第71話「極秘のハムストリング・ウインチと、時給1250円のレッカー業者バイト」
十月下旬。秋風がプレハブ仮設司令室の隙間から吹き込み、書類を床に撒き散らす中。炎城司令官は、パイプ椅子の背もたれをへし折りながら吠えていた。
「ぬぉぉぉ……! 捕獲と引き寄せ(ホールド&プル)だ!! アースディフェンダーには、逃げ惑う敵を逃さず地獄の底まで引きずり戻す【絶対的な牽引力】が欠けている!!」
炎城が、すっかり毛玉だらけになった真っ赤なマフラーを振り回す。
「我が機体は近接戦闘では無類の強さを誇るが、ヒット&アウェイで逃げ回る小賢しい敵には手を焼く! スーパーロボットたるもの、逃げる敵の背中に巨大な錨を打ち込み、強引に引き寄せて粉砕する『ヘビー・ウインチシステム』が必要なのだ!」
氷室査察官が、ガムテープと輪ゴムで固定したタブレットを操作しながら冷ややかに答える。
「数万トンの張力に耐えうる超大型巻き上げ機など、実質マイナス予算の防衛省ではワイヤーの端切れすら買えません。機体の腕に、投げ縄でも持たせておきますか?」
「馬鹿者! 最高のウインチは己の裏モモだ! パイロットの魂の引きつけで、獲物を手繰り寄せろぇぇっ!」
インカムから、鈴木の、もはや生命活動の限界を超えた亡霊のような声が響いた。
『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【かかとブラストビート】を踏み、【両手で150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転し、【脇パタパタ】で熱風、【ゴム骨咀嚼】で冷風、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首に20キロのヘルメット】を被って【動体視力】で索敵し、空中で【三半規管制御】し、【横隔膜シャウト】を上げ、【内転筋のニーグリップ】でカーブを曲がり、【アキレス腱のバネ】で跳躍し、背中の【広背筋ラットスプレッド】で滑空し、さらに【大胸筋のピクピク】で敵を弾き返してるんですよ。……これ以上、体のどこを引けって言うんですか。俺の体はもう、ゴムマリか何かだと思ってるんですか……』
「甘えるな鈴木ィ! まだ太ももの裏側が泣いているだろうが! 漢なら、ハムストリングスをワイヤーに見立てて怪獣を釣り上げろぇぇっ!」
一方その頃。
埼玉県の国道沿いにあるロードサービス(レッカー車)の待機所。作業着姿の青年――巨大未確認生物3号が、事故車のタイヤに牽引フックを引っ掛けていた。
(時給1,250円の『レッカー移動のバイト』! 事故車や故障車を素早く運ぶ力仕事だが、宇宙人の腕力なら、最悪レッカー車を使わなくても車ごと持ち上げて運べるぜ)
彼がレッカー車の点検をしていると、車体の裏側から、白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、レッカー車から根こそぎ取り外された【大型車牽引用の超強力ウインチモーター】と、【耐荷重数十トンの極太ワイヤーケーブル】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に商売道具をバラして! それがないと車を引っ張れないだろ!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【絶対牽引】だ。あのポンコツの左腕にこのワイヤーと巨大な銛を仕込み、巻き上げ用のウインチをペダルの『引き足側のギア』に直結させる!」
「おっさんの脚力でウインチを巻き上げるのか!?」
「そうだ! パイロットが自らの【ハムストリングス(太もも裏の筋肉)】と【腸腰筋(足を引き上げる筋肉)】を極限まで酷使し、ペダルを『上後ろ方向』へ猛烈な力で引き上げる(レッグカール)! その凄まじい生体引きつけパワーがウインチを高速回転させ、時速数百キロで逃げる敵をも強引に引き寄せるのだ!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーの左腕に極太ワイヤーと鉄骨を削り出した巨大アンカーを仕込み、ペダルの後方回転軸にレッカー車のウインチを強引に溶接したのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、プレハブの床を這うカメムシをガムテープで捕獲しながら報告した。
『さいたまスーパーアリーナ周辺に、巨大未確認生物53号が出現! 全長40メートルの【宇宙ダチョウ】です! 奴は時速300キロの猛スピードで駆け回り、建物を蹴り飛ばしては逃げるヒット&アウェイを繰り返しています!』
「出たな最速の逃亡獣め! 出撃だ鈴木ィ!」
埼玉・新都心。
宇宙ダチョウ(53号)が、「クァァァァッ!!」と奇声を上げながら、強靭な二本足でアスファルトを蹴り立て、猛スピードで暴れ回っていた。
今回もトヨハタのGダムは謹慎中。GキャノンはAIのシステムアップデート中で出撃できず、アースディフェンダーの単騎出撃となった。
しかし、現場にはすでに埼玉県警の【機動隊】が展開していた。彼らは暴走族や不審者を捕まえるための通常装備――【大型ネットランチャー(網の発射装置)】を道路に複数設置していた。
宇宙ダチョウが時速300キロで突っ込んできたその時、隊員がダメ元でネットランチャーの引き金を引いた!
