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第91話「贖罪の迷宮(ダンジョン)と、失われた人間の形」

 ――嘘の帝国は、音を立てて崩壊した。

 テレビのニュース番組は、連日『世紀の大疑獄・防衛省&国交省マッチポンプ事件』を一色で報じ続けていた。

 国会の証人喚問の席。かつてプレハブで威勢よく吠えていた炎城司令官は、完全に白髪になり、マイクの前で泣き崩れていた。

「わ、私は……ただ地球を守りたかっただけなんですぅぅ! 予算の不正利用も、怪獣の隠蔽も、すべて氷室査察官が単独でやったことで……私自身も彼女に騙されていた被害者なんですぅぅ!!」

 その隣で、トヨハタ自動車の社長がフラッシュの嵐を浴びながら土下座をしている。

「Gキャノンによる意図的なインフラ破壊は、国交省からの強烈な『天下り受け入れと引き換えの指示』によるものであり……我々民間企業としては断れず……」

 しかし、すべての絵図を描いた張本人である氷室査察官の姿は、どこにもなかった。

 彼女は完璧に証拠を隠滅し、責任をすべて炎城とトヨハタに押し付ける裏帳簿だけを残して、跡形もなく日本から姿を消していた。

 ロボット計画は即座に凍結・解体。

 あのガムテープとダンボールで継ぎ接ぎされた異形の機体、アースディフェンダーは、「税金の無駄遣いの象徴」として重機によって無惨にスクラップにされた。

 そして。

 パイロットであった鈴木は、防衛省を『懲戒免職』となった。

 残されたのは、「機体の破損」「公然わいせつ未遂」「国交省への賠償金」など、氷室が理不尽に積み上げた【総額850億円】という、個人が背負うにはあまりにも非現実的な借金だけだった。

 ――都内某所、取り壊し寸前の四畳半のボロアパート。

 雨漏りのする天井を見つめながら、鈴木は暗い部屋の片隅にうずくまっていた。

 いや、「うずくまっている」という表現は正確ではない。彼は【極限のエアロフォルム】によって背骨と首が完全に湾曲して固まっており、仰向けに寝ることすらできないのだ。まるで壊れた胎児のように、常に前傾姿勢のまま横たわるしかなかった。

 太さ120センチを超え、異様に血管が浮き出た大腿四頭筋は、どんな市販のズボンも受け付けない。鈴木は、ボロボロに切り裂いたジャージの短パンを穿き、ただ無機質な壁を見つめていた。

