第70話「極秘のペクトラル・バウンサーと、時給1160円のフワフワ遊具スタッフ」
十月。秋晴れの空が高く澄み渡る中、防衛省の空き地にポツンと建つ【プレハブ仮設司令室】では、炎城司令官がパイプ椅子を蹴り飛ばし、プレハブの薄い壁を揺らしていた。
「ぬぉぉぉ……! カウンター(反撃)だ!! アースディフェンダーには、敵の強烈な突進を真っ向から受け止め、倍返しで弾き返す【超弾力装甲】が欠けている!!」
炎城が、すっかり色褪せた真っ赤なマフラーを握り拳で突き上げる。
「敵の攻撃を避けるばかりではいずれジリ貧になる! かといって、まともに受ければ我が機のガムテープ装甲は一瞬で崩壊する! スーパーロボットたるもの、敵の物理的エネルギーを吸収し、トランポリンのように跳ね返す『リフレクト・シールド』が必要なのだ!」
氷室査察官が、プレハブに侵入した秋の虫を冷酷な手つきで外へ弾き出しながら答える。
「運動エネルギーを反発力に変換する特殊流体装甲など、マイナス予算の我が防衛省では夢物語です。機体の胸に、ホームセンターで買ったプチプチ(緩衝材)でも何重にも巻き付けておきますか?」
「馬鹿者! 最高のクッションは己の分厚い胸板だ! パイロットの魂の胸張りで、敵の突進を弾き返せぇぇっ!」
インカムから、鈴木の、もはや肉体を離れた思念体のような掠れ声が響いた。
『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【かかとブラストビート】を踏み、【両手で150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転し、【脇パタパタ】で熱風、【ゴム骨咀嚼】で冷風、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首に20キロのヘルメット】を被って【超絶動体視力】で索敵し、空中で【三半規管制御】し、【横隔膜シャウト】を上げ、【内転筋のニーグリップ】でカーブを曲がり、【アキレス腱跳躍】をし、さらに背中の【広背筋ラット・スプレッド】で滑空してるんですよ。……これ以上、体のどこを使えって言うんですか。俺はもう、自分の意思でまばたき一つできないんですよ……』
「甘えるな鈴木ィ! まだ胸の筋肉が空いているだろうが! 漢なら、大胸筋をピクピクさせて愛と平和を弾き返せぇぇっ!」
一方その頃。
都内の大型ショッピングモールの催事場。巨大な送風機で膨らませた「パンダ型のフワフワ遊具(巨大エアドーム)」の前で、スタッフ用ジャンパーを着た青年――巨大未確認生物3号が、子供たちの列を整理していた。
(時給1,160円の『フワフワ遊具の監視スタッフ』! 子供たちが怪我しないように見守る仕事だが、宇宙人の反射神経なら、誰かが転んでも一瞬でキャッチできるぜ)
彼が休憩に入り、パンダの遊具の裏に回った時だった。暗がりから白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、遊具から強引に切り取られた【分厚く頑丈なゴム製ターポリン生地(パンダの顔の部分)】と、【工業用の大型手動ポンプ】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に商売道具を切り刻んで! パンダの顔がぺしゃんこじゃないか!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【弾力反発】だ。あのポンコツの胸部にこの巨大なゴム風船をガムテープで貼り付け、パイロットの胸に装着したハーネスとポンプを連動させる!」
「おっさんの胸で風船を膨らませるのか!?」
「そうだ! パイロットが自らの【大胸筋(胸の筋肉)】を、ボディビルダーのようにリズミカルに収縮させる……いわゆる『胸ピク(ペクトラル・フレックス)』を行う! 大胸筋の異常な隆起がポンプを瞬時に押し込み、敵が衝突するコンマ1秒前に機体の胸部を超高圧で膨張させ、凄まじい反発力で敵を弾き飛ばすのだ!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーの胸部にパンダの顔が描かれた分厚いゴム生地を貼り付け、その内部と鈴木の大胸筋に、強靭なワイヤーと送風ポンプを直結したのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、プレハブの窓に結露した水滴を指でなぞりながら報告した。
『お台場のイベント会場周辺に、巨大未確認生物52号が出現! 全長45メートルの【宇宙サイ】です! 奴は強靭な一本角を突き出し、時速200キロの猛スピードで突進を繰り返しています!』
「出たな重装甲の突撃獣め! 出撃だ鈴木ィ!」
お台場・海浜公園。
宇宙サイ(52号)が、「ブゴォォォォッ!!」と荒い鼻息を吹き出しながら、商業施設へ向けて一直線に猛突進を繰り返していた。
今回もトヨハタの白い悪魔(Gダム)は謹慎中で姿を見せず、Gキャノンは前回の泥沼から引き上げ作業中で出撃できない。頼みはアースディフェンダーのみである。
しかし、現場には警視庁の【機動隊】と、消防庁の【放水車部隊】が、火災の延焼を防ぐために展開していた。
宇宙サイが突進してきたその時、パニックに陥った一人の若い消防隊員が、誤って宇宙サイの顔面に向けて、通常の火災に使う「高圧放水」を直撃させてしまったのだ!
