003 雁字搦めのアリシア
ルジャール率いるシャドーエルフが玉座の間から退出するのを確認し、ロギは安堵のため息をつく。レーダーマップでシャドーエルフを表す点が黄色から青色に戻っている。玉座から半分ほどずり落ちながら生き延びた事に感謝する。
(危なかった)
何かが少し違えばロギの戦いはここで終わっていた。シャドーエルフを重用したのは決して間違いでは無いと思いたかった。しかし自己判断で動ける種族が一つのみだったのは失敗だったかもしれない。もう一つ自己判断で動ける種族を何処で見つけるか、という非常に面倒な問題から目を背けてきたツケと言えた。魔将由来のモンスターはコストが安く強い。しかしそれらはグールとゴーレムに代表されるように独自判断で動けない。魔城に内政能力があれば『リージョン・オブ・ジ・エターナル・フレイム』にあったランクアップ設備に投資して独自判断が出来る上位モンスターに出来た。現在はロギが手ずから一体一体ランクアップさせる必要があり、時間とコスト面で採算が取れない。結果的にルジャールの様な存在に全力投資する方が魔城全体の強化に繋がる。
「分割して統治せよ、か」
魔城では決して思いつかない考えを口にする。ロギの前世では有効な手段として知られていた。この世界では敵対存在は女子供まで皆殺しにするのが当たり前のために誰も思い至っていない。魔城の圧倒的な力で複数の種族が全面戦争に発展しない程度に牽制し合う状態を維持出来るか。ロギは頭の中で必死に計算する。そしてフェリヌーン隷国を征服した後で無いと不可能と結論する。無理をすればホープエンドを征服した後に可能かもしれない。しかしそれには領主族に睨みを聞かせられる存在が必要不可欠だ。
(それって魔王の仕事だよな?)
ロギは不在のアザンディオスに思いを馳せる。彼は呼べば来てくれるはずだ。しかしこんな小国一つを独力で落とせない魔城など鼻で笑って出て行くに違いない。現在消極的に協力して貰えているのは先代の存在あっての事だ。アザンディオスは援軍まで出してくれた。これ以上頼るのは気が引けた。ロギ、そしてアザンディオスは肝心の援軍が未到着どころか、勇者と共にイスフェリアに味方しているとは夢にも思わない。
(やはり魔将が揃っての魔城だ。この場には不在でも、彼らの存在が知れ渡れば魔城の安全性は上がる)
その思いは他の魔将にも及ぶ。
(まずはアリシアだ! ルジャールが強訴するとは思っていなかったから彼女を試したが、変に誤解されたままかもしれない)
ロギはタイミングの悪さを呪う。アリシアと多少疎遠になっても、アリシアが人間社会に深く食い込めば食い込むほど酷い裏切りに遭うと確信している。そうなればアリシアが頼れるのは魔城だけだ。アリシアはその時に真の魔将となる。
ルジャールの強訴でその予定が破綻した。魔城の防衛のためにアリシアは絶対必要となった。更にホープエンドとイスフェリアの後処理で連携しないといけない。ルジャールが魔城の戦力をエルフ討伐に当てなければロギ単独で両都市を落とせた。両都市を落とす基本戦略に変更はない。ただ、ジャイアントストーンゴーレムを前進させるだけの簡単な戦術を採用出来ないだけだ。最低でもアリシアが中立を維持する状況を作り出す。そのためにはアリシアの希望をある程度聞かなくてはいけない。指し手を誤り、アリシアとの関係が修復不可能になるのだけはなんとしても避けなければならない。
(そろそろ長風呂が終わっているはずだ)
そう思い、ロギはアリシアに連絡をする。そしてその考えが甘かったと知る。
***
「まだぁ?」
アリシアが苛立ち紛れに言う。風呂に入れられて既に三時間は経過している。かなり前に台所から美味しそうな匂いが流れてきており、そろそろ食欲が我慢を超越しそうだ。
「半分終わった所です!」
しかし見慣れない中年メイドの答えは無情にもアリシアの希望を打ち砕く。
「半分!?」
「はい! これでも工程を減らして急いでいます」
「もうバッサリ切ろう!」
「それは……お待ちください!」
「なんで?」
「長い髪は貴人女性のステータスです。ここまで長く美しい髪は見たことがありません!」
