んでいたらしい。
「このままだと事情聴取になりますね。」
青嶌が冷静な口調で言う。
「神白さんも、今は落ち着いて話せる状態ではありません。」
俺も倒れている男たちへ視線を向ける。
救急車も警察も、もうすぐ来るだろう。
「……とりあえず場所を変えよう。」
誰も反対しなかった。
俺たちは人目を避けるように路地を抜け、駅前へ向かって歩き始める。
その途中だった。
ふと道路の向かい側に、一人の女子生徒の姿が見えた。
小紫楓。
街路樹の陰に立ち、スマートフォンを耳に当てている。
「……ええ。間違いありません。」
落ち着いた声。
だが、その表情は教室で見せていたものとはどこか違っていた。
「予定より少し早く動きました。」
それだけ言うと、小紫は俺たちへ一瞬だけ視線を向ける。
目が合った――ような気がした。
しかし次の瞬間には踵を返し、人混みの中へ姿を消していった。
「……気のせいか。」
そう呟き、俺は歩き出した。
数分後。
俺たちは駅に隣接する小さな公園へ辿り着き、ベンチへ腰を下ろす。
誰も口を開かない。
さっきまでの緊張が、まだ胸の奥に残っていた。
やがて神白さんが、ゆっくりと顔を上げる。
「皆さんには……隠していました。」
「私の家は……少し特殊なんです。」
黄瀬が首を傾げる。
「特殊?」
神白さんは小さく息を吸った。
「私……神白グループ会長、神白宗一郎の娘なんです。」
「それって……あの神白グループ?」
黄瀬が目を丸くする。
「……はい。」
神白さんは静かに頷いた。
「先ほどの人たちは、おそらく身代金目的だったのだと思います。」
「私のせいで、皆さんを巻き込んでしまいました。」
そう言うと、神白さんは深く頭を下げる。
「……本当に、ごめんなさい。」
「いやいやいや!」
真っ先に声を上げたのは黄瀬だった。
「神白さんが謝ることじゃないでしょ。」
「悪いのは、あいつらなんだから。」
「それに俺、人生で初めて財閥のお嬢様と友達になったんだけど。」
「これって結構レアじゃない?」
重苦しかった空気が少しだけ和らぐ。
神白さんも思わず小さく笑みをこぼした。
「……ありがとうございます。」
俺も口を開く。
「俺も黄瀬の言う通りだと思う。」
神白さんはゆっくりと顔を上げた。
「でも……。」
「今日だけじゃないんです。」
その一言に、誰も口を挟まなかった。
「過去にも何度か似たようなことがありました。」
「その時は警備の方たちが対応してくださいました。」
「今日は……学校の外だったので。」
俯いたまま、神白さんは言葉を続ける。
「本当に、すみません……。」
俺は少し考え、静かに尋ねた。
「一つだけ聞いてもいい?」
神白さんは小さく頷く。
「これからも狙われる可能性はあるの?」
その問いに、神白さんは何も答えなかった。
ただ、静かに目を伏せる。
それだけで十分だった。
沈黙が答えになっていた。
その静寂を破ったのは青嶌だった。
「……一つ、気になることがあります。」
いつもの柔らかな笑顔は消えている。
「今日の人たち。」
「神白さんが今日この高校へ入学し、この時間に、この道を通ることを知っていました。」
その言葉に、全員が青嶌を見る。
「偶然とは思えません。」
「つまり――」
青嶌は静かに続けた。
「誰かが情報を流した可能性があります。」
公園の空気が、一気に張り詰める。
「え……。」
黄瀬の表情から笑顔が消えた。
俺も思わず息をのむ。
(内部に情報を流した人間がいる……?)
その考えが頭をよぎった瞬間――
ふと、路地を離れる途中で見かけた光景が脳裏によみがえった。
街路樹の陰に立つ、小紫楓。
スマートフォンを耳に当て、誰かと話していた
「……ええ。間違いありません。」
「予定より少し早く動きました。」
淡々とした口調。
感情をほとんど感じさせない声だった。
そして電話を切る直前、小紫はほんの一瞬だけ俺たちへ視線を向けた。
目が合った――そう思った次の瞬間には、人混みへ溶け込むように姿を消していた。
(……あれは、誰と話していたんだ。)
胸の奥に、小さな引っ掛かりだけが残った。
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