11 最初で最後の口づけ。私たちは元の生活に戻ります。
アオイさんが入れ替わりの解決策をいくつか持っているということで、期待してもいいのでしょうか。
幸いなことに、明日は学園が休みです。
なので生徒がいない状況でアオイさんの策を試してみることになりました。
元に戻れるならそれにこしたことはないです。
ええ。孤児院生活を何日も続けるなんて私の心が持ちません。
それに何より、ジンは奨学生。定期テストで五位より成績が悪くなると退学になります。
自分で言うのも悲しいですが、一ヶ月で学年五位以内の学力になるなんて無理です。
明日、アオイさんの言う方法を片っ端から試して戻る。
それに賭けましょう。
元に戻れたら広いお風呂で足を伸ばして、大きなベッドに思い切り飛び込みたいです。
孤児院生活二日目の夕方。
学園から帰った私は院長先生の手伝いをします。
ジンが普段やっていることをやらないと、子どもたちに怪しまれてしまいます。
洗濯物を取り込んで、料理の補助をします。
ここでの生活は今日で終わりのはず。
これくらいのサービスをしてもいいでしょう。
狭いキッチンで、院長先生がきいてきます。
「芋の皮むきはできるかしら?」
「包丁を持ったことすらありません。料理は使用人の仕事ですから」
「ふふふ。本当にお嬢様なのねぇ。包丁はこう持って、芋を回しながら」
親指で固定して、見よう見まね。
例えばこれが平民出身のアオイさんなら、うまくできるのでしょうか。
「……む……勉強よりも難しいです……」
「お上手ですよ」
「そ、そう?? 下手ではない? ジンならもっとうまいでしょう?」
「今はすごく上手だけど、小さい頃は指を切っちゃっていたわ。みんなはじめはそうよ。だから自信を持って」
皮を分厚くむいてしまっても院長先生は怒ったりせず褒めてくれました。
うん。お料理するのも悪くないです。
むしろ、料理までできる令嬢、有能! と言ってもらえるのでは?
皮むきだけですけど。
元に戻れたら練習してみましょう。
「にーちゃん、えほんよんで」
「えほんー」
「こらこら、マリー、リリー、ジンは学校で疲れているからあんまり困らせてはだめよ。絵本は先生が読むからね」
「はぁい……」
院長先生にフォローされて、私は予想外に静かに眠ることができました。
そして翌日。
休日学園に来る生徒はほとんどいなくて、図書室利用の生徒がちらほらいるくらいです。
そして私とジン、アオイさんが昨日の談話室に揃いました。
「さて、集まってもらったところで説明するわね。わたしがいた日本という国では、創作物の中で入れ替わりものは定番中の定番なの。雷に打たれるとか、魔法で入れ替わるとか、呪いのアイテムに触れてしまったとか。この入れ替わり現象は『神様のイタズラ』と呼ばれているわ」
アオイさんがそのいろんなケースというものを、一覧にした紙を広げました。
丸みのある大きな文字でずらりと記されています。
一、元の状況を再現する。
入れ替わりがおきた時間・場所、今回は階段から落ちる。
二、特定の行動や条件を満たす。
互いに「戻りたい」と強く願う。
キスやハグなどの接触をする。
入れ替わった原因となったものを元に戻す。(例:聖域などで石像などを破損してしまった場合、それを修復する)
入れ替わりの魔法薬やポーションを飲む。
四、時間経過・自然回復で戻る。
一定期間が過ぎると元に戻る(例:一週間、一ヶ月作品によって異なる)
夢オチ 目が覚めると元に戻る。
五、特定の人物の力を借りる。
神様や精霊にお祈りする。
魔法使いや占い師に相談する。
科学者や医者の力を借りる。
「さあ、どれから試す? わたしとしては時間経過はないと思うの。作品によっては入れ替わったまんまで一生が終わることもあるから、試せる手は全部試したほうがいいと思うの」
「戻れないなんて嫌! 一生家族に会えないなんて、考えただけでも怖いわ。何でも試します!」
ジンも同じ考えのようで、アオイさんが書いた一覧を食い入るように読みます。
「戻りたいと強く願って戻れるなら、もう戻っているよね。僕はこうなってからずっと戻りたいって思っているもの」
「私だってそうです! 願いの強さが足りないとでもいうのでしょうか」
帰りたい、戻りたい、ずっとそう願っています。
願っても戻らないということは、願うだけでは元に戻るキーにならないのでしょう。
「状況の再現はどう? わたしは現場を見ていないからわからないけれど、二人は階段から落ちたのは何時ころのこと?」
「うーん。物理学の教室に行くために階段を登ったところまでは覚えているんだけど」
