第4章 変人街(Ⅱ)
第4章 変人街(Ⅱ)
その頃、山本浩二は自分の部屋で鏡に映っている理想の女の姿に見とれていた。なんて可愛らしい。ひらひらのフリルがついた苺柄のシャツと赤いチェックのミニスカートに身を包んで姫カットで分厚い前髪を下ろした女。彼女は自分と全く同じ顔をしていて、顎は髭で青くなっていて、ミニスカートから伸びるほっそりとした脚にはすね毛がぼうぼうに生えている。多少、男っぽい部分はあるが、そんなのは構わない。全く気にならない。恋は理屈じゃない。浩二はその全身鏡に向かって、微笑みかける。すると、鏡に映った恋人も彼に微笑みかけた。ダンスをするようにくるりと体を一回転させると、恋人もそれと同じ動きをする。ミニスカートがゆらりと揺れて、その下に履いている白いパンティが見えた。浩二は自分の股間がうずくのを感じた。そして、鏡に一歩一歩ゆっくりと近づく。彼女も一歩一歩近づいてくる。浩二の心臓の鼓動が高鳴り、顔に赤みが帯びる。鏡の向こうの彼女の顔にも同じように赤みが帯びている。互いに同じ表情で同じ動きをする自分らは相思相愛なのだ。
それは浩二にとって単なるファンタジーではなく、現実だった。俺は彼女を愛している。彼女も俺を。全身鏡にそっと身を寄せる。浩二は鏡に映る女装をした自分の唇にちゅっとキスをした。そのときにはぴたりとした女性物のパンティに包まれた彼のペニスはすくすくと膨張していた。着衣で勃起をしてしまった今、男物の緩いトランクスを履いているときとは違って、イチモツが締め付けられているような感覚があるが、浩二にとって、それは心地が良かった。しまむらで買った女性用のパンティ。それを持ってレジに並んでいたとき、浩二はがくがく震えて大汗をかいていた。店員さんには、金を払う前に「お母さんに頼まれたのです」と一言告げた。浩二はもう一度、目を閉じて鏡の中の自分にキスをしようとした。冷たい鏡。彼女の温もりが伝わってこないのがなんとも残念だ。再び現実世界と鏡の中の自分の唇と唇が触れ合う。不思議と今度は彼女の唇が暖かい感じがした。
「ヒー、ヒー、ヒョー」
家の外で奇妙な鳴き声が響くが、浩二は一切気に留めなかった。キスをしたままそっと目を開けてみる。“鏡の国の浩二の恋人”は目を閉じたままだった。でも、浩二は驚かなかった。
彼女に愛が通じたんだ。そう思った。唇を離すと、彼女は浩二に微笑みかける。鏡の中の女装をした浩二はもはや鏡の前にいる浩二本人とは違う動きをし始め、鏡の中からゆっくりと出てきた。まるで異世界への入り口を通る魔法使いのように。その鏡が“9と4分の3番線のプラットフォームの壁”のようなものであるかのように。
浩二は暗くなった町を自分と全く同じ姿をした恋人と手をつないで駆け回った。言葉を交わすことは無かったが、互いに気持ちは通じ合っていた。2人でジャンプをしたら、体がぷかぷかと浮いて、上空から町の明かりを眺めることが出来た。町の東のほうに黄色とオレンジのライトに照らされたスコットランド風の美船時計塔が見える。ビッグベンが見えるディズニーランドのピーターパンのアトラクションよりもロマンチックだった。
だけど、しばらくすると、“彼女”は浩二から離れていってしまった。前を行く彼女は“こっちに来て”と浩二に手招きをする。向かっていく先は町の南の外れのほうだった。やがて森の中へ入っていき、なおも浩二を闇の中へいざなう。浩二は必死に追いかける。だが、まるで夢の中であるかのように全力疾走をしても前へ進むことが出来ない。全然彼女にも追い付くことが出来ない。彼女は行ってしまった。
「ヒー、ヒョー」
またあの鳴き声だ。辺りに不快な獣臭と糞便のような悪臭が漂い始める。
森の中の崖の先にぷかぷかと浮く恋人の姿をようやく見つけた。“今そっちへ行くから待ってて”と心の中で彼女に伝える。さっきは空を飛べたから彼女のところまでひとっ飛びで行ける。そう信じて、浩二は崖に向かってジャンプした。その瞬間、宙に浮いた恋人の目が銀色に光った。そして、月明りに照らされた崖の向こうの森の中を4足のタヌキのような毛むくじゃらな生き物が駆けていくのが見えた。それらがなんだったのかなんて考える暇も無く、浩二は高い崖の底へ転落した。今度は空を飛ぶことは出来なかった。崖の岩肌や地面に激突し、浩二の首の骨や背骨が砕け、内臓がずたずたになり、口から血反吐を吐いても、痛みを感じるよりも先に彼の意識はどこかへ飛んでいってしまっていた。15年という短い人生の最期にロマンチックなひと時を過ごし、山本浩二は幸せだった。