正確には貴族女性のステータスであり、平民で長い髪をしている者は少ない。逆説的に長い髪をした平民女性は貴人であると勝手に解釈される。貴族なら床に垂れる長い髪をメイドに持たせて歩ける。しかし貴人でそんな事をすれば貴族の怒りを買う。なので切らずに上手く纏めて床上を引き摺らない様にする必要がある。そして専門の技術以上に時間が掛かる。特にアリシアの髪は碌に手入れをせずに激戦を潜り抜けて五日近く放置されていた。並みの手入れではどうにもならない程に痛んでいた。
「はぁ、分かった」
アリシアは諦めてため息をつく。アリシアの中で髪を切るのは確定事項だ。しかしマイケラスが三つ隣の屋敷から呼び寄せた中年メイドの手前では余り我儘を言えない。これこそがマイケラスの狙いだったと下手に深読みする。実際はアリシアの長過ぎる髪を結える人材が屋敷に居なかったので、マイケラスが断腸の思いで外からメイドを借りて来た。
この中年メイドはイスフェリアへ逃げた貴族が年齢を理由にホープエンドで捨てた女性だ。彼女は伝手を頼り三つ隣の屋敷で職を得たが、彼女程幸運だった者は少ない。幸い、彼女は幼い頃から屋敷に住む貴族女性の髪を結う仕事をしていた。その特殊技能を珍しがった今の主が彼女を雇用した。貴族に仕えていたメイドが裕福な平民に雇われるのは屈辱だが、食うには手段を選んでいられない。どちらかと言うと、そういうメイドが平民にすら雇ってもらえない事に驚く。給金で折り合いが付かない以上に信用問題が重い。
貴族に呼び戻されたらすぐに今の職を辞すと思われているのはまだ良い。貴族の密命を帯びたスパイ疑惑は根強い。他のメイドと違い読み書きが出来るために裕福な平民の家計簿を覗き見て何が書いてあるか理解できる。そうでなくても貴族に仕えていた時にどんなコネを手に入れたか分からない。中には盗賊ギルドと通じているメイドがおり、ホープエンドが魔城に襲われた時に屋敷を襲う手引きをしたほどだ。それ故に裕福な平民は読み書きが出来ずに程よく無能な女性をメイドにする。アリシアの屋敷のメイドはベル以外は凡そこんな感じの女性で固められている。
そして待つ事一時間。遂に髪の毛のセッティングが終わる。三つ編みにしたのをリング状にして纏めている。後ろから見たら巨大なドアノッカーを背負っている様に幻視される。
「ありがとう」
部屋に連れられて自分の姿を見たアリシアは顔が引き攣らない様に精一杯努力してお礼を言う。こんな姿ではどうやって剣を振り回して良いのか検討がつかない。それは即ち明日にでも髪を切ろうと決断させるに十分だった。
「お嬢様! どこぞの貴族みたいですね!」
ベルの褒めているのか褒めていないのか判断し辛いコメントが飛び出す。ベルとしては褒めているつもりだ。しかしアリシアの目指す先は戦士であり、それとは真逆の貴族と言われては素直に喜べない。
「ベル、食べかす」
なので少し意地悪をする。
「え、口回りは拭いたのに?」
ベルは必死に唇を撫でて確認する。
「襟についている」
アリシアはいつものベルのドジさを見て気分が軽くなった気がする。
「し、しまったぁぁぁ!?」
ベルは頭を抱える後ろで最終確認に来たマイケラスが睨んでいる。
「食べに行こう」
「そうですよ! 今食べたら前に食べたと分かりませんよね!」
ベルが調子の良い事を言う。
***
「師匠、今日の訓練は?」
アリシアはテーブルに座って開口一番ダアガスに問う。返事を待つ間に早速料理に手を付けるのは忘れない。
「明日からだ。最初は軽い運動だけだ」
ダアガスが答える。
「ええ? もうちょっとペースを上げなくて良いの?」
アリシアは護衛依頼から満足に訓練出来ていない事がずっと気になっている。実戦を多く経験したが、それは生きるために必死だっただけだ。そこで得た経験を自分の戦い方に落とし込む時間は無かった。アリシア以外なら毎日五回は死んでいるダアガスとの訓練を経て初めてアリシアは自分の成長に満足できる。
「その成長した姿で再生能力が残っているか確認するのが先だ」
