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第76話「極秘のエアロ・ストリームと、時給1180円の風洞実験施設バイト」

 一月。年が明け、身を切るような寒風が吹き荒れる防衛省の空き地。相変わらず暖房設備など存在しない【プレハブ仮設司令室】の中で、炎城司令官は寒さを怒気で相殺するかのように、パイプ椅子の上で激しくマフラーを振り回していた。

「ぬぉぉぉ……! 空気抵抗ドラッグだ!! アースディフェンダーには、音速の壁を切り裂き、トップスピードを極限まで引き上げる【流線型の空気力学エアロダイナミクス】が欠けている!!」

 炎城が、息を白くしながらホワイトボードをバンバンと叩く。

「どれだけ脚力やスタミナが向上しようと、機体が箱型(ダンボールと塩ビ)では風の抵抗をモロに受けてスピードが頭打ちになる! スーパーロボットたるもの、風と一体化し、空気の壁をすり抜ける『エアロ・ストリーム・カウル』が必要なのだ!」

 氷室査察官が、プレハブの隙間風で凍りついたお茶をじっと見つめながら冷ややかに答える。

「流体力学を極めたカーボンファイバー製の空力装甲など、マイナス予算の防衛省では下敷き一枚すら買えません。機体の頭に、工事用のカラーコーンでも被せておきますか?」

「馬鹿者! 最高のカウルは己の肉体のフォルムだ! パイロットの魂の姿勢フォームで、風の抵抗をゼロにしろぉぉっ!」

 インカムから、鈴木の、もはや神仏の領域に片足を踏み入れたような、感情の一切抜け落ちた声が響いた。

『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【ブラストビート】を踏み、【150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転し、【脇パタパタ】と【ゴム骨咀嚼】で温度管理し、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首のヘルメット】で索敵し、空中で【三半規管制御】し、【横隔膜シャウト】を上げ、【内転筋のニーグリップ】でカーブを曲がり、【アキレス腱跳躍】をし、【広背筋ラットスプレッド】で滑空し、【大胸筋ピクピク】で弾き返し、【腸腰筋のテレポート】をし、【心肺機能の深呼吸】で冷却し、【三角筋サイドレイズ】で鏡を固定し、さらに【三頭筋の押し込み】で腕を伸ばしてるんですよ。……これ以上、体をどう折りたためって言うんですか。俺はもう、人間サイズの折り紙じゃないんですよ……』

「甘えるな鈴木ィ! まだ脊髄と首の角度が甘いだろうが! おとこなら、上半身を地面と平行に倒し、首だけを天に向けて風を切り裂けぇぇっ!」

 一方その頃。

 関東近郊にある、自動車やスポーツ競技用の【大型風洞実験施設】。作業着に身を包んだ青年――巨大未確認生物3シルバーガイが、巨大な送風ファンの前で計測機器の清掃をしていた。

(時給1,180円の『風洞施設の清掃バイト』! 時速100キロ以上の強風が吹き荒れる中でゴミを拾うキツい仕事だが、宇宙人の体幹なら、どんな暴風でも微動だにしないぜ)

 彼が休憩に入り、実験用の自転車ロードレーサーの模型を眺めていると、巨大なファンの裏側から白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その手には、施設から根こそぎ持ち出された【最新鋭の流線型エアロヘルメット】と、【超高感度の風圧センサー】が握られていた。

「ハカセイダー! お前また勝手に何億円もする実験道具を! それ、来月のオリンピック選手のテストに使うやつだぞ!」

「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【究極の空力姿勢エアロ・ストリーム】だ。あのポンコツのコクピットの風防を取り払い、パイロットに直接この風圧センサー付きエアロヘルメットを被せる!」

「おっさんを時速数百キロのむき出しの風に晒すのか!?」

「そうだ! パイロットは風圧に耐えるため、自らの【脊柱起立筋(背骨の筋肉)】を極限まで曲げて上半身を地面と完全に平行(水平)にし、同時に【頭板状筋(首の後ろの筋肉)】を限界まで反らせて前を向く! センサーが『わずかでも空気抵抗の乱れ(フォームの崩れ)』を検知すれば、機体の駆動系に激痛の電流が走る仕組みだ! 鈴木の【首と背骨の極限アーチ】が、音速の壁を突破する!」

 その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。

 アースディフェンダーのコクピットの窓(アクリル板)を完全にぶち抜き、鈴木の頭にセンサー付きのエアロヘルメットを強制的に被せたのである。

 翌日。

『緊急事態発生です!』

 佐藤が、プレハブの床で凍りついたボールペンのインクをライターで炙りながら報告した。

『東京湾アクアライン・海ほたるPA上空に、巨大未確認生物61号が出現! 全長45メートルの【宇宙ハヤブサ】です! 奴はマッハの速度で急降下と旋回を繰り返し、PAの施設を破壊しています!』

