第65話「極秘のエアリアル・ジャイロと、時給1100円のトランポリン施設スタッフ」
防衛省の空き地に建つ【プレハブ仮設司令室】。
七月のセミの鳴き声がプレハブの薄い壁をすり抜けて響く中、炎城司令官はパイプ椅子から立ち上がり、ホワイトボードをバンバンと叩いていた。
「ぬぉぉぉ……! 復帰力だ!! アースディフェンダーには、空中に放り出された際の【空中姿勢制御】が欠けている!!」
炎城が真っ赤なマフラーを靡かせる。
「怪獣の突進を食らい、空中に跳ね飛ばされたらどうなる! あの箱型の機体では、亀のように背中から落ちて大破するのみ! スーパーロボットたるもの、猫のように空中で身を翻し、華麗に着地する『三次元ジャイロ・システム』が必要なのだ!」
氷室査察官が、プレハブの隙間風で飛んだ書類を拾い集めながら冷ややかに答える。
「機体の重心を空中で移動させる大型ジャイロスコープなど、実質マイナス予算の我が防衛省には到底導入不可能です。機体の背中に、パラシュートの代わりに大きなレジ袋でも括り付けておきますか?」
「馬鹿者! 最高のジャイロは己の三半規管だ! パイロットの魂の平衡感覚で、機体の天地をひっくり返すのだ!!」
インカムから、鈴木の、もはや怨霊と化した掠れ声が響いた。
『……あの。俺、今は【バランスボール】の上で前傾姿勢を取り、【引き足ペダル】と【かかとブラストビート】を踏み、【両手で150キロのグリッパー】を握り、【肩のシュラッグ】をして、【腰のトルネード・ツイスト】で回転しながら、【脇パタパタ】で熱風を出し、【ゴム骨咀嚼】で冷風を吹き、【尻の穴を締めてプラズマを出し】、【首に20キロのヘルメット】を被って【超絶動体視力】で索敵してるんですよ。これ以上、空中でどう動けって言うんですか。俺はサーカスの団員じゃないんですよ……』
「甘えるな鈴木ィ! 平衡感覚を研ぎ澄ませ! 漢なら、耳の奥(三半規管)のリンパ液を自在に操れぇぇっ!」
一方その頃。
都内にある屋内アミューズメント施設。スポンジプールや巨大なネットが張り巡らされたトランポリン・エリアで、スタッフ用ポロシャツを着た青年――巨大未確認生物3号が、マットの消毒作業をしていた。
(時給1,100円の『トランポリン施設の清掃バイト』! 子供たちが飛び跳ねるのを安全に見守る仕事だが、宇宙人の身体能力なら、どんな高さから落ちた客でも空中でキャッチできるぜ)
彼がトランポリンのバネ(スプリング)を点検していると、マットの裏側から、白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、店からくすねたばかりの【トランポリン用の強力なスプリング(バネ)数十本】と、【バンジージャンプ用の極太ゴムチューブ】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に店の備品を外して!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【空中姿勢制御】だ。あのポンコツのコクピットにある『バランスボール』の四方にこの強力なバネを取り付け、天井から極太ゴムチューブでパイロットを吊り下げる!」
「おっさんをコクピット内で宙吊りにするのか!?」
「そうだ! パイロットは空中に浮かんだ不安定なバランスボールの上で、自らの【三半規管(平衡感覚)】と【体幹】のみを使って重心を移動させる! パイロットが空中で体を捻れば、ゴムとバネが連動して50トンの機体全体が空中で反転するのだ!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーのコクピット内にトランポリンのバネを張り巡らせ、鈴木の胴体をバンジー用のゴムで天井から吊るし、バランスボールを「空中に浮いた状態」に改造したのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、プレハブの窓から差し込む西日を手で遮りながら報告した。
『横浜港・本牧埠頭に、巨大未確認生物47号が出現! 全長50メートルの【宇宙シオマネキ(巨大カニ)】です! 右腕の巨大なハサミは、タンカーを真っ二つにへし折るほどの破壊力を持っています!』
「出たな海鮮怪獣め! 出撃だ鈴木ィ!」
横浜港。
宇宙シオマネキ(47号)が「カチィィィィンッ!!」と巨大な右のハサミを鳴らしながら上陸し、港のコンテナ群を次々と薙ぎ払っていた。
港の周囲には、市民の避難を誘導するため、陸上自衛隊の通常部隊(戦車や装甲車)が展開していた。しかし彼らには、政府から「巨大未確認生物への攻撃はロボット部隊に任せ、通常兵器の無駄撃ちは控えること」という厳命が下っていた。
そこへ、空から白い悪魔・テムロの『Gダム』……は現れなかった(前回工場を吹き飛ばしたペナルティで、トヨハタの役員会から謹慎を食らっているらしい)。神崎の『Gキャノン』も、有線ケーブルの断線修理が終わらず出撃不能だ。
「ギゴ……ギゴ……」と鈍い音を立てて、アースディフェンダーだけが単騎で到着した。
「(ぜぇ……はぁ……)今日は俺一人か! まかせろ!」
宙吊りのバランスボールの上で、プルプルと痙攣しながら鈴木が叫ぶ。
鈴木が接近しようとした、その時だった。
自衛隊のバリケードの最前線にいた、配属されたばかりの若い自衛隊員が、宇宙シオマネキの異様な迫力にパニックを起こし、あろうことか手にしていた【通常兵器(対戦車ロケット弾)】の引き金を、誤って引いてしまったのだ。
『あっ! しまった!』
シュボォォォォォンッ!!
