第29話「巨神の棚卸しと、空洞に住む妖精」
防衛省の地下司令室。五月も終わりに近づき、蒸し暑くなり始めた外気とは対照的に、そこには身を切るような冷酷な空気が張り詰めていた。
法務・監査担当の黒田が、分厚いバインダーを机に置き、神経質に眼鏡を押し上げた。
「……氷室査察官。来月の【省内一斉・資産棚卸し】の件ですが。アースディフェンダーの機体に関しても、すべての部品の在庫確認と、バーコードによるスキャンを義務付けるよう、財務省から通達が来ています」
「当然です」氷室は冷たい紅茶をすすった。「機体を構成する単管パイプの一本、固定用ワイヤーの1メートル、そして【補強用布ガムテープ】の1巻きに至るまで、すべてが国民の血税(資産)です。田中班長、明日までに機体の全パーツをカウントし、台帳と突き合わせなさい」
インカムの向こうで、整備の田中班長が絶望の声を上げた。
『無茶言うな氷室査察官! 全高50メートルの機体に、何万メートルのガムテープが巻かれてると思ってるんだ! うちの整備班だけじゃ、徹夜したって数え切れねえぞ!』
「人手が足りないなら、外部の【棚卸し専門の派遣スタッフ】を雇います。コストはもちろん、一番安い業者で」
かくして、人類の最終兵器の内部(という名のすきま風だらけの空間)に、名もなき非正規労働者たちが送り込まれることになった。
翌日の演習場。
初夏の陽射しに照らされるアースディフェンダーの足元には、ヘルメットを被り、バーコードリーダーを持った数名の派遣作業員が集められていた。
その中に、ジャージの上に安全ベストを着た青年――巨大未確認生物3号の姿があった。
(時給1,150円の『大型倉庫内・在庫カウント業務』って聞いて来たのに……。なんでまた、このボロいロボットのところなんだよ……!)
3号は天を仰いだ。彼は今、アースディフェンダーの【巨大な右脚の装甲の裏側(空洞)】にハシゴで登り、暗闇の中でペンライトを頼りに作業をしていた。
「ええと、塩ビパイプのジョイント部分……バーコード『ピッ』。固定用ナイロンバンド……『ピッ』。……って、中身スッカスカじゃねえか!」
彼はあきれ果てていた。外から見れば重厚なロボットだが、装甲の裏側はただの足場とパイプが組まれているだけで、風が吹くたびにヒューヒューと音が鳴る。
(こんな空洞だらけのハリボテの中で、あのおっさん(鈴木)は毎日命懸けで乗ってるのか……。マジで泣けてくるな)
その鈴木はといえば、コクピットの中で、ダミーのコンソールに並んだ無数の【光らないボタン】を一つ一つ指差し確認で数えさせられていた。
「……ダミーボタン341、342……ああもう、ゲシュタルト崩壊してきた……」
誰もが不毛な単純作業に精神をすり減らしていた、その時である。
『ピピピピッ! 緊急事態です!』
司令室の佐藤が、スマホのパズルゲームのコンボを途切れさせることなく報告した。
『演習場の上空に、巨大未確認生物15号が出現しました! 全長20メートルの、巨大な【宇宙ダニ】です!』
「ダ、ダニだと!?」西園寺管理官が顔をしかめる。
「はい。宇宙船の外装に張り付いて、微弱な静電気や金属イオンを吸い取る厄介な寄生虫です。……ああっ! 15号が、アースディフェンダーの胸部装甲に張り付きました!」
ドスッ!という鈍い音と共に、巨大な宇宙ダニ(15号)が、アースディフェンダーの胸のど真ん中にしがみついた。
「いかん! 奴にエネルギーを吸い取られてしまうぞ!」
西園寺が叫ぶが、高橋が冷静(かつ悲惨)なツッコミを入れた。
「吸い取られるエネルギーなんてありませんよ! エンジン積んでないんですから! でも、あんな巨大なダニに物理的にしがみつかれたら、胸部の【塩ビパイプの骨組み】が自重でひしゃげます!」
高橋の危惧は的中した。
ミシミシ……メキメキッ……!
