第73話「極秘のバイオ・ラジエーターと、時給1130円の銭湯熱波師」
十一月。木枯らしが吹き始め、防衛省の空き地に建つ【プレハブ仮設司令室】の薄い壁がガタガタと頼りなく揺れる中。炎城司令官は、寒さを吹き飛ばすようにパイプ椅子を蹴り上げ、怒号を響かせていた。
「ぬぉぉぉ……! 継戦能力だ!! アースディフェンダーには、限界を超えて連続攻撃を叩き込み続ける【無限の冷却システム】が欠けている!!」
炎城が、すっかり薄汚れた真っ赤なマフラーを首に巻き直す。
「我が機体は瞬間的な破壊力こそ得たが、必殺技を連発すればすぐに関節が焼き付き、オーバーヒートを起こしてしまう! スーパーロボットたるもの、灼熱の排熱を瞬時に冷却し、敵が息絶えるまで無限のラッシュを浴びせ続ける『ハイパー・クーリング・エンジン』が必要なのだ!」
氷室査察官が、プレハブの隙間風を防ぐために窓枠にガムテープを貼りながら冷ややかに答える。
「機体を瞬時に冷却する超伝導極低温ラジエーターなど、マイナス予算の防衛省には到底導入不可能です。機体の装甲に、薬局で買った熱さまシートでもビッシリ貼り付けておきますか?」
「馬鹿者! 最高のラジエーターは己の血液と肺だ! パイロットの魂の深呼吸で、機体の熱を大気に放出するのだ!!」
インカムから、鈴木の、もはや現世の理から外れた残留思念のような声が響いた。
『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【ブラストビート】を踏み、【両手で150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転し、【脇パタパタ】で熱風、【ゴム骨咀嚼】で冷風、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首に20キロのヘルメット】を被って【動体視力】で索敵し、空中で【三半規管制御】し、【横隔膜シャウト】を上げ、【内転筋のニーグリップ】でカーブを曲がり、【アキレス腱のバネ】で跳躍し、背中の【広背筋ラットスプレッド】で滑空し、【大胸筋のピクピク】で弾き返し、さらに【腸腰筋の引き上げ】で瞬間移動してるんですよ。……これ以上、体のどこを使って呼吸しろって言うんですか。俺の体はもう、乳酸の塊なんですよ……』
「甘えるな鈴木ィ! まだ心臓と肺が残っているだろうが! 漢なら、心肺機能を限界まで回して冷却水に変えろぉぉっ!」
一方その頃。
都内の下町にある昔ながらのスーパー銭湯。サウナ室の中で、タオルを頭に巻いた半裸の青年――巨大未確認生物3号が、客に向けて熱風を送っていた。
(時給1,130円の『サウナの熱波師バイト』! 灼熱の中でタオルを振り回す過酷な仕事だが、宇宙人のスタミナと耐熱性なら、汗ひとつかかずに100セットでも余裕だぜ)
彼がサウナストーンに水をかけ、心地よい蒸気を発生させていると、サウナ室の裏側(ボイラー室)から、白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、銭湯の命である【超大型サウナヒーター】と、【巨大な換気ダクト管】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に店の心臓部を引っこ抜いて! サウナがただのぬるい部屋になっちまっただろ!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【生体冷却】だ。あのポンコツのコクピットにこのサウナヒーターを設置し、パイロットの口元のシュノーケルに、この換気ダクトを直結させる!」
「おっさんを100度のサウナ室に閉じ込めるのか!?」
「そうだ! コクピット内部を意図的に灼熱のサウナ状態にし、機体の排熱をパイロットの肉体に直接浴びせる! パイロットは命の危険を感じて、自らの【心肺機能(VO2 Max)】を極限まで引き上げ、タービンのような超絶的な深呼吸を行う! その猛烈な酸素の吸引と二酸化炭素の排出がダクトを通じて機体を冷却し、さらに毛細血管を拡張させてパイロット自身の乳酸を瞬時に分解するのだ!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーのコクピット内にサウナヒーターを溶接し、鈴木の口のシュノーケルに、排気用の太いアルミダクトをガムテープで無理やり繋ぎ合わせたのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、プレハブの床に落ちた枯れ葉を拾いながら報告した。
『原宿の竹下通り周辺に、巨大未確認生物55号が出現! 全長40メートルの【宇宙カメムシ】です! 奴は体から強烈な悪臭ガスを放ち、周囲の若者たちをパニックに陥れています!』
「出たな悪臭の害虫め! 出撃だ鈴木ィ!」
原宿・竹下通り。
宇宙カメムシ(55号)が、「ブボボボボッ……」と緑色のガス(少し銀杏のような臭いがする)を撒き散らしながら、のそのそと街を徘徊していた。
今回も、白い悪魔(Gダム)とGキャノンは不在。アースディフェンダーの単騎出撃である。
しかし、現場にはすでに地元の【渋谷区の清掃作業員たち】と【消防団】が到着していた。彼らは悪臭被害を抑えるため、通常装備である「工業用消臭スプレー(柑橘系の香り)」と、ホースによる「薄めた石鹸水」を放水していた。
『くせえぞ! もっと石鹸水をかけろ!』
今まで、超重力圧縮や次元転移でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただの石鹸水など、なんのダメージにもならないはず――。
――バシャバシャバシャッ!
