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第17話「#VALUE!の悲鳴と、4月20日の実地指導」

 防衛省の地下司令室。冷え切った空気の中、マウスのクリック音と、氷室査察官の凍てつくようなため息だけが響いていた。

「……田中班長。整備班が先月から導入した【自動勤怠管理システム】ですが。なぜ、残業時間の集計セルが全員分、揃いも揃って【#VALUE!】エラーになっているのですか」

「いやぁ、氷室査察官」

 通信機越しに、田中班長がバツの悪そうに頭を掻く音が聞こえた。

「連日のガムテープ補修やら、ファン感謝祭のジオラマ作りやらで、若い連中の連続勤務時間がシステムの上限設定を突破しちまいましてね。スプレッドシートの関数が完全にぶっ壊れて【#VALUE!】を吐き出してるんです。今、若手の高橋が必死に数式のエラー箇所を特定して修正作業をやってます」

「笑い事ではありません」氷室がタブレットを冷酷に叩く。「エラーのせいで正確な深夜割増のカット(残業代未払い)の計算ができないではありませんか。直ちに修正しなさい」

 エリート官僚による恐るべきブラック発言に、コクピットの中で待機していた鈴木が「この人、ついに残業代を払わない計算のためにシステム直せって言い出したよ……」とガタガタ震えていた、その時である。

「た、大変だあああああっ!!」

 西園寺管理官が、顔面を土気色にして司令室に転がり込んできた。

「氷室査察官! たった今、行政の監査部門から恐るべき通知が来ました! 4月20日に【実地指導】が入るとのことです!」

「実地指導……現場への直接の立ち入り検査ですか」

 氷室の美しい顔に、明確な焦りが浮かんだ。

 実地指導といえば、役所が最も恐れるイベントである。もし監査官がこの地下基地に乗り込んできて、あの【#VALUE!】まみれの違法な勤怠データや、全身をガムテープと塩ビパイプで補強されたハリボテのアースディフェンダーを見れば、プロジェクトは即日解体、全員が豚箱行きである。

「ど、どうしましょう! アースディフェンダーを巨大な布で隠して『現在メンテナンス中につき機密です』と言い張るか!? いや、間に合わん!」

 西園寺がパニックになって司令室を走り回っていると、事後処理班の中村班長が、死んだ魚のような目でコーヒーをすすりながら入ってきた。

「……西園寺管理官。あんた、通知の宛先をよく見てないでしょ」

「えっ?」

「その4月20日にスケジュールされてる実地指導、対象は我々の施設じゃないですよ。うちが怪獣の死骸の焼却処理を委託してる、【クライアント先の民間処理施設】のほうです。我々のビジネスには直接関係ありません」

 中村の言葉に、司令室の時が止まった。

「な、なんだと!?」西園寺が通知書をまじまじと見つめ直す。「ほ、本当だ! 宛先が『株式会社・関東怪獣残渣処理センター』になっている! なんだ、我々の施設ではないのか! 寿命が縮んだではないか!」

「人騒がせな。……ですが」氷室が眼鏡を押し上げた。「その処理施設が監査で業務停止を食らえば、行き場を失った怪獣の肉片がこの基地に溢れかえることになります。それはそれで困りますね」

 一方その頃。

 件のクライアント先である民間処理施設(巨大なゴミ処理場)では、ジャージの上に作業着を着込んだ青年――巨大未確認生物3シルバーガイが、デッキブラシで必死に床を磨いていた。

(時給1,100円……! このバイトの給料が入れば、5号(宇宙犬)にちょっといい宇宙ドッグフードを買ってやれる……!)

 おもちゃ工場のバイトをクビになり、今度はここで怪獣の肉片を仕分ける清掃バイトをしていたのである。

 現場監督が、拡声器でアルバイトたちに怒鳴り散らしている。

「いいかお前ら! 4月20日に役人の実地指導が来るぞ! 床の血の跡は完璧に拭き取れ! 監査官に目をつけられたら、この工場は営業停止、お前らの今月のバイト代もパーだ!」

