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第58話「地下迷宮の宇宙鰐と、時給1500円のダンジョン探検バイト(前編)」

 四月。地上では桜が舞い散るうららかな春の陽気が訪れていたが、防衛省の地下司令室には、シベリアの永久凍土すら凌駕するほどの極寒の空気が立ち込めていた。

 無理もない。先のGキャノンとの防衛予算獲得合戦において、アースディフェンダーは「無限の咀嚼エネルギーによる絶対零度攻撃」という凄まじいアナログパワーを見せつけ勝利したものの、その直後、氷室査察官の冷徹な声が司令室に響き渡ったのだ。

「……皆様、残念なお知らせです。我が防衛省の今年度予算ですが、正式に【マイナス】に突入しました」

「マ、マイナスだと!?」炎城司令官が、春だというのに真っ赤なマフラーを巻きながら絶叫した。「予算がゼロならまだしも、マイナスとはどういうことだ!」

「先日の戦闘で、鈴木さんが放った絶対零度の冷気が川崎の工業地帯のパイプラインを凍結・破裂させ、さらにショルダー・パイルバンカーがお台場の地下インフラを完全に破壊しました。国交省からの損害賠償請求が、ついに国家予算の枠組みを超えたのです。このままでは明日にも、防衛省は解体され、私たちは全員、トヨハタ自動車の期間工として工場送りになります」

 その言葉に、整備班の高橋も、広報の広瀬も、ナビゲーターの佐藤も、全員が顔面を蒼白にして絶望の淵に沈んだ。

 だが、氷室の眼鏡の奥だけは、決して光を失ってはいなかった。彼女はタブレットを操作し、メインモニターにある【極秘資料】を映し出した。

「しかし、起死回生の策が一つだけあります」

「策だと? 言ってみろ氷室!」

「先日、当基地のさらに地下深くを地質調査した結果……旧日本軍の防空壕のさらに奥底に、未知の空間領域……いわゆる【広大な地下ダンジョン】が存在していることが判明しました。そして、そこに巣食っている巨大未確認生物群の正体も」

 モニターに映し出されたのは、暗闇の中で赤く光る無数の眼と、分厚い装甲に覆われた巨大な爬虫類のシルエットだった。

「全長20メートルクラスの群れで生息する凶悪な地下怪獣……【宇宙鰐ウチュウワニ】です。奴らは地下の特殊な鉱石を食べて生きているのですが、その消化器官の中で、極めて稀に鉱石が圧縮・結晶化し、体外へ排出されることがあります」

「……鰐のフンか何かか?」

「いえ。医学的に正確に言うならば、宇宙鰐の【尿管結石にょうかんけっせき】です」

「尿管結石!?」

 氷室はゴクリと喉を鳴らし、信じられない言葉を口にした。

「この宇宙鰐の尿管結石は、常温超伝導物質の塊であり、世界のエネルギー問題を一挙に解決するほどの莫大な価値を秘めています。闇市場における取引価格は……なんと、たった一粒で【100億円】です」

「ひゃ、ひゃくおくえん!?」

 司令室の全員が総立ちになった。一粒拾えば100億円。もし十粒拾えば1000億円。防衛省の負債など一瞬で吹き飛び、さらには余りある予算でアースディフェンダーを本物のスーパーロボットに改造することすら夢ではない!

「ぬぉぉぉぉぉっ!! これだ!!」炎城が机に飛び乗り、ガッツポーズを決めた。「地下迷宮の探索! そして一攫千金のお宝探し! これぞ男の最大のロマン、ダンジョン・エクスプローラーではないか!! 鈴木ィ!! 今すぐアースディフェンダーで地下迷宮へダイブし、宇宙鰐の結石を拾い集めてこい!!」

 インカム越しに、コクピットの鈴木の掠れきった声が響く。

『……あのぉ。俺、ロボットのパイロットであって、インディ・ジョーンズじゃないんですけど。だいたい、この巨体でどうやって地下の洞窟なんて進むんですか……』

「気合いだ鈴木ィ! おとこなら、暗闇の恐怖など己の筋肉の躍動で蹴散らせぇぇっ!」

 ――かくして、防衛省の存亡を懸けた前代未聞の【地下迷宮・一攫千金100億円探検ミッション】が幕を開けたのである。

 一方その頃。

 基地の裏口にある搬入口で、ツルハシと巨大なリュックサックを背負い、ヘッドライト付きのヘルメットを被ったジャージ姿の青年が立っていた。

 巨大未確認生物3シルバーガイである。

(時給1,500円の『防衛省直轄・地下探検隊の荷物持ちバイト』! 危険手当がつくから時給が高いし、もしお宝を見つけたら特別ボーナスが出るって求人誌に書いてあったぜ! これで5号(宇宙犬)に最高級のドッグフードを買ってやれる!)

