マツ④
マツ視点です。
目を開けた瞬間、真っ先に感じたのは腹部の鈍い痛みだった。
「……ここは」
ぼやけていた視界が徐々にはっきりしていく。
そこには、見慣れない白い天井があった。
消毒液の匂いが鼻をくすぐる。
「マツ!」
ベッドの脇には夫が青ざめた顔で座っていて、私が目を覚ましたことに気づくと、弾かれたように立ち上がった。
「気がついたか……よかった」
「あなた……どうして?」
「君が家から出る所を見かけてね。 様子がおかしいと思って追いかけたんだ。
でも森の中で君を見失ってしまって……やっと見つけたと思ったら、君は血まみれで倒れていたんだ」
夫の説明を聞いていく内に、あの時の記憶が徐々に蘇ってきた。
ロベリアに刺された時の痛みと滴り落ちる血……私の手から鏡を奪って走り去っていく後ろ姿。
そして何よりもこの目に焼き付いているのは――。
『ごめんね、マツ――』
ロベリアの悲しそうな声と頬を流れる涙……。
「ロベリアは? ロベリアはどこ?」
私が体を起こそうとすると、傍らに座っていた姉――カルミアが慌てて立ち上がり、私の肩を押さえた。
「駄目よ、マツ。まだ傷が塞がってないんだから」
「お姉様……」
「あなたが大ケガをして病院に運ばれたと聞かされて……生きた心地がしなかったわ。
あなた、半日も眠っていたのよ?」
「半日も?」
「傷は深かったのよ。あと少しでも治療が遅れていたら……どうなっていたか」
「で、でもロベリアが……」
「マツ、落ち着いて。 まずは何があったのか……私達に話して?」
「……」
私は夫とカルミアに全てを話した。
ロベリアから電話がかかってきて、仲直りの証として無魂の鏡を持ってくるように言われたこと……鏡を見せた途端、ロベリアがナイフで刺してきて、鏡を奪って逃げたこと……。
「そう……」
「……」
話し終えると、お姉様は何も言わずに目を伏せ……夫は拳を震わせ、怒りをにじませていた。
「マツ……ロベリアのことは騎士団に任せよう」
「あなた、何を言っているの?」
「あの女は君を殺そうとして、鏡まで奪ったんだ。
罪を犯した者は法の下で然るべき罰を受けさせるべきだ」
――無魂の鏡を盗んだ者は死刑。
夫は直接そう口にはしなかったけど……その意図は理解できた。
「罪なら……私にだってある。
私が鏡を持っていかなければ……こんなことにはならなかった。
あの子1人が悪い訳じゃない」
「マツ!」
私は夫からの制止を聞き入れず、痛む体を無理やり起こし……よろめきながらも立ち上がった。
闇雲に探そうとしている訳じゃない。
私達巫女には、無魂の鏡の在り処を感じ取る力がある。
かつて鏡が盗まれた時も、この力で取り戻したと伝えられている。
なら、鏡のある場所へ……ロベリアのいる場所へ辿り着けるはず。
「ロベリアを放っておけない……」
「マツ、いい加減にしないか!――」
夫は私の肩を掴んだ。
「君にはフィナがいるんだぞ? 君にもしものことがあったら、あの子はどうなる? もっと家族のことを考えてくれ!」
夫の声には、切実な怒りと恐怖が滲んでいた。
私の肩に乗せている彼の手も、すごく震えている。
傷の痛みよりもずっと痛い何かが、胸を締め付ける。
――夫の言っていることは正しい。
いつもの私なら……大人しくベッドに戻っただろう。
けれど、私は首を振った。
「考えてるよ。あなたもフィナも、私にとってかけがえのない大切な家族……だけど、ロベリアだって私の大切な家族なの」
「彼女は君を殺そうとして、鏡まで奪った女だぞ? それでもか!?」
「ロベリアは……理由もなく人を傷つけるような子じゃない。きっと何か訳がある! 私は直接、ロベリアからそれを聞きたいの」
「だが……」
夫がさらに言葉を続けようとした時……お姉様が深く息を吐いて、夫の肩に手を置いた。
「お義姉さん……」
「少し良い?」
優しい声音でお姉様にそう言われると……夫は静かに私の肩から手を離した。
「どうしても……行きたいの?」
「はい……。 ロベリアを助けたいんです」
姉はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「わかった……ただし、私もあなたと一緒に行く。それと……騎士団にも同行をお願いする。 理由が何にせよ……罪は償わないといけないわ」
「お姉様……」
「これ以上は譲れないわ、マツ」
「……」
――罪は償わないといけない
お姉様の言葉に私は一瞬だけ、言葉に詰まった。
「……わかりました。ありがとうございます、お姉様」
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私は夫にフィナのことを任せ、お姉様や騎士団と一緒にロベリアの元へと向かった。
