順位発表と警告
三時三十五分に演習は締め切られた。教室で簡単な講評と明日からの予定など担任の成瀬理恵教官から話があり、四時に解散となった。六時の夕食まで部活や自習、休憩など自由時間がある。ただし学年下位五名ずつには補習課題が科されることになっている。配点は一問につき五点で、一度でクリアすれば五点もらえるが、採点時に正解と判断されなければ一回に付き一点ずつ減点となる。解いた問題数の数のみならず一度で正解するかどうかも配点に加わっていた。
校舎一階のロビーにはすでに今回の実習の上位者と下位者の名簿が張り出されており、その紙の前には感歎や溜め息の声が多数聞かれた。
真沙美が覗きに行くと、一位は七十五点で三名並んでいた。十五問を一度でクリアした計算になる。三年A組紀伊埜本あすか、徳澤那由他、三年B組児島純。上位五名名簿の常連でない児島純の名前が三番目、同率一位のところに書かれていた。真沙美が採点室に顔を出している時にその姿を何度も目撃している悠々とした妖しげな先輩。採点者の教官にいろいろ無駄口を利いて少なからず注意を受けていた彼女は、少しも採点を急いで次の問題にかかろうという意識は見られなかった。むしろ教官と話をするのが楽しいみたいな様子なのだった。ということは実際に問題を解いている時間はそれほどなかったのかもしれない。もっとたくさんの問題を解こうと思えば出来たと考えられる。その彼女が一位同点だった。
その下は四位が七十点同点で三人、七位も六十五点同点三人ですべて三年生、十位が六十点で同点四名、うち三年生が一人、二年生の名が三人あった。貼り出されたのは十三名で、結局真沙美は十二問を一度で解いてクリアしたから六十点で十位タイだった。二年生の中では最も多く解いたことになり、数学に関しては本校でも通用することが確認できて真沙美はほっとひと安心した。同じく二年生の十位はA組の級長三井寺雅代、そして信じられないことだが、B組の藤野亜由子だった。
「さすがやなあ」と、ステイシーが真沙美の肩をぽんと叩いて、素直な喜びの表情で褒めてくれたが、亜由子の追い込みの凄さに圧倒され、真沙美はしばらく言葉が出なかった。
あの速さには誰も敵わないだろう。一時間以上眠っていて、およそ半分の時間で十二問を解いたことになる。脅威のスピードだった。しかも、あれは全くの別人だ。演習が終了して、ロカや亜樹らが、さかんに亜由子のことを「すごい、すごい」と賞賛するのを、彼女はただ「たまたまだよ」と照れくさそうに謙遜していた。昨日の亜由子ではなかった。眼鏡を外して顔が変わるというだけではなく、仕草や雰囲気までまるで別人なのだ。おとなしい、奥ゆかしさのある、清楚で上品なイメージ。それなのに、同じ六班の人間はすでにその変貌に慣れてしまっているのか全く気にせずに肩を叩いていた。そんな中、亜由子は、人に褒められるのが慣れていないのか消えるように寮の自室へ戻っていった。
その日真沙美は、演習ばかりではなく初めてのことばかりで途轍もなく疲労を感じたので、午後は殆ど自室で過ごした。夕食までの時間はベッドに横になり、夕食を終えた後も、「やるわね、あなた」とにんまりとお褒めの言葉を投げかけてくれる一位の徳澤那由他に、「はあ」とか適当な挨拶しかできずにシャワーを浴びて、ベッドに横になった。
どのくらい経ったのか、星明りがうっすらと差し込む部屋は、消灯していて真っ暗なはずの室内の様子をはっきりさせるくらい明るかった。枕もとの時計に目をやると三時になろうとしていた。すでにパーテションの向こう側の那由他も眠っているようで微かに寝息が聞こえる。早く寝すぎたせいか、このような時刻に目覚めてしまったのだろうが、そうなるともう眠れそうになかった。
初日の様子をあれこれ思い出してみる。朝の朝食当番。早朝の部活見学。そして開会式。午後は数学の演習だった。そこで見た何人かの印象に残る人々。三年生の上位者名簿を独占する一班に割り込む形で一位を獲った児島純。清楚の中に妖しさを秘める不思議な美少女。また女生徒たちの注目の的となった教育実習生の羽鳥周。精悍さと優しさを併せ持つ中性的な長身の美男子。一度だけ採点を受けたが、答案を読むのも速く、的確に真沙美の答案の無駄な部分を指摘した。そしてあのどこか遠くを見ているような透き通った視線。体は生徒の指導に当たっているのだろうが、魂はどこか遠くへ置いてきたのだろうか。不思議な男だった。そしてあの藤野亜由子の変貌。あの後亜由子も自室へ籠もったまま出てこなかった。夕食すら摂っていない。ステイシーと亜樹が使い捨ての弁当箱に一食詰め込んで差し入れしたくらいだった。