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第69話「極秘のラット・スプレッドと、時給1180円の劇場裏方バイト」

 九月下旬。いくらか秋の涼しさが混じり始めたものの、防衛省の空き地に建つ【プレハブ仮設司令室】の熱気は、炎城司令官の怒号によって最高潮に達していた。

「ぬぉぉぉ……! 滑空能力だ!! アースディフェンダーには、空から優雅に舞い降り、獲物を逃がさず追跡する【制空のグライダー】が欠けている!!」

 炎城が、ホームセンターで買ったパイプ椅子の上に立ち上がり、マフラーを翻す。

「ジャンプ力(縦の動き)を手に入れたのは良いが、落下地点が読まれては隙だらけだ! スーパーロボットたるもの、背中から荘厳なエネルギーマントを展開し、空を滑るように飛翔する『ウイング・システム』が必要なのだ!」

 氷室査察官が、ガムテープで補修したタブレットを冷ややかにスワイプする。

「空力を計算した特殊合金の可変翼など、マイナス予算の我が防衛省では設計図の紙代すら出せません。機体の背中に、ブルーシートでも画鋲で留めておきますか?」

「馬鹿者! おとこの翼は背中に宿る! パイロットの魂の背中で、風を掴むのだ!!」

 インカムから、鈴木の、もはや怨霊すら通り越して悟りを開きかけた掠れ声が響いた。

『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取り、【引き足ペダル】と【かかとブラストビート】を踏み、【両手で150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転し、【脇パタパタ】で熱風、【ゴム骨咀嚼】で冷風、【尻の穴締めでプラズマ】を出し、【首に20キロのヘルメット】を被って【超絶動体視力】で索敵し、空中に飛べば【三半規管で姿勢制御】し、【横隔膜の絶叫】を上げ、【内転筋のニーグリップ】で遠心力を殺し、さらに【アキレス腱のバネ】でジャンプしてるんですよ。もう細胞レベルで動かせる筋肉なんて……残ってないんですよ……』

「甘えるな鈴木ィ! まだ最も広大な筋肉が手付かずだろうが! 漢なら、広背筋こうはいきんをコブラのように広げて空を飛べぇぇっ!」

 一方その頃。

 都内の歴史ある大劇場。暗い舞台裏で、黒子くろこの衣装を着た青年――巨大未確認生物3シルバーガイが、太いロープを引っ張って舞台装置を動かしていた。

(時給1,180円の『劇場の裏方・大道具バイト』! 重いセットを運んだり、緞帳どんちょうを上げ下げする力仕事だが、宇宙人のパワーなら指一本で持ち上がるぜ)

 彼が休憩中に水を飲んでいると、奈落(舞台の床下)の暗がりから、白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、劇場からくすねたばかりの【重さ数百キロの豪華絢爛な巨大緞帳メインカーテン】と、【舞台吊り下げ用の強靭なワイヤー群】が握られていた。

「ハカセイダー! お前また勝手に神聖な舞台の緞帳を外して!」

「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【滑空飛翔ラット・スプレッド】だ。あのポンコツの背中にこの巨大な緞帳をマントとして結びつけ、ワイヤーの先端をコクピットのパイロットの背中に装着したハーネスに繋ぐ!」

「おっさんの背中の筋肉で、あのクソ重い緞帳を動かすのか!?」

「そうだ! パイロットが自らの【広背筋(背中の筋肉)】を、ボディビルダーのように極限まで左右に広げる(ラット・スプレッド)! さらに、広背筋を収縮させてワイヤーを引く(ローイング)ことで、緞帳の角度と張力を自在にコントロールし、50トンの機体を空中で自由自在に滑空させるのだ!」

 その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。

 アースディフェンダーの背中に、金糸で「協賛:〇〇呉服店」とデカデカと刺繍された劇場の緞帳をガムテープで貼り付け、ワイヤーを鈴木の背中のハーネスへと直結したのである。

 翌日。

『緊急事態発生です!』

 佐藤が、プレハブの天井にできた雨漏りのシミを数えながら報告した。

『東京スカイツリー上空に、巨大未確認生物51号が出現! 全長40メートルの【宇宙ムササビ】です! 奴は高高度から皮膜を広げて滑空し、ビル風を利用してマッハの速度で飛び回っています!』

「出たな空飛ぶ害獣め! 出撃だ鈴木ィ!」

 東京・押上。

 宇宙ムササビ(51号)が、「キィィィィッ!!」と甲高い鳴き声を上げながら、スカイツリーの頂上からダイブし、空を切り裂くように滑空していた。

 今回も、GキャノンとGダムの姿はない。空を飛ぶ敵に対し、アースディフェンダーは単騎で【アキレス腱の超跳躍】を使ってスカイツリーの中腹まで跳び上がり、待ち構えていた。

 その時。宇宙ムササビの滑空ルートのすぐそばに、テレビ局の報道ヘリから放たれた【市販の撮影用ドローン(重さ約1キロ)】が、強風に煽られてフラフラと飛んでいた。

『キィィッ!?』

 宇宙ムササビが、その小さなプラスチック製のドローンと空中で「コツン」と接触した。

 今まで、超兵器でしか傷つかないとされてきた怪獣である。プラスチックのオモチャがぶつかったところで、蚊が止まったほどの衝撃もないはず――。

 ――ビチィィィィッ!!