「私もです。段を踏み外して落ちた記憶はあるのですが、何段目かまではさすがに」
「考えていても変わらないから、現場に行きましょー。事件は現場で起きている! って昔の刑事ドラマの名言なのよ」
ドラマ、というのは演劇みたいなものらしいです。
転生者という方は、不思議な知識を持っていますね。
とりあえずアオイさんが言うから来てみたものの、階段は落ちた日と何も変わりません。
「二人はここで落ちたとき、どのあたりにいたか、おぼろげでもいいから思い出せない?」
「うーん……たぶん、この辺り? 手すりに触れていた気がする」
ジンは低い位置にいたから自分が立っていたあたりを見て三段目くらいに立ちます。
「あ、待って。完全再現するなら、ジンくんはフィーネさんがいた位置に、フィーネさんはジンくんがいた位置に立つのがいいんじゃない?」
「そういうものなんです?」
他に解決策が思いつかないから、アオイさんが言うとおり私はジンがいたという場所に立ちました。
ジンは階段の真ん中あたりに移動して、四段ほど上にあがります。
「私はそのあたりでした。たぶん、ですが」
振り返って私の方を見るジン。
私はジンを見上げます。
あそこから落ちたら絶対痛いと思います。
……あら? おかしいです。
「ねえジン。この位置からでは、私に手が届かないのではありません?」
ジンがわざわざ私のいる方に移動しない限り、私は一人で転げ落ちるコースです。
「このまま落ちたらフィーネさんが怪我をすると思って、とっさにそっちに走ったんだ。支えられずに僕も落ちちゃって、ごめん。たぶん落ちずに支えられたら入れ替わりも起きなかったんだ」
ジンは視線を落とします。
まともに口をきいたことのないクラスメートなんて、放っておいても誰も咎めないでしょう。
あのとき気づいて、私を助けようと手を伸ばしたのはジンだけ。
私は他の男子生徒に煙たがられていましたから、おそらくこの位置にレオンハルトやアルフがいたとしても助けてはくれないでしょう。
なぜでしょうか。胸の奥がじんわりあたたかくなります。
「アオイさん。同じ時間、同じ位置で再現したら戻れるかもしれないんだよね?」
「一説にすぎないわ。再現しても戻らないマンガも多々あるから」
「それなら、これは最後の手段にしておこう。僕の体は多少傷が増えても男だからいいけど、フィーネさんの体に怪我を負わせるのは忍びないから」
階段落ち再現は、危険度が高いから保留ということになりました。
いったん談話室に戻ります。
元に戻るために他にできることは……。
何かを壊したことはないので、入れ替わる前に破壊したものを元に戻すというのは除外します。
魔法薬を飲む?
「入れ替わる魔法……は、そもそも現代に魔法を使える人がいませんね」
はるか昔、この世界にも魔女や魔法使いがいたそうです。
魔法は神に背く禁断の存在として禁止された時代がありました。
今でこそ魔法という学問もある、という形で許容されていますが、何もないところから火が出たり雷を呼んだりなんていうのは、絵本の中だけの夢物語です。
「もー。二人とも可能性高めなやつを忘れてるよー! ハグ! チュー!」
「は!?」
アオイさんが紙をグイグイ突きつけてきます。
元に戻すための定番、抱きしめる。もしくはキス。
自分を抱きしめたり自分にキスするって、中身がジンということを考慮してもなんだか、なんだかです。
ジンも後ずさり、冷や汗を流します。
「い、いや、ハグって。抱きしめるくらいで入れ替わるなら舞踏会は大混乱になるでしょ」
「キスやハグでの入れ替わりが特定の二人にしか作用しないというのもまた定番なのよ。それこそ、神様のイタズラ、気まぐれ。人間を困らせたくてそういうイタズラをする、イタズラの神様もいるんです」
「その神様、質が悪すぎません?」
入れ替わって慌てふためく様子を観察して楽しむ神様……信仰したくないです。
中身がジンの私にキスしてなにもないのは、想像するだけでいたたまれないですね。
もともとそんなに関わりがなかったですから、キスして元に戻ったら会話もろくにないクラスメートに逆戻りですね。
関わりないのがこの一年の常だったのに、今はなんとなく、ほんの少しだけ、ジンとの関わりがなくなるのは寂しいなんて思う私がいます。
「あ、わたしがいたらしづらいよね。配慮足りなくてごめんね。ほら、談話室は他に人がいないから気兼ねなくハグなりキスなり試してね!」
アオイさんは敬礼し、軽やかな足音を立てて部屋を出ていきました。
気まずい沈黙が流れて、覚悟を決めます。
戻れたらよし、戻れないなら他の方法を試すのみです!
