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尖った乙女たちが鐘を鳴らす  作者: 柏栖零inHakusuya
9/10

眠れなくても朝はめぐってくる

 まだ研修会が始まって二日目だというのに体調は最悪になりつつあった。結局ほとんど眠ることができず、うつらうつらの状態のまま起床時刻の五時を迎え、そのお蔭で滅多にお目にかかれないはずの徳澤那由他(とくざわなゆた)の寝起き顔を見ることができ、那由他は「あら早い、今日も張り切っているようね」と似合わない撥ねた髪を恥ずかしそうに押さえつつ、毎日の日課どおり身なりを整えて早々と部屋を出て行った。真沙美は、今朝早朝当番に何も当たっていないことと、朝の礼拝が六時であることを改めて確認すると、目覚ましを兼ねてシャワーを浴びた。

 熱いシャワーに打たれながら考える。初日から正体不明の嫌がらせのメールを貰い、情けないことに眠れなくなって体調を崩してしまった。ここは大宮とは違う、聖麗女学館のエリートを養成する聖麗女学館の本校だった。全国各地にある聖麗女学館から選りすぐりの優秀者だけが集められ、成績によって落ちこぼれはすぐに他校へ追い遣られ、常に生徒の新陳代謝を行っている。容赦のない聖地であるがため生徒達の競争も激しく妬みからあらゆる手を使って人を蹴落とすくらいのことなど何とも思わない人間がいても不思議でない。

 そうと知りつつ、やはり正体不明のメールには堪えた。貰った直後こそ逆に反発心が湧き、正体不明の人物の今後の動向を観察しようなどと冷やかに受けとめていたが、夜は更けるにつけ徐々に追い詰められるような精神状態へと変貌していった。真沙美は今まで、自分のことを地味で目立たない人間ではあるが、誰にも負けない強い人間であると信じていた。それが家族や大宮の同級生たちと離れて生まれてはじめての寮生活に入り、弱点を見せないよう無我夢中で一日を過ごし、数学演習では三年生の中に混じって十位に入るという成績を修めたが、たった一つのメールに怯え、その挙句が強さを見せようとするのは弱さの裏返しではないかとさえ感じるまでに落ち込んでしまった。それが悔しくて仕方がない。ここへ来るまでは、本校に転校したところで自分には聖麗の会のエリートになる積もりは毛頭なかったから、成績や生活などどうでもいいくらいの冷めた気持ちでいたのに、今やこのままでは終われないという気持ちになっている。脅されて負けるような弱い人間にはなりたくなかった。弱い人間になりたくないと思うのが強い人間なのか、強がることは弱い人間の裏返しなのか、という両極の間で何度も彷徨い、考えすぎて眠れなかったのだ。

 今日の予定は午前が英語と国語の演習九十分ずつ。午後はその解説でやはり九十分ずつ。昨日と合わせてはじめの三日で演習を行い、その後新学期までの間で徹底的に復習授業を行う。最後が試験だった。予備校の合宿と同じだ。しかもその結果によっては突然クラス替えや転校もありうるというから、よくできる一部の生徒を除いて皆真剣だった。

 どうにか身なりを整えて七時の礼拝のため礼拝堂へ足を運ぶと、同じ六班の面々が真沙美の顔色を見て一様に驚きと心配の声をあげた。

「顔色悪いわね、眠れなかったの?」

 眼鏡をしていなかったこともあり、目の下に隈が現れているのは知っていた。

「ええ、ちょっとね。昨日はそうでもなかったけれど、環境が変わると眠れないの」

 真沙美は環境の変化のせいにした。

「まあ、今日は当番がないからゆっくりしとき」

 ステイシーが上から肩を叩き、真沙美は「うん」と弱々しく返事した。

「藤野さんは」と、真沙美は訊く。またも亜由子の姿だけが見えない。

「あの子は朝早く起きたためしがないの」と、加藤亜樹が説明する。特に試験などのあった翌日は全く起きられないようだ。しかも起きて来ても前の日のことをすっかり忘れていることさえあるという。

