第肆の噂「森の魔女」⑦
注意
・本作品はフィクションです。実在の団体、人物とは何ら関係ありません。
・この作品には一部性的な描写、暴力シーンやグロテスクな表現が含まれております。苦手な方はまた、作中に登場する心霊スポットは、すべて架空の場所です。廃墟に無断で立ち入る行為や犯罪行為を本作品は一切推奨いたしません。
空はオレンジ色から紫色、藍色へとグラデーションがかかり始めた。朱夏町の森林公園の街灯が灯り出す。明良は英美里を探していた。夏特有の湿気を帯びた生暖かい風が肌にまとわりつく。汗の玉が一つ流れ落ちた。
足早に動き回っていたせいか、疲労の色が表情に出て、呼吸も荒くなってきた。それでも明良は公園の周囲を見回して英美里の姿を見つけ出そうとしていた。
(嫌な予感がする)
さっきから頭の中に危険信号が警鐘を鳴らし続ける。早く英美里を見つけ出さないと、取り返しのつかないことになる。明良は神経を集中させて、ここまで走り続けてすっかり重くなった足に活を入れて、地面を蹴り上げた。
森の中はまるで異界に繋がっているような、得体の知れない闇に覆われていた。街灯は灯っているが点滅を繰り返しており、何とも頼りがない。そして異常なまでに静まり返っていた。さっきまで鳴り響いていた蝉の鳴き声がぴたりと止み、車の走る音も、全く何も聞こえない静寂に支配されたような空間。
(ここは危険だ。急いで英美里さんを見つけないと)
明良は流れ落ちる汗を拭い、足早に進んでいく。日差しが木々に遮られ、街灯のぼうっとした光だけを頼りに進んでいく。
すると突然目の前に青白い光がぼうっと浮かび上がった。
それは人間の身体だった。近くにあった大木の太い枝にはロープが巻かれており、そこから彼は吊るされていた。ぎぃぎぃと軋ませて、顔中からありとあらゆる液体を垂れ流しながら、大きく見開いた目で自分のことを見下ろしながら悲しげな顔で見つめている。
『くるしいくるしいくるしい、死にたくない死にたくない死にたくない、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして、おれ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして』
(自分で命を絶った結末、か)
明良は呼びかけてくる寂しげな声を無視して、走り去った。死者の悲しみ、憎しみ、絶望は生者には計り知れない。下手な同情は死者の心の傷を抉り、さらに深く傷つけることもあるのだ。こういう手合いには無視が一択である。同情は死者に引き摺り込まれる最悪の一手だ。
この森には、霊がちらほらいた。木の枝から吊るされたまま、死を受け入れきれず苦しみ続けるもの。地面から身体を這い出したような姿で助けを求めているもの、身体がまるで風船のように膨れ上がってずぶ濡れになったもの、森の中がまるで生者を取り込み、死者を閉じ込めている監獄のように思えてくる。
(英美里さん、どうか無事でいてくれ!)
明良ははやる気持ちを抑えて、森の奥に向かって走り出した。
★★★★★★★★★★★★★★★
「二週間ぐらい前かしらね。鷹橋がアタシのところにやってきたのよ」
二週間前、仕事を終えて警察署を出たところで獅子島は、かつての同僚の鷹橋、鷺沢、烏丸悟が顔を揃えて訪ねてきたのだ。三人とは、小野塚市警察署に飛ばされてからは会う機会はなかった。6年ぶりに再会した仲間たちは全員警察を辞めており、鷹橋は私立探偵事務所を立ち上げており、烏丸は実家の模型店を継ぎ、鷺沢は退職金で小さなカフェを開き、それぞれが違う人生を送っていた話を聞かされて、獅子島は驚いた。
「辞めた理由は黒田の行き過ぎた容疑者への暴行や厳しい取り調べについていけなくなったからだと言っていたわ。でも、3人が辞めたのは陽だまりの家の内部告発をした元信者たちが自殺したことが決定打だった。亡くなった彼らに対して、黒田は彼らの誰かが逃亡していた鶴ヶ島に警察の情報を流していたからだと決めつけて、あり得ないほど苛烈な取り調べをしていたらしいのよ。そしてその取り調べの指示を出していたのは鴨川だったの」
「鴨川部長が?」
