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第75話「極秘のトライセプス・スラストと、時給1110円の餅つきバイト」

 十二月。いよいよ冬本番を迎え、吐く息も白くなった防衛省の空き地。相変わらず暖房設備のない【プレハブ仮設司令室】の中で、炎城司令官はダルマストーブの代わりに自らの闘志を燃やし、パイプ椅子の上で吠えていた。

「ぬぉぉぉ……! リーチ(到達距離)だ!! アースディフェンダーには、敵が回避行動を取ったその瞬間、さらに奥へと拳をねじ込む【最後の一押し(エクストラ・リーチ)】が欠けている!!」

 炎城が、すっかりボロボロになった真っ赤なマフラーを振り回す。

「格闘戦において、敵の間合いの外から急に腕が伸びる変則攻撃は絶対的な脅威となる! スーパーロボットたるもの、腕の関節をガシャコンとスライドさせ、一瞬で間合いを詰める『テレスコピック・アーム(伸縮腕)』が必要なのだ!」

 氷室査察官が、プレハブの隙間風で凍りついたタブレットをホッカイロで温めながら冷ややかに答える。

「数十トンの腕部を瞬時に伸縮させる油圧スライド機構など、マイナス予算の防衛省ではグリス一滴すら買えません。機体の手に、マジックハンドでも持たせておきますか?」

「馬鹿者! 最高の伸縮機構は己の二の腕だ! パイロットの魂の押し込みで、腕を天空まで伸ばせぇぇっ!」

 インカムから、鈴木の、もはや六道輪廻を解脱しかけた仏のような掠れ声が響いた。

『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【ブラストビート】を踏み、【150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転し、【脇パタパタ】と【ゴム骨咀嚼】で温度管理し、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首のヘルメット】で索敵し、空中で【三半規管制御】し、【横隔膜シャウト】を上げ、【内転筋のニーグリップ】でカーブを曲がり、【アキレス腱跳躍】をし、【広背筋ラットスプレッド】で滑空し、【大胸筋ピクピク】で弾き返し、【腸腰筋の引き上げ】で瞬間移動し、さらに【心肺機能の超絶深呼吸】で冷却し、【三角筋のサイドレイズ】で鏡の角度を固定してるんですよ。……これ以上、体のどこを伸ばせって言うんですか。俺の体はもう、ゴム人間じゃないんですよ……』

「甘えるな鈴木ィ! まだ二の腕の裏側が泣いているだろうが! おとこなら、上腕三頭筋じょうわんさんとうきんを爆発させて、敵の眉間をぶち抜けぇぇっ!」

 一方その頃。

 都内の老舗和菓子店の店先。年末の書き入れ時を迎え、法被はっぴを着た青年――巨大未確認生物3シルバーガイが、白い息を吐きながらうすに向かってきねを振り下ろしていた。

(時給1,110円の『餅つきバイト』! ペッタンペッタンとリズミカルに餅を搗く単純作業だが、宇宙人のパワーなら、どんな硬いもち米も一瞬でつきたてのフワフワにしてやれるぜ)

 彼が休憩に入り、手を洗っていると、店舗の裏路地から白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、店から根こそぎ持ち出された【樹齢百年のケヤキで作られた巨大な杵】と、【重さ数百キロの御影石の臼】が握られていた。

「ハカセイダー! お前また勝手に店の商売道具を! これから正月用の餅を1000個作らなきゃならないのに!」

「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【限界突破の押し込み(トライセプス・スラスト)】だ。あのポンコツの右腕の先端にこの巨大な杵を仕込み、コクピットの操縦桿のストロークを極限まで深く改造する!」

「おっさんの腕力で、あのバカ重い杵を突き出すのか!?」

「そうだ! パイロットが自らの【上腕三頭筋(二の腕の裏側)】を極限まで酷使し、操縦桿を前方へ向かって爆発的な力で押し込む! その凄まじい伸展エネルギーが機体の腕のジョイントを強引に引き伸ばし(亜脱臼させ)、通常の間合いからさらに10メートル先まで杵を突き出させるのだ!」

 その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。

 アースディフェンダーの右腕に巨大な杵を番線で縛り付け、コクピットの操縦桿を「限界を超えて前方に押し込める」ように改造したのである。

 翌日。

『緊急事態発生です!』

 佐藤が、プレハブの床で凍死しているゴキブリをホウキで掃きながら報告した。

『浅草の雷門周辺に、巨大未確認生物60号が出現! 全長40メートルの【宇宙カマキリ】です! 奴の動体視力と反射神経は異常で、こちらの攻撃をコンマ1秒で見切って完全に回避してしまいます!』