「出たな音速の猛禽類め! 出撃だ鈴木ィ!」

 東京湾アクアライン・海ほたる。

 宇宙ハヤブサ(61号)が、「キィィィィッ!!」と鋭い鳴き声を上げながら、戦闘機をも凌ぐ超音速で空を切り裂き、衝撃波ソニックブームで海面を割っていた。

 今回も、GキャノンとGダムは謹慎と修理により不在。アースディフェンダーの単騎出撃である。

 しかし、現場の「海ほたる」の展望デッキには、正月休みの家族連れが多数取り残されていた。その中に、お年玉で買ったばかりの【ビニール製の正月凧ゲイラカイト】を握りしめて泣いている少年がいた。

 強風に煽られたその凧が、少年の手から離れ、フラフラと空高く舞い上がってしまったのだ。

『ああっ! ぼくの凧!』

 今まで、超兵器でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただの子供の凧糸など、マッハで飛ぶ宇宙ハヤブサの皮膚に触れたところで、一瞬でチリとなるはず――。

 ――ピーンッ! ギギギギギッ!!

『ピギャピギャピギャピーーーーッ!?!?(パニック)』

 なんと、ただの細い凧糸が宇宙ハヤブサの翼の付け根にほんの少し絡まった瞬間、ハヤブサは「うわぁぁぁ! 何か絡まったぁぁぁ!」とばかりに空中で激しくパニックを起こし、バランスを崩して海ほたるの駐車場に「ズドドドドォォォンッ!!」と無惨に墜落してしまったのだ。

 マッハの猛禽類が、ただの凧糸で完全に戦意を喪失し、足をばたつかせてピーピーと情けなく泣いている。

「「「…………えっ?」」」

 現場の家族連れ、避難誘導をしていた職員、そしてコクピット(窓なし)の鈴木までもが、そのあまりにも脆弱すぎる怪獣の姿を見て完全にフリーズした。

「(……おい。今、ただの凧糸だよな……? しかも100円ショップで売ってそうなやつ……)」

 鈴木の脳内に、もはや疑う余地のない絶対的な真理が突き刺さる。

「(ドローンで破れ、鉄骨で気絶し、塩で悶絶し、ついには【ただの凧糸】で墜落するって……!! こいつら、カラスよけのネットでも張っておけば完全に防げるだろ!! なんで俺は極寒の風に晒されてロボットを漕いでるんだよ!!)」

 現場の少年が「あれ? ぼくの凧で怪獣やっつけちゃった?」と無邪気に笑いかけた、まさにその絶体絶命の瞬間!

 プレハブ司令室の氷室査察官が、マウスのケーブルを引きちぎりながら、海ほたるの館内放送をハッキングして、血反吐を吐くような悲痛な絶叫を響き渡らせた!!

『げ、現場の民間人に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【ナノカーボン・アンテナ接続プロセス】です!!』

「えっ? アンテナ?」

『ええ! あの宇宙ハヤブサは、凧糸を導火線として利用し、宇宙空間の母星から『地球を粉砕する隕石群メテオ・ストライク』を呼び寄せる電波を発信しているのです!! あのバタバタしている動きは、アンテナのチューニングを合わせている証拠です!! これ以上凧糸を放置すれば、日本がクレーターになります! 直ちに凧から離れて退避しなさい!!』

「そ、そうだったのか!! 危うく坊やの凧のせいで地球が滅亡するところだった!!」

 氷室の、もはやSF作家すら匙を投げるレベルの狂った大嘘により、家族連れは震え上がり、凧を放置して一目散にシェルターへと逃げ出してしまった。

 (※実際はただ凧糸が羽に絡まって身動きが取れず、怖くて泣いていただけである)

 凧糸が切れて自由になった宇宙ハヤブサは、涙目で立ち上がり、怒り狂って再びマッハの速度でアクアラインの「海上橋ブリッジ」に沿って逃走を始めた!

「(ぜぇ……はぁ……)氷室の狂ったペテンは後で絶対訴えてやる! でも今は、あいつを逃がすわけにはいかねぇ!!」

 鈴木が叫ぶ。

 しかし、アースディフェンダーの箱型ボディでは、マッハで飛ぶハヤブサには空気抵抗が大きすぎて絶対に追いつけない。窓ガラスのなくなったコクピット内に、暴風が吹き荒れる。

 その時、鈴木の被らされたエアロヘルメットのバイザーに、文字が投影された。

『パイロットの同志へ。風と喧嘩をするな、風となれ。上半身を地に伏せ、首だけを天に向けよ。君の脊柱と頸椎が描く究極のアーチが、音速の壁をすり抜ける神の矢となる。――名もなき宇宙の友人より』

「……またか! ついに背骨と首の骨(脊柱起立筋と頭板状筋)の酷使かぁぁぁっ!!」

 鈴木は絶望の血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる極致へと突入した。

 【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋ラットスプレッド】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】【心肺機能冷却】【三角筋サイドレイズ】【三頭筋スラスト】……!