「鴨川が黒田の行き過ぎた正義を悪化させていた元凶だったのよ。処罰といってもせいぜい減給か一週間程度の自宅謹慎くらいだったし。黒田も何かと自分を庇ってくれた鴨川だけには心から信頼していたみたいだしね」
それがなぜ、信頼していた上司を殺害するにまで至ったのだろうか。獅子島は話を続ける。
「昔、鷹橋が使っていた情報屋のホームレスが鷹橋にある情報を売り込みに来たらしいのよ。それは鴨川が所有している別荘に、指名手配犯の鶴ヶ島が匿われているというものだったわ」
その話を聞いた時、鷹橋は鴨川の情報提供者が誰なのか、察しがついた。陽だまりの家の幹部であり、裏社会と太いパイプで繋がっている情報屋の鶴ヶ島千鶴こそが、鴨川のネットワークの正体だったのだ。
「で、で、でもどうしてテロリストと公安が協力関係なんて、そんなことが!?」
「・・・なるほどな、エスだったってわけか」
青鮫が納得したようにつぶやいた。
「エスって、鶴ヶ島が!?」
「鶴ヶ島知里は裏社会の情報に詳しかったんだろう?そんなヤツがテロリストの仲間であるにも関わらず公安とも繋がっていた。鶴ヶ島はおそらく、元々は公安の捜査官だったんじゃねえか?」
青鮫の話を聞いて、獅子島は首を小さく縦に振った。
「それじゃ、鶴ヶ島は元々警察の人間だったってわけ!?」
「元々は公安部の警察官だったわ。でも彼女は10年前に依願退職という形で処理されていた。だけどもしこれが、陽だまりの家に潜入捜査で送り込まれた潜入捜査官だったら、鴨川と協力関係にあったとしてもおかしくはない。でも、7年前に起きた警察官僚や政治家が襲撃を受けて殺害された事件で未然に防げなかったものがあったわ。アタシはそれが不思議でならなかったわ。潜入捜査官が情報を見逃すなんて言うミスを犯したとは考えにくい。10年前から組織に潜り込んで幹部にまで昇格した鶴ヶ島ほどの人間ならなおさらね」
「7年前の事件って、もしかして、本庁の最寄り駅で奴らが起こした無差別テロのことですか?」
「ええ、本庁の職員や警察官、出勤途中の一般人や学生が巻き込まれて、死傷者が30人、陽だまりの家がカルト集団から凶悪なテロリスト集団として本格的に認定された事件よ」
7年前の5月、連休明け間もない時、世間を揺るがす大事件が起きた。
警視庁最寄りの地下鉄駅構内、朝8時40分着の地下鉄4号車でガスマスクをつけた、フードを深く被った不審者が青酸ガスを車内に撒き散らした。致死性の高い青酸ガスで車内の乗客30人の内15人が死亡、乗客の一人が車両の窓を開けたこと、ガスが撒かれてすぐ車両のドアが開いたことで、全員死亡する事態は避けられたが、青酸ガスを至近距離で吹き付けられた警視庁の警察官たちが犠牲になった。
「その犠牲になった警察官はね、二人とも公安部に所属する警察官だったのよ。鴨川や黒田とも当然面識があり、さらに言うなら彼らは鴨川たちのことを探っていたのよ」
「探っていた?何をですか?」
「鴨川の情報網よ。鴨川はあまりにも裏社会の事情に知り過ぎていた。しかもその情報を全て独占していたわ。アタシもそれには危機感を感じていたわ。裏社会の情報は一歩間違えれば、自分の人生さえも変えてしまう劇薬のようなものよ。あくまでも事件の捜査のためだけに利用するならまだいいけど、それを利用すれば裏社会に情報を流してその見返りはデカいものになる」
「まさか、警察内部の情報も裏社会に流したりもしていた!?」
「鴨川が裏でやっていたのは、情報を独占したばかりか、その情報をたくみに利用して、自らの地位、利益を貪る行為だったわ」
そして、と前置きをしてから獅子島は鬼のような形相で身体を震わせながら話し出した。
「7年前のテロ事件で亡くなった警察関係者は二人、鴨川の裏でやっていることを突き止めようとしていた、アタシたちのかつての上司と同僚だったわ。アタシはあのテロは、鴨川が陽だまりの家を利用して起こした口封じ、そして、陽だまりの家を大々的に悪として世間に表明するために仕掛けたことだと、今でも思っているわ」
獅子島の鬼気迫る告白を聞いて、ゼロ係の面々、そして鷲尾や青鮫も驚愕で固まった。
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