第14話「縦割り行政の壁と、50メートルの手信号」
防衛省の地下司令室に、これまでにない種類の重苦しい空気が漂っていた。
怪獣の襲来でも、予算の枯渇でもない。テーブルの上に置かれた一枚の行政文書が、西園寺管理官をはじめとする面々を絶望の淵に叩き落としていたのだ。
「……国土交通省からの【是正勧告書】だと?」
西園寺が、震える手でその紙を読み上げた。
「『貴省が運用する地球防衛人型汎用決戦兵器アースディフェンダーは、自走能力を持たず、大型牽引車によって公道を輸送されている。したがって本機は兵器ではなく【被牽引特殊車両(巨大なリヤカーのようなもの)】に該当する。速やかに保安基準を満たし、車検を通すこと。さもなくば公道での運用を禁ずる』……ふ、ふざけるなああぁっ!」
西園寺の怒号が響き渡った。
「我が国の最高機密にして最終兵器だぞ!? なぜ陸運局に持ち込んで車検を通さねばならんのだ! 縦割り行政にも程がある!」
「落ち着きなさい、西園寺管理官」
氷室査察官が、冷ややかな視線で書類をサッと取り上げた。
「国交省の指摘は法的に完全に正論です。もし無車検のまま公道(現場)へ出撃し、警察に止められた場合、道交法違反で数億円の罰金およびプロジェクトの活動停止命令が下ります。そんな無駄なリスクは犯せません。……田中班長、明日までにアースディフェンダーを【車検に通る仕様】に改造しなさい」
インカムの向こうで、整備の田中班長が絶望の声を上げた。
そして翌日。
広大な屋外演習場(臨時の車検コース)に引き出されたアースディフェンダーの姿を見て、コクピットの鈴木は絶句した。
「……田中班長。俺の乗ってる機体の肩に、なんか巨大なオレンジ色の【工事用回転灯】がガムテープでぐるぐる巻きにされてるんですけど」
『気にするな鈴木。それが【ウインカー】だ。あと、背中のスラスターの横には赤い回転灯をつけた。足元には巨大な初心者マークも貼ってある』
「最終兵器が初心者マーク貼ってどうするんだよ! 威厳ゼロじゃないか!」
『国交省の審査官が来てるんだ。文句は後だ、言われた通りに動け!』
演習場の隅には、ヘルメットを被った国交省の審査官たちが、バインダーを手にして厳しい目を光らせていた。彼らにとって、相手が防衛兵器だろうが怪獣対策だろうが関係ない。法律は法律なのだ。
「はい、では牽引車の運転手さん、前進してくださいー。被牽引車との連結部の強度チェック入りまーす」
牽引車を運転する事後処理班の中村班長が、胃薬をかじりながらアクセルをゆっくりと踏む。
ギシギシ……と音を立てて、巨大な台車が動き出した。
「はいストップ! ブレーキランプ点灯確認! ……うーん、少し暗いですね。まあギリギリ合格。次は【方向指示器】の確認です。右折の合図!」
司令室の佐藤がスマホから顔を上げ、気怠そうにボタンを押す。
ピカッ、ピカッ、ピカッ。
アースディフェンダーの右肩に貼り付けられた工事用回転灯が、虚しくオレンジ色に点滅した。
「左折の合図!」
左肩の回転灯が点滅する。審査官がチェックシートに丸をつけようとした、その時だった。
『バチィッ!』
嫌な音と共に、左肩の回転灯から煙が上がり、明かりが完全に消えてしまった。氷室が徹底的なコストカットを命じたせいで、粗悪な中古の配線を使っていたためショートしたのだ。
「ああっ!? 左ウインカーが死んだ!」
「これでは整備不良で不合格ですよ防衛省さん」審査官が冷たく言い放つ。
「ま、待ってください!」西園寺が悲鳴を上げた。「鈴木くん! あれをやれ! 教習所で習っただろう、【手信号】だ! 左折の手信号を機体の腕でやるんだ!」
「嘘でしょぉぉっ!?」
コクピットの鈴木はパニックになった。
「左折の手信号って……右腕を水平に出すんでしたっけ!? いや、それは右折か! 左折は右腕を垂直に曲げるんだっけ!?」
『いいから早くやれ! 手回しウインチ全開だ!』
鈴木は半泣きになりながら、重いウインチのハンドルを猛烈な勢いで回し始めた。
ギギギギギギ……ッ!
