第82話「極秘のパノラマ・ヴィジョンと、時給1100円の交通量調査バイト」
三月下旬。桜の蕾もまだ固い防衛省の空き地。【プレハブ仮設司令室】の屋根を叩く冷たい雨の音を掻き消すように、炎城司令官がパイプ椅子の上で吠えていた。
「ぬぉぉぉ……! 全方位の空間把握だ!! アースディフェンダーには、乱戦において敵の動きを完全に予測し、死角からの奇襲を防ぐ【360度の展開予測システム】が欠けている!!」
炎城が、湿気でカビ臭くなった真っ赤なマフラーを振り回す。
「どれだけフィジカルが強靭でも、背後からの攻撃に気づかなければ致命傷になる! スーパーロボットたるもの、戦場のすべての動的オブジェクトを同時に捕捉し、数秒後の未来を演算する『全天球型レーダー&予測AI』が必要なのだ!」
氷室査察官が、雨漏りを受け止めているバケツの水を窓の外に捨てながら冷ややかに答える。
「周囲360度を同時に解析する軍事用フェーズドアレイレーダーと演算AIなど、実質マイナス予算の防衛省では電卓一個すら買えません。機体の頭に、虫取り網でも被せておきますか?」
「馬鹿者! 最高のレーダーは己の眼球と脳髄だ! パイロットの魂の『空間認識』で、戦場の未来を読み切れぇぇっ!」
インカムから、鈴木の、もはや神話の創造神すら同情するレベルの、感情の抜け落ちた声が響いた。
『……あの。俺、今は【150キログリッパー】【肩シュラッグ】【腰ツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【ニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋滑空】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】【心肺冷却】【三角筋固定】【三頭筋ハンドル投げ】【エアロフォルム】【ミリ単位の等尺性静止】【立ち漕ぎダンシング】【先行機1センチの追従】をして、さらに【横からのショルダーブロック】までしてるんですよ。……これ以上、どこを見て何を予測しろって言うんですか。俺の目は前を向くための2個しかないんですよ……』
「甘えるな鈴木ィ! まだ『前しか見ていない』という甘えがあるだろうが! 漢なら、左右の眼球を独立して動かし、頭の中で敵の軌道を計算しろぉぉっ!」
一方その頃。
都内の大きな交差点。パイプ椅子に座り、カウンター(数取器)をカチカチと鳴らしているジャンパー姿の青年――巨大未確認生物3号が、雨の中で退屈そうにあくびをしていた。
(時給1,100円の『交通量調査のバイト』! 目の前を通る車を車種ごとにカウントする地味な仕事だが、宇宙人の動体視力なら、時速100キロで走る車のナンバープレートのネジの溝までハッキリ見えるぜ)
彼が休憩に入り、交差点の端で伸びをしていると、信号機の裏側から白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その手には、交差点から根こそぎ外された【巨大な丸いカーブミラー】と、3号の仕事道具である【5連式のカチカチ・カウンター】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に公共物を! カーブミラーがないと事故が起きるし、俺のカウンターを返せ! 車の数が数えられないだろ!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【全方位予測】だ。あのポンコツの頭頂部にこのカーブミラーを装着し、パイロットの残された指先にこのカウンターを取り付ける!」
「おっさんの頭に鏡を乗せて、指でカチカチさせるのか!?」
「そうだ! パイロットは頭上のカーブミラーに映る『背後と側面の景色』を同時に見ながら、左右の眼球をカメレオンのように独立して動かし、戦場全体を俯瞰する! さらに、敵が動くたびにカウンターをカチカチと押し、そのリズムで脳内に『敵の速度と軌道』をインプットして未来位置を弾き出すのだ! 鈴木の【究極の空間把握と展開読み】が、スーパーコンピューターを凌駕する!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーのヘルメットの上に巨大なカーブミラーをガムテープで括り付け、鈴木の指先に5連カウンターを無理やりテーピングで固定したのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、プレハブの天井から落ちてきた雨漏りの水滴をコップでキャッチしながら報告した。
『秋葉原の中央通りに、巨大未確認生物67号が出現! なんと全長20メートルの【宇宙ネズミ】が5体同時に現れました! 奴らは素早い動きでビル群を駆け回り、メイド喫茶の看板を次々と齧り倒しています!』
「出たな俊敏な害獣パックめ! 出撃だ鈴木ィ!」
秋葉原・中央通り。
宇宙ネズミ(67号)×5体が、「チュチュチュッ!!」と耳障りな鳴き声を上げながら、統制の取れていないバラバラの動きで秋葉原の街を荒らし回っていた。
そこへ、国交省の官僚を乗せたコマンドカーと共に、神崎流星の『Gキャノン』が足音を響かせて到着した。
『フン。秋葉原の再開発も、我々国交省の巨大な利権だ。神崎君、あのネズミどもが電気街を完全に更地にするまで、少し待機したまえ』
国交省の官僚が、相変わらずの真っ黒な指示を出す。
『了解した。ネズミが動き回っている間は狙いが定まらんからな』
一方、大幅に遅れて「ギゴ……」と到着したアースディフェンダー(鈴木)は、5体のネズミの素早い動きに目を回しそうになっていた。
その時、避難し遅れた秋葉原の地下アイドルファン(オタク)の青年が、「うおお! リアル怪獣だ! 推しに見せるために写真撮ろ!」と、スマートフォンを取り出し、カメラの【フラッシュ機能】をオンにして「ピカァッ!!」と連続撮影を行ったのだ。
『チュ!?』
今まで、超高度なレーザーやブラックホール(大嘘)でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただのスマホのLEDフラッシュなど、強靭な網膜には微塵の影響もないはず――。
――ピカピカピカッ!!
