第54話「極秘のバーティカル・トルクと、時給1100円のスキーレンタル」
防衛省の地下司令室。
凍てつく二月の寒さが続く中、炎城司令官はメインモニターに映る超高層ビル群を見上げながら、忌々しげに舌打ちをした。
「ぬぉぉぉ……! 壁だ! アースディフェンダーには、垂直の壁を駆け上がる【三次元の機動力】が決定的に足りん!!」
炎城が、熱気で結露した窓ガラスをバンバンと叩く。
「Gタンクは強力だが、あの重たいキャタピラでは急勾配や垂直のビルを登ることはできん! もし怪獣が高層建築物の上に陣取ったらどうする! スーパーロボットたるもの、スパイダーマンのように壁を這い上がり、高高度から敵を強襲する『アンチグラビティ・ドライブ』が必要なのだ!!」
氷室査察官が、静電気でバチッと鳴ったタブレットを無表情でスワイプする。
「重力制御装置など、NASAでも開発できていません。我が防衛省の予算で可能なのは、せいぜい機体の手足に【窓拭き用の吸盤】を取り付けることくらいです」
「馬鹿者! 重力など気合いでへし折れ! パイロットの魂の登坂力で、壁に爪痕を刻み込むのだ!!」
インカムから、鈴木の怨念に満ちた、もはやこの世の物とは思えないうめき声が響いた。
『……あのぉ。俺、もう【バランスボール】の上で【前傾姿勢】を取りながら、【脇をパタパタ】させて、【首を振り回し】、【口にシュノーケル】を咥え、【両手で150キロのグリッパー】を握り潰し、【かかとでブラストビート】を刻んでるんですよ。これ以上、どうやって壁を登れって言うんですか。俺は昆虫ですか……』
「己の足の筋力を信じろ鈴木ィ! 漢なら、大地だけでなく天へ向かってペダルを回せぇぇっ!」
一方その頃。
東京近郊の室内スキー場。暖房の効いたレンタルコーナーで、スタッフジャンパーを着た青年――巨大未確認生物3号が、返却されたスノーボードの雪を払っていた。
(時給1,100円の『スキー場レンタルスタッフ』! 室内だから寒くないし、ボードのメンテナンスも宇宙人の器用さなら一瞬で終わるぜ)
彼がスノーボードの金具を調整していると、大量のボードの影から、白衣の天才科学者ハカセイダーが音もなく現れた。その両手には、ボードから取り外されたばかりの【頑丈なスノーボード用バインディング(足を固定する金具)】が握られていた。
「ハカセイダー! お前また勝手に客のボードから部品を!」
「フフフ。シルバァ、アースディフェンダーの次なる進化は【極限の登坂力】だ。あのポンコツの自転車ペダルに、このバインディングを直接ボルトで打ち込む!」
「ペダルに足を固定するのか!? 転んだら危ないじゃないか!」
「それが狙いだ! 今まであのパイロットは、ペダルを『踏み込む(プッシュ)』力だけで機体を動かしていた。だが足を固定すれば、ペダルを『引き上げる(プル)』力……すなわち【引き足】が使えるようになる! 腸腰筋とハムストリングスをフル動員した完全無欠のペダリングが、50トンの機体を垂直の壁すら登らせる無限のトルクを生み出すのだ!」
その夜、二人の宇宙人は屋外演習場へ侵入。
アースディフェンダーの足裏(塩ビパイプの先端)に、建設現場からくすねた【アイゼン(氷壁登攀用の巨大な爪)】をガムテープで固定し、コクピットのペダルに、スノーボードのバインディングをガッチリと溶接したのである。
翌日。
『緊急事態発生です!』
佐藤が、スマホの画面でパズルゲームの連鎖をキメながら報告した。
『東京スカイツリーに、巨大未確認生物39号が出現! 全長40メートルの【宇宙ゲッコー(巨大ヤモリ)】です! 奴は吸盤状の足でツリーの中腹に張り付き、強力な電磁パルスを放って都内の通信網を麻痺させています!』
「出たな高所の悪魔め! 出撃だ鈴木ィ!」
東京・押上。
宇宙ゲッコー(39号)が、東京スカイツリーの展望台のすぐ下にへばりつき、「ギュルルルッ!」と鳴きながら電磁波を撒き散らしていた。
そこへ、キャタピラの轟音と共にGタンクが到着する。
『――チッ。高すぎる。トヨハタのAI弾道計算でも、あの仰角では主砲が届かん』
神崎流星が、珍しく苦々しい声を漏らす。
『無理に撃ち上げれば、ミサイルが外れた際にスカイツリーの展望台を直撃してしまう。キャタピラでは壁を登ることも不可能だ……!』
地上から見上げることしかできないGタンク。
そこへ、「ギゴ……ギゴ……」と鈍い音を立ててアースディフェンダーが到着した。
「神崎! 展望台にはまだ人がいるんだろ! 俺が登る!」
鈴木がシュノーケルを咥えたまま叫ぶ。
『無茶を言うなポンコツ! お前の機体に空を飛ぶ機能も、壁を登る機能もないだろう!』
その時、鈴木の足元――いつの間にかペダルに設置されていた【スノーボード用のバインディング】に、両足の安全靴が「カチャッ! ガコンッ!」と強制的にロックされた!