『ギィィッ!? ギモォォォォン……(泣)』
なんと、ただの石鹸水が目に入った宇宙カメムシは、両前足で必死に目をこすりながら「痛い痛い!」とばかりにひっくり返り、足をジタバタさせて完全に戦意を喪失してしまったのだ。
さらに、柑橘系の消臭スプレーを浴びたことで、自らの悪臭が中和され、すっかり爽やかな香りに包まれて大人しくなってしまった。
「「「…………えっ?」」」
現場の清掃員たち、避難中の若者たち、そしてコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも情けない怪獣の姿を見てフリーズした。
「(……おい。今、ただの石鹸水とファブ〇ーズだよな……?)」
鈴木の脳内に、もはや疑いようのない決定的な真実が突き刺さる。
「(ドローンで羽が破れ、鉄骨で気絶し、ただの水で泣き、網で転び、ついに石鹸水でひっくり返るって……!! こいつら、絶対に害虫駆除の業者を呼ぶだけで一発で解決するだろ!! なんで俺は防衛省のロボットなんかに乗せられてるんだよ!!)」
現場の市民たちが「あれ? これってもうお掃除完了じゃね?」とホースを片付けようとした、まさにその瞬間!
プレハブ司令室の氷室査察官が、パソコンのエンターキーを粉々に砕きながら、原宿中の街頭ビジョンをハッキングして、狂気に満ちた悲壮な声を響き渡らせた!!
『げ、現場の清掃部隊に直ちに告ぐ!! 今のは極めて危険な【反物質バブル崩壊プロセス】への移行です!!』
「えっ? 反物質?」
『ええ! あの宇宙カメムシは、石鹸水の界面活性剤を自らのガスと反応させ、触れただけで原宿を更地にする『対消滅シャボン玉』を生成しようとしているのです!! あのジタバタしている動きは、体内で反物質をかき混ぜているミキサー運動です!! 直ちに石鹸水を止めて退避しなさい!!』
「そ、そうだったのか!! 危うく俺たちのせいで東京が対消滅するところだった!!」
氷室の、もはやSF映画の脚本家すらドン引きするレベルの狂った大嘘により、現場の清掃員たちは恐れおののき、ホースを放り出して一目散に逃げ出してしまった。
(※実際はただ石鹸が目に入ってしみて痛かっただけである)
石鹸水が止まり、目をこすり終わった宇宙カメムシは、再び「ブボボボッ!」と不機嫌そうに悪臭を放ちながら立ち上がった。
「(ぜぇ……はぁ……)氷室のクソペテンには後で絶対文句言ってやる! でも今は、やるしかねぇ!!」
鈴木が叫ぶ。
その時、鈴木の足元に設置されたサウナヒーターが「ゴォォォォッ!!」と猛烈な熱を発し始め、コクピット内の温度が一瞬で100度を超えた。
さらに、ダクトの横に貼られたメモが目に入った。
『パイロットの同志へ。息を止めず、狂ったように空気を貪れ。心臓のポンプを限界まで回し、血液を沸騰させよ。君の無尽蔵の心肺機能が、無限の冷却とスタミナを生み出す。――名もなき宇宙の友人より』
「……またか! ついに心肺機能とスタミナの酷使かぁぁぁっ!!」
鈴木は、全身の毛穴から滝のような汗を噴き出しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる地獄へと突入した。
【前傾姿勢】【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋ラットスプレッド】【大胸筋リフレクト】【腸腰筋テレポート】……!