発射された対戦車ロケット弾が、一直線に飛んでいき……宇宙シオマネキの、最も分厚く硬いはずの「巨大な右ハサミ」の根元に直撃した。
誰もが「弾かれる」と思った。今まで、スーパーロボットの超兵器でしか倒せないとされてきた巨大未確認生物だ。ただの歩兵用ロケット弾など、豆鉄砲にもならないはず――。
ドガァァァァァンッ!!!!!
『ギィギャァァァァァァァァッ!?!?』
爆煙が晴れた後。
そこには、右ハサミの関節を【完全に粉砕】され、緑色の体液を吹き出しながら、痛みにのたうち回る宇宙シオマネキの姿があった。
歩兵の撃った通常兵器のロケット弾一発で、あっさりと重傷を負ってしまったのだ。
「「「…………えっ?」」」
現場の自衛隊員たち、避難中の市民、そしてコクピットの鈴木までもが、その光景を見て完全にフリーズした。
「(……あれ? 今の、ただのロケットランチャーだよな……?)」
鈴木の脳内に、猛烈な違和感が走る。
「(もしかして……こいつら、別にアースディフェンダーの丸ノコとか、プラズマとか出さなくても、普通のミサイルや戦車砲で……普通に倒せるんじゃ……?)」
その危険な沈黙を切り裂くように、プレハブ司令室から氷室査察官の、かつてないほど焦燥に満ちた(しかし無理やり冷静さを装った)声がインカムに響き渡った。
『す、鈴木さん!! 見ましたか! 今のは極めて稀な現象です!!』
「へっ? 稀な現象?」
『ええ! あのロケット弾は、怪獣の甲殻の【数ミクロンの分子の隙間】に、数億分の一の確率で奇跡的に入り込んで炸裂したのです! 宝くじに連続で当たるより低い確率です! 通常兵器が効いたわけではありません!』
「そ、そうなのか……?」
『もちろんです! それに、あの怪獣は痛がっているフリをして、自己再生能力を高めているに違いありません! 早く、あなたの『人力スーパーアナログ攻撃』でトドメを刺さないと、世界が終わります!!』
「せ、世界が終わる!? わかった!!」
氷室の必死すぎる詭弁に、極度のマルチタスクで脳の思考力が低下している鈴木は、あっさりと丸め込まれてしまった。
しかし、痛みに怒り狂った宇宙シオマネキ(47号)が、残った左のハサミをショベルカーのように地面に突き立て、アースディフェンダーの足元のアスファルトごと、上空へ向けて豪快に跳ね上げた!
『ズバァァァァンッ!!』
「うわぁぁぁぁっ!?」
50トンのアースディフェンダーが、地上数十メートルの高さまでカチ上げられ、完全に天地逆さまの無防備な状態(背面落下)になってしまった!
『まずいぞ鈴木ィ! そのまま背中から落ちれば、ガムテープが剥がれて機体がバラバラになるぞ!!』
炎城司令官が絶叫する。
その時、鈴木の宙吊りになっているゴムチューブに貼られたメモが目に入った。
『パイロットの同志へ。地に足がつかぬ時こそ、耳の奥の声(三半規管)を聞け。君の腹筋と背筋のひねりが、宙を舞う猫の回転となる。――名もなき宇宙の友人より』
「(……またか! 今度は空中で猫になれって言うのかぁぁぁっ!!)」
天地が逆転し、猛烈なG(重力)が鈴木の内臓を揺さぶる。普通なら一瞬で気絶するか、方向感覚を失う状況だ。
しかし、鈴木は極悪マルチタスク状態のまま、カッと目を見開き、自らの【三半規管(平衡感覚)】を極限まで研ぎ澄ませた!
