第18話「42%の株式譲渡と、蝦夷地の巨大ヒグマ」
防衛省の地下司令室。五月の連休が明けたばかりの気怠い空気の中、氷室査察官が分厚い書類の束をテーブルに叩きつけた。
「西園寺管理官。ここにサインを。本日付で締結する【株式会社エゾ】との株式譲渡契約書です」
「か、株式会社エゾ? 確か、アースディフェンダーの関節に使っている単管パイプと、装甲の隙間を埋めるブルーシートを納入している北海道の資材メーカーでしたね。なぜ我が省が突然、そんな会社を買収するのですか?」
「コスト削減のためです」
氷室は眼鏡の奥の目を光らせた。
「今回、我々はこの譲渡契約により、株式会社エゾの株式の【42%】を取得します。過半数には達しませんが、この持分と議決権を確保することで、役員会での拒否権を握り、実質的に経営をコントロールできます。これにより、今後のパイプとガムテープの調達コストは限りなくゼロに近づきます」
「42%の絶妙な議決権で下請けを支配する……! 相変わらず血も涙もない、いや、完璧なコスト管理です査察官!」
西園寺が歓喜して書類にハンコを押そうとした、その時だった。
『緊急事態発生! 北海道エリアに巨大未確認生物8号が降下!』
佐藤がスマホの画面から顔を上げずに報告した。
『全長60メートルの巨大なヒグマのような外見です。現在、札幌市近郊の山林を抜け、市街地へ向けて進行中。あ、これヤバいですね。先ほど話題に出た【株式会社エゾ】のメイン工場が、進行ルートのど真ん中にあります』
「な、なんだとぉっ!?」西園寺が絶叫する。「たった今買収したばかりの、我々のパイプの生命線が! 工場が破壊されたら、アースディフェンダーの折れた右腕の修復ができなくなるぞ!」
「出撃です」氷室が冷酷に言い放つ。「アースディフェンダーを直ちに北海道へ向かわせなさい。我々の【42%の資産】を、何としても死守するのです」
かくして、事後処理班の中村班長が運転する牽引トレーラーに引かれ、アースディフェンダーは北の大地を目指すことになった。
しかし、そこには【津軽海峡】という物理的な絶望が横たわっていた。
「……佐藤さん。俺、もうダメかもしれない……オエッ……」
フェリーの甲板。波に激しく揺られる巨大なトレーラーの上で、直立不動で固定されたコクピットの中の鈴木は、完全に船酔いで真っ青になっていた。
『鈴木さん、気合い入れてください。機体が揺れるたびにワイヤーがギシギシ鳴って、他のお客さんが怯えてますから。あ、私今、ご当地限定のガチャ回してるんで通信切りますね』
「ナビゲーターが完全に旅行気分じゃないかぁぁっ!」
フェリーと陸路を乗り継ぎ、ゲッソリとやつれた鈴木を乗せたアースディフェンダーが、札幌近郊の工場地帯に到着したのは、それから丸一日後のことだった。
その頃。
札幌市内の大通公園付近では、一人のジャージ姿の青年が、ソフトクリームを舐めながら観光を満喫していた。
巨大未確認生物3号である。
「いやー、商店街の福引で【北海道・格安フェリーの旅】が当たるなんて、俺も運が向いてきたな! 時給の安いバイトばかりで疲れた心に、北の大地が染み渡るぜ……」
彼は、宇宙犬の5号をペットホテルのカプセルに預け、久々の優雅な一人旅を楽しんでいたのである。
「よし、この後は有名なジンギスカンを食べて、それから……ん?」
ズシン、ズシン、という地響きと共に、遠くの工場地帯の方角で土煙が上がっているのが見えた。
巨大なヒグマ怪獣(8号)が、のっしのっしと歩いている。その進行方向には、「株式会社エゾ」の巨大な看板が掲げられた倉庫があった。
「……あーあ。また迷子か。せっかくの旅行中なのに……」
3号はため息をついた。
「まあいいや、俺の観光ルートからは離れてるし。関わったらまたややこしいことに……って、あれ?」
3号の超視力が、怪獣の足元で【プルプルと震えている見覚えのあるハリボテロボット】を捉えた。
現場では、船酔いで限界を迎えた鈴木が、コクピットの中で胃液を吐きそうになっていた。
『鈴木! 踏ん張れ! 怪獣が工場に触れる前に、アースディフェンダーの【胸のLED】で威嚇するんだ!』
「西園寺管理官……無理です……船酔いで、LEDのスイッチがどれか……あっ」
鈴木がよろけた拍子に、ダミーのコンソールに頭をぶつけた。
その衝撃で、機体の背中についていた【車検用の赤い回転灯】が、ピカァァァッ!と激しく点滅し始めた。
ヒグマ怪獣(8号)は、その赤い光を見てピタリと動きを止めた。
そして、まるで赤い布を見た闘牛のように、目を血走らせてアースディフェンダーの方へと突進を始めたのである。
「ぎゃあああああっ! こっち来たぁぁっ!」
鈴木が絶叫する。
「いかん! 8号がEDに激突する! 氷室査察官、このままでは機体が粉砕されます!」
「……修理代を請求する相手がいませんね。最悪のコストパフォーマンスです」
氷室でさえ、顔をしかめてタブレットから目を離した。
万事休す。誰もが鈴木とアースディフェンダーの死(と防衛予算の終焉)を覚悟した、その時である。
『ドォォォォン!!』
ヒグマ怪獣の横っ腹に、猛烈なスピードで飛来した【銀色の砲弾】が直撃した。
いや、砲弾ではない。
ジンギスカンの食べ放題の予約時間が迫り、「早くこの騒ぎを終わらせないと店が閉まる!」と焦った3号の、渾身のドロップキックであった。
『グエェェッ!?』
8号はカエルのような悲鳴を上げ、株式会社エゾの工場のギリギリ手前で派手に転倒し、白目を剥いて気絶した。
「……な、なんだ!? またあの宇宙人か!」
司令室の西園寺が驚愕する。広瀬が、瞬時にキーボードを叩き始めた。
「チャンスです! 『アースディフェンダーの放った【見えない重力波】が、怪獣を転倒させた! 卑劣な宇宙人はまたしても手柄の強奪に失敗し、逃げ去った!』……これでいきましょう!」
一方、現場の3号は、気絶したヒグマ怪獣を一瞥すると、すぐに人間の姿に戻って時計を確認した。
「やばい! ジンギスカンの予約まであと10分しかない! 走れ俺!」
彼は、命を救ったハリボテロボットに目もくれず、札幌の繁華街の方角へと猛ダッシュで消えていった。
数時間後。
「……報告します。株式会社エゾの工場は無傷。我々の【42%の株式と議決権】による、資材の無料調達ルートは完全に守られました」
法務の黒田が、安堵の息を吐きながら氷室に報告した。
「素晴らしい。これで次回のガムテープ発注は、気兼ねなく箱買いできますね」
氷室は、美しい顔に満足げな笑みを浮かべた。
『……あの。船酔いと恐怖で、俺、コクピットの中で完全に失神してたんですけど。帰りのフェリー、もう絶対に乗りたくないです。誰か、自腹でいいから新幹線と飛行機で帰らせてくれませんか……』
北の大地に取り残された鈴木の悲痛な声と、ジンギスカンを腹一杯食べて大満足でカプセルホテルに帰る3号。
防衛予算という名の泥沼は、ついに海を越え、日本全国へとその被害(と茶番)を拡大していくのであった。




