第6話「氷の死神は、帳簿の底から見下ろす」
壁に大穴が空き、瓦礫と水たまりに覆われた第1格納庫に、コツ……コツ……という硬質なヒールの音が響き渡っていた。
「……西園寺管理官。防衛省から提出された『Mk-II圧倒的出力による想定外の施設損壊』という報告書ですが。先ほど、事後処理班の中村班長から直接【本当の被害総額と、機体がただの鉄パイプの寄せ集めである事実】について、内部告発を受けました」
瓦礫の山を前にして立つその女性は、高級なオーダーメイドのスーツを身に纏い、冷たい知性を感じさせる黒髪を肩で切り揃えていた。
財務省 主計局 特命査察官、氷室。
彼女の透き通るような冷たい視線に射抜かれ、エリート官僚であるはずの西園寺は、まるで蛇に睨まれたカエルのようにガタガタと震えていた。
「ひ、氷室査察官……! そ、それは中村班長の誤解でしてね! 決してハリボテなどでは……!」
「嘘をつくなら、せめて数字のつじつまを合わせてからになさい」
氷室は手元のタブレットを冷酷にスワイプした。
「右足の関節パーツの請求書。【建材用単管パイプ 300本、布ガムテープ 50個】。どう見てもモビルスーツの部品ではなく、工事現場の仮設足場です。これのどこが【未知のナノマシン・コーティング合金】なのですか? ホームセンターの領収書まで添付されていますが」
「ああっ! 経理のバカ! なぜそんな素直に経費精算を……!」
西園寺が頭を抱えて崩れ落ちる横で、法務アドバイザーの黒田が珍しく冷や汗を流しながら口を開いた。
「氷室さん。しかし、アースディフェンダーが国民に与えている【安心感】という心理的価値は、決してゼロでは――」
「法務の黒田さんですね。あなたほどの弁護士が、そんな抽象的な【お気持ち】で国家予算を語るとは呆れました。たった一歩歩いただけで250億円の施設損害を出す兵器の、どこに安心感があるのですか。費用対効果はマイナスです。即刻、このプロジェクトは解体し、機体はスクラップとして売却。皆様には懲戒処分を下します」
氷室の冷徹な死刑宣告に、格納庫の空気が凍りついた。
ついに終わる。国家を騙し続けた巨大な嘘が、この美しい氷の査察官によって暴かれ、裁かれるのだ。
……コクピットの中でそのやり取りを聞いていた鈴木は、思わず涙を流して喜んだ。
(やった……! ついにこの地獄から解放される! ありがとう氷室さん、あなたは正義の女神だ!)
しかし、鈴木の喜びは次の瞬間に粉々に打ち砕かれることとなる。
氷室の冷たい視線が、壁にめり込んだアースディフェンダーの頭部――つまり、鈴木のいるコクピットに向けられたのだ。
「そこにいるパイロットの鈴木さん。あなたの給与明細も見ました。月給80万円。動かないダミーの操縦桿を握っているだけの演技指導料としては、高すぎますね。国民の血税を何だと思っているのですか」
「えっ!? い、いや、俺は騙されて求人に……!」
「言い訳は不要です。プロジェクト解体後、あなたは過去に受け取った給与の全額返還、および今回の施設損壊の【実行犯】として、損害賠償の一部を負担していただきます」
「なんでそうなるんですかあああああっ!?」
正義の女神だと思ったお姉さんは、ただの【数字の悪魔】だった。
鈴木が絶望の淵に突き落とされた、その時。
『緊急警報! 緊急警報! 都内上空に、巨大なエネルギー反応!』
佐藤の気の抜けたアナウンスが、緊迫した格納庫に響いた。
『広瀬さんからの情報です。例の【卑劣な宇宙人(3号)】が、阿佐ヶ谷上空に巨大な光の渦を発生させているとのこと。ネットでは「ついに首都への直接攻撃か!?」とパニックになってます』
その頃、阿佐ヶ谷の古いアパートでは。
シルバーガイ(3号)が、故郷の母親から送られてきた【超高性能な宇宙コタツ】の電源をコンセントに挿したところ、電圧の違いで激しいショートを起こし、アパートの屋根を吹き飛ばすほどのプラズマ放電を発生させてしまっていた。