『ギギャピーーッ!?!?』

 なんと、ドローンの小さなプロペラが接触しただけで、宇宙ムササビの【自慢の滑空用皮膜(羽)】が、まるで濡れた障子紙のように呆気なく「ビリビリッ!」と大きく破れてしまったのだ!

 皮膜を失った宇宙ムササビは、完全に揚力を失い、「たすけてー」と言わんばかりの情けない悲鳴を上げながら、キリモミ回転して落下していく。

「「「…………えっ?」」」

 地上で見守る市民たち、報道ヘリのクルー、そしてコクピットの鈴木までもが、その虚弱すぎる怪獣の姿を見てフリーズした。

「(……おいおいおい。今、ただの市販のドローンが当たっただけで羽が破れたぞ……?)」

 鈴木の脳内に、もはや疑いようのない真実が突き刺さる。

「(前回は鉄骨で気絶。今回はドローンで墜落……。間違いない、こいつら……めちゃくちゃ『脆い』ぞ! 自衛隊の対空機関砲ファランクスどころか、散弾銃でも撃ち落とせるレベルだろ!! なんで俺はこんな拷問みたいな操縦を……!)」

 テレビの前の国民全員が「怪獣、実はめっちゃ弱いのでは?」と気づきかけた、絶体絶命の大ピンチ(防衛省的な意味で)!

 プレハブ司令室の氷室査察官が、氷のように冷たい汗を滝のように流しながら、テレビ局の電波を強引にジャックし、報道番組の音声を上書きした!!

『こ、国民の皆様!! 今のは極めて恐ろしい【戦術的擬態】です!!』

「えっ? 擬態?」

『ええ! あの宇宙ムササビは、ドローンの微弱な電波を感知し、わざと自らの皮膜を破ることで【空気抵抗をゼロにした超音速落下形態】へと移行したのです! あの悲鳴は、音波兵器のチャージ音です! 奴が地上に激突すれば、溜め込んだエネルギーで東京の半分がクレーターになります!! 絶対に攻撃せず、防衛省に任せなさい!!』

「そ、そうだったのか!! ドローンを飛ばした奴はなんてことをしてくれたんだ!!」

 氷室の、息を吐くように放たれた常軌を逸した大嘘により、国民はすんでのところで「やっぱり怪獣はヤバい」と思い込まされてしまった。

 (※実際はただドローンが当たって羽が破れて落ちているだけである)

 しかし、このまま宇宙ムササビが地上に激突し、「ベチャッ」とただのミンチになってしまえば、氷室の「東京の半分が吹き飛ぶ」という嘘がバレてしまう!

 なんとしても、空中でアースディフェンダーの派手な必殺技によって「大爆発」させ、ごまかさなければならない!

『鈴木さん!! 奴が地上に落ちる前に、空中でキャッチして爆散させなさい!! 失敗すれば防衛省は終わりです!!』

「(ぜぇ……はぁ……)俺の命より防衛省のメンツかよ!!」

 鈴木は叫びながら、アースディフェンダーをスカイツリーの壁面から空中へとダイブさせた。

 しかし、自由落下では、先に落ちていった宇宙ムササビには追いつけない。

 その時、鈴木の背中に繋がれた極太のワイヤーに貼られたメモが目に入った。

『パイロットの同志へ。背中で風を語れ。肩甲骨を寄せ、広背筋をコブラの如く展開せよ。君の背中の翼が、大空を滑空する神のマントとなる。――名もなき宇宙の友人より』

「……またか! ついに背中の筋肉(広背筋)の酷使かぁぁぁっ!!」

 鈴木は血涙を流しながら、悪魔のマルチタスクのさらなる深淵へと足を踏み入れた。

 【前傾姿勢】【ブラストビート】【150kgグリッパー】【肩シュラッグ】【トルネードツイスト】【脇パタパタ】【ゴム骨咀嚼】【尻バリア】【超絶動体視力】【三半規管制御】【横隔膜シャウト】【内太ももニーグリップ】【アキレス腱跳躍】……!

