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尖った乙女たちが鐘を鳴らす  作者: 柏栖零inHakusuya
7/10

数学演習

 午後一時、数学演習についての簡単な説明があり、一時五分演習がスタートした。生徒たちは各教室で一問目の演習問題を解き、解答を完成させたら、採点担当の教官たちが控える採点室へと足早に答案を持参する。正解ならその場で次の問題をもらえるという仕組みだった。

 席は班ごとに大体かたまっていたから、周りは昨日以来顔なじみとなった六班の面々だった。教室の最後尾、出入り口近くに陣取っているので、外へ飛び出すには有利だった。あまり一秒を争うような激しい競争ではないだろうが、それでも気分的に落ち着く。真沙美は一番廊下側の端の席で、前には亜樹、左前には朱美、隣が亜由子、左後ろステイシー、真後ろがロカだった。

 一問目は全員数学ⅠAの問題で、方程式と不等式に関するものだった。標準より少し難しい程度の問題であったが、真沙美には見たことがあるものだったので、五分も掛からず難なく解けてしまった。周囲ではかりかり鉛筆を走らせる音が続いている。徐に立ち上がると、ステイシーが素直な驚きの声を漏らした。

「うわ、はや! さすがは大宮の主席や」

 教室全員が自分を振り返ったような気がして、真沙美は一瞬気恥ずかしかったが、出口へ向かおうとして亜由子の様子をみて愕然とした。机に突っ伏して気持ちよさそうに寝ているのだ。呆気にとられていると、ロカが忠告した。

「早く行きな。亜由子なら大丈夫だから」

 とにかく教室を出る。採点室へ向かう道で考えた。大丈夫とはどういうことか。下位五名は大量の課題を出されるのだろう。それなら寝ている余裕などない筈だが。

 階段を一階まで下りて、職員室横の採点室へ入った。中にはまだ四名しかいない。ちょっと拍子抜けの思いだったが、採点者が八名なので四名待っている。誰のところへ行こうかと逡巡したら、「こっち、こっち」と手招きしながら呼ぶ声がした。

「え?」と思いながらその方を向くと、見慣れた顔。矢野悠子だった。そういえば理科の教師だったっけ。仕方がないので呼ばれたとおりに悠子の前に坐った。この先生、本当に数学の採点ができるのか。まあ難問ではないから大丈夫だとは思うが。

「さすが、松山さんね。数いる三年生を抑えて五番目。二年生で一番よ。私も鼻が高いわ」

(あんたに教わったわけでなないだろう)と、思いつつ、周囲の三年生の様子を窺う。紀伊埜本(きいのもと)あすか。生徒会長だ。三年A組担任の榊教官の前に坐っていた。隣が徳澤那由他(とくざわなゆた)。三年A組級長。小松という数学教師についていた。この二人がトップを争うのか。二人は揃って次の問題用紙をもらって立ち上がる。決して足早に去ろうとしない。互いに余裕を見せびらかして対抗しているようにも見える。那由他は真沙美の姿を見て一瞬意外な表情を見せたが、すぐににっこり笑って手を振ってくれた。真沙美は黙って会釈する。

 次が酒井絢香(さかいあやか)。同じく三年A組一斑で上位者リストに載る常連だ。栗栖(くりす)という新任の数学教師の前にいた。ここまでは知っている顔だが最後の四人目が知らない顔だった。しかも亜樹が注目していた教育実習生の羽鳥周(はとりしゅう)の前にいるのだ。

 その生徒はおそらく三年生なのだろうが、どこか聖麗女学館にない雰囲気を携えていた。長い髪をしっかりアップに結って、白く綺麗な(うなじ)をみせ、きらきらしている黒い瞳が魅惑的で、清楚な中にもある種の妖しさがにじみ出ている。どうしてそう感じるのかと観察すると、その姿形よりも身のこなしや話し方にあるようだった。

「先生、夕食はどうされてますの?」などと堂々と世間話をしているのだ。これには待機している他の教官たちも呆気にとられているようだった。

「児島さん、私語は慎むように」と、隣にいた高雅(こうが)という理科の教師がやんわりと、しかし鋭い視線でたしなめた。

 その生徒は三年B組の児島純(こじまじゅん)というらしい。席を立つときに見たネームカードから読み取れた。児島純は、次々と入ってくる生徒たちと入れ替わりに悠然と採点室を後にしたが、入ってくる生徒たちはみな彼女を避けるように道をあけていくのが印象的だった。

「はい、よくできました」という矢野悠子の声で我に返る。「次はどれにします?」

 ⅠAかⅡBかⅢCのどれかを選択できるのだったが、しばらくはⅠAで行くことにした。

 教室へ戻る途中、多くの生徒たちとすれ違い、まだまだ始まったばかりで差は僅かなものであることは歴然としていた。途中でロカや朱美、ステイシー、亜樹らとすれ違う。みな順調のようだが、やはり亜由子の顔は見かけず、教室へ戻ると、机に突っ伏した状態のままでいた。あれから全く変わっていない。