『あっ! しまった! 放水しちゃった!』
今まで、超高度な兵器やアースディフェンダーのトンデモ物理攻撃でしか倒せないとされてきた巨大怪獣である。ただの水道水のシャワーなど、心地よい水浴びにしかならないはず――。
――バシャァァァァァッ!!
『フギィィィィィッ!? ギューーーン!!(泣)』
なんと、ただの高圧放水を顔面に浴びた宇宙サイは、ひどく狼狽したように突進を急ブレーキで停止。
さらに、水が目と鼻に入ったのか、前足で顔をこすりながら「キュン、キュン……」と子犬のような情けない声を上げ、完全に戦意を喪失してその場にうずくまってしまったのだ。
分厚い重装甲に見えた皮膚も、ただ水に濡れて重くなっただけで、動きが極端に鈍くなっている。
「「「…………えっ?」」」
現場の消防隊員たち、避難中の市民、そしてコクピットの鈴木までもが、その悲しすぎる怪獣の姿を見てフリーズした。
「(……おい。今、ただの水だよな……?)」
鈴木の脳内に、もはや取り返しがつかないレベルの真実が溢れ出す。
「(ドローンで羽が破れるわ、鉄骨で気絶するわ、ついにただの水道水で泣き出すって……!! こいつら、本当にただ体がデカいだけで、そこらの野生動物より貧弱なんじゃないか!? 消防車で倒せるなら、俺の毎日の苦労は一体何なんだよ!!)」
現場の市民や隊員たちが「あれ? もしかして水かけるだけで勝てるんじゃね?」とホースを構え直した、まさにその瞬間!
プレハブ司令室の氷室査察官が、タブレットの画面にヒビが入るほどの力でタップし、お台場周辺のデジタルサイネージと警察無線をハッキングして、血相を変えた声を響き渡らせた!!
『げ、現場の消防部隊に告ぐ!! 今のは極めて恐ろしい【水分吸収・水圧レーザー形態】への移行プロセスです!!』
「えっ? 水圧レーザー?」
『ええ! あの宇宙サイは、浴びた水道水を体内の特殊器官で超高圧縮し、都市を真っ二つに切断する『ウォーターカッター』を発射しようとしているのです!! あの泣き声は、水圧ポンプのチャージ音です!! これ以上水を与えれば、お台場が海に沈みます! 直ちに放水を中止しなさい!!』
「そ、そうだったのか!! 危うく俺たちのせいで最強の水の悪魔を生み出すところだった!!」
氷室の、息をもつかせぬ神懸かり的な詭弁により、現場の隊員たちはすんでのところで納得してしまい、慌てて放水をストップしてしまった。
(※実際はただ水が鼻に入って痛かっただけである)
水が止まって息を吹き返した宇宙サイは、機嫌を損ねて再び「ブゴォォォォッ!!」と怒り狂い、時速200キロで猛突進を再開した。
その矛先には、逃げ遅れた一般市民の乗った観光バスが!
「(ぜぇ……はぁ……)防衛省の嘘にはもうウンザリだが、市民を見捨てるわけにはいかねぇ!!」
鈴木が叫ぶ。
その時、鈴木の胸にガッチリと装着された、太いワイヤー付きのハーネスに貼られたメモが目に入った。
『パイロットの同志へ。胸を張れ。ただ張るのではない。大胸筋を独立させ、心臓の鼓動よりも速く、力強く隆起させよ。君の胸ピクが、最強の防壁を打ち立てる。――名もなき宇宙の友人より』
「……またか! ついに胸の筋肉(大胸筋)の酷使かぁぁぁっ!!」
鈴木は絶望の涙を流しながら、悪魔のマルチタスクの新たなる境地へと足を踏み入れた。
【前傾姿勢】【ブラストビート】【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】【広背筋ラットスプレッド】……!