「えっ!? 足が!? ペダルから足が離れない!?」
パニックになる鈴木の目の前に、一枚のメモが貼られていた。
『パイロットの同志へ。足は板と一体化した。踏み込むだけでは足りない。膝を胸に引き寄せろ。君の腸腰筋の収縮が、天へ昇る鋼の螺旋となる。――名もなき宇宙の友人より』
「……またか! 今度は引き足(ハムストリングスと腸腰筋)の酷使かぁぁぁっ!!」
鈴木は絶望しながらも、スカイツリーの鉄骨にアースディフェンダーの手と足を引っ掛けた。
そして、バランスボールの上で【前傾姿勢】を保ち、脇で【ポンプをパタパタ】させ、両手で【150キロのグリッパー】を握り、口で【シュノーケル呼吸】、頭で【索敵】、かかとで【ブラストビート】を刻みながら……!
ついに、ペダルを「踏み込む」だけでなく、固定された足でペダルを「猛烈な勢いで引き上げる」という、プロの自転車ロードレーサーのみが習得できる究極の技術【引き足(プッシュ&プル・ペダリング)】を解禁したのである!!
「(太ももの裏が! 股関節の付け根が! ちぎれるぅぅぅぅっ!!)」
踏み込む力と引き上げる力が完全に連動し、ペダルの回転に【一切の死角】がなくなる。
鈴木の放つ純度100%の「完全円運動」が、凄まじいトルク(回転力)となって機体に伝達された!
ガガガガガガガッ!!!
アースディフェンダーの足裏のアイゼンがスカイツリーの鉄骨に深く食い込み、50トンの巨体が、まるで重力を無視した昆虫のように、垂直の壁を「ギュイィィィィンッ!」と凄まじいスピードで駆け上がり始めたのだ!
『……ば、馬鹿な。垂直のタワーを、自転車のペダル駆動で駆け上がっているだと!? 物理学を冒涜している!』
地上で呆然と見上げる神崎が、信じられないものを見る目で震えていた。
「いっけぇぇぇぇっ!!」
瞬く間に地上300メートルの高さまで駆け上がったアースディフェンダー。
鈴木は、壁にへばりついていた宇宙ゲッコー(39号)の背後に回り込むと、ペダルの回転力を限界まで引き上げ、右膝の巨大丸ノコ(バズソー)を起動!
『ギャリギャリギャリギャリッ!!!』
壁に張り付いたまま放たれた超高速の飛び膝蹴りが、宇宙ゲッコーの背中を無慈悲に切り裂いた!
『ギャァァァァァッ!?』
悲鳴を上げてツリーから剥がれ落ちようとする怪獣に向け、鈴木はトドメとばかりに左手のヒモを引き、至近距離から空気砲を発射!
『ボジュォォォォォォォォンッ!!!』
圧縮空気弾が怪獣を空の彼方へ吹き飛ばし、スカイツリーの平和は見事に守り抜かれた。
地下司令室では、炎城司令官が感動のあまり天井にへばりつかんばかりに跳躍していた。
「見たか諸君!! これぞ男の登坂力!! アースディフェンダーが天を駆け、重力の鎖を断ち切ったのだ!! 鈴木ィ! 貴様の腸腰筋は天を穿つドリルだぁぁっ!!」
広瀬が、冷や汗を拭いながらキーボードを叩く。
「完璧です! 『ED、極秘開発のアンチグラビティ・トルク・ドライブにより垂直壁を走破! Gタンクが手出しできない高層の平和を完全制圧!』でリリースします!!」
そして現場。
室内スキー場の休憩室でスマホを見ていた3号は、ガッツポーズをした。
「よしっ! 鈴木のおっさん、見事な『引き足』だったぜ! あれならどんな急勾配の坂道でも、平地と同じスピードで駆け上がれるな!」
しかし、背後からスキー場の支配人の怒号が飛んだ。
「おいシルバァ! お前が整理してたレンタル用スノーボード、全部バインディングの金具だけ外されてるぞ! 窃盗と器物損壊だ! 弁償代として、今月の給料から【2万5千円】天引きだ!!」
「うそぉぉぉぉぉぉぉん!!」
3号の絶叫が、人工雪の降るゲレンデに虚しく響き渡る。
そして、見事な壁走りで怪獣を撃破した鈴木にも、氷室査察官からの事務的な死刑宣告が届いていた。
『……鈴木さん。お疲れ様です。見事な垂直登攀でした』
「ひ、氷室、査察官……俺の、太ももの裏が……痙攣して、足がペダルから外せません……助けて……」
『ええ。ところで、あなたが壁を駆け上がった際、機体の足が東京スカイツリーの鉄骨に無数の傷をつけました。文化財保護法および建造物損壊に該当します』
「えっ」
『さらに、操縦席で足を固定する器具を無断装着したことは、緊急時の脱出を妨げる【重大な安全義務違反】です。これらの補修費および罰金として、今月の給与から【3万5千円】を天引きさせていただきます。次は傷をつけず、いつでも逃げられる状態で登ってくださいね』
「理不尽すぎるだろおおおおおおおおっ!!」
バランスボールでの重心制御、極限の前傾姿勢、大胸筋のパタパタ、肺活量、握力に加え……。
ついに【足を固定し、「踏み込む力」と「引き上げる力」を完全に融合させた、一ミリの無駄もない究極のペダリング技術(プッシュ&プル)】までをも強制習得させられた鈴木。
もはや彼の肉体は、防衛省という名の拷問部屋によって、「地球防衛」という本来の目的すら超越した【完全無欠のペダリング・モンスター】へと、完成の時を迎えつつあったのである。