「ええっ!? バイト代がパー!?」

 3号は悲鳴を上げ、かつてない猛スピード(宇宙人の超身体能力)でモップを掛け始めた。生活を脅かされることに対する彼の執念は、地球を守る使命感の1万倍は強い。

 しかし、神はまたしてもこの不憫な宇宙人に試練を与えた。

 処理施設の真上、どんよりと曇った空から、突如として【巨大なヘドロの塊】のような生物が降ってきたのである。

『ブショォォォォ……ッ!』

「な、なんだあれは!?」現場監督が腰を抜かす。

「巨大未確認生物7号です!」

 防衛省の司令室で、佐藤がスマホ片手に報告した。

「どうやら、処理施設に溜まった【歴代の怪獣の腐肉の匂い】に引き寄せられて、宇宙のスカベンジャー(腐肉食動物)が落ちてきたみたいですね。ドロドロの軟体生物です」

「いかん! クライアントの施設が破壊されたら、監査に通らなくなってしまう! アースディフェンダー、ただちに出撃せよ!」

 西園寺の号令により、鈴木を乗せたアースディフェンダーが、またしても巨大な台車に乗せられて出撃した。

 だが、現場の処理施設では、すでに【絶対に施設を壊させないための、人知れずの死闘】が始まっていた。

(ふざけんな! 俺の給料日直前に、工場を散らかされてたまるかぁぁっ!)

 作業着姿の3号は、周囲の人間が逃げ惑う中、巨大なヘドロ怪獣(7号)の正面に立ちはだかっていた。

 7号が施設の焼却炉に向けて、溶解液のようなヘドロを吐き出そうとした瞬間。

 3号は、その辺に落ちていた【超特大のドラム缶】を軽々と拾い上げ、フタ代わりにして7号の口にスッポリと被せた。

『ンガッ!?』

 さらに3号は、ヘドロが床にこぼれないように、猛烈なスピードでモップを振り回し、空中でヘドロを拭き取っていく。もはや戦闘ではなく、極限の【清掃活動】であった。

 そこへ、時速30キロでノロノロと牽引されてきたアースディフェンダーが到着した。

「……あの、管理官。現場に着いたんですけど」

 コクピットの鈴木が、目の前の信じられない光景を見て絶句した。

「なんか、清掃員の服を着たお兄さんが、一人で怪獣の口にドラム缶を突っ込んで、ものすごい勢いで床をモップ掛けしてるんですけど……俺、何すればいいんですか?」

「な、なんだと? その男は一体……!」

 西園寺がモニターを凝視する。広報の広瀬が即座にタブレットを操作した。

「チャンスです西園寺管理官! あの清掃員が時間を稼いでいる間に、アースディフェンダーの威圧感で怪獣を押し切るのです! 鈴木さん! 機体の胸のLEDを最大発光させてください!」

 ピカァァァッ!と、アースディフェンダーの胸が虚しく光る。

 その光に驚いた7号が、バランスを崩して後ずさった。

 その隙を見逃さず、3号は「今だぁぁっ!」と叫びながら、7号の足元を巨大なデッキブラシで全力で払った。

『ブニュゥゥッ!』

 足をすくわれたヘドロ怪獣は、見事な放物線を描き、そのまま工場の【超大型・怪獣専用焼却炉】の中へとスッポリと落下していった。

 ゴォォォォッ!という炎の音が上がり、7号は一瞬にして跡形もなく焼却処理されたのである。

「や、やった……! 床も汚れてない……!」

 3号はモップを杖にしてヘナヘナと座り込み、安堵の涙を流した。これで4月20日の実地指導は乗り切れそうだ。

「西園寺管理官! 完璧です!」

 司令室の広瀬が歓喜の声を上げた。

「『アースディフェンダーの放った高出力フラッシュにより、怪獣は方向感覚を失い、自ら焼却炉へ身を投げた!』これでプレスリリースを流します! あの民間人の勇気ある行動は、EDのサポート部隊として美談に仕立て上げましょう!」

「素晴らしいスピンコントロールだ! 氷室査察官、これで事後処理の費用もゼロですよ!」

「……ええ。悪くない結果です」

 氷室は冷たい紅茶をすすりながら、わずかに口角を上げた。

 数日後。4月20日。

 民間処理施設での行政の実地指導は、塵一つない清掃状況が評価され、無事にクリアされた。

 現場監督から「お前、あの時すげえモップ掛けのスピードだったな!」と褒められ、特別ボーナスとして【時給が50円アップ】した3号は、阿佐ヶ谷のアパートで5スペース・ポメラニアンを抱きしめながら歓喜にむせび泣いていた。

『……あの。高橋くんが勤怠の【#VALUE!】エラーを直してくれたおかげで、俺の今月の残業代、正確に【120円】って計算されて振り込まれたんですけど……誰か、助けてくれませんか……』

 給与明細を握りしめた鈴木のSOSは、今日もまた、誰の耳にも届くことはなかった。

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