『ポンッ! パサァァァッ!』
今まで、超高度な兵器でしか傷つかないとされてきた巨大怪獣である。対人用のナイロン製の網など、蜘蛛の巣ほどの抵抗にもならないはず――。
――ズザザザザザザッ!!
『グェェェェェッ!? ピィィィ……(泣)』
なんと、ただの対人ネットが足に絡まった宇宙ダチョウは、見事にバランスを崩して大転倒。アスファルトで膝を激しく擦りむき、網に絡まったまま「ピィィ……」と小鳥のようにか弱く鳴きながら、完全に身動きが取れなくなってしまったのだ。
「「「…………えっ?」」」
現場の機動隊員たち、避難中の市民、そしてコクピットの鈴木までもが、そのあまりにも脆弱な怪獣の姿を見てフリーズした。
「(……おい。今、ただの網だよな……?)」
鈴木の脳内に、確信に満ちた真実が警鐘を鳴らす。
「(ドローンで羽が破れ、鉄骨で気絶し、水で泣き出し、ついにはただの網で転んで動けなくなる……!! こいつら、絶対に自衛隊の大砲どころか、警察の装備だけで余裕で勝てるだろ!! なんで俺は命を削ってロボットを漕いでるんだよ!!)」
現場の市民や隊員たちが「あれ? この網でもう捕獲完了じゃない?」と近づきかけた、まさにその瞬間!
プレハブ司令室の氷室査察官が、タブレットの基盤がむき出しになるほどの力でタップし、さいたま市内の防災スピーカーをハッキングして、血を吐くような悲痛な声(大根役者)を響き渡らせた!!
『げ、現場の警察部隊に直ちに告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【毒蟲繭化プロセス】です!!』
「えっ? 繭?」
『ええ! あの宇宙ダチョウは、わざと網に絡まることで、網の合成繊維と自らの体液を融合させ、内部で『埼玉を死の森に変える猛毒の胞子』を生成しているのです!! あの泣き声は、胞子発射のカウントダウンです!! 直ちに網を撤去しないと、関東一円が滅びます!!』
「そ、そうだったのか!! 危うく俺たちのせいで最強の猛毒怪獣を生み出すところだった!! 早く網を切れ!!」
氷室の、あまりにも壮大で堂に入った大嘘により、現場の隊員たちはパニックに陥り、慌ててナイフで網を切って宇宙ダチョウを解放してしまった。
(※実際はただ網が絡まって転んで痛かっただけである)
網から解放された宇宙ダチョウは、すっかり怯えきり、「クァァァァッ!!」と悲鳴を上げながら、時速300キロでさいたまスーパーアリーナの方向へ全力逃走を始めた。
「(ぜぇ……はぁ……)また防衛省のペテンに騙されやがって! このまま逃がしたら被害が広がるだけだ!!」
鈴木が叫ぶ。
その時、鈴木の足元――レッカー車のウインチが溶接されたペダルの引き足側に貼られたメモが目に入った。
『パイロットの同志へ。大地を蹴るだけが脚力ではない。太ももの裏側に魂を込め、ペダルを天に向かって引きちぎれ。君のハムストリングスが、逃げる背中を射抜く絶対の鎖となる。――名もなき宇宙の友人より』
「……またか! ついに太ももの裏の酷使かぁぁぁっ!!」
鈴木は絶望の涙を流しながら、悪魔のマルチタスクの新たなる地獄へと足を踏み入れた。
【前傾姿勢】【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋ラットスプレッド】【大胸筋リフレクト】……!
そしてついに! 鈴木はバランスボールの上で、自らの【ハムストリングス(太もも裏)】と【腸腰筋(足の付け根)】の神経を爆発させ、ペダルを下へ踏み込むのではなく、後方から上方へと「グンッ!! グギィィィッ!!」と凄まじい力で引き上げ始めたのである!!
