集合
松山真沙美は、常に自己を偽り、周囲に作り上げた自分を見せて生きてきた。
父親は製薬会社に勤め、仕事に実直であったため帰宅はいつも午前様だった。殆ど顔を合わすこともなかった。一人っ子だったので畢竟母親との生活となる。
母親は聖麗の会の会員で、幼少の頃から真沙美は日曜ごとに教会へ連れて行かれた。教会での行事はキリスト教ひろく一般に行われているものと大差はなかった。だから聖麗の会が新興宗教であることを意識させられたのは聖麗女学館の中等部に入学してからだった。そこでは道徳の時間に聖麗の会の教えがしつこくなされた。聖麗の会の歴史、教祖の偉大さ。教祖に成り代わって信者に教えを導くことができるのは、信者の間で俗にカラーシスターと呼ばれる、いくつかの色のアクセントが入ったクロスをまとったシスターで、数十万いるといわれる信者にあって、このシスターは全国に百八人しかいないのだという。だから女学館の教師達はすべて教会員ではあったが、道徳の時間に教えを説くのはカラーシスターのみで、真沙美が通う大宮校には常時二人ほどしかいなかった。
それが何か行事の際には長野にある総本山から複数のカラーシスターがお出ましになり、有難い教えを説いて回るのだ。
生徒はすべてが教会員というわけではなかった。聖麗女学館も少子化の影響を受け、かつては教会員でなければ入学はできなかったが、今や半分が一般の家庭の生徒である。教会の特殊な行事の際には教会員の生徒のみに対して礼拝などが行われ、そういう時には本校のカラーシスターの位を持つ教師達が出張してくるのだった。
教会員である同級生達は、それを何の疑問もなく、真剣かつ真摯な態度で目を向け耳を傾けるのだ。真沙美も一応右に倣うかのようにこなしてきたが、この集団的な陶酔状態にいつも冷静でいる自分に気づき、自己嫌悪に陥るのだった。
自分の居場所でないみたいだ。真沙美はいつもそう感じていた。では自分の居場所はどこかと問われても、それに対する答えは見つからない。何か別のところに本来自分が存在してしっくりするところがあるような気がする。あくまで気がするだけかもしれないが、思っても見ないことを口にしたり、信じてもいないことに集中したりするこの世界の自分を自覚すると、いつかこの狭い閉ざされた、そして真沙美には暗いと感じさせられる世界から抜け出して、本来の自分の姿を如何なく曝け出せるところへ行ってみたいと思うのだった。
まだ未熟故の浅はかで甘い考えなのだろうか。母親は全国で百八人しかなれないカラーシスターの地位を得るか、そうでなければ女学館の教員になることを希望している。しかしそれは真沙美にとって何の価値もないことだった。一つの通過点にはなりえても最終目標というのでは決してない。普通の少女がふつうに夢見る将来。両親や教官にとって何の魅力もないものであっても、自分にはすべてを注ぎ込んで打ち込めるもの。はっきりとまだ形にならないが、何かあるような気がする。こう手を伸ばせばすぐ掴めるところにあるような気がするのだ。
思わず両手を前に出していた自分に気付き、真沙美ははっとした。窓際を振り返ると優希がくすっと笑ったようだった。通路側は寝息をたてている矢野悠子。時計を見る。間もなく到着の時刻だった。ちょっと考え事をしていると瞬く間に時間は過ぎてしまう。うろたえてばかりもいられないから、真沙美は掛けていた眼鏡の位置を調整し、優等生の仮面をかぶり直した。
「先生、つきますよ」
軽井沢に間もなく到着するアナウンスが聴こえても矢野悠子が起きる気配がなかったので、真沙美は悠子を揺するようにして起こした。悠子は背もたれから体を起こすと、ポーチから手鏡を取り出して自分の顔を念入りにチェックし始めた。
「よし、みなさん、降りますよ。迷子にならないようにしっかり私の後をついて来てくださいね」
まるで小学生に語りかけるような口調だった。真沙美と優希は周囲の視線を感じて恥ずかしそうに顔を伏せて、列車を下りた。
多くの乗客がホームに降りたようだ。荷物を持った旅行客が多く、三人はそれらに紛れてゆっくりとしか進めなかった。改札が一つしかないので迷うはずもないが、悠子がはぐれないようにとうるさく言うので、黙ってもらう意味も込めて真沙美と優希はそれに従った。
改札を出ると左右に分かれる。旅行客たちはそれぞれ自分達の行き先に向かう。立ち止まってどちらだったか考える人々もあった。しかし、矢野悠子は迷わず左へ二人を導いた。
「本校は駅の北側にあるのです。地図で調べました。ロータリーに送迎バスが来ている筈ですよ」
