第28話「巨神の大掃除と、時給換算の絶望」
防衛省の地下司令室。メインモニターには、秋葉原の広場から撤収され、関東郊外の屋外演習場に戻されたアースディフェンダーの姿が映し出されていた。
しかし、その姿は惨憺たるものだった。スモッグ怪獣の煤とゲリラ豪雨の泥水を浴び、さらに機体に貼られたスポンサーのロゴシール(家庭用プリンター印刷)がドロドロに溶け、まるで呪われた廃墟のようになっている。
「……氷室査察官。スポンサー各社からクレームが殺到しています」
広報の広瀬が青ざめた顔で報告した。
「『我々のロゴが汚物まみれになっている』『クリーンなイメージが丸潰れだ』と。このままでは来月の広告契約が打ち切られます!」
「いかん! 貴重な資金源が!」西園寺管理官が慌てふためく。「田中班長! ただちに整備班を総動員して、アースディフェンダーをピカピカに洗車したまえ!」
インカム越しに、田中班長の怒号が響いた。
『無茶言うな管理官! 全高50メートルの機体を洗うには、巨大な足場と高圧洗浄機、それに高所作業の専門業者が必須だ! 見積もりを取ったら、最低でも【2,000万円】はかかると言われたぞ!』
「に、にせんまん……」
西園寺が白目を剥きかけたその時、氷室査察官が冷ややかにタブレットをスワイプした。
「ご安心を。すでに清掃業者は手配済みです。昨夜、民間の【ギグワーク(単発バイト)マッチングアプリ】で、『大型モニュメントの外壁清掃・日給8,000円』で募集をかけたところ、見事に引っかかった物好きが一人いましたから」
「全高50メートルのロボットを、日給8,000円の素人一人に洗わせる気ですか!?」
「ええ。コストは専門業者の【2500分の1】です」
氷室の悪魔的なコストカットに司令室が戦慄する中、現場の演習場では、その「物好き」が絶望の淵に立たされていた。
「……嘘だろ。大型モニュメントって、この前俺が北海道から引っ張ってきた、あのハリボテロボットじゃないか……」
ジャージの上に安全帯を装着し、バケツとスポンジを持った青年――巨大未確認生物3号は、目の前にそびえ立つ巨大な鉄クズを見上げて途方に暮れていた。
(アプリには『ちょっと大きなモニュメントです☆』って書いてあったのに! これ、完全に特殊清掃レベルのデカさじゃん! 日給8,000円じゃ絶対に割に合わない!)
しかし、宇宙犬(5号)のワクチン代を稼がなければならない3号は、泣く泣く命綱を機体の頭頂部に引っ掛け、宙吊りになりながら清掃を開始した。
「ゴシゴシ……うわっ、この装甲、スポンジで擦っただけで塗装が剥がれたぞ! 下から塩ビパイプが見えてる!」
3号は慌てて自分のポケットから【マイ・ガムテープ】を取り出し、剥がれた部分をこっそり補修した。
そのままロープでスルスルと下がり、コクピットの窓ガラス(※ただのアクリル板)をワイパーで磨き始めた、その時である。
「……えっ?」
窓の向こう側から、死んだ魚のような目をしたパイロットの鈴木が、力なくこちらを見つめていた。鈴木は今日も「いつ視察が来てもいいように」という理由で、意味もなくコクピットに軟禁されていたのだ。
3号と鈴木。
窓ガラスを隔てて、宇宙最強の戦士と、人類の(偽りの)希望が、静かに視線を交えさせた。
(……おっさん。こんな狭くて暑いところで、毎日何もしないで座ってるのか。しかも手取り15万で……)
3号の目に、同情の涙が浮かぶ。
彼は無言で窓ガラスをピカピカに磨き上げると、鈴木に向かって「頑張れよ」と親指を立てた(サムズアップ)。
鈴木もまた、涙ぐみながらサムズアップを返した。
(ありがとう、名前も知らない清掃員のお兄さん……。防衛省のエリートたちより、底辺で働く君の優しさが心に染みるよ……)
言葉は通じなくとも、過酷な労働環境に身を置く者同士の、熱い連帯感が生まれた瞬間であった。
しかし、そんな感動的なシーンをぶち壊すサイレンが、演習場に鳴り響いた。
『緊急事態です!』
司令室の佐藤が、スマホの【パワーウォッシュシミュレーター】をポーズして報告した。
『上空から、巨大未確認生物14号が急降下してきます! 全長数十メートルの、巨大な【宇宙カラス】です!』
「宇宙カラスだと!?」
「はい。奴らは【光り輝くもの】を収集する習性があります。……あっ! 3号が頭部をピカピカに磨き上げたせいで、アースディフェンダーの頭が太陽光を反射して、猛烈に輝いています! 14号のターゲットにされました!」
佐藤の言う通り、上空から巨大なカラス怪獣(14号)が、アースディフェンダーの頭部めがけて一直線に滑空してきていた。
「いかん! 洗車したばかりの機体が傷つく!」西園寺が叫ぶ。
「傷つく程度ならいいですが……」高橋が青ざめた。「カラス怪獣のお尻が膨らんでます! 奴ら、獲物を奪う前に、威嚇のために【超強力な強酸性のフン】を落とす気です!」
「なんだと!? そんなものを浴びたら、ガムテープが溶けて機体が完全に崩壊するぞ!」
ドピュッ!
