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第83話「極秘のリバース・ペダリングと、時給1200円のエレベーター保守バイト」

 四月。桜が咲き始める季節だというのに、防衛省の空き地にポツンと建つ【プレハブ仮設司令室】の中は、相変わらず極寒と殺伐とした空気に支配されていた。炎城司令官は、花粉症の鼻水をティッシュで噛みちぎるように拭きながら、パイプ椅子の上で吠えていた。

「ぬぉぉぉ……! 減速力ブレーキングだ!! アースディフェンダーには、マッハのトップスピードからコンマ数秒で完全に停止する【絶対的な制動力】が欠けている!!」

 炎城が、すっかり毛玉だらけになった真っ赤なマフラーを振り回す。

「どれだけ神速の立ち漕ぎで突撃できても、そのままでは敵ごと街の施設に激突してしまう! スーパーロボットたるもの、目標の1ミリ手前で慣性を完全に殺し、大地にピタリと根を張る『ハイパー・イナーシャ・キャンセラー』が必要なのだ!」

 氷室査察官が、プレハブの床に落ちた桜の花びらを無表情で踏みつけながら冷ややかに答える。

「50トンの機体をマッハから急停止させる電磁ブレーキなど、マイナス予算の我が防衛省では自転車用のゴムパッドすら買えません。機体の足の裏に、スリッパでもガムテープで貼り付けておきますか?」

「馬鹿者! 最高のブレーキは己の脚力だ! パイロットの魂の『逆噴射』で、前へ進もうとする慣性をねじ伏せろぉぉっ!」

 インカムから、鈴木の、もはや神仏の領域すら超越して宇宙の真理と一体化しつつある、響きのない声が聞こえた。

『……あの。俺、今は【150キログリッパー】【肩シュラッグ】【腰ツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【ニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋滑空】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】【心肺冷却】【三角筋固定】【三頭筋ハンドル投げ】【エアロフォルム】【ミリ単位の等尺性静止】【立ち漕ぎダンシング】【先行機への追従マーク】【ショルダーブロック】をして、さらに【眼球の独立運動による展開予測】までやってるんですよ。……しかも機体のブレーキは、前回「固定ギア」にされた時に物理的に撤去されましたよね? 俺にどうやって止まれって言うんですか。俺の足はアスファルトじゃないんですよ……』

「甘えるな鈴木ィ! まだ『ペダルの回転に身を任せる』という甘えがあるだろうが! おとこなら、超高速で前転するペダルに対し、自らの筋力で強引に逆回転の圧力をかけて止まれぇぇっ!」

 一方その頃。

 都内の高層ビル群。ヘルメットと作業着姿の青年――巨大未確認生物3シルバーガイが、ビルの屋上にあるエレベーター機械室で油まみれになりながら点検作業をしていた。

(時給1,200円の『エレベーター保守点検のバイト』! 巨大なワイヤーとモーターがひしめく危険な現場だが、宇宙人のパワーと精密な視力なら、数トンのカゴを吊るすワイヤーの1ミリのほつれも見逃さないぜ)

 彼が休憩に入り、缶コーヒーを飲んでいると、巨大な巻き上げ機の裏側から白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その手には、エレベーターから根こそぎ外された【落下防止用の超巨大な緊急停止用ガバナー(調速機)】と、【分厚い鋳鉄製のブレーキシュー】が握られていた。

「ハカセイダー! お前また勝手にビルの命綱を! それがないと、エレベーターのワイヤーが切れた時にカゴが真っ逆さまに落ちちゃうだろ!」

「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【絶対減速リバース・ペダリング】だ。あのポンコツの足回りにこの巨大ガバナーを組み込むが、ブレーキをかけるレバーは存在しない!」

「じゃあどうやってこの巨大なブレーキを動かすんだ!?」

「そうだ! パイロットは、固定ギアによって毎分400回転マッハで回っているペダルに対し、自らの【大腿四頭筋(太もも前)】と【ハムストリングス(太もも裏)】の全力を動員し、ペダルの回転とは『逆方向(後ろ向き)』に強烈な踏み込み(バック踏み)を行うのだ! パイロットの脚力が生み出す凄まじい【逆回転の抵抗力】がガバナーを強制起動させ、50トンの機体をコンマ1秒で完全停止させる! 鈴木の【究極のバック踏み】が、慣性の法則を粉砕する!」

 その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。

 アースディフェンダーの駆動系にエレベーターの緊急停止装置を強引に溶接し、鈴木のペダルの回転抵抗を「逆方向に踏んだ時だけ異常な摩擦を生む」ように改造したのである。

 翌日。

『緊急事態発生です!』

 佐藤が、プレハブの窓から見える平和な春の空を恨めしそうに睨みながら報告した。

『神奈川県の鎌倉・高徳院(大仏)周辺に、巨大未確認生物68号が出現! 全長45メートルの【宇宙ウニ】です! 奴は全身の鋭いトゲを振り乱しながら、山から転がり落ちて大仏に向かって突進しています!』