馬車に乗せてもらってはいるけれど、揺れるたびにお腹の傷がズキズキと痛む。
それでも……戻るつもりは微塵もなかった。
「……」
向かいの席にいるお姉様は私の気持ちを察してくれたのか……何を言っても聞かないだろうと悟ったのか……心配そうな表情を浮かべるものの、言葉を掛けようとはしなかった。
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巫女の力で私達がたどり着いたのは、町外れにある大きな洞窟。
そこはかつて数十人もの人間が集団自殺した曰く付きの場所で、町の人々は気味悪がり、誰も近づこうとしない。
「……」
私とお姉様は馬車から降りて、洞窟の入り口の前に立った。
神経を研ぎ澄ませると、洞窟の奥から鏡の力を強く感じる。
「カルミア様、マツ様……無魂の鏡はこの中に?」
お姉様に尋ねてきたのは、騎士団のトップである騎士団総長。
「はい……間違いありません」
「わかりました……全員、突撃準備!」
騎士団総長の号令で、騎士達が武器を手に持ち始める。
「待ってください!」
私はすがるような声で騎士団総長を呼び止めた。
「いかがしました? マツ様」
「お願いします。ロベリアと2人で話をさせてください」
私の言葉にお姉様を含めた全員が目を見開いた。
「何をおっしゃっているのですか?相手はマツ様を刺し殺そうとしたばかりか、無魂の鏡を盗んだ大罪人です。 巫女様のお言葉とは言え、そのような危険な真似はさせられません」
騎士団総長の言っていることはもっともだ……巫女である私に万が一のことがあれば、騎士団全体の責任になる。
場違いなことを言っているのは私……そんなことはわかってる。
それでも、私はロベリアと2人きりで話がしたかった。
あの子の口から本当のことが聞きたかった。
騎士団に逮捕された後じゃ……大勢の騎士に囲まれた状態じゃ……あの子はきっと、本心を話してくれなくなる。
「少しだけで良いんです。 ロベリアと話をさせてください」
「し、しかし……」
押し問答になりかけた時、お姉様が静かに口を開いた。
「……わかりました。10分、時間をあげます。10分経ったら、騎士団の方々に全てお任せします」
「カルミア様!」
「お姉様……」
「その間、騎士団の方々はここで待機してください。私の許可なく洞窟へ入ることは認めません」
「カルミア様まで何をおっしゃっているのです!?」
「責任は私達が取ります。マツに万が一のことがあったとしても、騎士団には一切責任を問わないとお約束します」
騎士団総長はなおも納得していない様子だったが、それ以上お姉様に異を唱えることはできなかったらしい。
険しい表情のまま、騎士達に待機を命じた。
「これで良いわね? マツ」
「はい、ありがとうございます」
私は不安を抱えながらも……暗い洞窟の中へと1人、足を踏み入れた。
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湿った空気が肌を撫で……かび臭い匂いが鼻を刺す。
進むたびに腹部の傷がズキズキと痛んだ。
それでも足を止めることはできない。
「ロベリア……こんな所に鏡を持ってきて、何をするつもりなの?」
やがて狭かった道が途切れ、開けた場所へ出た。
天井の一部が崩れてできた穴から光が差し込み、暗闇に包まれた洞窟の奥をうっすらと照らしている。
その光の中に――人の影が見えた。
「ロベリア……」
見間違えるはずはない……それは間違いなくロベリアだった。
そして彼女の足元に視線を落とすと――私は息を呑んだ。
そこに横たわっていたのは、2メートルはある巨大な体を持った〝異形の何か〟だった。
継ぎ接ぎだらけの肌に、人間とは思えない獣のような手足。
それなのに、顔だけは幼い子供のようで……人間に近い部分が残っていることが、かえって不気味に見えた。
「ロベリア!」
「ま、マツ……どうしてここに」
私の声に、彼女は弾かれたように振り返った。
その声には、隠しきれない驚きと動揺があった。
「ロベリア……そこに倒れているのは何? 鏡を使って、何をしようとしているの? 答えて」
ロベリアの表情が、一瞬にして苦しげに歪んだ。
「この子は……私の息子よ!」
「……息子?」
「そうよ。この子は私が……錬金術の力で生んだ、私の家族! でもこの子は死んでしまった……産声すら上げられずに……」
「錬金術? まさか……人体錬成!?」
――人体錬成。
錬金術に無知な私ですら知っている、人間を作り出す禁術。
誰も成功したことがないはずの人体錬成を……ロベリアが?