 3号が意気揚々と搬入口に入ると、そこにはすでに、巨大な専用エレベーターに乗せられ、地下へと降下しようとしているアースディフェンダーの姿があった。

「おっ! 鈴木のおっさんも一緒か! 頼もしいぜ!」

 しかし、コクピットの中の鈴木の姿を見て、3号は息を呑んだ。

 現在の鈴木の肉体は、もはや人間の原型を留めないほどの【究極のアナログ筋肉モンスター】へと変貌を遂げていたのである。

 首には重さ20キロのヘルメット。

 口には巨大な犬用のゴム骨とシュノーケル。

 両手には耐荷重150キロの極悪ハンドグリッパー。

 脇の下には熱風を送るパタパタ用ポンプ。

 足元はスノーボードのバインディングでペダルに固定され。

 さらに、バランスボールの上で極限の前傾姿勢エアロフォルムを維持しながら、かかとでツーバスのブラストビートを刻み続けているのだ。

 異常に発達した大胸筋、ワニのようなエラ、丸太のような前腕、そして首が埋まるほど隆起した僧帽筋。その姿は、ダンジョンのボスモンスターよりも遥かに恐ろしい威圧感を放っていた。

『……お、おう、シルバァ……。お前も、金に釣られて……こんな地獄に……』

 鈴木が、ゴム骨を噛みながらモゴモゴと喋る。

「おっさん、筋肉が凄すぎてジャージが弾け飛んでるじゃないか。まあいい、今日は俺がサポートしてやる! 100億円の石、ガンガン拾おうぜ!」

 ゴゴゴゴゴゴッ……!

 重低音と共に、巨大エレベーターが地下何千メートルという深淵へ向けて降下を始めた。

 太陽の光が完全に遮断され、周囲は圧倒的な暗闇と、ジメジメとした湿気、そしてカビの匂いに包まれていく。アースディフェンダーの胸部に設置されたダイナモライトだけが、頼りなく前方を照らしていた。

『……司令官、氷室査察官。地下迷宮の第1層に到着しました。これより前進します……』

 鈴木がシュノーケル越しに報告する。

『了解した鈴木。くれぐれも慎重にな。100億円の石を見つけるまでは、絶対に帰還は許さんぞ』

 氷室の冷たい声が通信機から響く。

 アースディフェンダーが一歩、また一歩と前進する。

 その一歩を踏み出すためだけに、鈴木はバランスボールの上で体幹を極限まで保ち、ペダルを「引き足」で回し、暗闇を索敵するために20キロのヘルメットを被った首を左右に激しく振り続けなければならない。ダンジョンをただ歩くだけで、致死量の乳酸が鈴木の筋肉に蓄積していく。

「(き、きつい……! ただ歩くだけなのに、全身の関節が悲鳴を上げてる……!)」

 3号はアースディフェンダーの足元を軽快に歩きながら、周囲の岩肌をツルハシで叩いていた。

「おっさん、気をつけろよ。この辺りの岩、なんか変だ。空間が歪んでるっていうか、地球の地層じゃないみたいだぜ」

 その時だった。

 ズズズズズズズンッ!!!

 突如として、地下迷宮全体を揺るがすような大地震が発生した。

「な、なんだ!?」3号が踏ん張る。

『うわぁぁぁっ! バランスボールから落ちるぅぅぅっ!』鈴木が必死に体幹で耐える。

 ガラガラガラッ! ドドォォォォン!!

 後方で凄まじい轟音が響いた。二人が振り返ると、乗ってきた巨大エレベーターのシャフトが、完全に崩落した大量の岩盤によって塞がれてしまっていたのだ。

 さらに、崩落の衝撃で、地上と繋がっていた【有線通信ケーブル】が「ブチィッ!」と無惨に引きちぎられてしまった。

『……ザザッ……ピーッ……鈴木さん……聞こえま……ザザザッ……ノルマは……100億……ザザッ……』

 通信機から氷室のノイズ混じりの声が途切れ、完全に沈黙した。

「通信が……切れた……?」

 鈴木が、凍りついたように呟く。

「うおっ、マジか。エレベーターも潰れちゃったし、地上との連絡も取れなくなったな」

 3号はあっけらかんと言った。「まあいいさ。時給は発生し続けてるし、残業代も出るからラッキーだぜ!」

「ラッキーなわけあるかぁぁぁぁっ!!」

 鈴木が絶叫する。「閉じ込められたんだぞ! 飯も水もない! 頼みの綱は、このガムテープだらけのポンコツと、お前が持ってるリュックの非常食だけだぞ!」

 完全に地上から孤立した、地下数千メートルの完全なる密室。

 トラブルによる通信途絶という、探検における最も恐ろしい絶望が二人を襲った。

 しかし、本当の恐怖はここからだった。

 グルルルルルル……。

 ギチギチギチッ……。

 崩落の土煙が晴れた、さらに奥の暗闇から。

 不気味な鳴き声と、硬い鱗が岩肌を擦る音が響いてきた。

「……おい、おっさん。アースディフェンダーのライト、前を照らしてみてくれ」

 3号の声が、少しだけ緊張を帯びていた。

 鈴木がペダルの回転数を上げ、ダイナモライトの光量を最大にする。

『ピカァァァァンッ!』

 光が照らし出した空間。そこには。

 赤黒く光る無数の眼。

 全身を分厚いチタン合金のような鱗で覆い、巨大な鉄骨すら噛み砕くであろう鋭い牙を持った、全長20メートルの巨大な爬虫類――【宇宙鰐】の群れが、文字通り「うじゃうじゃ」と壁や天井に張り付いていたのである。

