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第78話「極秘のアイソメトリック・スタンディングと、時給1100円のピストバイク専門店バイト」

 二月中旬。都内に大雪警報が発令され、防衛省の空き地に建つ【プレハブ仮設司令室】の屋根には重い雪が降り積もっていた。隙間風によって室内は冷凍庫のごとき寒さだったが、炎城司令官はダルマストーブの上にヤカンを置き、もうもうと湯気を立てながらパイプ椅子の上で吠えていた。

「ぬぉぉぉ……! 完全静止ゼロ・モーションだ!! アースディフェンダーには、動体センサーを持つ敵の目を欺き、気配を完全に殺して待ち伏せる【究極の隠密姿勢】が欠けている!!」

 炎城が、首に巻いた真っ赤なマフラーをギリギリと締め上げる。

「どれだけ加速力があろうと、敵の索敵網に引っかかれば先手を取られる! スーパーロボットたるもの、呼吸すら止め、風景と完全に同化して石像の如く立ち尽くす『ステルス・フリーズ機能』が必要なのだ!」

 氷室査察官が、プレハブの窓ガラスに積もる雪をスクレーパーで削り落としながら冷ややかに答える。

「機体の熱源と駆動音を完全に遮断する光学迷彩&電波吸収システムなど、実質マイナス予算の防衛省では黒いゴミ袋すら買えません。機体に雪でも被せてカマクラにでもしておきますか?」

「馬鹿者! 最高のステルスは己の静寂だ! パイロットの魂の筋肉硬直で、この世から存在を消し去れぇぇっ!」

 インカムから、鈴木の、もはや涅槃ねはんの境地に達した仏像のような掠れ声が響いた。

『……あの。俺、今は座席を撤去された空中で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【ブラストビート】を踏み、【150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のツイスト】で回転し、【脇パタパタ】と【ゴム骨咀嚼】で温度管理し、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首のヘルメット】で索敵し、空中で【三半規管制御】し、【横隔膜シャウト】を上げ、【内転筋のニーグリップ】で曲がり、【アキレス腱跳躍】をし、【広背筋ラットスプレッド】で飛び、【大胸筋ピクピク】で弾き返し、【腸腰筋のテレポート】をし、【心肺機能の深呼吸】で冷却し、【三角筋サイドレイズ】で鏡を固定し、【三頭筋の押し込み】で腕を伸ばし、【脊柱と首の極限アーチ】で風を切り、全身の体重を乗せた【立ち漕ぎ(ダンシング)】をしてるんですよ。……これ以上、何をどうやって止まれって言うんですか。俺の体は常に時速300キロで動き続けてるんですよ……』

「甘えるな鈴木ィ! まだ『自転車のブレーキに頼る』という甘えがあるだろうが! おとこなら、己の体重と筋肉の微細なバランスだけで、50トンの機体を1ミリも動かさずに自立させろぉぉっ!」

 一方その頃。

 都内・代官山にある、若者に大人気の「おしゃれなピストバイク専門店」。エプロン姿の青年――巨大未確認生物3シルバーガイが、店頭で自転車のチェーンにオイルを差していた。

(時給1,100円の『自転車屋の整備バイト』! オシャレな客が多くて気後れするが、宇宙人の指先の感覚なら、ミリ単位のギアの狂いも完璧に調整できるぜ。しかもここの自転車はブレーキなしの『固定ギア(ピスト)』だから、構造がシンプルでいじりやすい)

 彼が休憩に入り、ショーケースの中を拭いていると、陳列棚の裏側から、白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その手には、店から根こそぎ持ち出された【プロの競輪選手が使う、最高級のチタン製『固定ギア(コグ)』】と、【超高精度のベアリングハブ】が握られていた。

「ハカセイダー! お前また勝手に店の売り物を! それ、イタリア製のヴィンテージ物で、ケースの中で一番高いやつだぞ!」

「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【完全静止アイソメトリック・スタンディング】だ。あのポンコツのペダル機構から『空回りする機能フリーホイール』を完全にぶち壊し、この固定ギアを組み込む!」