「でもその子はどう見ても……」
――人間じゃない。
私は無意識にその言葉を飲み込んだ。
「関係ない! この子は私の子よ!」
――この子だけは、誰にも奪わせない。
息子を庇うように前に立つロベリアの目には、強い意志が滲んでいた。
その目を見ているだけで胸が締めつけられる……。
「その子を生き返らせたいから? だから鏡を?」
「えぇ! この子を生き返らせるために、あんたから鏡を奪ったのよ! 素直に事情を話しても、あんたは絶対に協力してくれないって……わかってたから」
私は言い返すことができなかった。
もし正直に相談されていたとしても、私はきっとロベリアの願いを受け入れなかっただろうから。
「……」
私はロベリアの後ろに横たわる彼女の息子に視線をずらした。
よく見ると……肌の色が微かに変わり始めている。
呼吸をしていないはずなのに、指先がわずかに動いている。
そして鏡には、うっすらとヒビが入っている。
背筋に嫌な汗が流れ……私はロベリアに視線を戻した。
「ロベリア……まさか、もうその子に鏡を使ったの?」
「えぇ、そうよ! この子はもうすぐ、生き返るはずよ!!」
「……」
ロベリアの言葉を聞いた瞬間、頬を撫でる風が冷たく感じた。
「ロベリア、私もあなたと同じ母親だから……その気持ちは痛いほどわかる。もし私がロベリアの立場だったら……私もあなたと同じことをしてしまったかもしれない。だけど……ごめんなさい。その子を、そのままにはできない」
「この子が人間じゃないから? だからそんなこと……」
「そうじゃない。ロベリア……よく聞いて? その子は、屍になろうとしてるの」
「屍? なによそれ」
「ゾンビって言えばわかる? 小説に出てくる、死んでも動き続けるあの化け物よ」
「ぞっゾンビ……」
ロベリアの顔に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。
「鏡の力はね? 私達巫女にしか使えないの。
巫女以外の人間が鏡を使っても、人を生き返らせることはできない。 その子のように、屍になるだけなの」
――巫女が鏡を使って人間を生き返らせる方法。
それは鏡に生きた人間を映して命を奪い、死んだ人間に奪った命を与えるというもの……つまりは生贄だ。
そして生贄は、なんの罪もない人間でなくちゃいけない。
犯罪者や巫女……ロベリアのように異種族の血が混じっている人間は生贄にはできない。
そのくせ、命を奪うだけならなんの代償もなく簡単にできる……だからこそ、巫女は鏡の力をむやみに使うことを固く禁じられている。
「その子はいずれ目を覚ますわ。でも……もうその子は生き物じゃなくなる。死ぬこともできず……何も感じることができず……ただ生きた肉を貪るだけ……。
それでもロベリアは、その子に目を覚ましてほしい?」
「それは……」
「それだけじゃない。 鏡を見て、ヒビが入っているでしょう?」
ロベリアが傍らにある無魂の鏡に目を向けた。
「なによこれ……こんなのさっきまで……」
「その子は人体錬成で生まれた……本来、あり得ない子なの。
自然に生まれた命じゃない存在を蘇らせようとしたせいで……鏡に負担をかけすぎて、ヒビが入り始めているの」
「そんな……」
「このままその子が完全に屍になってしまったら、鏡の力が暴走して……他の死者達も屍になっていく。そうなってしまったら、いずれ世界は屍に覆われてしまう。意味はわかるよね?」
「……」
「そうなる前に……その子を火葬して、鏡との繋がりを切らないと」
言葉を選んでいるつもりだけど……胸が抉られるように痛い。
目の前で我が子を失ったロベリア……ただ純粋に我が子を生き返らせてあげたいと願う彼女にこんな惨い事実を告げる自分がひどい人間に思えてならない。
「嫌っ! この子は私を必要としてくれる、たった1人の家族なのよ! 世界がどうなろうと知ったことじゃない、私には……もうこの子しかいないんだ!!」
「ロベリア……」
ロベリアの叫びは、洞窟の壁に反響して私の胸に突き刺さった。
目をそらしてしまいそうになる……。
お腹の傷の痛みすら忘れてしまいそうになる……。
「私は……この子の母親よ!!」
私はゆっくりと息を吸い、ロベリアの目を見つめた。
目を背けちゃダメだ……。
私がロベリアの気持ちとしっかり向き合っていれば……こんなことにはならなかったんだから。
