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最終話「生涯無敗の絶対王者と、永遠のブーイング」

 ――春。桜が舞い散る季節。

 すべてが解決し、感動と涙に包まれた重厚な人間ドラマから数ヶ月後。

 日本の競輪界は、かつてない熱狂……ではなく、かつてない【殺伐としたブーイング】に包まれていた。

「ふざけんな鈴木ィィィ!! お前空気読めよ!!」

「またお前のせいでオッズが1.0倍じゃねえか!! 交通費すら出ねえよ!!」

「お前が走るとつまんねえんだよ! 家に帰ってプレステでもやってろ化け物ォォ!!」

 すり鉢状のバンクを包み込むのは、割れんばかりの罵声と怒号、そして投げ込まれるハズレ車券の吹雪である。

 その罵声の中心で、鈴木は今日も「圧倒的な1着」でゴールラインを駆け抜けていた。

 彼は、自らの意思で競輪の世界に残った。

 純粋に風になりたい。この進化した筋肉で、どこまで速く走れるのか試してみたい。そんな爽やかなスポーツマンシップに目覚めたはずだった。

 しかし、彼が防衛省の地獄のプレハブで習得した技術は、純粋なスポーツの世界においては「ただの災害」でしかなかったのだ。

『さあ、残り半周! ここで鈴木が動いたァァァッ!!』

 実況アナウンサーが絶叫する。

 鈴木は、他の選手が時速60キロで牽制し合う中、極限の【エアロフォルム】で背骨を水平に倒した。

 そして、防衛省で巨大怪獣を粉砕し続けた大腿四頭筋の暴力――【メテオ・ストンプ(超絶踏み込み)】を解き放つ!

 ドゴォォォンッ!! という爆発音と共に、鈴木の自転車がマッハの速度で加速。

 さらにコーナーでは、骨盤を極限まで傾ける【トルネード・ツイスト(アンチグラビティ・急旋回)】で、遠心力を完全に無視して直角に曲がる!

 最後は、全身の関節を外さんばかりの【トライセプス・スラスト(ハンドル投げ)】で、後続のプロ選手たちを完全に「周回遅れ」にしてゴール!!

『勝ったのはまたしても鈴木ィ!! 2着以下に400メートルの大差をつけての圧勝です!! 凄すぎて逆に誰も盛り上がっていませぇぇぇん!!』

 ゴール後、スピードを緩めた鈴木に、観客からメガホンや飲みかけのジュースが飛んでくる。

「(……おかしい)」

 鈴木は、飛んでくるゴミを【肩甲骨ロック】で器用に弾き返しながら、ヘルメットの中で虚ろな目をしていた。

「(僕はただ、真面目にペダルを回しているだけなのに。なぜ、怪獣と戦っていた時よりも国民から嫌われているんだろう……)」

 鈴木がレースに出れば、絶対に勝つ。いかなる妨害があろうと100%勝つ。

 その結果、「ギャンブルとしての競輪」は完全に崩壊していた。車券が当たっても配当は【元返し(1.0倍)】。誰も儲からない。誰もワクワクしない。

 鈴木は「生涯無敗の絶対王者」という称号と引き換えに、日本中のギャンブル狂から永遠の恨みを買う存在となってしまったのである。

 トボトボと控え室に戻る鈴木の肩を、シルバァ(3号)が優しくポンと叩いた。

「素晴らしい走りだったよ、鈴木くん。君が引き起こす真空波で、後ろの選手が3人空に飛んでいったね。とても芸術的だった」

「……シルバァ。僕は、もう走るのが辛いよ。誰も僕の勝利を喜んでくれないんだ」

 鈴木がため息をついた、その時だった。

「――おやおや。相変わらず、メンタルが弱いですね、鈴木さん」

 カツン、カツンと、冷たいヒールの音が地下通路に響く。

 現れたその人物を見て、鈴木は「ヒッ」とカエルのような悲鳴を上げた。

 タイトスカートに、冷たい光を放つ眼鏡。逮捕され、刑務所に入っているはずの氷室元査察官であった。

「ひ、氷室!? なんであなたがここに! あなたは国家反逆罪と横領で逮捕されたはずじゃ……!」

「ええ。ですが、政財界の闇は深いのです。私は『崩壊寸前のJKA(競輪統括団体)の財政を立て直す』という条件で、特例で司法取引を行い、JKAの特別理事として復帰しました」

「司法取引ってレベルじゃないだろ!! なんで普通にシャバに戻ってきてるんだよ!!」

 氷室は、冷たい笑みを浮かべて一枚の請求書を鈴木の顔面に突きつけた。

「さて、鈴木さん。あなたが防衛省時代に抱えていた850億円の借金は、私の逮捕により確かに無効となりました」

「そうだ! 僕にはもう借金はない! あなたの命令を聞く義理はないんだ!」

「しかし」

 氷室の眼鏡がキラリと光る。

「昨年末のKEIRINグランプリで、あなたが暴虐のペダリングで発生させた真空波により、グランプリバンクのコンクリートが粉砕され、VIPルームの防弾ガラスがすべて吹き飛びましたね」

「あっ」

「その修繕費、および、あなたが走り続けることで発生している『JKAの興行赤字の補填』として……あなたには新たに【1,000億円】の負債を背負っていただきます」

 スッ、と渡された請求書には、確かにゼロが数え切れないほど並んでいた。

「なっ……!?」

 鈴木の目から、感動の涙とは全く違う、絶望の涙が噴き出した。

「1,000億!? ふざけるな! グランプリのバンクが壊れたのは、あんたが自転車に細工したせいだろ!!」

「証拠はすべて隠滅しました。あなたは今後、この1,000億円を返すために、1.0倍のオッズで永遠にブーイングを浴びながら、死ぬまでペダルを回し続けるのです。……黄金の奴隷よ、永遠に」

 氷室は高笑いを上げながら、再びVIPルームへと消えていった。

 残された鈴木は、手にした請求書と、自らの異形に発達した大腿四頭筋を交互に見つめ、ガクガクと震え始めた。

 国を救い、陰謀を打ち砕き、人間としての自由を手に入れたはずだった。

 なのに、手元に残ったのは「元より増えた借金」と「永遠に続く国民からの罵声」だけだった。

「泣かないで、鈴木くん」

 シルバァが、背後から鈴木を優しく抱きしめる。

「君がどれだけ借金を背負おうと、僕だけは君のそばにいるよ。さあ、次のレースの時間だ。君の美しい筋肉で、また観客に絶望を与えておいで」

 もはや、逃げ道はどこにもない。

 人間の形を失い、競輪の神として完成してしまった鈴木の肉体は、ペダルを見ると自動的に【極限のエアロフォルム】を取り、完全な【等尺性静止】の姿勢へと移行してしまうのだ。

「あああああ……! 僕の人生、なんでいつもこうなるんだよぉぉぉ!!」

 鈴木は、涙と鼻水を撒き散らしながら、愛用のピストバイクに跨った。

 外からは「帰れ!」「お前が走るとつまんねえんだよ!」という、数万人の熱烈な大ブーイングが、地鳴りのように響いてくる。

 その理不尽すぎる世界に向かって、鈴木はありったけの怒りと悲しみを込めて、右足のペダルを思い切り踏み込んだ。

「理不尽すぎるだろおおおおおおおおおおおっ!!!!」

 ――ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!

 鈴木の放った絶叫と真空波が、春の青空と競輪場の屋根を吹き飛ばし、物語は永遠のブーイングと共に幕を閉じるのであった。

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