「出たなトゲトゲの殺戮ローラーめ! 出撃だ鈴木ィ!」

 鎌倉・長谷エリア。

 宇宙ウニ(68号)が、「イガァァァァッ!!」と無数のトゲを突き出しながら、巨大なトゲ付き鉄球となって斜面をゴロゴロと転がり落ちていた。

 そこへ、国交省の官僚を乗せたコマンドカーと共に、神崎流星の『Gキャノン』がズシンと到着した。

『フン。鎌倉の歴史地区も、我々国交省の新しい「カジノリゾート開発」の邪魔でしかなかったからな。神崎君、あのウニが大仏を完全に粉砕するのを待ってから、一帯をビームで更地にしたまえ』

 国交省の官僚が、もはや隠す気もない邪悪な笑みを浮かべる。

『……了解した。大仏が壊れれば、復興名目でいくらでも予算が下りるからな』

 一方、大幅に遅れて「ギゴ……」と到着したアースディフェンダー(鈴木)は、大仏に迫る宇宙ウニを止めようとマッハの速度で突撃を開始した。

 その時、避難し遅れた遠足中の小学生が、恐怖のあまり口からポロリと【噛み終わったフルーツ味のガム】を路上に落としてしまった。

 高速で転がってきた宇宙ウニの長いトゲの一本が、そのアスファルトに張り付いたガムの上を通過した。

『ネチョッ』

 今まで、超高度なレーザーやブラックホール(大嘘)でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただの噛み終わったチューインガムの粘着力など、50トンの質量にはナノレベルの抵抗にもならないはず――。

 ――ピタァァァァッ!!

『ウギャッ!? イ、イガァァァ……(泣)』

 なんと、トゲの先にただのガムがくっついただけで、宇宙ウニは「うわっ、何かネチャッてした! 気持ち悪い!」とばかりに極度の潔癖症を発揮。

 回転をピタリと止め、ガムのついたトゲを前足(?)で必死に地面にこすりつけながら、「取れないよぉ……」と涙目でパニックになり、大仏の数百メートル手前で完全に戦意を喪失してしまったのだ。

「「「…………えっ?」」」

 現場の国交省の官僚、神崎、小学生、そしてマッハで突撃中のコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも情けなすぎる姿を見て完全にフリーズした。

「(……おい。今、道端に吐き捨てられたガムを踏んで、パニックになって止まったぞ……?)」

 鈴木の脳内に、人類の尊厳に対する深い悲しみが訪れる。

「(レジ袋で窒息し、コショウでギックリ腰になり、フラッシュで気絶し、ついには【道端のガム】で泣き出すって……!! こいつら、町内会のゴミ拾い活動で完全に駆除できるだろ!! なんで国交省はこいつをダシにして大仏を壊そうとしてんだよ!!)」

 小学生が「えっ、ぼくのガムで怪獣が止まった!」と指を差しかけた、まさにその瞬間!

 プレハブ司令室の氷室査察官が、春の陽気で温かくなったコーヒーを自ら頭から被りながら、鎌倉の防災無線をハッキングして、血反吐を吐くような絶叫を響き渡らせた!!

『げ、現場の民間人に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【超弾性ポリマー・連鎖爆縮プロセス】です!!』

「えっ? ポリマー?」

『ええ! あの宇宙ウニは、ガムのポリマー成分と融合し、自らを『鎌倉全域を包み込む超巨大な粘着爆弾』に作り変えようとしているのです!! あの地面にこすりつけているのは、起爆のための摩擦熱を溜めている証拠です!! 直ちにガムから離れて退避しなさい!!』

「そ、そうだったのか!! 危うくぼくのフーセンガムのせいで鎌倉が粘着地獄になるところだった!!」

 氷室の、もはや化学メーカーが全社挙げて抗議文を送ってくるレベルの狂った大嘘により、現場は再びパニックに陥り、小学生は泣きながら逃げ出した。

 (※実際はただガムが靴底にくっついた時のような不快感で泣いているだけである)

『チッ……ウニが止まってしまっては、大仏を壊す口実がなくなる。ええい、誤射のふりをして私が大仏を直接破壊してやる!』

 神崎のGキャノンが、あからさまに大仏に向けてビームの照準を合わせた!

「(ぜぇ……はぁ……)これ以上、国交省の私欲のために街を壊させてたまるか!!」

 鈴木が叫ぶ。

 鈴木は、Gキャノンの射線を遮るため、アースディフェンダーの「ハイパー・ケイデンス(超高速回転)」を解放し、マッハの速度で宇宙ウニと大仏の間に向かって突撃した。

 しかし、機体はマッハ。目の前には全身トゲトゲの宇宙ウニ。ブレーキレバーは存在しない。このまま突っ込めば、鈴木ごとウニのトゲに串刺しになってしまう!