自信満々なので、悠子の指示に従ったが、視野の端に反対側へ向かう聖麗女学館の制服姿を何人か見つけた。悠子と優希が左手の通路を先へ行くので後ろを振り返るようにして目を凝らすと、紛れもない聖麗女学館の制服、コートを着た女学生が二人。その前方を教員らしい細身の若い女性の姿があった。
どう考えても同じ目的地へ向かう生徒と引率教員だ。ということはどちらかが道を誤っていることになる。どちらが間違いなのか。結論は見えているような気がする。真沙美は苦笑しながら悠子たちの後を追った。
案の定、階段を下りたところのロータリーには、それらしい送迎バスは見当たらなかった。
「あれ、おかしいわね」と、きょとんとしている矢野悠子に、教官としての権威を落とさぬよう何と声を掛けたら良いのか躊躇したが、そのままでは始まらないので、おそるおそる声をかけた。
「あの、駅の反対側ということはないでしょうか? 向こう側へ下りていく女学館の制服姿を見たんですけど」
「ええ? そう? だって本校はこちら側なんだけど」
「このロータリーには、バスをゆっくり停めておくスペースがないですよね、だからひょっとしてあちら側では?」
矢野悠子はバッグから一枚の書類を取り出した。引率案内らしい。すべてにおいてマニュアルを用意するのが女学館のルールだったので、そういうものがあるのは分かっていた。ただ自分らに渡されていなかっただけだ。尤も生徒にそうした書類を渡すのを矢野悠子が忘れていた可能性はあったが。
「あら、やだ、ほんと。南口ってかいてあるわ。さすがは松山さん。冴えているわね」
矢野悠子は何の落ち度も感じていないのか、あっけらかんと言い放つと、「じゃあ、あっちへ行ってみましょう」と、憶目もなく二人を引っ張った。
駆けるようにして来た道を戻り、階段を駆け上がり、人気の少なくなった改札の前を横切って反対側の階段を下り、息を切らせて案内にある通りの場所へ向かうと、紛れもない聖麗女学館の文字と校章が入った小型のスクールバスが停車していた。
バスの前には三人の人影。一番大きなのは一見してすぐわかる外国人。ジョアン・バウムと名乗った陽気なアメリカ人は、寮長であることを明かして、すごい力でぎゅうっと抱き締めてきた。これから仲良くやっていきましょう、などと英語で喋っている。優希は、体が見えなくなるくらい包み込まれてきゃあきゃあ云っていたが大層嬉しそうだった。
矢野悠子は、今までの余裕の表情とはうって変わって、集合場所を間違えて遅刻しそうになったことを恐縮して、泣きそうな顔で謝っていた。というのも目の前で、成瀬という神経質そうな教官と、笹塚という渋谷あたりにいそうな都会的な美人教官(教官? こんなラフな格好の教官がいるのだろうか)とが、凄い剣幕で言い争っているのを見たからだった。
この二人の争い、本人達は真剣だったかもしれないが、私服姿の笹塚教官をバスにのせるかどうか、という低次元な話題で漫才のようなやり取り。真沙美は失笑を隠せなかった。お蔭で矢野悠子のお咎めはなく、悠子はジョアンに抱き上げられ、嬉しい悲鳴を上げながらバスのステップに下ろされた。
結局笹塚教官は置いて行かれ、バスは本校への道をゆっくりと辿った。
車内を目立たないように見渡す。人と目が合わないように観察する。自分と同じような編入組の生徒は二人しかいないようだ。それも一年生のような初々しさ。優希の同級生ということだろうか。一人は線の細い色白というより蒼白に近い顔色の目だけがぎょろっとした子。真沙美は異星人を連想した。確かに美人には違いないが、きちんと食事をとっているのだろうか、と余計な心配をしてしまう。もう一人は逆に肉付きが良い、微笑むとえくぼが魅力的な可愛らしい美少女といった感じの子。優希とは合わないなという気がする。余計なお世話かもしれない、と一人印象から空想を働かせ、真沙美はにんまり微笑んだ。
あとは教育実習生が三人。すごい美人ばかりだ。知的な香りが漂ってきて、ファンになりそうだった。もともと聖麗女学館は、巷では顔も入学試験の科目だとまで言われるほど美しい子ばかりが揃い、教官も生徒にも増して美人が揃っているが、本校ともなると大宮校よりさらにレベルアップしているように思われる。すでに異世界への入り口に差し掛かった気分だった。
もう後へは引けない。何があるか分からないが、夢も見当たらず氷の世界に閉じこもりつつあった真沙美は、ここで少し異世界で未知なる体験をするのも面白いと思うようになっていた。