ダアガスの懸念は尤もだ。アリシアの急成長に代償があるか定かではない。その中で取り返しがつかないのはアリシアの強さの秘訣である無限の再生能力だ。腹に大穴が開こうとも頭が半分吹っ飛ばされようとも瞬時に回復する特異な力は他に類を見ない。ダアガスがいつもの調子でアリシアを破壊して、再生が始まらなければ大問題だ。なのでダアガスはまず切り傷から始め、次は腕か足を斬り落として確認する訓練計画を立てる。ダアガスの実力で綺麗に斬り落とした腕なら上級ポーションでくっつく。ドラゴニアン基準でノーダメージだ。
ダアガスは言葉を濁したが、もう一つ大きな懸念がある。アリシアは訓練が終わる頃には訓練着が形を保っていない。以前のアリシアなら屋敷の人間が見ても「またお嬢様が裸だ」で終わる。そう終わる様に屋敷の周りには高い壁がある。しかしダアガスには今のアリシアの肌は誰にも見せてはいけない程度の分別がある。何人かいる男奴隷は言うに及ばず、女奴隷も怪しい所がある。人間に欲情しないダアガスですら一瞬クラッと来たほどだ。同種族で今のアリシアの魅力に耐えられそうなのはベルくらいだと考える。ベルにしてもアリシアを襲うより腰ぎんちゃくをしていた方が旨い汁にありつけると言う余りにも即物的な理由が根底にある。
「なら狩りに行こう!」
強くなることに何処までも貪欲なアリシアは景気よく言う。
「お嬢様! ビキニアーマーは駄目です」
そこにお代わりを持ってきたベルの母が言う。
「大丈夫! あれはサイズが自動でフィットす……」
「そうではありません!」
凄い剣幕で怒鳴るベルの母。
「落ち着きなさい」
マイケラスが注意する。
「う、申し訳ありません。ですがビキニアーマーで外出など。マイケラスさんかも何か言いなさい!」
ベルの母に無理難題を押し付けられたマイケラスはモノクルを弄り、姿勢を正す。アリシアはそんなマイケラスを不思議そうに見る。
「お嬢様。奴隷の身で主人の行動を掣肘するのは憚られる事です。本来は冒険者を引退して頂きたいのですが、それは納得されないでしょう」
「私は強くならないといけない」
アリシアはロギのため、そして奪われた弟のために強くならないといけない。何人たりともそれを邪魔すれば敵として排除する強い意志がある。
「然り。なので強くなる事には何も言いません。ですが肌を衆目に晒すのだけは控えて頂ける様、伏してお願いいたします」
「う~ん」
アリシアは必死に懇願するマイケラスを見る。自分の大きくなった胸を見る。それを数回交互に繰り返す。
「マイケラスの言う事に一理ある。だが替えの鎧はあるのか?」
アリシアが答えを出す前にダアガスが助け舟を出す。ダアガスはあのビキニアーマーがアリシアのパトロンの贈り物だと言うのを知っている。そしてそのパトロンは幾度となくアリシアを救って来た。勝手に装備を変えてはパトロンの不興を買う恐れがある。かと言って幾ら防御力が他の防具と隔絶していてもビキニアーマーで外に出る事にはダアガスも内心では反対だ。
「「……」」
皆が沈黙する。
「私が確認しておく。それまでは市販品で良いのを用意して」
アリシアは問題を棚上げする。彼女だけで決めて良い問題では無いとダアガスの言葉で理解した。マイケラスも「それなら」と納得する。
「私が一緒ならレザーアーマーを装備してゴブリン狩りは問題無かろう」
ダアガスが明るく言う。彼はアリシアに余りストレスを貯めさせるのは良くないと考える。ストレスを掛け過ぎて暴発する勇者の例は枚挙に暇ない。安全なゴブリン狩りで少しでも気分が紛れるのならさせるべきだ。
「うん! まずはゴブリン狩り!」
アリシアは正直に喜ぶ。屋敷の皆は暗黙の了解で今の路線を継続しようと決める。
しかしそんな決意は脆く崩れ去る。マイケラスが髪を結うために連れて来た中年メイドが屋敷の主人にアリシアが目覚めた事を報告した。そこからアリシアが可愛い少女勇者から絶世の美少女勇者になったと噂に尾ひれが付く。美しい長い髪をしているのは数日限り、と中年メイドが呟いた事でアリシアと親交がある人間が屋敷に大挙する事になる。そして終いにはホープエンド領主からの招待状が届く。
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