「出たな回避の達人め! 出撃だ鈴木ィ!」

 浅草・雷門。

 宇宙カマキリ(60号)が、「シャァァァッ!!」と巨大な鎌を振り回し、仲見世通りを威嚇していた。

 今回も、GキャノンとGダムは前回の川崎での大失態により謹慎・修理中。アースディフェンダーの単騎出撃である。

 しかし、現場には年末の買い出しに来ていた地元・浅草の町内会の面々がいた。その中の一人の気丈な老婆が、パニックになるどころか、「シッシッ! 浅草にバケモノなんか来るんじゃないよ!」と、店先にあった【お清めの塩(ただの伯方の塩)】を鷲掴みにし、宇宙カマキリの足元に向かってバサァッ! と投げつけたのだ。

『シャ……?』

 今まで、超兵器でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただの食塩など、微風ほどの意味もないはず――。

 ――ジュワァァァァッ!!

『ギィィギャァァァァァァァァッ!?!?(悶絶)』

 なんと、ただの塩を浴びた宇宙カマキリは、まるでナメクジに塩をかけたかのように激しくのたうち回り、緑色の体液を滲ませながら「痛い痛い痛い!」と地面を転げ回って、完全に戦意を喪失してしまったのだ。

「「「…………えっ?」」」

 現場の町内会の人々、避難中の観光客、そしてコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも脆弱すぎる怪獣の姿を見て完全にフリーズした。

「(……おい。今、ただの塩だよな……? しかもスーパーで売ってるやつ……)」

 鈴木の脳内に、もはや宇宙の真理とも言うべき絶対的な確信が芽生える。

「(ドローンで羽が破れ、鉄骨で気絶し、水で泣き、網で転び、石鹸水でひっくり返り、ヘルメットで泣き、ついには【ただの塩】で悶絶するって……!! こいつら、保健所か害虫駆除業者を呼べば3万ポッキリで駆除できるレベルだろ!! なんで俺は防衛省のロボットなんかに乗せられて、借金まで背負わされてるんだよ!!)」

 現場の老婆が「あれ? お清めの塩が効いたわよ! みんな、塩を持ってきなさい!」と叫びかけた、まさにその絶体絶命の瞬間!

 プレハブ司令室の氷室査察官が、マウスを握り潰しながら、浅草中の防犯スピーカーをハッキングして、狂気と冷や汗の混じった絶叫を響き渡らせた!!

『げ、現場の町民に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【ナトリウム・イオン臨界爆発】の予兆です!!』

「えっ? ナトリウム?」

『ええ! あの宇宙カマキリは、塩のナトリウム成分を吸収して体内で核融合を起こし、浅草を焦土に変える『超巨大塩分ボム』を生成しているのです!! あののたうち回る動きは、エネルギーを圧縮・攪拌している証拠です!! これ以上塩を与えれば、東京が塩の砂漠になります! 直ちに塩をしまって退避しなさい!!』

「そ、そうだったのか!! 危うく婆さんの塩のせいで東京が死の海になるところだった!!」

 氷室の、もはやノーベル化学賞受賞者すら卒倒するレベルの狂った大嘘により、町内会の人々は震え上がり、塩を放り出して一目散に逃げ出してしまった。

 (※実際はただ塩が皮膚にしみて死ぬほど痛かっただけである)

 塩の痛みが和らいだ宇宙カマキリは、涙目で立ち上がり、怒り狂って再び鎌を振り上げた。

「(ぜぇ……はぁ……)防衛省の嘘にはもう付き合いきれねぇが、やるしかねぇ!!」

 鈴木が叫ぶ。

 鈴木はペダルを踏み込み、宇宙カマキリに向かって接近。左腕のパイルバンカーを放つ! しかし、宇宙カマキリは異常な反射神経でそれをヒラリと回避する。

「(速い! 届かない!)」

 その時、鈴木の握る操縦桿に貼られたメモが目に入った。

『パイロットの同志へ。腕を伸ばし切れ。限界を超えて、さらにその先へ。君の上腕三頭筋が爆発する時、その一押しが絶対の勝利を掴む【神のハンドル投げ】となる。――名もなき宇宙の友人より』

「……またか! ついに二の腕(上腕三頭筋)の酷使かぁぁぁっ!!」

 鈴木は絶望の血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる深淵へと突入した。

 【前傾姿勢】【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋ラットスプレッド】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】【心肺機能冷却】【三角筋サイドレイズ】……!