しかし、こういうことはよくあることだという。あの異常な、そして脅威の追い込みを知っていたからこそ、ロカは「大丈夫」と言ったのだ。同じB組の人間もみな知っていることなのだろう。それは教室にいた担任の成瀬理恵の様子を見ていても感じられた。彼女は明らかに亜由子の様子をじっと窺っていた。亜由子が解答を始めると傍までやってきてシャーペンを走らせる亜由子の前傾姿勢を上から監視するかのように見張っていたのだ。だが亜由子に不正の兆候は全くなかった。それは真沙美にも分かる。明らかに亜由子本人が何も見ず答案用紙に向かってひたすら正解をたんたんと記載していた。ただ普段と様子が違う点は、あのどこか雰囲気の分からない、多動症めいた亜由子が、その時だけ別人のように沈黙の解答マシーンになっていたことだった。
こうしたいくつかの出来事は、冷めた感覚で本校に転入してきた真沙美に、ぞくぞくするような刺激を与えた。それは、平凡な日常に飽き飽きし、また一方で非日常といえるくらいストイックで刺激のないと想像していた本校での生活に、心のうちに眠っていた活力や好奇心といったものを呼び起こし、いくつかの謎や命題に対して答えを得たいと思う気持ちにさせてくれた。真沙美はいよいよ眠れぬ夜となったことを自覚して、無理に眠ることを諦め、ルームウェアの上にカーディガンを羽織って、机の前に坐った。端末のスイッチを入れる。幸いなことに、那由他に殆ど影響を及ぼさないくらい静かに端末は立ち上がった。
毎日きちんとチェックしようと思っていた校内メールの受信箱にやっと目を通すことができた。これからの予定や、昨日行われた演習の結果などが広報メールの中に記載されていた。一つ一つ目を通すうち、その中に親展というタイトルのメールを見つけた。中を覗くと次のような内容のものだった。
「数学演習での三年生にも劣らない立派な成績おめでとう。今後の努力しだいではA組入りも早々にやってくるだろうし、一班に属する日も夢ではない。しかしそのためには少なからず注意が必要だ。とかく転入生の好成績は妬みや嫉みの対象となる。必ずや足を引っ張ったり、陥れようとする者が出てくるはずだ。身の回りには十分注意することだ。もしそうした周囲の姦計の作用を受けたくないのなら、名前が出ないくらいにほどほどにしておくこと。その方が君の身のためだろう。精霊」
差出人不明の、意味の分からぬ内容の、忠告とも警告ともとれるメールだった。何を意図しているのだろうか。今回二年生のしかも転入生として最初の演習で、上位者名簿にいきなり名を連ねたことに対しての忠告なのだろうが、生徒の中には羨望が嫉妬に変貌し、やがては憎悪にまで発展して貶める行為をなす者が出てくるから警戒しろということのようだ。ご丁寧な忠告である。いったい誰がこのようなものを発信するのか。生徒の部屋に備え付けの端末から発信されたものではなさそうだ。アドレスが生徒番号の形式にのっとっておらず、しかも返信不能のメール設定になっている。人に脅されたことがない真沙美は、確かに不気味な心象の火を胸のうちに灯したが、一方で全く冷静で客観的に自身を見つめている自分を発見した。むしろ面白いことになりそうだとさえ思い始めた。ほとんどあらゆる娯楽の無いある種無味無臭の世界にあって、ほんのりとした芳香をもたらす一抹の灯りを見たとさえ感じ始めた。このまま忠告に従っておとなしく目立たないようにやっていくか、それともここへ来るまでは何ら目標すら持たずただ成り行きでその場しのぎをして行こうと考えていたそれまでの自分を捨て、我武者羅に力をフルに発揮して優等生の一角を切りくずよう努めるか、ひとつの分かれ道に立っているという思いだった。
誰かに相談すべきか、果たしてこのようなメールは自分だけに送られてくるものなのだろうか、それすら分からない現時点では、どのような選択肢が望ましいか、真沙美には分からなかった。少しの間、あれこれと考えはしたが、妥当な結論が出せるわけでもなく、当面は誰にも伝えず成り行きを見守ることに決めた。
起床時刻の五時までもう一時間も無い。真沙美は端末のスイッチは切ったものの、下手に眠ると寝過ごしそうな気がして、このままベッドの上で起きていることにした。まだ先は長いものの初日から不規則な生活を余儀なくさせられ、体調を崩す契機となってしまいそうだが、何かしら予期せぬ出来事がたくさん待ち受けているようで、胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。