14号の巨大な尻から、ダンプカーほどの大きさの【緑色に輝く強酸性の汚物】が、アースディフェンダーの頭部めがけて投下された。
絶体絶命。誰もが目を覆った、その時。
(ふ、ふざけるなぁぁっ!!)
コクピットの窓の外で宙吊りになっていた3号が、激怒していた。
(俺が! 俺がさっきから汗水垂らして、1時間もかけて磨き上げた窓ガラスだぞ!! それをウンコで汚す気か!! 俺の日給8,000円の成果を無駄にされてたまるかぁぁっ!!)
職人のプライド(と徒労への恐怖)が、宇宙人を突き動かした。
3号は命綱を蹴り飛ばし、空中へ向かって大ジャンプ。
人間の姿のまま、手に持っていた【窓拭き用のワイパー(T字型のゴムベラ)】を、野球のバットのように構えた。
「俺の! 労働を! ナメるなぁぁっ!!」
落下してくる巨大な強酸性の汚物に対し、3号は渾身のフルスイングを放った。
『ベチィィィィンッ!!』
ワイパーのゴムが凄まじい衝撃波を生み出し、汚物の塊を【完璧な軌道で打ち返し】たのである。
『カァァッ!?』
打ち返された強酸性の汚物は、そのまま14号(宇宙カラス)の顔面にクリーンヒット。
自らの汚物を浴びた14号は、目を回して『カァァァ〜……』と情けない声を上げながら、遠くの山奥へと墜落していった。
「……お、おおおおっ!?」
司令室の西園寺が、モニターを見て歓喜の声を上げた。
「汚物が空中で跳ね返ったぞ! いったい何が起きたのだ!?」
広瀬が、目にも留まらぬ速さでタイピングを開始する。
「チャンスです西園寺管理官! アースディフェンダーの表面に塗布された【最新鋭の防汚・超撥水ナノコーティング】が、敵の強酸性攻撃を物理的に弾き返したのです!!」
「素晴らしい!! つまり今回の洗車は、単なる清掃ではなく【最新鋭の防御コーティング実験】だったというわけだな!」
「はい! スポンサー各社に『いかなる汚れも跳ね返すクリーンな巨神』として大々的にアピールできます!」
スピンコントロールは見事にキマり、氷室査察官も「清掃代8,000円でこれほどの宣伝効果。最高の投資でしたね」と満足げに頷いた。
そして、現場。
空中でワイパーを振り抜いた3号は、そのままアースディフェンダーの肩に着地し、安堵の息を吐いていた。
「……ふぅ、危なかった。窓ガラスは無事だな」
彼が再びロープを伝って地上へ降りようとした時、スマホのギグワークアプリに通知が届いた。
『業務完了の報告を受け付けました。しかし、支給した清掃用具が激しく湾曲し破損しているため、用具の弁償代として【7,500円】を天引きさせていただきます。本日の給与振り込み額は【500円】となります。お疲れ様でした☆』
「……ごひゃくえん?」
3号は、完全にひしゃげて使い物にならなくなったワイパーを握りしめ、初夏の青空に向かって声にならない絶叫を上げた。
そして、コクピットの中の鈴木にも、非情な連絡が入っていた。
『……あ、鈴木さん。お疲れ様です』
インカムから、佐藤の気怠い声が響く。
『氷室査察官からの伝達です。本日、外部業者が窓ガラスを清掃している間、鈴木さんは【コクピットの最前列で、清掃という名のエンターテインメントを無断で鑑賞した】とみなされました』
「は!?」
『つきましては、VIP席での観覧料として、今月の給与から【3,000円】を天引きするそうです。あ、私FF2の裏ボス倒したので今日は定時で帰りますね。おつかれー』
「鬼かあああああああっ!!」
鈴木の涙が、ピカピカに磨き上げられた窓ガラスを内側から濡らしていく。
宇宙最強の戦士と、人類の希望のパイロット。
二人の底辺労働者の心は、理不尽な天引きの前に、今日もしっかりと一つに結ばれているのであった。