そしてついに! 鈴木はバランスボールの上で、自らの【大胸筋】の神経を極限まで研ぎ澄ませ、敵の突進のタイミングに合わせて、右胸、左胸と交互に「ピクッ! ピクッ! ボンッ!!」と、ボディビルダー顔負けの強烈な収縮運動(胸ピク)を開始したのである!!
「(胸が! 大胸筋が! 肋骨から引き剥がされるぅぅぅぅっ!!)」
鈴木の異常に発達した大胸筋が隆起するたび、ワイヤーを通じてポンプが超高速で駆動。
アースディフェンダーの胸部に貼り付けられた「パンダの顔のゴム生地」が、時速200キロで突進してくる宇宙サイの角と接触するコンマ1秒前に、凄まじい圧力で一気にパンパンに膨らんだ!
『ボイィィィィィィンッ!!!!!』
間抜けな音と共に、宇宙サイの50トンの突進エネルギーが、アースディフェンダーの超高圧エアドーム(大胸筋バウンサー)によって完全に吸収。
そして次の瞬間、大胸筋のさらなる一押しによって、吸収したエネルギーが倍返しとなって宇宙サイへと反発した!
「いっけぇぇぇぇっ!! 大胸筋リフレクショォォォォンッ!!」
『ブギャアァァァァァァッ!?』
自らの突進の倍の速度(時速400キロ)で後方へと弾き飛ばされた宇宙サイは、お台場の海に向かって一直線に吹っ飛び、そのまま海面で「ドゴォォォォンッ!」と大水柱を上げて水没。自らの衝撃に耐えきれず、海中で完全に気絶(沈黙)した。
プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりパイプ椅子をへし折って両手に構えていた。
「見たか諸君!! これぞ男の反発力!! アースディフェンダーの強靭な大胸筋が、敵の物理的暴力を完全にはじき返したのだ!! 鈴木ィ! 貴様の胸板は地球最強のトランポリンだぁぁっ!!」
広瀬が、先ほどの「放水で泣く怪獣の映像」を必死にフェイク動画だと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発の大胸筋バウンサー(P.B.S)を解放! 消防車の放水で水圧レーザーをチャージしかけた凶悪怪獣を、奇跡の弾力で海へ撃ち落とす! ※絶対に水をかけないでください』でリリースします!!」
そして現場。
ショッピングモールの裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な大胸筋のコントロールだったぜ! あの分厚い胸の筋肉と腕の引きつけがあれば、どんな重いギアを踏んでも、上半身のブレを完全に抑え込めるな!」
しかし、背後からイベント会社の社員の怒号が飛んだ。
「おい、シルバァ! お前が見張ってたパンダのフワフワドーム、一番重要なパンダの顔のゴム部分が丸く切り取られてるぞ! しかもテレビで、あのロボットの胸にパンダの顔がついてたじゃないか! 器物損壊と窃盗だ! 弁償代として、今月の給料から【2万8千円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、秋の風に吹かれるお台場に虚しく響き渡る。
そして、見事な大胸筋で市民を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な弾力でしたね』
「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、大胸筋が……ずっとピクピク痙攣して、自分の意思で止められません……」
『ええ。ところで、あなたが戦闘中にコクピット内で顔を真っ赤にして【胸を激しくピクピクさせている映像】が、テレビのワイプで全国放送されていました』
「えっ」
『夕方のゴールデンタイムに、防衛省のパイロットが卑猥とも取れる肉体のアピール(マッスル・コントロール)を見せつけたとして、BPO(放送倫理・番組向上機構)および全国の保護者から猛烈な抗議が殺到しています。防衛省の品位を著しく汚した罰金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっと奥ゆかしく、服の上から分からないようにピクピクさせてくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
足、腕、首、体幹、肺活量、握力、咬筋、僧帽筋、腹斜筋、大臀筋、動体視力、三半規管、内転筋、アキレス腱、広背筋。
そしてついに、【巨大なポンプを一瞬で押し込み、弾力と爆発力を生み出す鋼の大胸筋】まで強制習得させられた鈴木。
「怪獣は実は弱いのではないか」という決定的な真実は、氷室の執念の電波ジャックによってまたしても隠蔽された。
しかし、すべてを隠し通すことはもはや不可能に近づいている。嘘に嘘を塗り重ねた防衛組織と、それに反比例して「最強のアナログ生体兵器」へと仕上がっていく鈴木の肉体。
破滅へのカウントダウンは、止まることなく進み続けていたのである。