「固定ギア!? 足を止めたらペダルも強制的に止まって、足を逆回転させたら機体もバックするようになるのか!?」

「そうだ! そしてブレーキも撤去した! パイロットが機体を『完全に静止』させるためには、左右のペダルに乗せた体重を【ミリ単位の筋力コントロール】で拮抗させ、前にも後ろにも1ミリも動かないよう『バランスを取り続ける(スタンディング・スティル)』しかないのだ! 鈴木の【究極のアイソメトリック(等尺性収縮)】が、50トンの機体を石像へと変える!」

 その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。

 アースディフェンダーのペダルからブレーキとフリーギアを物理的に切断し、イタリア製の高級固定ギアをガムテープと工業用接着剤で強引に固定したのである。

 翌日。

『緊急事態発生です!』

 佐藤が、プレハブの床でカチコチに凍ったおしぼりを鈍器のように振り回しながら報告した。

『新宿御苑の森の中に、巨大未確認生物63号が出現! 全長45メートルの【宇宙カメレオン】です! 奴は光学迷彩で風景と同化し、動くものを動体センサーで感知して、音速の『粘着舌』でビルごと貫いて捕食しています!』

「出たな透明な狙撃手め! 出撃だ鈴木ィ!」

 新宿・新宿御苑。

 一面の雪景色の中、宇宙カメレオン(63号)は完全に姿を消しており、どこにいるのか全く分からない。しかし、風で揺れた木々の枝や、逃げ遅れたカラスが動いた瞬間、虚空から「シュバァァァッ!!」と巨大な舌が音速で射出され、それらを次々と貫いて飲み込んでいた。

 少しでも動けば、見えない敵からの即死攻撃が飛んでくる。

 出動した自衛隊の戦車部隊も、動いた瞬間に砲塔を舌で弾き飛ばされ、完全に身動きが取れなくなっていた。GキャノンとGダムはまだ謹慎中で出撃できず、今回もアースディフェンダーの単騎出撃である。

 その時、現場のすぐ近くを通りかかった、屋台の【石焼き芋屋】の軽トラックが、雪道でスリップして「ガチャンッ!」と電柱に衝突。荷台の釜から、アツアツの石焼き芋が一つ、ポロリと雪原に転がり落ちた。

 ちょうどそこは、宇宙カメレオンが透明になって潜んでいる場所の「足の甲」の上だった。

『ジュワッ……』

 今まで、防衛省の超絶トンデモ物理兵器でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただのサツマイモの熱など、強靭な爬虫類の皮膚には微温湯ぬるまゆほどの刺激もないはず――。

 ――ビクゥゥゥゥッ!!

『アッッッツゥゥゥゥゥッ!?!?(大絶叫)』

 なんと、ただの石焼き芋(約80度)が足に乗った瞬間、宇宙カメレオンは光学迷彩が完全に解けて真っ赤に変色し、「アチッ! アチチチッ!」と情けない声を上げながら、雪の上をピョンピョンと片足跳びで跳ね回ったのだ。

 しかも、火傷した足を冷やそうと、雪に顔を突っ込んで「フースー……」と涙目で冷やしている。

「「「…………えっ?」」」

 現場で固まっていた自衛隊員たち、焼き芋屋のおじさん、そしてコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも脆弱すぎる怪獣の姿を見て完全にフリーズした。

「(……おい。今、ただの焼き芋だよな……?)」

 鈴木の脳内に、もはや哲学の領域に達した真実が突き刺さる。

「(凧糸で落ち、灰で干からび、塩で悶絶し、ついには【ただの焼き芋】で火傷して泣き叫ぶって……!! こいつら、おでんのダイコン投げつけるだけで致命傷になるだろ!! なんで俺はブレーキすら奪われてロボットに乗せられてるんだよ!!)」

 現場の焼き芋屋のおじさんが「おう! アツアツの芋が効くぞ! 釜ごとぶちまけてやれ!」と荷台に手をかけようとした、まさにその絶体絶命の瞬間!