そしてついに! 灼熱のコクピットの中で、鈴木は自らの【心肺機能(VO2 Max)】を極限まで引き上げ、「スゥゥゥッ! ハァァァァッ!! スゥゥゥッ! ハァァァァッ!!」と、タービンのような猛烈な速度で深呼吸を開始したのである!!
「(肺が! 心臓が! 脈拍250を超えて破裂するぅぅぅぅっ!!)」
鈴木の異常な肺活量による吸排気が、ダクトを通じてアースディフェンダーの駆動系を急速冷却していく。
同時に、極限まで拡張された毛細血管が全身の筋肉に血流を行き渡らせ、これまで蓄積していた致死量の乳酸を瞬時に分解し、無限のスタミナ(継続戦闘能力)へと変換した!
「いっけぇぇぇぇっ!! 無限機関だぁぁぁっ!!」
アースディフェンダーは、通常なら一撃でオーバーヒートするはずの【超重量パイルバンカー】と【丸ノコ急降下】のコンビネーションを、一切のタイムラグなしに宇宙カメムシに連続で叩き込み始めた!
『ドゴォォォン! ギャリギャリギャリ! ズバァァァン!!』
怒涛の連続攻撃を浴びた宇宙カメムシは、もはや悲鳴を上げる隙すら与えられず、原宿のど真ん中で完全にミンチ状に粉砕され、消滅した。
プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまり冷えた麦茶を頭からかぶっていた。
「見たか諸君!! これぞ男のスタミナ!! アースディフェンダーの強靭な心肺機能が、無限の連続攻撃を可能にしたのだ!! 鈴木ィ! 貴様の心臓と肺は地球最強のラジエーターだぁぁっ!!」
広瀬が、先ほどの「石鹸水でひっくり返る怪獣の映像」を必死にAI生成の偽動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発のバイオ・ラジエーターを解放! 反物質を生成しかけた悪臭怪獣を、奇跡の無尽蔵ラッシュで完全粉砕! ※絶対に石鹸水をかけないでください』でリリースします!!」
そして現場。
スーパー銭湯の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な心肺機能だったぜ! あの凄まじい酸素摂取量と乳酸分解能力があれば、どれだけ過酷な環境でスプリントのトップスピードを維持し続けても、絶対にバテない無敵の持久力を発揮できるな!」
しかし、背後から銭湯の番台の親父の怒号が飛んだ。
「おい、シルバァ! お前が熱波を送ってた男湯のサウナ、心臓部のヒーターとダクトが根こそぎパクられてるぞ! おかげでサウナ室がただの生ぬるい休憩所になっちまったじゃねえか! 営業妨害と窃盗だ! 弁償代として、今月の給料から【2万8千円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、下町の銭湯の煙突に虚しく響き渡る。
そして、見事な心肺機能で原宿を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な深呼吸でしたね』
「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、心臓が……まだバクバク言ってて、息が、止まりません……酸素過多で手足が痺れてます……」
『ええ。ところで、あなたがハイパーベンチレーションで放出した【凄まじい肺活量による排気(二酸化炭素)】ですが。原宿の竹下通りに局地的な突風(台風クラス)を発生させ、立ち並ぶクレープ屋やタピオカ屋の屋台をすべて吹き飛ばしました』
「えっ」
『さらに、「あのロボットが吐き出している排気ガスが、異常に生臭くて汗くさい」と、若者たちから大ブーイングが起きています。これらの営業補償と悪臭被害の罰金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっとフローラルな息を吐き出してくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
全身のあらゆる筋肉を極限まで鍛え上げられた末に、ついに【限界を超えた速度での連続運動を可能にする、強靭な心肺機能と無尽蔵のスタミナ】まで強制習得させられた鈴木。
「怪獣は実は弱い」という絶対的な真実は、氷室の神懸かり的な詐欺話術によってまたしても闇に葬られた。
しかし、筋肉、関節、神経、そして心肺機能に至るまで。
鈴木の肉体は、「ある特定のスポーツ」において絶対に負けることがない究極のバケモノとしての完成形に、すでに到達しつつあったのである。