「……」

 枕元のスマートフォンが、チカチカと通知の光を放っている。

 画面には、SNSの心無い言葉が溢れていた。

【あの税金泥棒ロボのパイロット、顔と本名特定されたぞ】

【弱い動物を殺してイキってた人殺し】

【あいつの筋肉の画像見た? 完全に化け物。薬物やってるだろ】

【850億の借金とかウケる。一生モルモットでもやってろ】

「……僕は、何なんだろう」

 鈴木は、声の出ない喉を震わせた。

「国を信じて……みんなを守るために乗ったのに。気づけば僕は、弱い命を奪う処刑人で、借金まみれの犯罪者で……もう、人間ですらない」

 絶望の闇に沈む鈴木の背中を、冷たい手が優しく撫でた。

 作業着姿の青年――シルバァ(巨大未確認生物3号)だった。彼は、アパートの水道代と電気代を自分の日雇いバイト代で払いながら、鈴木を見捨てることなく同居していた。

「ネットの言葉なんて見なくていい。彼らは、安全な場所から石を投げているだけの、空っぽの器だ」

「シルバァ……僕は、外に出るのが怖い。みんなが僕を、化け物を見るような目で見るんだ。……この脚は、もう普通に歩くことすらできない」

 鈴木の太ももは、もはや「ペダルを回す軌道」でしか正しく機能せず、平地を歩くとロボットのようにギクシャクとしてしまうのだ。

「君は化け物じゃない。君は、誰よりも純粋に『環境』に適応しただけだ。……悲しいね。純粋すぎたが故に、君は人間の形を失ってしまった」

 シルバァは、鈴木の隣に座り、その異形の肩を抱き寄せた。

「でも、生きていかなきゃならない。君には、まだ果たさなければならない運命があるはずだ。……そのために、まずはお金を稼ごう」

「お金……?」

「ああ。借金の取り立てが来る前に、当面の生活費が必要だ。……以前、防衛省の地下に『ダンジョン』があったのを覚えているかい?」

 かつて第58話で、予算確保のために発見された【防衛省地下ダンジョン】。

 今は防衛省の機能が完全に停止し、警備もザルになっているという。

「あそこに潜って、モンスターを狩ってドロップアイテムの金貨を拾うんだ。君のその力なら、できる」

「……僕の、力……。この、殺すためだけの呪われた筋肉で……」

「そう。これは君が生きるための力だ。行こう、鈴木くん」

 ――深夜。

 漆黒の闇に包まれた、市ヶ谷の防衛省地下・第7階層。

 松明の炎が揺れる石造りの回廊を、一台のサビだらけの【ママチャリ】が進んでいた。

 サドルには鈴木が跨り、後ろの荷台にはシルバァが静かに座っている。

「……怖いんだ、シルバァ」

 鈴木は、前傾姿勢のまま虚ろな瞳で前を見つめながら呟いた。

「ペダルに足を乗せると……身体の奥底から、あの『完璧な感覚』が蘇ってくる。自分が機械の一部になったみたいで……恐ろしいんだ」

 その時。

 地響きと共に、ダンジョンの奥底から、全長15メートルを超える巨大な【エンシェント・ドラゴン(古の赤竜)】が、灼熱の炎を吐き出しながら現れた。

 ファンタジーRPGのラスボス級。自衛隊の一個師団でも太刀打ちできない、純粋な「暴力と死」の象徴。

『グォォォォォォッ!!』

 ドラゴンが、血走った目で鈴木たちを睨みつけ、その巨大なあぎとを開いて致死の業火を放とうとした。

 かつての鈴木なら、悲鳴を上げて逃げ出していただろう。

 だが今の彼は、微動だにしなかった。

 感情の一切抜け落ちた虚無の瞳のまま、鈴木はサドルから腰を浮かせ――【立ち漕ぎ(ダンシング)】の姿勢に入った。

「……止まれ」

 鈴木は、誰にともなく呟き、右足のペダルを「スッ……」と、ただ一度だけ踏み込んだ。

 瞬間。

 ――ズガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!

 鈴木がママチャリのペダルを【1回転】させただけで、ペダルから後輪へと伝わった凄まじい「エネルギー効率」が物理法則の限界を突破した。

 後輪がアスファルト(石畳)を蹴り上げた摩擦から発生した【不可視の真空の断層(風圧)】が、竜巻となってダンジョンの空間そのものを一直線に切り裂いた。

「えっ……」

 ドラゴンの吐き出そうとした炎ごと、その巨大な肉体は、悲鳴を上げる間もなく「ペダルを漕いだ風圧」だけで原子レベルにまで分解され、赤い血の霧となって四散した。

 あとに残されたのは、静寂と、パラパラと地面に落ちる大量の金貨だけ。

「…………」

 鈴木は、ママチャリの上に立ったまま、ガタガタと震え始めた。

 アースディフェンダーなんて、最初から必要なかったのだ。

 極限まで調教された彼の「ペダリング」は、ただのママチャリに乗っても、エネルギー保存の法則を無視して神話の魔獣を瞬殺する【概念的兵器】へと変貌してしまっていた。

「あ、ああ……アアアアァァァァッ!!」

 鈴木は、血だまりの中に落ちた金貨を見つめながら、頭を抱えて絶叫した。

「僕だ……! 僕自身が、本当の『化け物』だったんだ!! あんな弱い宇宙の迷子たちを……僕はこんな、こんな狂った暴力で叩き潰していたのか!!」

 自分がどれだけ恐ろしい力を持っていたのか。それを自覚した絶望が、鈴木の心を完全にへし折った。

 崩れ落ちる鈴木を、シルバァが後ろから優しく抱きしめる。

「君は悪くない。君はただ、生きるために環境に適応しただけだ。……哀しいね。強すぎる力は、時として己の心を壊してしまう」

「シルバァ……僕は、どうすればいい……! これ以上、この身体で生きていくのが怖い!」

「大丈夫。君のその力は、誰かを傷つけるためのものじゃない。いつか必ず、君自身が『本当に走るべき場所』を見つける日が来る。それまで、君の魂は僕が守るよ」

 地下ダンジョンに響き渡る、怪物になってしまった青年の慟哭。

 金貨を拾い集め、借金を返すだけの、空虚で絶望的な日々が始まる。

 しかし、運命の歯車は、彼の異常な「筋肉(ハムストリングスと大臀筋)」を求めて、別の場所で静かに回り始めていた。

 誰も笑えない暗闇の中で、真の『絶対王者』が産声を上げる時まで……。

 破滅へのカウントダウンは、残り9話。


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