二年B組六班
十二階に到着。下りると遠くの方まで開けた広々とした空間。三方向の窓は殆どガラスが張り巡らされ、日が暮れているため室内の様子がそのまま映し出されていた。そのせいかラウンジはひろびろとしており、人影も無数と言っていいほどたくさん見受けられた。私語のない世界は、人の歩く音、椅子を動かす音が響き、衣服の衣擦れの音まで聴こえて来そうだ。
長方形のテーブルは六人がけで、椅子は回転式アームチェア。どちらもやや低い造りで、寮のものにしては立派で快適に腰掛けられそうだった。テーブルにはそれぞれクラスと名前のカードが置かれていた。慣れない仕草で自分の場所を探していると、「こっち、こっち」という囁き声が聞こえてきた。自分を呼ぶ声かどうか判断に迷ったが、ゆっくり声のするほうを向くと、薄い黒フレームの眼鏡を掛けた女生徒が小さく手を振っている。近寄るとそのテーブルに「松山真沙美」のカードを見つけた。
「こんにちは、松山さん。はじめまして二年B組の加藤亜樹です。同じ六班です、よろしくね」
真沙美は初対面の相手には地味に挨拶する。加藤亜樹は人見知りしないタイプのようだ。
テーブルにはもう一人、ウェーブのかかった長い茶髪の長身の女生徒がいた。目がパッチリあいた彫りの深い顔立ちでファッション誌のモデルのようだ。徳澤那由他と並ぶと表紙になりそうだ。どう見ても欧米系とのハーフ。彼女はにっと口元に笑みを浮かべ、「柊ステイシーです。ステイシーと呼んでくれるかな」と、顔からは想像もつかない関西訛りの日本語で自己紹介した。
あっけにとられて一瞬返事に戸惑う真沙美に、亜樹がくすくす笑いながら、「ちょっと面食らうでしょう? ステイシーが喋るのを初めて聞くと。みんなそうなのよ。大阪弁が出てくるとは思わないから」
「うるさいわね、ほっといて。大阪校に長くいたからうつるんよ。ダディも大阪人やし」
大阪人の父親とオーストラリア人とのハーフらしい。亜樹に劣らず人見知りしないどころかおよそ聖麗女学館には似合わないキャラクターのようだ。このテーブルだけ話し声が聞こえるようで、真沙美は周囲を意識した。大きな声や笑い声といったものは聞かれない。なんだか別世界のようだ。
「この二年B組六班は、二年生で最も個性派が集められた班なんよ」とステイシーが云えば、「落ちこぼれという話もあるけど」と突っ込みを入れる。漫才のような雰囲気だった。
「松山さん、がっかりしないでね。あなたは優秀そうだから成績しだいで直ぐに別の班に移れると思うわ」
「いいえ、そんなことないです」
「まあ、ふつうにやってれば相応しいところに落ち着くから頑張りや」
大宮校なら一緒にならないタイプの級友だろうが、この本校ではむしろこうしたタイプの方が安心して付き合えそうだ。少し緊張が解れる。ステイシーと亜樹に挟まれる形で席に着いた真沙美は、ほっと一息ついて他の三人を待った。
と、突然空気が変わるのを感じた。殆ど私語がないのにざわつきを感じる。周囲の生徒達が揃って視線を送る先に、このテーブルに向かってくる女生徒が二人。二歩ほど前を歩く女生徒は何となく見覚えのある顔だが、どこであったのか思い出せない。やや茶色がかった髪をポニーテールにし、知的なイメージを打ち出す臙脂色のフレームの眼鏡をかけた美少女。歩き方が並でない。堂々とかつ颯爽とした雰囲気。スカートの下から伸びた脚が綺麗に前に振り出されている。
「おお、ロカ。久し振り」とステイシーが大きなよく透る声で迎えた。
「さっきついたばかりよ。元気そうねステイシー」
その存在感ある美少女は落ち着いた様子で言葉を返しながら、真沙美の前の席についた。
「あら、新しい人ね。松山さんか、よろしくね、伊佐治です」
首にかかったネームカードにある「伊佐治紘香」という文字。「ロカ」という通称。間違いない。テレビやコマーシャルに引っ張りだこの人気美少女ユニットFIANAのボーカル、ロカこと伊佐治紘香だった。彼女が聖麗女学館の生徒であるのことは有名な話だが、東京校ではなかったのか。
「私がここにいるのが不思議みたいね」と、ロカは真沙美の心を読んだかのように、「出席日数が足りなくて、その度にここの研修で補習を受けているうちに、いっそのことこっちに籍をおけと云われたのよ」
「有名人だから特例なんよ。さすがに広告塔やなあ」
「茶化さないでよ」と、ロカは満更でもないようにステイシーに云うと、隣の椅子を引いて後ろについて来ていた目立たないもう一人の生徒を席に着かせた。
「アケミ、調子はどう?」と、亜樹がその生徒に声を掛けた。その女生徒は、抜けるような白い肌、というより蒼白いくらいで不健康の印象が拭えない。小さな顔に大きな目が魅力の美少女なのに痩せていてひと回りも小さく見えた。
「大丈夫、今日は良い方だから」
少しハスキーな声の彼女は、菊村朱美というらしい。ロカと同じ東京校に在籍していたが、病気欠席を繰り返したため、補習を受けるうち本校への転校となったという。成績以外で本校転入となるケースは非常に珍しく、おそらくこの二人の例しかないだろうと、後になって亜樹が解説してくれた。広告塔のロカはともかく、この朱美という病弱な生徒に聖麗女学館が目をかける何か特別な事情があるのだろうか。