 そしてついに! 鈴木はバランスボールの上で、自らの肩甲骨を極限まで左右に開き、【広背筋】をバキバキと音を立てて展開ラット・スプレッドした!!

 さらに、空中で機体のバランスを取るため、背中の筋肉を猛烈な勢いで収縮させてワイヤーを引く(ローイング運動)!!

「(背中が! 広背筋が! 肩甲骨の裏側が引き裂かれるぅぅぅぅっ!!)」

 鈴木の異常に発達した背中の筋肉が、ワイヤーを通じて機体の背中に貼り付けられた「巨大な緞帳どんちょう」をバサァァァッ! と展開させた。

 強風を孕んだ緞帳がパラグライダーの翼となり、50トンの機体が空中でピタリと落下を止め、滑るように加速を始めたのだ!

「いっけぇぇぇぇっ!! 広背筋ラットグライダーだぁぁぁっ!!」

 アースディフェンダーは、まるでムササビのように優雅に、かつ猛スピードで滑空し、落下していく宇宙ムササビ(51号)の背後に追いついた。

 鈴木は広背筋を限界まで引き絞り、機体の両手で宇宙ムササビをガッチリとホールド!

「(ごまかしの大爆発、いっくぞぉぉぉっ!!)」

 鈴木は、ホールドした状態から至近距離で左手の【ショルダー・パイルバンカー】を解放!

『ゴワァァァァァァァァンッ!!!!』

 鉄杭が宇宙ムササビを完全に粉砕し、空中でド派手な大爆発を発生させた。氷室の「東京の半分が吹き飛ぶ」という設定を辛うじて守り抜いたのである。

 プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりホワイトボードを真っ二つに叩き割っていた。

「見たか諸君!! これぞ男の滑空!! アースディフェンダーの強靭な背中が、空の覇者をねじ伏せたのだ!! 鈴木ィ! 貴様の広背筋は宇宙を包み込むマントだぁぁっ!!」

 広瀬が、先ほどの「ドローンの映像」を必死にCGだと主張するネット工作を行いながらキーボードを叩く。

「完璧です! 『ED、極秘開発のラット・スプレッド・ウイングを解放! 恐るべき超音速落下形態へと移行した怪獣を、空中で華麗にキャッチ&粉砕! ※ドローンは絶対に飛ばさないでください』でリリースします!!」

 そして現場。

 劇場の裏口でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。

「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な広背筋のコントロールだったぜ! あの背中の筋肉があれば、どんな重いギア(ペダル)でも、上半身の引きつけの力を使って爆発的な加速を生み出せるな!」

 しかし、背後から舞台監督の怒号が飛んだ。

「おい、シルバァ! お前が操作してたメインの緞帳と、吊り下げ用のワイヤーが全部消え失せてるぞ! しかもテレビの中継で、うちの劇場のスポンサー『〇〇呉服店』の名前が入った幕を、あのポンコツロボットがマントにして飛んでたじゃないか! 備品窃盗だ! 弁償代として、今月の給料から【2万8千円】天引きだ!!」

「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」

 3号の絶叫が、公演前の劇場に虚しく響き渡る。

 そして、見事な滑空で防衛省の嘘を守り抜いた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。

『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な背中でしたね』

「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、広背筋が……膨らみすぎて、両腕が脇につきません……ずっと威嚇してるみたいになってます……」

『ええ。ところで、あなたが背中に展開していたあのマント(緞帳)ですが。空中から「〇〇呉服店」という巨大な文字を都内全域に見せつけながら滑空した行為が、【防衛省の機体を使った違法な商業広告ステマ】であると内閣府から厳重注意を受けました』

「えっ」

『さらに、広告主から「うちの呉服店が怪獣騒ぎのスポンサーみたいになっている!」とクレームが入りました。これらの違約金および品位保持違反の罰金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次は無地のマントで飛んでくださいね』

「理不尽うすぎるだろおおおおおおおおっ!!」

 足、腕、首、体幹、肺活量、握力、咬筋、僧帽筋、腹斜筋、大臀筋、動体視力、三半規管、内転筋、アキレス腱。

 そしてついに、【ワイヤーを引きちぎるほどの強靭な広背筋の展開ラット・スプレッドと収縮力】まで強制習得させられた鈴木。

 「怪獣は実は弱い」という決定的な真実は、氷室の命懸けの電波ジャックによって今回も紙一重で隠蔽された。

 しかし、すべての嘘が暴かれる破滅のカウントダウンは、確実に進行している。そして、鈴木の肉体は、彼自身も気づかぬうちに、人体の構造を超越した「究極のアナログ生命体」へと最終段階を迎えていたのである。


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