第84話「極秘のアンチグラビティ・バンクと、時給1250円のジェットコースター点検バイト」
四月下旬。うららかな春の陽気が防衛省の空き地を包む中、ポツンと建つ【プレハブ仮設司令室】の内部だけは、相変わらず血と汗と泥にまみれたブラック企業の空気が充満していた。炎城司令官は、花粉症の薬の副作用で猛烈な睡魔と闘いながら、パイプ椅子の上で吠えていた。
「ぬぉぉぉ……! 垂直登攀だ!! アースディフェンダーには、そびえ立つ高層ビルや絶壁を重力に逆らって駆け上がる【三次元の壁面走行能力】が欠けている!!」
炎城が、眠気を飛ばすために自らの頬をビンタしながらマフラーを振り回す。
「どれだけ平地でマッハの速度を出せても、敵がタワーの頂上に逃げ込めば手出しできん! スーパーロボットたるもの、重力の法則をねじ伏せ、垂直の壁を平地のように爆走する『アンチグラビティ・ドライブ』が必要なのだ!」
氷室査察官が、春の異動シーズンで届いた退職届の山(すべてシュレッダー行き)を処理しながら冷ややかに答える。
「50トンの機体を壁面に吸着させる強力な真空吸盤や反重力装置など、マイナス予算の我が防衛省ではスッポン(トイレの詰まりを取るやつ)一個すら買えません。機体の手足に、ヤモリの死骸でもすり込んでおきますか?」
「馬鹿者! 最高の吸盤は己の体幹だ! パイロットの魂の『骨盤の角度』で、重力を横殴りにしろぇぇっ!」
インカムから、鈴木の、もはや六道輪廻を解脱し、阿頼耶識に到達したかのような悟りの声が響いた。
『……あの。俺、今は【150キログリッパー】【肩シュラッグ】【腰ツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【ニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋滑空】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】【心肺冷却】【三角筋固定】【三頭筋ハンドル投げ】【エアロフォルム】【ミリ単位の等尺性静止】【立ち漕ぎダンシング】【先行機マーク】【ショルダーブロック】【眼球独立の展開予測】をして、さらに【マッハからのバック踏み急停止】までやってるんですよ。……これ以上、体をどうやって壁に引っ付けろって言うんですか。俺の体はスパイダーマンじゃないんですよ……』
「甘えるな鈴木ィ! まだ『地面に対して垂直に座る』という甘えがあるだろうが! 漢なら、腹斜筋を極限までロックし、骨盤を強引に傾けて壁と一体化しろぉぉっ!」
一方その頃。
都内の巨大遊園地。ヘルメットを被った青年――巨大未確認生物3号が、地上50メートルのジェットコースターのレール上で点検作業をしていた。
(時給1,250円の『絶叫マシンのレール点検バイト』! 高所恐怖症の人間には絶対に無理な仕事だが、宇宙人の平衡感覚なら、幅10センチのレールの上で逆立ちだってできるぜ)
彼が休憩に入り、レールに腰掛けてチュロスを食べていると、レールの裏側から白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その手には、コースターの車両から根こそぎ外された【レールを上下から挟み込む、強靭なアンダーフリクション(浮き上がり防止)車輪】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に絶叫マシンの命綱を! それがないと、ループした時にコースターがお客さんごと真っ逆さまに落ちちゃうだろ!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【重力反転】だ。あのポンコツのタイヤ機構にこのガイド車輪を組み込み、ビルの外壁の『窓枠の溝』をレール代わりにして走らせる!」
「壁を走る!? そもそもどうやって機体を真横に倒すんだよ!」
「そうだ! パイロットは、機体を壁に張り付かせるため、自らの【骨盤】を極端に前傾・側屈させ、同時に【腹斜筋(脇腹の筋肉)】をコンクリのように硬直させなければならない! パイロットの『強烈な骨盤の傾き』と『体幹の固定』が機体の重心を強引に90度捻じ曲げ、50トンの機体を垂直の壁に押し付けるのだ! 鈴木の【究極のバンク(傾斜)走行姿勢】が、重力を無効化する!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーの足回りにコースターの浮き上がり防止車輪を強引に溶接し、鈴木の操縦桿とペダルの位置関係を「骨盤を異常な角度に傾けないと漕げない」ように改造したのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、プレハブの窓から見える東京タワーを指差しながら報告した。
『東京タワーの中腹に、巨大未確認生物69号が出現! 全長40メートルの【宇宙ナマケモノ】です! 奴は長い腕でタワーの鉄骨にしがみつき、そこから一切動きません!』
「出たな怠惰の権化め! 出撃だ鈴木ィ!」
芝公園・東京タワー周辺。
宇宙ナマケモノ(69号)が、「フスァァァ……」と気の抜けた寝息を立てながら、タワーの大展望台の下あたりにガッチリとしがみついていた。
