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尖った乙女たちが鐘を鳴らす  作者: 柏栖零inHakusuya
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聖地へ

 その年は記録づくめの暖冬で、都内では殆ど雪を見ることがなかった。

 三月も二十日になり、例年にない早さで桜も満開となった頃、松山真沙美(まつやままさみ)は、大宮駅の新幹線ホームにいた。これからまだ寒いとされる信州の山奥に赴くというので、制服の上に厚手のコート、それも学校指定の漆黒色のものを羽織っていたから、ぽかぽか陽気の昼下がりには少々暑すぎた。

 ちょっといらいらしながら、傍らにいる一年下の長谷部優希(はせべゆうき)に声をかける。

「それにしても矢野先生、遅いわね」

「あと二分で新幹線来ちゃいますよね」

 この四月から高等部一年に進学する優希は、大きな目をくりくり動かせた。真沙美と同じように漆黒のコートを着ているが、前ボタンをしっかりと留めているので中の新調した制服は外からは窺えない。小柄で華奢な感じはするがコートの下から伸びた脚は紺のソックスがぴったりとフィットしてしなやかである。黒髪は三つ編みで目立った染め方はしていない。春の暖かい陽射しがあたると少し金色に光るくらいだった。目が大きく,よく動くし、色白で笑うと頬にえくぼが浮かぶので、女の目から見ても実に愛らしかった。事実、通りかかる男子中高生はみな優希を振り返るようにして目で追っていた。

 一方の真沙美は、久々に眼鏡を掛けていたので、耳や鼻のところに感じる違和感が甚だしかった。これから本校へ赴くというので、コンタクトを外してきたのだ。ふだんなら若い男性の視線を集める真沙美も、眼鏡と優希のお蔭で、ちょっぴり寂しい思いをすることになった。

 今日から信州奥地にある聖麗女学館本校の寮生となるため現地へ向かうのだ。真沙美は新二年生として、優希は新一年生として大宮校からの編入となる。

 全国各地にあるミッション系スクール聖麗女学館の中でも信州にある本校は最も優秀な生徒が集まる聖地だった。学校法人聖麗女学館は、幼稚舎から大学まで全国各地に構え、その卒業生は、多方面で活躍していた。母体は宗教法人「聖麗の会」。戦後に生まれたキリスト教系の新興宗教であるが、瞬く間に優秀な女性の人材を育成して名を上げてきた。信者に女子が誕生すれば、挙って女学館への進学を願い、進学が適うとさらに聖地の本校を目指すのだった。本校を出ることが「聖麗の会」の幹部になる近道であり、また各業種のエリートになる近道だった。

 大宮校にいた松山真沙美は、編入試験に合格し、中等部から本校高等部への入学試験に合格した長谷部優希とともに、今日本校の寮へ入寮するため、このホームで引率の教師の到着を待っていた。なお本校への編入試験に合格するのは、学年に一人いるかどうかの狭き門で、大宮校から二人も編入するのは稀な事態と言われていた。

「あ、来た来た」と、優希が指差す方に、引率教師の矢野悠子(やのゆうこ)の姿が見えた。エスカレーターを昇りきると、大きなキャスター付きの旅行バッグを引きずりながら、白い息を切らせて真沙美たちの方へ駆けて来た。

 この矢野悠子という教師、昨年新卒で大宮校の生物教師として赴任してきたばかりだが、二年目を迎えるこの春から本校の教師として赴任することになった。真沙美が聞いた話ではあまり例がない人事らしい。余程の優秀な人材か、そうでなければ本校での特別な研修が必要なケースのどちらかではないかと噂されている。

 優等生を自負する真沙美の目から見て、矢野悠子は確かに優秀な教師には違いない。生徒の質問に詰まることはないし、授業もわかりやすい。まじめな顔は知的に見え、笑った時はすごくチャーミングな、親しみやすい美人だ。しかし、と真沙美は思う。ときどきとんでもないドジを踏むおっちょこちょいなのだ。

「ごめええん、待たせた?」

 矢野悠子は、教師らしからぬ調子で、真沙美と優希に声をかけた。そこへちょうど新幹線が入線してきた。徐々に速度を落としながら進む新幹線は、たまたま強く吹きつけてきた春風を押しのけ、その風の余波は、ホームで待つ客を襲った。埃が目に入らぬよう目を細めたり顔を背けたりする中、矢野悠子はもろに風を受け、膨らみかけたコートとスカートを抑えようとバッグから手を放してしまった。たちまちバッグが反対側に倒れかかる。あわてて抑えようとした悠子は、取っ手を掴み切れずそのままバッグもろとも向こう側へうつ伏せの格好で倒れてしまった。

 前のめりの格好でコートとスーツのスカートがせり上がり、白のストッキングに包まれた太ももの後ろ側が艶かしく露わになったところへ、風が追い討ちのように悠子の短めのスカートを吹き飛ばし、一瞬ではあるが派手なショッキングピンクのショーツがもろに露出した。

「やだあ、もう」と、悠子は、顔を真っ赤にしている。

「せんせい、大丈夫ですか」と、真沙美は声を掛けたが、内心恥ずかしさで一杯だった。優希はそっぽを向いて知らない顔をしている。近くにいた数人の会社員は、目を白黒させたり、にんまりしたり、といろいろな反応だった。

(どうして、こう、いつもドジなの。それにあの派手な色の下着……)