 プレハブ司令室の氷室査察官が、凍てつくマイクを素手で握りしめ、新宿中の防災スピーカーをハッキングして、血を吐くような悲壮な絶叫を響き渡らせた!!

『げ、現場の民間人に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【太陽フレア・メルトダウン】の予兆です!!』

「えっ? メルトダウン?」

『ええ! あの宇宙カメレオンは、焼き芋の熱エネルギーを吸収し、体内で超高温のプラズマを生成して『新宿をマグマの海に変える』準備をしているのです!! あのピョンピョン跳ねる動きは、核融合炉のポンプを回している証拠です!! これ以上熱を与えれば、日本が火の海になります! 直ちに焼き芋を回収して退避しなさい!!』

「そ、そうだったのか!! 危うく俺の紅あずまのせいで日本が滅亡するところだった!!」

 氷室の、もはやSF映画の監督すらドン引きするレベルの狂った大嘘により、おじさんは震え上がり、軽トラを放置して一目散に逃げ出してしまった。

 (※実際はただ焼き芋が熱くて死ぬほど痛かっただけである)

 雪で足を冷やし終えた宇宙カメレオンは、怒り狂って再び光学迷彩を展開し、風景の中に完全に姿を消した。

「(ぜぇ……はぁ……)氷室の詐欺は後で絶対告発してやる! でも今は、やるしかねぇ!!」

 鈴木が叫ぶ。

 しかし、少しでも動けば、見えない舌が飛んでくる。アースディフェンダーは止まらなければならない。

 だが、ペダルは「固定ギア」に改造され、ブレーキもない。足を止めればバランスを崩して倒れるし、少しでも回せば機体が動いて舌の標的になる。

 その時、鈴木の目の前のモニターフレームに貼られたメモが目に入った。

『パイロットの同志へ。ブレーキなどという弱者の装置に頼るな。ペダルに乗せた左右の足に均等に魂を込めよ。押す力と引く力をミリ単位で拮抗させ、全身の筋肉を硬直させろ。君の完全なる静止スタンディングが、音速の舌を欺く神の隠密となる。――名もなき宇宙の友人より』

「……またか! ついにブレーキすら許されず、筋肉の硬直アイソメトリックによる自律静止の酷使かぁぁぁっ!!」

 鈴木は絶望の血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる地獄へと足を踏み入れた。

 【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋ラットスプレッド】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】【心肺機能冷却】【三角筋サイドレイズ】【三頭筋スラスト】【脊柱・首のエアロフォルム】【立ち漕ぎダンシング】……!

 そしてついに! 鈴木は座席のないコクピットの中で、左右のペダルに全体重を乗せつつ、前に行こうとする力と後ろに戻ろうとする力を【ミリ単位の極限の筋力コントロール】で完全に拮抗させた!!

 筋肉はプルプルと限界の悲鳴を上げているが、外から見たアースディフェンダーは「ピタリ」と1ミリも動かず、完全に凍りついた石像のように静止したのである!!

「(筋肉が! 関節が! 等尺性収縮アイソメトリックで全身の血管が爆発するぅぅぅぅっ!!)」

 鈴木の異常なバランス感覚により、アースディフェンダーの駆動音と振動が「ゼロ」になった。

 宇宙カメレオンの動体センサーは、完全に静止した50トンの機体を「ただのビルの一部」と誤認し、警戒を解いた。

「(今だぁぁぁっ!!)」

 宇宙カメレオンが油断してわずかに姿を現したその瞬間!

 鈴木は拮抗させていたペダルの力を一気に「前進」へと解放! 固定ギアのダイレクトな推進力が爆発し、アースディフェンダーは初速からトップスピードへ一瞬で到達した!