そこへ、国交省の官僚を乗せたコマンドカーと共に、トヨハタ自動車のテムロ・レイが操る『Gダム』が到着した。
『フフフ。東京タワーなどという昭和の遺物は、我々国交省が推進する「シン・東京メガタワー建設計画」の邪魔でしかなかったのだ。テムロ君、あのナマケモノごと、タワーを完全に溶断したまえ』
国交省の官僚が、もはや清々しいほどの悪党ぶりで指示を出す。
『フン、造作もない。昭和の鉄クズごと、私のビームで蒸発させてやる』
一方、大幅に遅れて「ギゴ……」と到着したアースディフェンダー(鈴木)は、またしても国交省の「公共事業のための自作自演破壊」を目の当たりにしていた。
その時、タワーの足元にある芝公園で、春のピクニックを楽しんでいた大学生のサークルが、心地よい【ボサノバの生演奏】をポロロンと奏で始めた。
その優しく穏やかな音色が、春のそよ風に乗って宇宙ナマケモノの耳に届いた。
『フニャ……?』
今まで、超高度なレーザーやブラックホール(大嘘)でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただのボサノバの音色など、戦闘本能の前にはかき消されるはず――。
――スゥゥゥゥ……。
『ムニャムニャ……(完全な熟睡)』
なんと、ただのボサノバのリラックス効果によって、宇宙ナマケモノは「あ〜、心地いい〜」と完全に副交感神経が優位になり、全身の力が完全に抜けてしまったのだ。
しがみついていた腕の力が抜け、ズリッ……ズリズリッ……と、タワーの鉄骨をゆっくりと滑り落ち始めたのである。このままいけば、地面に安全にポスッと着地して寝続けるだけだ。
「「「…………えっ?」」」
現場の国交省の官僚、テムロ、ボサノバを弾いていた大学生、そしてコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも平和すぎる怪獣の姿を見て完全にフリーズした。
「(……おい。今、ただのギターの音色で熟睡して、勝手に滑り落ちてきたぞ……?)」
鈴木の脳内に、防衛予算という概念そのものを破壊する真理が浮かび上がる。
「(道端のガムで泣き、スマホの光で気絶し、ついには【ボサノバで寝落ち】って……!! こいつら、アロマ焚いてヒーリングミュージック流しとけば完全無力化できるだろ!! なんで国交省はこいつをダシにして東京タワーを壊そうとしてんだよ!!)」
大学生が「えっ、俺のギターで怪獣が大人しくなった!?」と感動しかけた、まさにその瞬間!
プレハブ司令室の氷室査察官が、眠気覚ましのミントタブレットをケースごと噛み砕きながら、タワー周辺の観光アナウンスをハッキングして、血反吐を吐くような絶叫を響き渡らせた!!
『げ、現場の民間人に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【絶対零度・完全冬眠】への移行プロセスです!!』
「えっ? 絶対零度?」
『ええ! あの宇宙ナマケモノは、音波を吸収して自らの生体活動を完全に停止させ、周囲の熱エネルギーをすべて奪い去る『関東氷河期システム』を起動させようとしているのです!! あのずり落ちているのは、冷却ガスをタワー全体に行き渡らせている証拠です!! 奴が地面で完全に眠りにつけば、東京が永久凍土になります! 直ちにギターを叩き割って退避しなさい!!』
「そ、そうだったのか!! 危うく俺の『イパネマの娘』のせいで東京が氷河期になるところだった!!」
氷室の、気象庁が激怒して電話をかけてくるレベルの狂った大嘘により、現場は再びパニックに陥り、大学生はギターを抱えて逃げ出した。
(※実際はただ春の陽気と音楽で気持ちよくお昼寝しているだけである)
『チッ……地面に落ちてしまってはタワーを壊す口実がなくなる! 落ちる前に、タワーの中腹ごと撃ち抜く!』
テムロのGダムが、ずり落ちてくるナマケモノ(と東京タワーの中心部)に向けてビームライフルの照準を合わせた!
「(ぜぇ……はぁ……)これ以上、国交省の私欲のために東京のシンボルを壊させてたまるか!!」
鈴木が叫ぶ。
しかし、テムロのビームより先にナマケモノを確保するには、タワーの鉄骨(垂直の壁)を真っ直ぐ駆け上がるしかない。
その時、鈴木の目の前のモニターフレームに貼られたメモが目に入った。
『パイロットの同志へ。重力に媚びるな。地面と垂直に座るという常識を捨てよ。骨盤を強烈に傾け、脇腹の筋肉(腹斜筋)をコンクリのように固めろ。君の究極の体幹ロック(骨盤前傾バンク)が、垂直の壁を平地へと変える神の重心移動となる。――名もなき宇宙の友人より』
「……またか! ついに重力すら無視した【骨盤の傾きと体幹のロック】の極限酷使かぁぁぁっ!!」
鈴木は絶望の血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる地獄へと足を踏み入れた。
これまでの全24種類の異常なマルチタスクを完璧に維持したまま、鈴木は座席のないコクピットの中で、自らの【骨盤】をバキィッ!と強烈な角度で前傾・側屈させ、同時に【腹斜筋(脇腹)】と体幹の筋肉を極限まで収縮させて完全に「ロック(硬直)」させたのである!!