「あの通りの変な奴やから心配せんでもええよ」とステイシーは相変わらず問題にすらしていなかった。

「それより朝まだ食べてないでしょう? 軽くでも摂っておいた方がいいわよ」

 亜樹が心配してくれた。他の面々はすでに朝食を済ませており、食堂で真沙美を見なかったから気にかけていたようだった。最悪の班として冷たい視線でみられている六班だが、まともな人間が揃っていてむしろこの班でよかったと真沙美は思った。朝から他の生徒からじろじろ見られたり、背中で指をさされたりしている気配を感じていたのだ。きっと昨日の数学演習で十傑に名を載せてしまったから、どんな奴なのかという感じで注目を集めているのだろうが、それらの視線が、昨夜の精霊のメールによって、妬みの視線にすっかり変換されてしまうので、決して良い気分ではなかった。

 食欲はなかったが、かといって何も摂らないと今日の長丁場にも耐えられそうになかったので、真沙美は遅い朝食を摂るべく食堂へ足を向けた。

 この時間帯の食事は、当番に当たっていたり、部活や礼拝を済ませてから朝食をとる者が多く、多くの者が、するべきことは早く済ませておくという行動様式をとっている本校においては、若干異端者めいた者に限られていた。食堂はもはや空いており、目立つのはやはりがつがつ音でも聞こえてきそうな食べ方をしている藤野亜由子だった。

「おはよう」

 真沙美はパンひとかけらとコーヒーだけトレイに載せて、亜由子のいるテーブルに着いた。その周囲には殆ど誰もいなかったが、遠くの方から好奇の目で見る生徒達があちこち散在しているのを肌で感じた。

「それしか食べないの? 調子悪いの?」

と、亜由子はパンを頬張りながら訊く。かちゃかちゃ食器の音がして、サラダやらスクランブルエッグやらを次々と口へ運ぼうとしている様子が滑稽でもあった。

「いいの、今朝はこのくらいで」と軽く返事をしてから、聞くべきかどうか逡巡したものの、結局口にしてしまう。「ところで、メールチェックとか毎日している?」

「してない」というあっさりとした答え。「めんどくさいから、偶にしか見ない」

 精霊のメールを受け取りやしなかったかと、それとなく聞いてみた積もりだったが、全く拍子抜けの返事だった。ここまで超然としていられたら周囲の視線などまるで感じられないはずだ。鈍感力とはよく言ったものだった。おそらく彼女なら精霊から警告のメールを受け取ったとしても何の感慨もないだろう。いや警告の意味すら理解できないか。

 広い長テーブルに二人並んで坐っているところに、「邪魔していいかしら」という声がかかり、見上げると綺麗に光る長髪を後ろで一本に束ねた長身の美人女医岡本友里奈(おかもとゆりな)が、濃紺のノースリーブに白っぽいスキニーパンツという肌寒そうな格好で、颯爽と立っていた。

「ああ、確か保健の先生」と、亜由子は友里奈の顔に向かって指をさし、「はじめまして」と軽薄な挨拶をした。

「昨日会ったじゃない。君の部屋で。忘れたの?」と、友里奈は優しい笑顔を亜由子に向けて、テーブルについた。

「私の部屋? あの那須禾ミチル君と同じ千八号室? うそでしょ?」

 亜由子は頬張りながらけらけら笑い出した。そうなるとなかなかとまらない。周囲のテーブルからの訝しげな視線に全く気付かず、亜由子は笑い続け、真沙美は友里奈と顔を見合わせて、どうしたものかと沈黙の相談をすることになる。

「藤野さんは絶好調ね。でもこちらの」と、友里奈は真沙美のネームカードを覗き込んで、「松山さんは眠れなかったようね。何か心配事でもあるのかしら」

 するどい指摘に、昨日のメールの件など打ち明けようかとも考えたが、やはりまだ話もしたことのない教官に相談するのも躊躇われて、ただ誤魔化すにとどまった。

「寮に来たばかりでまだ慣れないものですから。心配をかけまして申し訳ありません」

「そう。ならいいんだけど。もし途中で気分が悪くなったら保健室へ行きなさいね。私は三時過ぎまでクリニックへ行っているから留守にしているけど、養護の高草木先生によく云っておくから、遠慮なく相談するのよ」

 微かにアルコールの匂いが漂う妖しげな雰囲気をもつ女医だが、真剣な顔つきで云っているようなので、素直に「ありがとうございます」と返事しておいた。

 おもしろいことに本校にも俗世間の匂いがする教官が一部存在する。栄養士兼家庭科教官の笹塚ゆりなどもそうだったが、彼女らがどのように規範に凝り固まった主流の教官たちと付き合っているのか興味が持たれるところだが、その追究はまたの機会に譲ることにした。

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