 その数、ざっと見積もっても50匹以上。

「ヒィィィィッ!! なんだこの数はぁぁぁっ!?」

 鈴木が恐怖のあまり、バランスボールの上で激しく震える。

 ギロリ。

 50匹の宇宙鰐の赤い眼が、一斉にアースディフェンダーと3号を睨みつけた。外敵の侵入に気づき、明確な殺意を向けている。

「まずいぜおっさん! 囲まれた! やるしかない!」

 3号がツルハシを構える。

「無理だ! 50匹も相手にできるわけないだろ! 逃げるんだ!」

 鈴木が逃走しようと、右膝のバズソー(丸ノコ)を起動しようとした、その時である。

 群れの一番前にいた、ひときわ巨大な宇宙鰐が、突然苦しそうに身悶えを始めた。

『グオォォォォ……ッ! ゲロッ!』

 宇宙鰐は口から何かを吐き出した。いや、正確には下半身から排出されたのか、ポロリと、直径2メートルほどの「巨大な石」が地面に転がった。

 その石は、暗闇の中で自ら青白く、神々しいほどの光を放っていた。

「……なんだ、あの光る石?」

 3号がリュックから携帯用の鉱石鑑定機スマホのアプリを取り出し、スキャンする。

『ピピッ。鑑定結果:宇宙鰐の尿管結石。純度99.9%。市場価値:100億円』

「ひゃ、ひゃくおくえん!!?」

 3号の目が「¥」のマークに変わった。

「おっさん! 見ろ! あれが氷室査察官の言ってた100億円の石だ! しかも、あいつらのお腹の中にも、同じように光ってる石がいっぱい見えるぞ!」

 3号の言う通り、宇宙鰐たちの分厚い装甲の隙間、腹部のあたりが、うっすらと青白く発光している個体が何十匹もいた。

 あれが全て100億円。目の前に、数千億円の財宝が転がっているのだ。

「……ごくり」

 鈴木の喉が鳴った。これを持って帰れば、防衛省の借金はチャラ。自分の理不尽な天引きも全て帳消しになり、夢のボーナス生活が待っているかもしれない。

「よし、やるぞシルバァ! 俺の右膝の丸ノコで、奴らの腹を切り裂いて石を取り出してやる!」

 鈴木がかかとでブラストビートを刻み、バズソーを超高速回転させた。

「待て! ストップだおっさん!!」

 3号が慌てて両手を広げて静止する。

「よく考えろ! その丸ノコや、ショルダー・パイルバンカーで攻撃したらどうなる!?」

「どうなるって……鰐を倒せるだろ?」

「鰐だけじゃない! お腹の中にある【100億円の結石】まで真っ二つに叩き割っちまうだろ!! 鑑定機によると、あの石は振動や衝撃に極めて弱い『ガラス細工』みたいな硬度らしいぞ!」

「えっ」

 鈴木は、氷室査察官の顔を思い出した。

『鈴木さん。もし100億円の石を一つでも破壊した場合、あなたの給料から毎月10万円ずつ、約1万年かけて天引きさせていただきますからね』――そんな幻聴が、鈴木の脳裏に鮮明に響き渡った。

「ヒィィィィィッ!! 石を傷つけたら俺の人生が終わるぅぅぅっ!!」

 鈴木は絶叫した。

 つまり、この群れを倒すためには、丸ノコ(切断)も、パイルバンカー(貫通)も、空気砲(爆発)も使えない。石に一切の衝撃を与えずに、宇宙鰐の強靭な肉体だけを無力化し、優しく、赤子を取り上げるように「結石」を摘出しなければならないのだ!

「そ、そんな無茶な……! じゃあどうやって戦えばいいんだよ!」

 グルルルルルッ!!

 宇宙鰐たちが一斉に咆哮を上げ、巨大な顎を開いてアースディフェンダーに襲いかかってきた!

「来たぞおっさん! 命と金、どっちも守り抜く究極のバランスゲームの始まりだ!!」

 3号がツルハシを構えて叫ぶ。

「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」

 地下数千メートルの密室。

 通信途絶。無数の凶悪モンスター。そして、「敵を倒さなければ死ぬが、武器を使えば借金で死ぬ」という究極のジレンマ。

 異常なまでに鍛え上げられた鈴木の肉体と、時給1500円の宇宙人アルバイターの、血と汗と欲望に塗れたダンジョン・サバイバルが、今、絶望の泥沼の中で幕を開けた。

(中編へ続く)

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