「(裏モモが! ハムストリングスが痙攣して肉離れを起こすぅぅぅぅっ!!)」
鈴木の異常な「引き足」パワーがウインチモーターを強制的に逆回転させる。
「いっけぇぇぇぇっ!! ハムストリング・アンカー射出っ!!」
アースディフェンダーの左腕から、極太のワイヤーに繋がれた巨大な銛が空を切り裂き、時速300キロで逃げる宇宙ダチョウの背中にガッシィィィン!! と深々と突き刺さった!
『クエェェェェェッ!?』
背中を撃たれた宇宙ダチョウが悲鳴を上げるが、止まらずに逃げようとする。50トンの機体がワイヤーで引きずられそうになる!
「(逃がすかぁぁぁぁっ!! 巻き上げろ、俺の裏モモォォォォッ!!)」
鈴木は、千切れんばかりのハムストリングスをさらに収縮させ、ペダルを限界まで引き上げ続けた。
ギィィィィィィンッ!!
ウインチが悲鳴を上げながらワイヤーを巻き取り、時速300キロの宇宙ダチョウの推進力を、鈴木の「裏モモの筋力」が完全に上回り、強引にズルズルと引き戻し始めたのだ!
「いっけぇぇぇぇっ!! ゼロ距離パイルバンカァァァァッ!!」
アースディフェンダーの足元まで強制的に引き寄せられた宇宙ダチョウの脳天に向け、鈴木は右膝の【ブラストビート・バズソー(丸ノコ)】を全力で叩き込んだ!
『ギャリギャリギャリギャリッ!!!』
超高速の丸ノコが宇宙ダチョウを完全に粉砕し、怪獣は緑色の飛沫を上げて沈黙した。
プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりバケツを蹴り飛ばして天井に穴を開けていた。
「見たか諸君!! これぞ男の牽引力!! アースディフェンダーの強靭な引き足が、最速の逃亡者を地獄へ引きずり戻したのだ!! 鈴木ィ! 貴様のハムストリングスは地球最強のウインチだぁぁっ!!」
広瀬が、先ほどの「網で転ぶ怪獣の映像」を必死に合成動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発のハムストリング・ウインチを解放! 猛毒の繭と化す寸前の凶悪怪獣を、奇跡の牽引力で引き戻し完全粉砕! ※絶対に網で捕まえないでください』でリリースします!!」
そして現場。
レッカー待機所の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な引き足のコントロールだったぜ! あのハムストリングスの強靭な引き上げ(レッグカール)と、大腿四頭筋の踏み込みが完全に連動すれば、ペダリングの回転効率は極限の領域に達するな!」
しかし、背後からレッカー業者の社長の怒号が飛んだ。
「おい、シルバァ! お前が点検してた1号車のレッカー、メインのウインチとワイヤーが根こそぎパクられてるぞ! これじゃ事故車を引っ張れねえだろうが! 業務妨害と窃盗だ! 弁償代として、今月の給料から【3万円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、秋の空に虚しく響き渡る。
そして、見事な裏モモで市民を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な引き足でしたね』
「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、裏モモが……完全に攣って、足が真っ直ぐ伸びません……」
『ええ。ところで、あなたがアンカーを撃ち出して怪獣を引き寄せた際、ピンと張った極太ワイヤーが、さいたま新都心の歩道橋と信号機を次々と「ギロチン」のように切断し、甚大なインフラ破壊を引き起こしました』
「えっ」
『さらに、動物愛護団体から「逃げている鳥のような生物の背中に巨大な銛を打ち込むとは何事か。野蛮すぎる」と猛烈な抗議が殺到しています。これらの賠償金と品位保持違反の罰金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっと優しく、手招きで引き寄せてくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
足、腕、首、体幹、肺活量、握力、咬筋、僧帽筋、腹斜筋、大臀筋、動体視力、三半規管、内転筋、アキレス腱、広背筋、大胸筋。
そしてついに、【ペダルを強烈に引き上げ、数万トンの張力を生み出す鋼のハムストリングスと腸腰筋】まで強制習得させられた鈴木。
「怪獣は実は弱いのではないか」という真実は、またしても氷室の絶叫ハッタリによって闇に葬られた。
しかし、隠蔽工作はすでに限界を超えつつある。そして鈴木の肉体は、「踏み込む力」と「引き上げる力」の完全な連動を果たし、最強のアナログ生命体としての完成形へと、静かに、しかし確実に近づいていたのである。




