第3話「正義の代償は、請求書と共にやってくる」
「……班長、第4ブロックの切断作業、チェーンソーの刃がこぼれました! 皮膚が硬すぎて、これ以上は……それに、内臓から漏れ出した体液のせいで、作業員のガスマスクのフィルターが限界です!」
房総半島の沿岸部。巨大未確認生物2号(通称:ハナミズ)が絶命した現場は、文字通りの地獄と化していた。
防護服に身を包んだ事後処理班長の中村は、報告に駆け寄ってきた部下を一瞥し、重いため息をついた。
「刃がこぼれたなら予備と交換しろ。予備がないならホームセンターで買ってこい。予算は……俺の自腹だ。フィルターはあと30分もたせろ。いいか、このまま日差しが強くなれば、腐敗ガスが膨張して腹が爆発するぞ。そうなったら、この一帯はむこう10年は人が住めなくなる」
全長60メートル、推定重量数万トンの巨大な生ゴミ。
それが、ヒーローが怪獣を倒した後に残される、残酷な現実だった。
周辺半径5キロには、嗅いだことのないような強烈な生臭さとアンモニア臭が充満し、避難所からは「臭くて眠れない」「洗濯物が干せない」という怒号のようなクレームが殺到している。
中村はマイボトルに入った胃薬の溶液を流し込み、濁った目で天を仰いだ。
「あの銀色の宇宙人……倒すなら倒すで、宇宙に持って帰ってくれよ。なんで不法投棄していくんだ……」
一方その頃、冷房の効いた防衛省の地下会議室では、全く別の次元の地獄が展開されていた。
「西園寺管理官。こちらが、今回の房総半島防衛戦における【暫定の損害賠償請求リスト】です」
法務・損害査定アドバイザーの黒田は、一切の感情を交えない事務的な手つきで、分厚いファイルの束をテーブルに放り投げた。
西園寺は忌々しそうにそのファイルをめくり、数秒後に目を見開いた。
「な、なんだこの金額は!? 300億円!? 倒壊したビル3棟と、国道バイパスの復旧費用……これを全て国が持つというのか!」
「ええ、当然です」
黒田はチタンフレームの眼鏡を中指で押し上げ、冷酷に事実を突きつけた。
「広報の広瀬さんの素晴らしい【スピンコントロール】のおかげで、世間では『アースディフェンダーの極太レーザーが怪獣に命中し、その衝撃で怪獣が倒れ込んでビルを破壊した』という認識になっています。つまり、ビルの倒壊は【防衛省の兵器による二次被害】であると法的に解釈されます。国家賠償法に基づく正当な請求ですよ」
「ば、馬鹿な! 実際に怪獣を殴り倒したのは、あの忌々しい銀色の宇宙人(3号)ではないか! 我々のアースディフェンダーは、台車の上でポーズを取っていただけだぞ!」
西園寺の悲鳴に近い反論に、黒田は鼻で笑った。
「では、世間にそう公表しますか? 『本当はアースディフェンダーは歩くことすらできないハリボテで、ビルを壊したのは正体不明の宇宙人でした。だから国に賠償責任はありません』と。……来期の予算、ゼロになりますよ」
その言葉に、西園寺は喉の奥でカエルが潰れたような奇声を上げて黙り込んだ。
嘘を突き通すなら、賠償金も被らなければならない。ヒーローの看板には、莫大な維持費がかかるのだ。
「……広瀬くん。この賠償金を、なんとかあの3号(宇宙人)に押し付ける法的な理屈は作れないか?」
「無理ですね」
会議室の隅でノートパソコンを叩いていた広瀬が、即座に切り捨てた。
「相手は身元不明の宇宙人です。内容証明郵便の送り先すらわかりません。それに、世間では『倒したのはアースディフェンダー、トドメを刺そうとした卑劣な宇宙人を我々が追い払った』というストーリーで既にバズっています。今更設定は変更できません」
西園寺は頭を抱え、机に突っ伏した。
予算を確保するために嘘をつき、その嘘を守るために予算以上の賠償金を払う。完全な自転車操業、あるいは無間地獄である。
「……黒田くん。事後処理班から、解体費用の追加予算請求が来ているんだが」
「却下です。そんなお金はどこにもありません。代わりに、良いアイデアがありますよ。アースディフェンダーを【解体用の重機】として現場に投入すればいいんです。あれの右腕、元々は建設用のクレーンでしょう?」