アースディフェンダーの巨大な右腕が、ゆっくりと水平に持ち上がり、そこから肘関節(ただの塩ビパイプ)が上に向かって曲がっていく。
「ど、どうですか審査官! 見事な左折の手信号でしょう!」西園寺が胸を張る。
「……まあ、道交法上、手信号での代用は認められていますが。あの腕、なんかプルプル震えてませんか?」
審査官が怪訝な顔をした通り、鈴木の筋肉の限界と、塩ビパイプの強度限界が同時に訪れようとしていた。
「だ、だめだ……重すぎる! ワイヤーが千切れるぅぅぅっ!」
ブチィィィン!!
無情にも、右腕を支えていたメインワイヤーの一本が破断した。
支えを失った数十トンの右腕パーツが、完全に明後日の方向(審査官たちの頭上)へと落下しようと傾き始めたのだ。
「ひぃぃぃっ!? 腕が落ちてくるぞ!」
「逃げろおおおっ!」
審査官たちがパニックになって逃げ惑う。
(終わった……防衛省の責任問題どころか、殺人未遂で逮捕される……!)と西園寺が白目を剥きかけた、その時である。
「……っとっと! あっぶねー!」
演習場の片隅で【車両誘導のアルバイト】をしていたジャージ姿の青年――巨大未確認生物3号が、信じられないスピードで駆け込んできた。
彼は落下しかけた巨大な右腕パーツの下に潜り込むと、人間の姿のまま、両手でガシィィッ!とそれを受け止めたのである。
「んぎぎぎ……! 相変わらず地球の鉄くずは重いな……!」
3号は歯を食いしばりながら、EDの右腕をしっかりと【左折の手信号の角度(垂直)】のまま固定して立っていた。
周りの人間からは、EDの腕の影に隠れて、彼が下から支えていることは見えていない。
「……おや? 止まった。なんという見事な姿勢制御だ」
逃げ腰になっていた審査官が、ピタッと静止した右腕を見て感心したように頷いた。
「一瞬ヒヤッとしましたが、完璧な左折の手信号ですね。素晴らしい。これは合格にしましょう」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
西園寺が安堵のあまり膝から崩れ落ちる。
司令室では、広瀬がすかさずネットに情報を流していた。
『アースディフェンダー、精密な手信号で交通ルールも完全遵守! 国民の模範となる防衛兵器!』
かくして、絶体絶命の車検トラブルは、たまたまバイトに来ていた宇宙人の【超絶パワーによる腕のつっかえ棒】によって奇跡的にクリアされたのである。
数時間後。
無事にナンバープレート(巨大な特注サイズ)を取得し、ウインカー代わりの回転灯をピカピカと光らせながら、アースディフェンダーは地下格納庫へと牽引されて帰っていった。
「……査察官。これで堂々と公道を走れますが。機体の威厳は完全にゼロですね」
「威厳で怪獣が倒せるなら苦労はしません。罰金のリスクを回避できただけで十分です」
氷室は冷たい紅茶をすすりながら、新たに発行された車検証をファイルに閉じた。
『……あの。ワイヤーが切れたせいで、右腕が下ろせなくなって、ずっと左折の合図出しっぱなしなんですけど。誰か直してくれませんか?』
コクピットから鈴木の悲痛な声が響く。
そして演習場の片隅では、誘導のバイトを終えた3号が、現場監督から日給を受け取っていた。
「お疲れ様。君、なんかロボットの腕の下でずっとバンザイみたいなポーズしてたけど、熱中症か?」
「ええ、まあ……ちょっと筋肉痛です」
肩を揉みながら帰路につく宇宙最強の戦士。
人類の防衛兵器が車検に通ったのは、彼の日給8,000円のアルバイトのおかげであることを、地球人は誰も知らない。