これで五人。そろそろ教官たちも席に着き始める。ここでの夕食の特徴は職員も一緒に食事をとるスタイルにあった。しかも職員が一つ所に纏まってとるのではなく、生徒達の中に混じって食事をするのだ。今日はたまたま職員の同席はないようだったが、一緒に食べる教官が誰になるかで、その日の食事の味にまで影響するという。
「成瀬先生なんかが来るとお通夜みたいになるしね」と、亜樹がこそこそいったので、ステイシーは大笑い、ロカと朱美も静かに笑った。
いよいよ六時間近というころ、六人目の生徒が息を切らせて飛んできた。「ひええ、遅刻、遅刻」
大きな丸い眼鏡。分厚いレンズに大きな目が映っている。がさつな感じが否めない。周囲の生徒達は無視しているかのように落ち着いて、その生徒に目を向けることはなかった。
「相変わらず騒々しいな、アユコは」
「ステイシーがいう言葉じゃないわね」
「ごめええん、新入りさんを案内してたからあ」と、アユコと呼ばれた女生徒はレンズに映った大きな目をぎょろぎょろ動かせた。
「案内って、あんた新入りと相部屋になったの?」
「そうよ、高等部一年生の那須禾ミチルさんよ。かわいいいんだから」
「なんでまた、アユコみたいなのが指導的役割に割り当てられたんやろ」
ステイシーが不思議そうにロカの方を向く。
「七不思議ね」
みんな好き勝手なことばかり喋っているので、このテーブルだけ聖麗女学館とは切り離されたような空間に感じられた。一般の生徒の乗りである。
六人目の生徒は藤野亜由子というらしい。ステイシーよりさらに大きな声でよく喋る。全く周囲の空気を感じないタイプだった。
ほぼ六時になり、全員が席に着いたようで、校長先生の挨拶と訓示が始まり、ジョアン・バウム寮長の挨拶、真沙美ら新入生の簡単な紹介、新任職員の紹介、教育実習生の紹介が行われた後、生徒会長の「いただきましょう」の一言で夕食が始まった。
周囲の様子が気になったので、優希の姿を探すと、一年生のB組テーブルにしっかりと坐って何の苦労もない様子で食事をとっており、心配が取り越し苦労であることがわかった。真沙美よりはずっと逞しい人間だから、それも妥当であろう。また、もう一つの余計な心配の種である教師の矢野悠子はというと、中等部の一年生あたりのテーブルでにこにこしながら生徒達に声を掛け、さも以前からここにいるかのような余裕の表情で食事を頬張っており、やはり要領の良い性格はここでも健全だなと思わせた。
真沙美は、隣の加藤亜樹のひそひそした内情話に耳を傾け、ときおり突込みをいれるステイシーの大阪弁に苦笑し、また一段と大きな声でぼける藤野亜由子の一声にも唖然とさせられては、びしりと切れ味鋭く決まる伊佐治紘香の吐き捨てるような決め台詞にたじたじとなった。もうひとりいる大人しい菊村朱美が声のない笑いを真沙美に向けるので、真沙美も顔を見合わせ静かに同調した。
全く愉快な班だ。この班分けは、二年B組の担任成瀬理恵(そう、あの生真面目な彼女が担任なのだった)が、意識的にとり行ったらしい。成瀬は、この学園の多くの生徒の間では風紀に厳しい、常に目を光らせている、融通の利かない、厄介な存在との評判だったが、B組六班の者にとっては、それほど恐れるに足らぬ相手らしく、ステイシーに言わせれば、「真面目な顔が可愛いやん」とあっさり片付けられるし、ロカによると、「任務に忠実なだけ」との評で、小声のお喋りが大好きな亜樹が言うには「注意には従った方がいいわよ」という程度らしい。
この学校の出身者でない成瀬理恵が、最も学園の規律に厳格というのも不思議な話だが、なぜそのような状況になったのかは、高校以降のこの一、二年のうちに本校へ移って来た六班の生徒達には説明できないことのようだった。ただわかっているのは、亜樹、ロカやステイシーたちが来る前の、今から二年前の秋に中途採用の形で、英語教師で二年A組担任の大磯静佳とともに、都内の私立高校から転勤してきたということだった。教師の中途異動などは大変稀有な例だと思われるが、どのような事情があったのかは分からない。ただこの二人は、いきなり紫のカラーシスターとして赴任してきたので、当時の生徒達はかなり驚いたようだったという。
この本校での教師の任期は二年程度が平均的で、よほどの将来嘱望されたエリートでもない限り他校への異動が常に行われており、最近でも毎年のように多くの教師が移って行き、新たに多くの教師がやって来るのだった。亜樹によると、特に近年は生徒の自殺や失踪騒ぎが毎年のように起こり、そうした事態を憂慮して、教師の挿げ替えも頻繁に行われているという噂もあるようだった。
兎にも角にも初日の夕食は真沙美が予想したより愉快な展開で終了した。明日からの研修が楽しみでもあるが、まずは今晩ゆっくりと眠れるかどうかと言うところだった。自室へ戻ると、既に先輩の那由他は在室しており、眼鏡を掛けて知的な姿に変身して机に向かっていた。ここの生徒は一人でいくつもの顔を持っているのかと思わせるくらいの変貌に、真沙美は脅威と尊敬の念を抱いた。しかし明日の起床が五時であることと、初めて体験する事象が多かったことにより疲労感に苛まれていたため、那由他の真似をする気力は到底沸いて来ず、真沙美はあっさりと那由他に挨拶して就寝した。