『キュゥゥゥゥゥゥッ!?!?(大恐慌)』
なんと、ただのスマホのフラッシュを浴びた5体の宇宙ネズミは、「目がぁぁっ! まぶしいぃぃっ!」とばかりに両手で目を覆い、完全に視力を失ってパニック状態に陥ったのだ。
そして「ドゴッ!」「ベチャッ!」と互いに頭をぶつけ合い、脳震盪を起こして秋葉原の路上で「ピヨピヨピヨ……」と気絶してしまったのである。
「「「…………えっ?」」」
現場の国交省の官僚、神崎、オタクの青年、そしてコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも情けなすぎる姿を見て完全にフリーズした。
「(……おい。今、ただのスマホのフラッシュで目が眩んで、自滅したぞ……?)」
鈴木の脳内に、もはや怒りを通り越して虚無感が広がる。
「(レジ袋で窒息し、コショウでギックリ腰になり、ついには【スマホの光で気絶】って……!! こいつら、ドンキホーテで売ってる強力な懐中電灯で全滅させられるだろ!! なんで国交省は街が壊れるのを待ってんだよ!!)」
オタクの青年が「えっ、俺のiPhoneで怪獣倒した!?」と歓喜の声を上げかけた、まさにその瞬間!
プレハブ司令室の氷室査察官が、湿気でショートしかけたマイクを握りしめ、秋葉原の街頭ビジョンをハッキングして、血を吐くような絶叫を響き渡らせた!!
『げ、現場の民間人に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【光子吸収・超新星爆発プロセス】です!!』
「えっ? 超新星爆発?」
『ええ! あの宇宙ネズミどもは、スマホの光エネルギーを体内で増幅させ、5体同時に自爆して『関東平野を消滅させるガンマ線バースト』を放とうとしているのです!! あのぶつかり合っているのは、核融合の臨界点を突破させるための起爆儀式です!! 直ちにスマホを捨てて退避しなさい!!』
「そ、そうだったのか!! 危うく俺のiPhone15のせいで関東が消滅するところだった!!」
氷室の、もはや天文学者が全員裸足で逃げ出すレベルの狂った大嘘により、現場は再び「人類滅亡の危機」というパニックに陥り、青年はスマホを放り投げて逃げ出した。
(※実際はただ眩しくて目が眩み、同士討ちで気絶しているだけである)
『チッ……自爆されては再開発の利権が消し飛ぶ! 撃て!』
神崎のGキャノンが、気絶しているネズミ(と電気街)に向けてビームを放とうとした!
「(ぜぇ……はぁ……)これ以上、あいつらに好き勝手させねえ!!」
鈴木が叫ぶ。
しかし、気絶から目を覚ましかけた5体の宇宙ネズミが、パニック状態のまま四方八方にデタラメな軌道で走り出し、アースディフェンダーの死角(背後と側面)をバラバラに駆け抜けようとした!
「(速い! しかも5体同時だ! どこから来るか分からない!)」
その時、鈴木の頭上に設置されたカーブミラーと、指先のカウンターに貼られたメモが目に入った。
『パイロットの同志へ。正面の視覚に頼るな。頭上の鏡で背後を見よ。左右の眼球を切り離し、全方位の景色を脳に刻み込め。そして指先のカウンターで敵の速度を計測しろ。君の究極の空間把握が、乱戦の未来を読み切る神の眼となる。――名もなき宇宙の友人より』
「……またか! ついに眼球の独立運動と、脳内コンピューター(展開予測)の極限酷使かぁぁぁっ!!」
鈴木は絶望の血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる深淵へと足を踏み入れた。
これまでの全22種類の異常なマルチタスクを完璧に維持したまま、鈴木は頭上の【カーブミラー】をチラ見しつつ、自らの【右目】と【左目】をカメレオンのように完全に独立させて動かし、前方・側面・背後の景色を同時に脳内へ叩き込んだ!