「うん、ロベリアは良いお母さんだと思う。だけどね? この世界には、ロベリアみたいに子供を守る親がたくさんいるの。屍がこの世界にあふれ出したら……たくさんの家族が死んでしまう。家族を失うのがどれだけつらいか……ロベリアが誰よりもわかっているでしょう?」
「それは……」
ロベリアの声が、初めて揺らいだ。
「でもこの子は……」
「ロベリアの大切な家族なのはわかってる。ロベリアにも……その子にも……ひどいことを言ってるのはわかってる。だから私のことは許さなくてもいい。ただ、お願い……その子を眠らせてほしい」
「そんなことできない。この子がいなくなったら……私はまた1人になってしまう!」
ロベリアの悲痛な声が、鋭い刃のように私の胸に突き刺さる。
喉が詰まり、声が震えそうになる……それでも私は言葉を絞り出した。
「私が、そばにいる」
「……えっ?」
私はゆっくりとロベリアに向かって歩き出した。
「来ないでよ!」
ロベリアは震える手で、そばのテーブルに置かれていたナイフを掴み、私に向けた。
だけどその手は、すごく震えていた。
ナイフには血が付いている……きっと私を刺したナイフだ。
それでも私は足を止めなかった。
「私じゃ、その子の代わりにはなれないけど……それでもロベリアのこと支え続けるから」
お腹の傷が痛むし……ナイフを向けられているのは怖い。
だけどそれ以上に、ロベリアを助けたい気持ちが私の体を突き動かした。
「ごめんなさい。ずっとつらい思いばかりさせて……私がロベリアの気持ちにもっとしっかり向き合っていれば……」
ロベリアへの罪悪感に耐えきれず、私の目から涙が溢れた。
「もう1度だけでいい。私のこと……信じて?」
私は足を止め、震える手を差し出した。
――この手を取ってほしい。
そう強く思っていたけど、私は自分からロベリアの手を握ろうとはしなかった。
ロベリア自身が私の手を取ってくれないと……ただの押し付けになってしまうから。
「……」
ロベリアは、ナイフを向けたまましばらく何も言わずに私の手を見つめていた。
「マ……ツ……」
ポタッ――。
ロベリアの目から、一筋の涙が頬を伝った。
やがて、ナイフを握っていた指が一本、また一本と開いていき……。
カラン――。
ナイフが地面に落ちた。
「マツ……」
子供を失う恐怖に染まっていたロベリアの顔が少しだけ緩んだように見えた。
彼女の震える手が、ゆっくりと私の手に近づいてくる。
「ロベリア……」
私はこの時、深く心に誓っていた。
ロベリアが私の手を取ってくれたら……もう2度とその手を離さないと。
この先、どんなことになっても……私はロベリアの家族でいたい。
そして私達の指先が触れようとした――その瞬間だった。
パァンッ!
乾いた破裂音が洞窟内に轟き、ロベリアの肩口から血が噴き出した。
「えっ?」
何が起きたのか理解できなかった……無意識に振り返ると、10メートルほど離れた場所に数人の騎士団員が銃を構えていた。
この時初めて、騎士がロベリアを撃ったのだと理解した。
「なんで……」
約束の10分を過ぎてしまったのか……それとも危険と判断して独断で動いたのか……理由はわからなかった。
だけどそんな疑問は、騎士達が再びロベリアへ銃口を向けた瞬間に吹き飛んだ。
「撃たないで!」
私は騎士団に向かって大声で叫んだ。
だけど――。
パァン!!
無情な銃声が洞窟内に響き渡った。
「……」
私は震えながら、ゆっくりとロベリアの方へ向き直った。
そこには、胸から血を流すロベリアが立っていた。
ロベリアの白く薄汚れた服が真っ赤に染まっていく……。
あまりの光景に、私は何も考えられなくなった。
「……」
ロベリアが伸ばしかけていた手を力なく下ろしていく……その顔は深い悲しみに歪み、頬には涙が伝っていた。
「……裏切り……者……」
その言葉を最後に、ロベリアは糸が切れた人形のように地面へ崩れ落ちた。
「……ロベリア?」
私はフラフラとロベリアに歩み寄り、倒れた彼女の体を揺さぶった。
だけど……返事をしてくれない。
「ロベリア?」
何度揺さぶっても……何度呼んでも……ロベリアは何も答えてくれない。
さっきまで私に手を伸ばしていた体から、少しずつ力が抜けていく。
――ロベリアが死んだ。
頭ではそう理解しても、心が受け入れない。
だって今さっきまで……ロベリアは生きていた。
私の手を取ろうとしてくれた……。
それなのに……こんなの……こんなの……。
「ロベリアぁぁぁ!!」
洞窟内に、私の悲痛な叫びが響き渡った。
だけどもうこの声は……2度とロベリアには届かないんだ。
次話は今回の話をロベリア視点から書きます。