 あまり他人のことは構っていられないので、二問目に取り掛かった。二次関数に関する問題で、小問が三つ。それぞれの条件について範囲を求めたり最大値や最小値を求めるオーソドックスなもので、計算と場合分けに時間がかかるだけのものだった。五分少々で完答。採点室へ行く。もうこの頃には八人すべての採点者に長い列が出来ていた。なんだか解答よりも並んだり採点してもらったりする時間の方がかかるような気がしてきた。特に最も右端の実習生羽鳥周の列が最も長い。亜樹が言うように少しでもイケメンの男性と会話できるのを楽しみに並んでいるのか、と思っていたら彼が捌くスピードが予想以上に速かった。殆ど一瞬で採点し、間違っていたとしても一言のアドバイスで的確に指導しているようだ。生徒の方も、無駄な会話は殆どせずただうっとりと彼の顔を眺めて頬を赤らめるのが関の山といった感じだった。なんと純情な乙女ばかりなのだろう。

 回転が速く人気のある羽鳥の列に並ばず、真沙美は別の列に並んだ。何も急ぐことはないのだ。それよりも教官たち一人一人についてどの様な人間なのか少しでも把握しておきたかった。周りをみると一問目の採点で真沙美より早く来ていた先輩達もそれぞれ異なる列に並んで今や採点を受けようという位置につけていた。あの少々妖しげな児島純も、今度は物好きにも矢野悠子の列にいた。紀伊埜本あすかは今回も榊教官に並んでいるようだったので、真沙美はその列に並んだ。生徒会長が二度も並ぶこだわりの理由を知りたかったわけだが、実際に採点の順番が回ってきて、肩透かしを食らった感じがした。

 榊教官は成瀬教官に似たタイプの色白小さな顔のどちらかというと可愛い感じの美人であったが、成瀬教官同様あまり笑顔を見せることはなかった。数学担当らしく余計なことは語らず簡潔に説明し、真沙美はあっさりクリアした。この一分程度の時間では、紀伊埜本あすかが二度まで並んだ理由は見つけられなかった。単純に担任だからだろうか。それとも対抗の徳澤那由他に担任の列に並ぶのを妨害するためなのだろうか。あすかが榊教官の列に並ぶ以上、那由他はその後ろにつくことが出来ず、必然的に違う列に並ぶことになるのだ。真沙美には、あすかが自分の方が先を行っていることを鼓舞しているかのように思われた。

「三問目はどうしますか」と、榊教官が事務的だが綺麗な声で訊くので、真沙美はまたⅠAの問題を選んだ。

 問題は三問目あたりから時間を要するようになった。立体図形の切り口や断面、切られた部分の体積などを求める問題で、真沙美はこの種の問題が少々苦手だった。ただ時間を掛ければ答えを出す自信はあったので、落ち着いて取り組むことにした。こういう立体の問題はトレーニングを積んでいる人間にとっては数秒で解法が導かれると聞いたことがある。解答時間に差が出る問題なのかもしれなかった。

 始まってから一時間経過の二時すぎあたりから早い生徒と遅い生徒の差がつき始めた。真沙美が六問目を解いているときに最も進んだ生徒は八問目にかかっているという声を耳にした。遅い生徒でも四問目だ。真沙美は三問目、四問目で時間を取ったためにトップグループから少し遅れをとり、数学ⅡBの問題を選択するように方針を転換した。三年生には遅れをとりそうだが、二年生にはどうやら負ける気配はしなかった。気がかりは隣の亜由子だ。時々様子を窺うが相変わらず寝ている。ロカやステイシーは全く気にしていない様子で、徐々にペースを上げつつあったので、真沙美も負けじと再びエンジン全開のつもりで取り掛かった。

 そうして、七問目を仕上げた時、亜由子の体がゆっくりと起き上がった。徐にトレードマークの分厚い眼鏡を外し、シャーペンを右手に持ち、教室の前方にある時計の方を目をすっかり細めてやっとの様子で見て取り、「二時十五分か」と呟いたかと思うと、答案用紙に顔をうずめるような前傾姿勢で目にもとまらぬ速さでシャーペンを走らせ始めた。

 あっけにとられる真沙美にロカが謎の微笑を送って、「さあ、亜由子もスタートしたわよ」と言うや周囲の様子もがらりと変わったようだった。なぜか必死になっているようなのだ。

 亜由子の様子はさらにおかしかった。眼鏡を外していることもあるが、顔つきが全く違う。七問目を提出に行こうと真沙美が立ち上がるのと、亜由子が顔を上げるのが同時だった。そこには別人のように綺麗な円らな目をした無表情の美少女がいた。彼女は一息つくと、しばらく動けないでいる真沙美の前を軽く会釈して通り過ぎた。一問目を提出に行くところだ。始めてから一分も経っていなかった。

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