 そしてついに! 鈴木はバランスボールの上で、自らの【脊柱起立筋(背骨の筋肉)】を極限まで曲げて上半身を地面と完全に水平ツライチに倒し込み、前を見るために【頭板状筋(首の後ろの筋肉)】をバキバキと鳴らしながら、顔だけを直角に持ち上げたのである!!

「(背骨が! 首の骨が! 頸椎のヘルニアが爆発するぅぅぅぅっ!!)」

 鈴木の異常な「エアロフォルム」が完成した瞬間、ヘルメットのセンサーが空気抵抗値「ほぼゼロ」を検知。

 アースディフェンダーの機体表面を流れる空気が完璧な流線型ストリームラインを描き、機体は風の抵抗を全く受けずに爆発的な加速を始めた!

「いっけぇぇぇぇっ!! 究極のエアロ・スプリントだぁぁぁっ!!」

 アースディフェンダーは、アクアラインの海上橋をマッハの速度で爆走!

 完全に風と同化した鈴木の機体は、音速で逃げる宇宙ハヤブサの背後に無音で追いついた。

「(これでトドメだぁぁぁっ!!)」

 鈴木は、究極の前傾姿勢を維持したまま、右足の【アキレス腱のバネ】を爆発させ、膝の【丸ノコ】を宇宙ハヤブサの背中に叩き込んだ!

『ギャリギャリギャリギャリッ!!!』

 超高速の丸ノコが宇宙ハヤブサを完全に粉砕し、怪獣は東京湾のド真ん中で消滅した。

 プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまり凍りついたお茶を噛み砕いていた。

「見たか諸君!! これぞ男の空気力学!! アースディフェンダーの強靭な背骨と首が、音速の壁を打ち破ったのだ!! 鈴木ィ! 貴様の脊柱は地球最強のエアロカウルだぁぁっ!!」

 広瀬が、先ほどの「凧糸でパニックになる怪獣の映像」を必死にCG動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。

「完璧です! 『ED、極秘開発のエアロ・ストリーム・フォームを解放! 隕石を呼び寄せようとした凶悪猛禽獣を、音速を超えた究極の加速で完全粉砕! ※絶対に正月凧を揚げないでください』でリリースします!!」

 そして現場。

 風洞実験施設の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。

「よしっ! 鈴木のおっさん、見事なエアロフォルムだったぜ! あの極限まで上半身を倒し込み、首だけで前を見る姿勢……これこそ、競輪の最終スプリントにおいて、時速70キロの風の壁を切り裂く『最強のフォーム』だ!」

 しかし、背後から施設の所長の怒号が飛んだ。

「おい、シルバァ! お前が掃除してたメインの風洞室から、来月のオリンピック代表選手が使うはずだった『数億円の最新エアロヘルメット』とセンサーが消えてるぞ! 営業妨害と国家プロジェクトの破壊だ! 弁償代として、今月の給料から【3万5千円】天引きだ!!」

「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」

 3号の絶叫が、強風吹き荒れる実験施設に虚しく響き渡る。

 そして、見事な空気抵抗ゼロで世界を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。

『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な前傾姿勢でしたね』

「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、首が……直角に曲がったまま戻りません……ずっと天井を見つめてます……」

『ええ。ところで、あなたがマッハの速度でアクアラインを爆走した際、機体が発生させた【ソニックブーム(衝撃波)】により、海底トンネル部分の強化ガラスと壁面に無数の亀裂が入り、大規模な浸水騒ぎを起こしました』

「えっ」

『さらに、窓のないコクピットであなたが顔を真っ赤にして【首を直角に曲げ、目を血走らせている映像】がドライブレコーダーに拡散され、「あのパイロットの姿勢、完全に変態の覗き魔みたいで気持ち悪い」と国民から苦情が殺到しています。これらの修繕費と品位保持違反の罰金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっと爽やかに、背筋を伸ばして走ってくださいね』

「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」

 足、腕、体幹、肺活量、あらゆる筋肉の連動に加え。

 ついに、【凄まじい風圧に耐え、究極の空気力学を生み出す強靭な脊柱起立筋と首の筋肉エアロフォルム】まで強制習得させられた鈴木。

 「怪獣は実は弱い」という決定的すぎる真実は、氷室の「隕石呼び寄せアンテナ」という常軌を逸した嘘によってまたしても隠蔽された。

 しかし、鈴木の肉体は、ペダリング、スタミナ、ハンドル投げ、そして今回の「空気抵抗を極限まで減らす究極の乗車姿勢」に至るまで。

 もはや「競輪」において必要なすべての能力を完全に網羅し、人体の限界を凌駕した【完全無欠の自転車レーサー】としての進化を、誰一人気づかぬまま終えようとしていたのである。


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