「(止まらなきゃ!! でも、どうやって!?)」

 その時、鈴木の目の前のモニターフレームに貼られたメモが目に入った。

『パイロットの同志へ。止まることを機械に委ねるな。猛烈に前転するペダルに対し、己の脚力のみで逆回転の圧力をかけよ。太ももの筋肉を断裂させる覚悟で『バックを踏め』。君の究極の逆転抵抗(バック踏み)が、マッハの慣性を殺す神の制動力となる。――名もなき宇宙の友人より』

「……またか! ついにブレーキすら自らの筋力で行う【バック踏み】の極限酷使かぁぁぁっ!!」

 鈴木は絶望の血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる地獄へと足を踏み入れた。

 これまでの全23種類の異常なマルチタスクを完璧に維持したまま、鈴木は毎分400回転で前方に回り続けるペダルに対し、自らの【大腿四頭筋(太もも前)】と【ハムストリングス(太もも裏)】の神経を爆発させ、ペダルの回転を「殺す」方向へと強烈な【逆踏み(バック踏み)】を開始したのである!!

「(足が! 膝の軟骨が! 半月板が粉々に砕け散るぅぅぅぅっ!!)」

 鈴木の異常な「バック踏み」の圧力が、固定ギアを通じてエレベーターの巨大ガバナーを強制起動させる。

 アースディフェンダーの足裏とアスファルトの間に凄まじい摩擦熱が発生し、50トンの機体は、宇宙ウニのトゲの【わずか1ミリ手前】で「ギギャァァァァァァァンッ!!」と火花を散らして完全停止した!!

「いっけぇぇぇぇっ!! 限界突破のリバース・ペダリングだぁぁぁっ!!」

 マッハからゼロへの急停止。

 その凄まじい制動力によって行き場を失った「数十トンの慣性エネルギー」が、アースディフェンダーの前方に【巨大な真空の衝撃波かまいたち】となって射出された!

『ギョビャァァァァァッ!?』

 その制動衝撃波を至近距離で浴びた宇宙ウニは、トゲごと見事に粉砕され、鎌倉の空の彼方へと消滅した。

 そして、鈴木が盾となって射線を塞いだため、神崎のGキャノンはビームを撃つことができず、またしても国交省の「大仏破壊・カジノリゾート計画」は完全に阻止されたのであった。

 プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりティッシュ箱を真っ二つに引き裂いていた。

「見たか諸君!! これぞ男の急停止!! アースディフェンダーの究極のバック踏みが、マッハの慣性を攻撃力に変換したのだ!! 鈴木ィ! 貴様の両足は地球最強のブレーキパッドだぁぁっ!!」

 広瀬が、先ほどの「ガムで泣く怪獣の映像」を必死に合成動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。

「完璧です! 『ED、極秘開発のリバース・フリクション・ウェーブを解放! 超粘着爆弾と化そうとした凶悪怪獣を、奇跡のバック踏みによる慣性衝撃波で完全粉砕! ※絶対に道端にガムを吐き捨てないでください』でリリースします!!」

 そして現場。

 高層ビルの屋上でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。

「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な『バック踏み』だったぜ! あのブレーキのない固定ギアで、前の選手の落車を避けるために自分の脚力だけで急減速する技術……これこそ、競輪において命を守り、レースの展開をコントロールするための『究極の制動技術』だ!」

 しかし、背後からビル管理会社のオヤジの怒号が飛んだ。

「オイ、シルバァ!! お前が点検してたメインエレベーターの緊急停止ガバナーが丸ごと無くなってんじゃねえか!! おかげでエレベーターが危険すぎて全部運行停止だ!! 業務妨害と窃盗だ! 落とし前として、今月の給料から【4万円】天引きだ!!」

「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」

 3号の絶叫が、春のビル風に虚しく響き渡る。

 そして、見事な制動力で大仏を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。

『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な急停止でしたね』

「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、両足が……逆方向に力を入れたままロックされて、前に歩けません……ずっとムーンウォークみたいな動きになってます……」

『ええ。ところで、あなたがマッハから急停止した際に発生させた【慣性衝撃波】ですが。宇宙ウニを粉砕した後、そのまま鎌倉中に広がり、周辺の歴史ある寺院の障子とガラス窓を数千枚単位で粉砕しました』

「えっ」

『さらに、国交省から「防衛省のロボットが邪魔をしたせいで、カジノリゾートの建設予定地(大仏)が残ってしまった。どうしてくれる」というヤクザ顔負けの脅迫状が届いています。これらの文化財修繕費と国交省への慰謝料として、今月の給与から【4万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっとフワリと、風を立てずに止まってくださいね』

「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」

 すべての筋肉、バランス、姿勢制御、追従、空間把握。

 それに加え、ついに【ブレーキを使わず、自らの脚力による逆回転の圧力だけで自転車を急減速させる『究極の防御技術(バック踏み)』】まで強制習得させられた鈴木。

 怪獣の「異常な弱さ」と、防衛省・国交省の「腐敗」は、隠蔽の限界をとうに超え、社会問題化する一歩手前まで来ている。

 しかし、鈴木の肉体は、「競輪」において加速、静止、そして減速に至るまで、自転車を身体の一部として完全に支配する【完全無欠のパーフェクト・レーサー】として仕上がってしまった。

 すべての嘘が崩壊し、鈴木が理不尽な借金と英雄の座から解放される「その日」まで……破滅へのカウントダウンは、残り17話。

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