「(骨盤が! 脇腹が! 体幹の筋肉が千切れて内臓が飛び出るぅぅぅぅっ!!)」
鈴木の異常な「体幹の傾き」が、アースディフェンダーの重心を強引に90度捻じ曲げた。
ジェットコースターのガイド車輪が東京タワーの太い鉄骨(H鋼)をガッチリと挟み込み、50トンの機体は重力を完全に無視して、タワーの側面を「ズドドドドォォォンッ!!」と垂直に爆走し始めたのである!
「いっけぇぇぇぇっ!! 限界突破のアンチグラビティ・バンクだぁぁぁっ!!」
アースディフェンダーは、ビームを撃とうとしていたGダムの射線を強引に遮るようにタワーの壁面を駆け上がり、ずり落ちてきた宇宙ナマケモノの懐に垂直状態のまま飛び込んだ!
そして、睡眠中で完全に脱力しているナマケモノを右腕の杵で優しく(?)小突き、そのまま重力に従って地上へと安全に蹴り落とした!
『ポスッ』
宇宙ナマケモノは芝生の上に無傷で着地し、そのまま「ムニャムニャ……」と寝返りを打って完全に無力化された。
一方、射線を塞がれてタイミングを狂わされたテムロのビームは完全に上空へと逸れ、国交省がどうしても取り壊したかった東京タワーは、無傷のまま守り抜かれたのであった。
プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまり花粉症の薬を窓から投げ捨てていた。
「見たか諸君!! これぞ男の垂直登攀!! アースディフェンダーの究極の骨盤コントロールが、重力の壁を打ち破ったのだ!! 鈴木ィ! 貴様の腹斜筋は地球最強の反重力装置だぁぁっ!!」
広瀬が、先ほどの「ボサノバで寝る怪獣の映像」を必死にディープフェイクだと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発のアンチグラビティ・バンクを解放! 絶対零度睡眠に入ろうとした凶悪怪獣を、奇跡の垂直壁面走行で完全確保! ※絶対に怪獣にボサノバを聞かせないでください』でリリースします!!」
そして現場。
遊園地の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な『バンク走行(骨盤の寝かせ)』だったぜ! あの急角度の斜面を時速70キロで走る際、強烈な遠心力に負けずに車体を傾け、ペダルに完璧に力を伝えるための『究極の体幹・骨盤コントロール』だ!」
しかし、背後から遊園地の施設長の怒号が飛んだ。
「オイ、シルバァ!! お前が点検してたメインコースターの浮き上がり防止車輪が丸ごと無くなってんじゃねえか!! おかげでコースターが逆さまになった時、お客さんが全員空に飛んでいくところだったぞ!! 大惨事未遂と窃盗だ! 落とし前として、今月の給料から【4万5千円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、春の遊園地に虚しく響き渡る。
そして、見事な壁面走行で東京のシンボルを守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な垂直走りでしたね』
「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、骨盤と脇腹が……変な角度で固まって、まっすぐ立てません……ずっとマイケル・ジャクソンのゼロ・グラビティみたいな斜めの姿勢です……」
『ええ。ところで、あなたがタワーを垂直に駆け上がった際、コースターの車輪がタワーの歴史ある【赤い塗装】を盛大に削り取り、タワーに無惨な銀色のラインを引いてしまいました』
「えっ」
『さらに、窓のないコクピットで、あなたが【骨盤を強烈に前傾させ、腰を突き出しながら壁を這い上がる映像】が下から撮影され、「あのパイロット、東京タワーに卑猥な腰の動きを押し付けている変態だ」と国民から通報が殺到しています。タワーの再塗装代と公然わいせつ未遂の罰金として、今月の給与から【4万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっと紳士的な角度で壁を登ってくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
すべての筋肉、バランス、姿勢制御、予測、急停止。
それに加え、ついに【競輪場のすり鉢状の急斜面で遠心力に耐え、車体を傾けたまま爆発的なパワーをペダルに伝える『究極の骨盤・体幹コントロール』】まで強制習得させられた鈴木。
怪獣の「異常な弱さ」と、防衛省・国交省の「腐敗」は、もはやボサノバ一曲で世界が平和になるレベルまで露呈している。
しかし、鈴木の肉体は、「競輪」において重力や遠心力という物理法則すら完全に支配する【完全無欠のパーフェクト・レーサー】として仕上がってしまった。
すべての嘘が崩壊し、鈴木が理不尽な借金地獄から解放される「その日」まで……破滅へのカウントダウンは、残り16話。