「(地面は下だ! 重力は下だ!!)」
鈴木は、宙吊りのバランスボールの上で、自らの強靭な【腹筋】【背筋】【腸腰筋】をフル動員し、「グリンッ!!」と凄まじい速度で己の肉体を捻った!
「(内臓が! 脳みそが遠心力で偏るぅぅぅぅっ!!)」
パイロットの強烈な重心移動が、ゴムチューブとトランポリンのバネを通じて機体に伝達される。
すると、真っ逆さまに落下していた50トンのアースディフェンダーが、空中でまるで体操選手のように「クルンッ」と見事な前方宙返り(ハーフ・ツイスト)を決めたのだ!
「いっけぇぇぇぇっ!! エアリアル・リカバリー!!」
空中で完璧に体勢を立て直したアースディフェンダーは、そのまま重力を味方につけ、真下にいる宇宙シオマネキに向けて、右膝の【ブラストビート・バズソー(丸ノコ)】を構えて急降下!
『ギャリギャリギャリギャリッ!!!』
重力加速の乗った飛び膝蹴り(回転ノコギリ)が、宇宙シオマネキの脳天を脳天を真っ二つに叩き割り、怪獣は緑色の飛沫を上げて完全に沈黙した。
『ズドォォォォンッ!!』
そして、アースディフェンダーはショックアブソーバー(自転車のサスペンション)を軋ませながら、まるでオリンピックの体操金メダリストのように、ピタリと微動だにしない完璧な着地を決めたのである。
プレハブ司令室では、炎城司令官が感動のあまりバケツの水を頭からかぶっていた。
「見たか諸君!! これぞ男の空中姿勢制御!! アースディフェンダーが空を舞い、重力すらも味方につけたのだ!! 鈴木ィ! 貴様の三半規管は宇宙一のジャイロセンサーだぁぁっ!!」
広瀬が、先ほどの「ロケット弾の映像」を必死にネット上から削除しながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発の三次元エアリアル・ジャイロを解放! 空中からの急降下攻撃で海鮮怪獣を完全粉砕! ※なお、自衛隊の攻撃は一切無効でした』でリリースします!!」
そして現場。
トランポリン施設の休憩室でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な空中姿勢制御だったぜ! あれなら競輪のレース中、時速70キロで他の自転車と接触して宙に飛ばされても、絶対に落車せず両足で着地できるな!」
しかし、背後から施設長の怒号が飛んだ。
「おい、シルバァ! お前が清掃してた一番人気のトランポリン、バネが全部引き抜かれてマットが床に落ちてるぞ! しかもバンジーのゴムもねえ! 備品窃盗だ! 弁償代として、今月の給料から【2万5千円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、子供たちの歓声に混じって虚しく響き渡る。
そして、見事な空中着地で着地を決めた鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様でした。見事な着地でしたね』
「(ガクガクガク……)ひ、氷室、査察官……俺の、三半規管が……バグってて、地面がずっと回って見えます……吐きそう……」
『ええ。ところで、あなたが空中で体を捻った際、バランスを崩した機体の腕が横浜ベイブリッジのワイヤーの一部を掠めて切断しました。重大なインフラ損壊です』
「えっ」
『さらに、あなたが着地した衝撃でアスファルトに深さ5メートルの巨大なクレーターができ、横浜市の道路局から猛烈なクレームが入りました。これらの賠償金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次はもっとフワッと、羽のように着地してくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
足、腕、首、体幹、肺活量、握力、咬筋、僧帽筋、腹斜筋、大臀筋、動体視力。
そしてついに、【空中に投げ出されても瞬時に天地を把握し、完璧に姿勢を立て直す超絶的な三半規管と空間把握能力】まで強制習得させられた鈴木。
「怪獣は普通に倒せるのではないか?」という一瞬の疑念は、ブラック防衛組織の必死の隠蔽工作と、過酷すぎるマルチタスクの疲労によって、鈴木の記憶の奥底へと追いやられてしまった。
しかし、この小さな綻びが、やがて国家を揺るがす大スキャンダルへと繋がっていくことを、彼らはまだ誰も知らない。