 真沙美と優希は、無言で矢野悠子を助け起こし、慌てて車内に連れ込んだ。

 恥ずかしい思いもしたが、車内のエアコンがもあもあとした熱い空気を体にまとわりつかせるようで、席を探し出すと三人は慌ててコートを脱いだ。

 真沙美と優希の制服は藤色のブレザーに紫紺と藤色のチェック柄の膝丈スカート。濃紺のオーバーニーソックスは膝上まであるから、立つと脚は全く肌を露出しない格好だ。上着の下には純白のブラウスに濃紺のリボン。冬場は紺のベストも着用するのでスリーピースとなっている。上着の胸元には藤を形どった校章があり、ひとめで聖麗女学館の生徒であることがわかる。特に今日は本校へ向かうというので、ふだんよりスカートの丈は長くしているし、髪はふたりともアップにして三つ編み。真沙美にいたってはふだんかけない赤いフレームの眼鏡をしているので、優希に知的と冷やかされる始末だった。

 また矢野悠子は、リクルートルックにも見える濃いグレーのスーツ姿。スカートは、膝丈で少し広がっているので、先程の強風の煽りを受けたのだった。白っぽいストッキングに黒の革靴を履いた脚線は滑らかで人目を惹いた。

 上品かつ高貴な外観は、いやでも目立つ。それまで空いていた三人がけシートに、美しく若い女性が腰掛けると、車内の雰囲気は一変したかのようで、視線を感じた真沙美が周囲を見回すと、慌てて顔を下に向けたり、目を逸らせたりする乗客が何人もいたのだった。

 そうした乗客の視線を全く感じないらしく、矢野悠子は一番通路側の席に腰掛けるなり、派手に脚を組んで、スカートが太ももの方まで捲くれ上がるのも構わず、右膝を擦り始めた。

「痛い、痛い。おまけに伝線してるし。」と、さっき転んだ際に打撲したところを一所懸命に擦っている。

「先生」と、真沙美が静かに注意するくらいだった。窓際の席に着いた優希は、外の景色を見るふりをして、相手にならない態度を決め込んでいるから、真沙美は真ん中のシートで、悠子の話し相手にならざるをえなかった。

「一時間ほどで軽井沢に着いたら、迎えの車が来ているらしいから、それに乗って一時間以上らしいわよ。私も初めて行くんだけどすごい山奥ね。記録的な暖冬なのにまだ雪が残っているという話よ」と、悠子は子供のようにうきうきしていた。

 真沙美は、適当に悠子の相手をしながら、本校での生活を思い描いた。敷地内から一歩も出ることのない寮生活。外の世界から完全に遮断された状態で、分刻みのスケジュールで、勉学とグループワーク、礼拝に明け暮れるらしい。

 敬虔な信者である両親の期待が大きい一方、真沙美はどこか冷めた気持ちだった。確かに本校での教団のエリート教育を受ければ、いわゆる上流社会での華々しい活躍や、高級官僚や著名人の伴侶となる未来が待っている。卒業生の中には、有名なテレビキャスターや政治家秘書、各界のカリスマなどがいて活躍する分野は多岐にわたる。しかし、それらの中に自分の夢となるようなものは見当たらなかった。未来の自分はどうしても思い描くことができないのだ。かといって学園の教師をはじめとする教団の指導者になりたいとも思わない。本校で教義を受け、あわよくば教祖の洗礼を受ければ何か未来が拓けるのだろうか。

 本校への編入が決まったとき、同級生の中には、洗礼を受けられる可能性があるといって羨望の眼差しをおくる者もいた。真面目な信者にとっては、教祖に見えることだけでも素晴らしいことらしい。いったい教団の力は、どの程度のものなのか、真沙美は想像もできなかった。

 ふと窓際の優希を見る。一年下のよく動く大きな黒目が魅力的な美少女。決して優等生というイメージではないが、本校への編入が叶ったくらいだから、相応の頭脳を備えているに違いない。大宮校にいれば、現代の女子高生風に制服のスカートも短くできたし、髪も染めて周囲からアイドルのようにもてはやされちやほやされることは間違いなかった筈なのに、それを捨てて本校へ挑むのだ。何か大きな目的でもあるのだろうか。それとも単純に聖麗の会の敬虔な信者なのだろうか。一緒にすごした事もなく、まともに話もしたことがないだけに、一切分からない。話し好きの真沙美としてはじっくり聞いてみたい気もするが、電車の中では、しかも隣に矢野悠子がいてはできそうもなかった。

 生徒同士がじっくりと話をする雰囲気を消している。聖麗女学館にはいつもそのような雰囲気があった。学内には常に教師の監視があった。笑みを浮かべ親しみを表現しているかのような顔をしながら、真沙美には看守のような視線を送っているのだった。

 つい気を許すとどんなしっぺ返しがあるか知れたものではない。とくに真沙美のような優等生を装う似非信者には、気も抜けない場だった。親の期待を裏切らないためにも、大宮校の首席としての期待を裏切らないためにも、おとなしく優等生を演じ続けなければならなかった。となりの矢野悠子の目も注意しなければならない。本校へ行くほどの教師なのだ。ドジな姿を見せ付けて、その実、二人を監視していることも考えられる。真沙美は疑心暗鬼にとらわれ、ぞっとしている自分に驚愕した。

 ふと気づくと隣の矢野悠子から寝息が聞こえてきた。真沙美は取り越し苦労かと思い直したりしながら、自分のコートを悠子の膝元へ掛けてやった。引率者は自分かしら、と思いながら。

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