「やばいやばいやばい! 母ちゃん、なんで変圧器一緒に入れてくれなかったの!? これ絶対また俺が悪者にされるやつじゃん!」
パニックになる宇宙人の姿など知る由もなく、防衛省では「首都決戦」の空気が漂い始めていた。
「ひ、氷室査察官! ご覧の通りです!」
西園寺が、泥水に這いつくばりながらも起死回生の叫びを上げた。
「あの宇宙人は、我が国を滅ぼそうとしています! 今、アースディフェンダーの予算を打ち切れば、国民は『財務省が予算をケチったせいで日本が滅んだ』とあなた方を非難するでしょう! 財務省は、その責任を負えるのですか!」
「……っ」
氷室の美しい眉が、ピクリと動いた。
西園寺の言う通りだった。ここでプロジェクトを解体すれば、これまでに投じた数兆円の予算が【全くの無駄】であったことを、財務省自らが国民に土下座して謝罪しなければならない。内閣は確実に吹き飛ぶ。
氷室の頭脳の中で、凄まじい速度でスーパーコンピューター並みの計算が行われた。
【嘘を暴いて国をパニックにするリスク】と、【嘘に付き合って帳簿を操作するリスク】。
徹底した合理主義者である彼女が導き出した、最も【被害が少なく、帳簿の数字が合う】答えとは。
「……西園寺管理官。そして鈴木さん」
氷室はタブレットを閉じ、冷たく、しかしどこか妖艶な笑みを浮かべた。
「本日の監査は終了です。アースディフェンダーMk-IIは、引き続き我が国の【最強の防衛兵器】として防衛省の管轄下に置くことを承認します」
「おぉっ! 査察官、それはつまり……!」
「ただし!」
氷室の鋭い声が、西園寺の歓喜を切り裂いた。
「今後のプロジェクトの予算管理、および人事権の一切は、この私、氷室が掌握します! 無駄な演出用の特効花火は全廃! 機体の修理は【廃材の再利用】を徹底! さらに、パイロットの鈴木さんの給与は、本日から月給【15万円(交通費自己負担)】に減額します!」
「15万!? ちょっと待ってください、命の危険があるのにフリーター以下の給料!?」
「不服なら、今すぐ損害賠償の請求書をお送りしますが?」
「……喜んで搭乗させていただきます」
鈴木の心は完全に折れた。
西園寺も、権力を全て奪われ、ただの【氷室の操り人形】に成り下がった。
「いいですか皆様。アースディフェンダーは、あの忌まわしい宇宙人(3号)の気を引くための【巨大なデコイ(囮)】としてのみ運用します。絶対に動かさないでください。もし一歩でも歩いてまた施設を壊したら……次こそ全員、東京湾の底でコンクリートの基礎になっていただきます」
氷の死神は、最も恐ろしい形でプロジェクトに君臨した。
嘘で作られたハリボテの巨神は、今日から【極限までコストカットされた、絶対に動いてはいけないブラック企業のシンボル】として生まれ変わったのである。
そして阿佐ヶ谷では、プラズマ放電を必死に素手で抑え込んでいるシルバーガイ(3号)が、泣きながら宇宙の彼方へ愚痴をこぼしていた。
「あちちちっ! だから未開の惑星の電圧は嫌なんだよぉ……誰か、助けてくれぇ……」
人間たちの予算と権力を巡る泥沼の暗闘。
そして宇宙最強の戦士の、限りなく情けない家電トラブル。
両者が交わる日は、まだ少し先のことである。
【キャラクタープロフィール:氷室】
年齢:30歳
役職:財務省 主計局 特命査察官
経歴:容姿端麗、頭脳明晰だが、血も涙もない徹底した合理主義と冷徹さを持つエリート官僚。通称【氷の死神】。前回の「Mk-II暴走(自壊)事故」による莫大な被害額を重く見た財務省トップからの特命で、プロジェクトの解体(予算完全打ち切り)を視野に派遣されてきた。西園寺の天敵。美しい顔立ちから放たれる正論の連打は、言い訳を許さない。生真面目すぎるがゆえに、帳簿の数字のつじつまを合わせるためなら、時に狂気的な判断を下すこともある。