「いっけぇぇぇぇっ!! ゼロ距離スタンディング・スタートだぁぁぁっ!!」

 アースディフェンダーは、舌を射出する暇も与えず宇宙カメレオンの懐に飛び込み、右腕の【限界突破パイルバンカー】を顔面にブチ込んだ!

『ギャビャァァァァァァッ!!!』

 完全な奇襲を受けた宇宙カメレオンは、新宿の雪原の中で粉々に粉砕され、消滅した。

 プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまり冷めきったヤカンを素手で握り潰していた。

「見たか諸君!! これぞ男の静寂!! アースディフェンダーの究極の拮抗が、敵のセンサーを完全に欺いたのだ!! 鈴木ィ! 貴様のバランス感覚は地球最強のステルス迷彩だぁぁっ!!」

 広瀬が、先ほどの「焼き芋で泣く怪獣の映像」を必死にフェイク動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。

「完璧です! 『ED、極秘開発のアイソメトリック・ステルス機能を解放! メルトダウンを起こしかけた光学迷彩怪獣を、奇跡の完全静止からの奇襲で粉砕! ※絶対に焼き芋を投げないでください』でリリースします!!」

 そして現場。

 ピストバイク専門店の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。

「よしっ! 鈴木のおっさん、見事なスタンディング(トラックスタンド)だったぜ! あのブレーキなしの固定ギアで、足を地面につけずにピタリと静止する技術……これこそ、競輪のスタート直後や牽制の駆け引きにおいて、相手に風よけを押し付けるための『究極のバランス技術』だ!」

 しかし、背後から自転車屋のオシャレな店長の怒号が飛んだ。

「オーイ、シルバァ君! 君が磨いてたショーケースの、イタリア製の50万円するヴィンテージ・コグが消えてるんだけど! しかもお店の工具まで無くなってる! 窃盗と器物損壊だよ! 弁償代として、今月の給料から【4万5千円】天引きだからね!!」

「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」

 3号の絶叫が、代官山のオシャレな街並みに虚しく響き渡る。

 そして、見事な静止で新宿を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。

『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な静止でしたね』

「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、両足が……ペダルの位置で完全に固まって、地面に下ろせません……」

『ええ。ところで、あなたが新宿御苑で機体を完全に静止させていた場所ですが。ちょうど【女性用下着の巨大な屋外ビルボード広告】の真正面でした』

「えっ」

『窓のないコクピットで、あなたが顔を真っ赤にして筋肉をプルプルさせながら、【巨大な下着広告をガン見して微動だにしない映像】がSNSで拡散され、「あのパイロット、完全に変態の覗き魔だ。しかもガン見しすぎて固まってる」と国民から猛烈な苦情が殺到しています。防衛省の品位を地の底まで堕とした罰金として、今月の給与から【4万円】を天引きさせていただきます。次はもっと健全な景色の前で止まってくださいね』

「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」

 足、腕、体幹、肺活量、エアロフォルム、ダンシング。

 それに加え、ついに【ブレーキのない固定ギアで、ミリ単位の筋力拮抗によって自転車を完全に静止させる究極のバランス技術トラックスタンド】まで強制習得させられた鈴木。

 「怪獣は実は弱い」という決定的すぎる真実は、氷室の「メルトダウン」という常軌を逸した嘘によってまたしても隠蔽された。

 しかし、鈴木の肉体は、ペダリング、スタミナ、ハンドル投げ、エアロフォルム、ダンシング、そして今回の「スタンディング」に至るまで。

 もはや競輪において彼に足りない技術は「何一つ」存在しない。彼は完全に、人体の限界を凌駕した【完全無欠の競輪レーサー】として仕上がってしまったのである。

 嘘に嘘を重ねた防衛省の破綻と、鈴木が「理不尽な英雄」から解放されるその時まで……破滅へのカウントダウンは、残り22話。


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