「ごめん、フィーネさん。君は女の子だし令嬢だし、婚約者以外の人に抱きついてキスなんてしたくないだろ」
「方法が限られているんだから、するしかありません。戻れるにしろ戻れないにしろ、これはノーカウント。お互い忘れましょう」
「……うん。それが一番いい」
このことは口外禁止、お互い忘れよう。
そう約束して、私は自分の体―ジンを抱きしめて目を閉じます。
ジンも私の背に手を回して、唇が触れ合いました。
次に目を開くと、目の前には本来のジンがいました。
自分を見下ろせば、見慣れた赤毛。
「戻れた……。私たち、元に戻れたんですね」
「うん。よかった、本当に……」
ジンは穏やかに微笑みます。
談話室の扉を開けると、すぐ近くでアオイさんが待っていました。
「ど、どうだった??」
心配そうに聞いてくるアオイさん。
「戻れたよ。ありがとう、アオイさん。君が提案してくれなかったらずっと入れ替わったままだった」
「わぁ! 元のジンくんだ! 優しいお兄ちゃんって感じ! 王女様に気に入られたのも納得」
「あはは。マリーとリリーも、孤児院に来たばかりの頃はあれが嫌いこれは嫌っていうから、院長先生と二人で食べさせるの苦労したんだ。年が近いからなんとなく対応がわかっただけ」
「子どもの相手が得意なんて、いい旦那様になれるタイプだねぇ」
ジンとアオイさんは楽しそうに話しています。
「私からもお礼を言わせて。ありがとうございます、アオイさん。この恩は一生忘れません」
「恩なんて返さなくていいよー。言ったでしょ。わたしはこの世界の全部好きって。もしこのゲームに入れたら、フィーネさんとお茶してみたいって思ってたんだ。お友達として一緒にお茶会してくれたら、それで十分!」
「欲のない人ね」
アオイさんとは予定の合う日にお茶会をすふると約束して、家路につきました。
これで今日からは本来の家に帰れます。
重厚な門、庭園の花々、出迎えてくれる使用人たち。
二日帰れなかっただけなのに、すごく懐かしいです。
「おかえりなさいませ、フィーネ様」
「ただいま。私の留守中、変わりなかった?」
いつも鞄を持ってくれるメイドに鞄を差し出すと、二度見三度見されました。
もしかしてジンは自分で持って部屋に行っていたのかしら?
「お嬢様、お風呂の用意が整っています。お召し物はこちらに」
「あら、ご苦労様」
……みんなが珍獣を見るような目をしてくるのだけど。
「ああよかった、いつものお嬢様に戻られたんですね」
「はい?」
「いえ、早退された日から少し、その、調子が悪そうでしたので」
そういえばジンは、着替えの手伝いをされたくない、何から何までお世話されるの怖い! と真っ青になっていたわ。
孤児院の暮らしが普通なのにこんなにお世話されたら、戸惑いだらけでしょう。
慌てるジンを想像したらおかしくて笑ってしまいます。
明日からはもう前の生活に戻る……あちらから話しかけてこない限りは、ジンと会話することもなくなるはずです。
いつもの生活に戻るのに。
次に顔を合わせたら、このことをジンに話したいなんて、そう思う私がいました。