 そしてついに! 鈴木はバランスボールの上で、回避行動を取って油断している宇宙カマキリに向け、自らの【上腕三頭筋(二の腕の裏側)】を爆発させ、両手で握った操縦桿を前方へ向かって「ギィィィンッ!!」と関節が外れるほどの力で押し込んだのである!!

「(二の腕が! 上腕三頭筋が! 肘の軟骨が砕け散るぅぅぅぅっ!!)」

 鈴木の異常な押し込みパワーが、アースディフェンダーの右腕の関節を物理的に「ガコォォォンッ!!」と亜脱臼させ、通常の間合いからさらに10メートル先へと腕をスライドさせた!

「いっけぇぇぇぇっ!! 限界突破のハンドル投げ(トライセプス・スラスト)だぁぁぁっ!!」

 回避したと思い込んでいた宇宙カマキリの顔面に、突然10メートル伸びてきた巨大な「ケヤキの杵」が、音速を超えたスピードで激突した!

『ギャルルルルルルッ!?!?』

 宇宙カマキリは、その常識外れのエクストラ・リーチによる打撃をモロに食らい、脳天をカチ割られて、浅草のど真ん中で完全にペシャンコに粉砕され、消滅した。

 プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりダルマストーブに頭を突っ込みそうになっていた。

「見たか諸君!! これぞ男の最後の一押し!! アースディフェンダーの上腕三頭筋が、敵の絶対回避を打ち破ったのだ!! 鈴木ィ! 貴様の二の腕は地球最強の伸縮アームだぁぁっ!!」

 広瀬が、先ほどの「塩で悶絶する怪獣の映像」を必死にフェイク動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。

「完璧です! 『ED、極秘開発のテレスコピック・アームを解放! 塩を吸収して核融合を起こしかけた凶悪怪獣を、奇跡の限界突破スラストで完全粉砕! ※絶対にお清めの塩を投げないでください』でリリースします!!」

 そして現場。

 和菓子店の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。

「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な上腕三頭筋の押し込みだったぜ! あの爆発的な腕の押し出しがあれば、競輪のゴール手前、タイヤ差で勝負が決まる瞬間に自転車を前へ突き出す【ハンドル投げ(バイクスロー)】が完璧に決まるな!」

 しかし、背後から和菓子店の親父の怒号が飛んだ。

「おい、シルバァ! お前が使ってた先祖代々のケヤキの杵と御影石の臼が根こそぎパクられてるぞ! おかげで正月用の餅が一つも作れねえじゃねえか! 営業妨害と窃盗だ! 弁償代として、今月の給料から【2万8千円】天引きだ!!」

「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」

 3号の絶叫が、年の瀬の浅草に虚しく響き渡る。

 そして、見事な二の腕で浅草を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。

『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な押し込みでしたね』

「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、腕が……上腕三頭筋が固まって、腕が曲がりません……ずっと前ならえの姿勢です……」

『ええ。ところで、あなたが腕を亜脱臼させて杵を突き出した際、その衝撃で粉砕された巨大な杵の破片が飛び散り、浅草寺の境内の施設を一部損壊しました』

「えっ」

『さらに、機体の腕が伸びきった反動で、雷門の巨大な赤提灯に激突し、提灯を真っ二つに引き裂きました。この歴史的建造物損壊の莫大な賠償金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっと短く、コンパクトに腕を伸ばしてくださいね』

「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」

 足、腕、首、体幹、肺活量、あらゆる筋肉の連動。

 そしてついに、【ゴール手前で限界を超えて自転車を突き出す、狂靭な上腕三頭筋の爆発力(ハンドル投げ)】まで強制習得させられた鈴木。

 「怪獣は実は弱いのではないか」という疑惑は、氷室の神懸かり的な詐欺話術によってまたしても闇に葬られた。

 しかし、防衛省の嘘と隠蔽工作は限界点に達しつつある。そして鈴木の肉体は、ペダリング、スタミナ、バランス、そしてフィニッシュの「ハンドル投げ」に至るまで。

 「絶対に負けることがない最強の競輪レーサー」としての全スキルを、この地獄の防衛任務を通じて完全に網羅してしまったのである。破滅へのカウントダウンは、残り25話。


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