黒田の悪魔のような提案が、さらなる悲劇を生むことになった。
数時間後、房総半島の解体現場。
『ちょっと! そこのデカブツ! 右腕のクレーン、もっと下げて! 怪獣の尻尾の肉塊、そっちに吊り上げるから!』
地上の事後処理班の怒号が、外部マイクを通じてコクピットに響き渡る。
アースディフェンダーのコクピットは、巨大な冷蔵庫の裏側のような不快な熱気と、フィルター越しに侵入してくる死臭によって、最悪の環境となっていた。
「なんで……なんで俺が、ロボットに乗って生ゴミの片付けなんか……オエッ……」
鈴木は涙目になりながら、ダミーの操縦桿ではなく、足元に隠された【本物のクレーン操作パネル】のレバーを引いていた。
アースディフェンダーは現在、その立派な装甲を腐った体液でドロドロに汚しながら、ただの巨大なクレーン車として解体作業に従事させられている。
「我慢してください鈴木さん。これも国の平和と予算のためです。あ、右腕のワイヤー、また少し軋んでますよ。テンション調整気をつけてくださいね」
「佐藤さん! あんた通信越しだからって気楽すぎるだろ! この匂い嗅いでみろよ! 胃薬が全く効かないんだよ!」
「私は今、拠点防衛ゲームのイベント周回で忙しいんです。あ、ガチャ爆死した……最悪」
鈴木が地獄の底でクレーンを操作している間。
現場から遠く離れた、都内の古い木造アパートの四畳半。
「……くっさ。なんか今日、風向きのせいかめっちゃ臭いな」
銀色の救世主(3号)こと、シルバーガイは、地球人の青年の姿に擬態したまま、鼻をつまんで窓をピシャリと閉めた。
ちゃぶ台の上には、スーパーで半額になったサンマの塩焼きと、発泡酒の空き缶が転がっている。
彼はブラウン管のテレビに映るニュース番組を、恨めしそうに睨みつけていた。
『連日続く怪獣の解体作業! 悪臭に苦しむ住民からは、卑劣なハイエナ宇宙人・第3号に対する怒りの声が上がっています!』
『専門家によりますと、あの宇宙人が余計なちょっかいを出さなければ、アースディフェンダーのレーザーで死体ごと消滅させられていたはずだと――』
「……はぁ!?」
青年は発泡酒の缶を握り潰した。
「ふざけんなよ! あのトカゲ、俺が気絶させなかったらクシャミで関東平野更地になってたぞ!? なんで俺のせいで臭いことになってんだよ!」
彼は自身のズボンのポケットから、銀色に光る奇妙な通信機(宇宙平和維持軍の支給品)を取り出し、上司へと通話を繋いだ。
「あ、もしもし課長? 俺です、極東第3セクター担当の……はい。あの、ちょっとご相談なんですけど。この星の住民、認知が歪みすぎてて任務の遂行に支障が……え? 労災は下りない? 精神的なダメージは自己責任? いや、そういう問題じゃなくて……」
ブツッ、と冷酷に切られた通信機を見つめ、青年は畳の上に大の字に寝転がった。
「……帰りたい。実家の星に帰りたい」
正義のヒーローに憧れて就いたはずの職業は、とんでもないブラック勤務だった。
予算のために嘘を重ねる役人たち、それに振り回される現場のサラリーマンと死体処理業者、そして一番の功労者なのに悪者にされる宇宙人。
地球の平和は、今日も誰かの胃痛と理不尽なストレスによって、ギリギリのところで維持されていた。
【キャラクタープロフィール:中村】
年齢:45歳
役職:防衛省 巨大未確認生物事後処理班長
経歴:倒された怪獣の死体解体、焼却、防臭処理を担当する最も過酷な部署の長。SF的な夢や希望など1ミリも持っていない超現実主義者。常に死臭と住民からのクレームに晒されており、目は完全に死んでいる。マイボトルの中身は強めの胃薬を溶かした水。
【キャラクタープロフィール:黒田】
年齢:38歳
役職:防衛省 法務・損害査定アドバイザー(今回初登場の8人目のレギュラー)
経歴:元エリート弁護士で、怪獣災害における損害賠償と法的責任の切り分けを行うプロフェッショナル。アースディフェンダーのハリボテ事情を知る数少ない人間の一人。西園寺の隠蔽工作がもたらす【法的なツケ】を冷酷に計算し、容赦なく請求書を突きつける。




