18 フィーネさんは自分なりの幸せを見つけたいと言う。
定期テストまであと五日。僕はフィーネさんに勉強を教えていた。
アオイさんは飽きて三十分で教科書を投げ出し、中庭の散策に行ってしまった。
あまり集中力が持続しないタイプらしい。
談話室は僕とフィーネさんだけになり、教科書を広げながら、例題を解いていると、ふとフィーネさんが話しかけてきた。
「ジン、少し話があるのですが……」
「どうしたんです? 何かわからないところがありましたか?」
僕は彼女を見つめ返して、優しく尋ねた。
フィーネさんは少し躊躇いながらも、ついに言葉を口にした。
「実は私、先日招かれたチェルシー王女のお茶会で、ディオン王子から求婚されて……断ったんです」
「殿下から?」
驚いた。王子からの求婚なんて、普通なら名誉のある話だと思う。
それを断るなんて、かなり珍しいことだ。フィーネさんの本質が正しく評価されて求婚されたなら、喜んでいいのに。
「殿下は僕とフィーネさんが入れ替わった顛末を聞いたと、話していました。もしかしてそのときに?」
僕が尋ねると、フィーネさんはうつむきがちに頷いた。
「ええ。告白されたとき、話したんです。あの日、私たちが事故で入れ替わったこと、迷子になった王女を助けたのはジンだから、助けたことを理由に求婚されたなら、お受けするのは違うでしょう。あのときのことで評価されるべきは私でなくジンです。それに、私には王子の隣を歩く未来が想像できませんでした」
僕はしばらく黙ってフィーネさんを見つめた。
チェルシー王女を助けたとき、フィーネさんの姿をしていたのは僕。でも傍から見ればあれはフィーネさんだ。真相を言わなければそのまま婚約者になれたはず。
そこで全てを話して「助けたのは私ではないから」と断ってしまうところがフィーネさんらしいと言えばらしい。
フィーネさんは静かに答えた。
「お父様とお母様に話せば、名誉なことだと喜んで、即日話をお受けするのでしょうね。でも、私の幸せは王妃になることではないと思ったんです。貴族としては間違った選択かもしれませんが」
僕はその言葉を聞いて、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
フィーネさんらしい考えだ。
「なら、フィーネさんの幸せって、なんですか?」
僕はつい、気になって聞いてみた。
フィーネさんは口元に手を当てて考え込み、そしてぽつりと言った。
「わからないです。でも、ジンが孤児院の子どもたちの面倒を見ている姿を見ていたら、家族が一人も欠けずに揃っていて、豪華な屋敷、温かいお布団で寝て暮らすということだけが、本当に人の幸せなのかしら、と思いました。貴方たちは、多くを持たなくても手を取り合って精いっぱい生きている。貴方はあの暮らしを不幸だとは、一度も言わなかったでしょう?」
孤児院の暮らしに戸惑いを見せていた初日を思えば、こんな言葉がフィーネさんの口から出てくるのは以外だ。
「僕は、物心つく前に両親を喪いました。僕にとっては院長先生や、孤児院のみんなが家族なんです。あの子たちが笑って暮らせるように、いい仕事についてお金を入れて、支えていくのが僕の目標です」
「……だから、貴方は奨学生としてここに来たのですね。王宮や官僚などの職につくためには、上級学校の卒業は不可欠ですものね。自分のために生きることも選べるのに、なぜ?」
「家族を大切にするのは、みんなのためであり僕のためです。家族が幸せでいてくれるのが、何より幸せだから」
フィーネさんが僕を見て、目を細める。
「ほら。お金があることだけが幸せなのではないと、貴方が身を持って証明してくれているでしょう? 私もそういう幸せを共有できる相手を見つけたいです」
「フィーネさん…」
僕は思わずその名を呼んだ。彼女は少し照れたように視線を逸らして、答えた。
「ごめんなさい、変なことを言ってしまいました」
「いや、よく分かります。……僕も、自分が幸せだと思える道を生きていこうと思います」
その言葉にフィーネさんはほっとしたように微笑んだ。
しばらくの間、言葉を交わさず教科書をめくる音とペンの音だけが部屋に響いた。