ダニの重みと締め付けにより、アースディフェンダーの胸部の装甲が内側に向かって凹み始めたのである。
「ひぃぃぃっ! コクピットの床が圧迫されてるぅぅ!」
鈴木が絶叫する。
だが、この状況に最も焦り、激怒していたのは鈴木ではなかった。
ちょうどその真裏、胸部装甲の【内側の空洞】で、バーコードリーダーを片手に棚卸し作業をしていた3号である。
(うわあああっ! 装甲が内側に凹んできた!? ちょっと待て、俺が今さっきカウントしたばかりの【胸部固定用ガムテープ(ロット番号A-45)】が千切れそうになってるじゃないか!)
3号はパニックになった。
もしここで装甲が崩壊すれば、彼が半日かけてスキャンした棚卸しのデータがすべてパーになり、時給が支払われなくなるかもしれないのだ。
「俺の! 棚卸しデータを! 壊すなぁぁぁっ!!」
3号は、迫り来る胸部装甲(の裏側)に向かって、人間の姿のまま、渾身の【ドロップキック】を放った。
宇宙最強の戦士の脚力が、内側から装甲板を猛烈な勢いで蹴り飛ばす。
『ドゴォォォォォォンッ!!!』
凄まじい衝撃音と共に、アースディフェンダーの胸部装甲が、外側に張り付いていた宇宙ダニ(15号)もろとも、ミサイルのように前方に吹き飛んでいった。
『ギュェェェェッ!?』
想定外の「内側からの爆発的な物理反発」を受けた15号は、そのまま空の彼方へと弾き飛ばされ、二度と地球に降りてくることはなかった。
「……お、おおっ!?」
司令室の西園寺が、モニターを見て歓喜の声を上げた。
「胸部の装甲が弾け飛んで、敵を撃退したぞ! いったい何が起きたのだ!?」
すかさず、広瀬の指がキーボードの上で踊る。
「西園寺管理官! アースディフェンダーは、敵の寄生を感知し、瞬時に【リアクティブ・アーマー(爆発反応装甲)】をパージして敵を吹き飛ばしたのです!!」
「おおおっ! 装甲を犠牲にして本体を守る、究極の防御システム! 中身の空洞は、その爆発の衝撃を逃がすための計算されたクリアランス(隙間)だったのか!」
「素晴らしい! すぐに『ED、次世代リアクティブ・アーマーで寄生怪獣を完全粉砕!』というニュースを流します!」
司令室はまたしても、スピンコントロールの魔法によって大勝利の喜びに包まれた。
氷室査察官も、タブレットを見つめながら静かに頷く。
「見事です。胸部装甲が吹き飛んだことで、その分の棚卸し作業がショートカットできましたね。コスト削減の観点からも完璧です」
……そして、現場。
ポッカリと大穴が開いたアースディフェンダーの胸の空洞から、3号がゼェゼェと息を切らしながら顔を出した。
「……あぶねぇ。なんとかデータは守ったぞ……」
彼は吹き飛んだ装甲板の行方を気にしつつ、自分のバーコードリーダーのデータが正常であることを確認して、安堵の息を吐いた。
数時間後。
すべての棚卸し作業を終え、派遣会社の現場監督から給与袋を受け取った3号は、その中身を見て絶句した。
「……あの、監督。給料が予定より【3,000円】少ないんですけど」
「ああ、シルバァくん。君が担当してたエリアの『胸部装甲』が、途中で紛失(吹き飛んだ)しただろ? 派遣元の規定で、担当エリアの備品を紛失した場合、連帯責任でペナルティが引かれるんだよ。お疲れさん!」
「理不尽すぎるだろぉぉぉっ!!」
3号の悲痛な叫びが、初夏の夕暮れに虚しく響き渡る。
さらに、コクピットの鈴木にも、非情な連絡が入っていた。
『……鈴木さん。お疲れ様です』
インカムから、黒田の事務的な声が響く。
『監査の結果、機体の胸部装甲1枚が【棚卸し時の欠損】として処理されました。パイロットであるあなたの管理責任が問われ、今月のボーナス査定からマイナスポイントがつきますので、ご承知おきください』
「俺、中でボタン数えてただけなのにぃぃっ!」
人類の希望と宇宙最強の戦士は、今日も「会社(組織)の理不尽なシステム」という、怪獣よりも恐ろしい敵の前に、等しく涙を流すのであった。