さらに、残された指先で【5連カウンター】を「カチカチカチカチッ!」と凄まじい速度で弾き、5体のネズミの速度と軌道を計測!
「(眼球が! 視神経が! 脳の処理能力がオーバーヒートして爆発するぅぅぅぅっ!!)」
鈴木の異常な「全方位ヴィジョン」と「演算能力」により、デタラメに走る5体の宇宙ネズミの【3秒後の未来位置】が、脳内に完全に可視化された!
「(見える……! 奴らが交差する、唯一のポイントが!!)」
鈴木は、一切の無駄を省いた「ミリ単位のペダリング(アイソメトリック)」で機体を微調整し、5体のネズミがパニックのあまり再び一箇所に集まるその【特異点】に向けて、右腕の「限界突破パイルバンカー(杵)」を正確に突き出した!
「いっけぇぇぇぇっ!! 予測撃ち(パノラマ・カウンター)だぁぁぁっ!!」
『ギャギュッ!?』
アースディフェンダーが突き出した杵の軌道上に、まるで吸い込まれるように5体の宇宙ネズミが次々と自ら激突し、まとめて「ストライク!」とばかりに粉砕・消滅したのである!
そして、神崎のGキャノンが放ったビームは、またしても見事に空振りし、国交省が「買い上げようとしていたが地上げに失敗した雑居ビル」だけを綺麗に吹き飛ばした。
プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりバケツを被って歓喜の舞を踊っていた。
「見たか諸君!! これぞ男の空間把握!! アースディフェンダーの究極の予測演算が、乱戦の未来を完全に読み切ったのだ!! 鈴木ィ! 貴様の眼球と脳髄は地球最強のレーダーだぁぁっ!!」
広瀬が、先ほどの「フラッシュで気絶する怪獣の映像」を必死にフェイク動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発のパノラマ・ヴィジョン・システムを解放! 超新星爆発を起こそうとした凶悪怪獣群を、奇跡の全方位予測で完全粉砕! ※絶対にスマホでフラッシュ撮影しないでください』でリリースします!!」
そして現場。
交差点の裏でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な展開予測(ライン読み)だったぜ! あの周囲360度の選手の動きを同時に把握し、誰がいつ仕掛けてくるかを完璧に予測して未来の位置取りを決める技術……これこそ、競輪における勝敗を分ける『究極のレース勘(空間把握)』だ!」
しかし、背後から交通量調査の現場監督の怒号が飛んだ。
「オイ、シルバァ!! お前が使ってた5連カウンターと、交差点のカーブミラーが丸ごと無くなってんじゃねえか!! おかげで車の数が全く分からなくて、今日の調査データが全部パーだ!! 業務妨害と窃盗だ! 落とし前として、今月の給料から【4万円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、雨の降る交差点に虚しく響き渡る。
そして、見事な空間把握で秋葉原を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な予測でしたね』
「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、左右の目が……外側を向いたまま(斜視になって)戻りません……ずっとカメレオンみたいな顔になってます……」
『ええ。ところで、あなたが秋葉原で戦っていた際、頭に巨大なカーブミラーを乗せ、指先でカウンターをカチカチ鳴らしながら白目を剥いている【異常すぎるパイロットの映像】が、またしてもネットに流出しました』
「えっ」
『「あのロボットのパイロット、完全に薬物中毒か何かの狂人だ。怖すぎる」と、国民から通報が殺到しています。防衛省の品位を致命的に失墜させた罰金、および国交省の「再開発の邪魔をした」という理不尽な慰謝料として、今月の給与から【4万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっと真っ直ぐ、爽やかな目で前を見てくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
すべての筋肉、バランス、姿勢制御、追従技術、そして横の当たり。
それに加え、ついに【周囲の全選手の動きを同時に把握し、数秒後のレース展開を完璧に読み切る『究極の空間把握と予測能力(レース勘)』】まで強制習得させられた鈴木。
怪獣の「異常な弱さ」と、防衛省・国交省の「腐敗しきった茶番劇」。
隠蔽工作はもはやギャグの領域に達しているが、鈴木の肉体と脳髄は、「競輪」において死角が一切存在しない【完全無欠のパーフェクト・レーサー】として仕上がってしまった。
すべての嘘が崩壊し、鈴木が理不尽な英雄から解放される「その日」まで……破滅へのカウントダウンは、残り18話。




