007 イスフェリア総督ボードウィン・ヴィスポア
玉座の間が存在しないと誇るイスフェリア城の執務室で数人の貴族が机を囲んでいた。東に狂獣が現れてからは不運続きだったが、彼らの表情にはまだ余裕があった。多少の社会的混乱は彼らの懐を潤し、権力基盤を固める手助けになる。しかし、そんな彼らにも下々の不幸が追い付き出した。
「例の洞窟の件は真か。復旧の目途は?」
四十台の筋肉質な男が問う。グラースエヴァン国王からフェリヌーン総督を拝命したボードウィン・ヴィスポアは禿げあがった頭を撫でながら報告を持つ。ヴィスポア伯爵家は魔城討伐後に叙爵された新興貴族であった。過去を遡れば魔城討伐以前から王国に居を構える古い一族なのだが、目立った身分を持たず、時偶に先祖と思える人間の名前が当時の資料に出る程度だ。先代伯爵であったボードウィンの父が借金を返せず領地は没収の憂き目にあった。しかし、現国王は当時王国軍に身を置いていたボードウィンがフェリヌーン総督としてかの地へ赴任するのならヴィスポア伯爵家は取り潰さないと約束した。国王の申し出に感動したボードウィンは弟への家督警鐘を見届けてフェリヌーン隷国へ出向いた。領地に残した妻子と弟には二度と会えない事になるが、生活基盤があれば苦しむ事は無いと信じた。
ボードウィンの最初の仕事が独立派の誅滅だった。王国は家族と領地を人質に取られたボードウィンなら手抜かりなく粛清を完遂すると信じた。そしてボードウィンは王国が期待する以上の結果を齎した。ただ、それはボードウィンがイスフェリアの権力を掌握する結果にもなった。ボードウィンが野心家ならそのまま国王として戴冠できた。しかし彼は総督の地位で満足したのか、それ以上の動きは見せなかった。ボードウィン、そして彼の前に赴任した総督はフェリヌーン隷国が貧乏過ぎて国王になるメリットがないと知っていた。
国全体が貧乏でも個人が貧乏である必要は無い。ボードウィンは数代前の総督が多大な犠牲を払って調査した西へ渡れる洞窟事業を拡大した。洞窟を使った密輸は百年以上続いていたが、本格的な流通経路として整備したのはボードウィンだ。皮肉にもそれがボードウィンの首を絞めようとしていた。王国から密輸した数々の品を下賜したり、結託している商人経由で売り飛ばす事で富を得ていたボードウィンは金の卵を産む鶏を失った事を認めたくなかった。洞窟の調査もこれが三回目だ。今回は洞窟の存在が多少露見する危険を冒して魔法使いギルドの人間を雇って本格的な調査をした。
「残念ながら」
「そんな事は聞きたくない!」
「……」
報告をしたヨーリス・ブリシックは滝のような汗を流して続ける言葉を探すも、何も出てこなかった。ブリシック男爵家は元を正せばボードウィンと同じ王国から派遣された貴族だ。それが数代を経て、完全に土着してしまった。ボードウィンの粛清を生き延びられたのはヨーリスがしがない四男だった事が大きい。そしてブリシック家が密輸洞窟を通じて築いた外との関係をそのまま吸収したかったボードウィンがその血筋のヨーリスを抜擢した。
悪所通いで実家から半ば勘当されていたヨーリスは地元の人間だと言う事を最大限に利用して密輸を指揮する傍らで各種ギルドに影響力を持つに至った。密輸が上手く行っている間はボードウィンとて渋い顔をするだけだったが、洞窟が通行不能とあれば少々権力を持ち過ぎたヨーリスは粛清リストに名前が載る公算が高くなる。ボードウィンはヨーリスがそれを理解しているからこそ洞窟復旧の目途を調査させた。復旧出来ないとなれば飛ぶのはヨーリスの首だ。
「それでどうする」
「他の洞窟がある! それを使えば続けられる!」
ヨーリスが必死に言う。
「何回も通行を試みて失敗している」
歴代総督は密輸洞窟の数を増やそうと調査部隊を送り込んでいた。しかし秘密保持の関係から大規模な動員が出来ず、その結果は芳しく無かった。
「専門家を使う。数を増やす」
「……可能か?」
ボードウィンが懐疑的な表情で突き放す。
「今は物価が上がって、食うためには自分の親すら殺す奴らが増えてきた。今なら出来る!」
ヨーリスはボードウィンが望む密輸復活の夢を見せると同時に彼の矛先が他に向くように仕向けた。現在のイスフェリアの状況はお世辞にも普通とは言えない。密輸の有無より根深い問題が発生している。なら、まずはその責任者をやり玉に挙げればヨーリスの首が飛ぶのが遠のく。
「物価の上昇。説明せよデオノート」
ボードウィンは足下にそんな火が付いている事を知らず、驚きを隠しながらイスフェリアの直接統治を委任しているデオノート・アネッセン城伯に問う。アネッセン伯爵家は魔城討伐以前からの旧家であり、ヴィスポア伯爵家を下に見ている事を隠そうともしなかった。何の因果か、そんな家のデオノートはボードウィンの部下として同時期に派遣された。アネッセン伯爵家の件は汚職が理由となっていたが、ボードウィンはその程度でこんな流刑地に飛ばされる事は無いと知っていた。油断ならないが、当地の腕が一流のデオノートに任せるしかない一面があった。
「簡単な事です、閣下。食べ物がありません」
デオノートは優雅に一礼してまるで子供に説明するかのように事情を語る。
「年貢は足りるだろうな?」
ボードウィンは民の生活よりは王国に納める年貢の心配をする。民は幾ら飢えても西から補充できる。しかし年貢の支払いに滞りがあれば自分の首が飛ぶ。デオノートの首も飛ぶ。万が一飛ばないのなら、ボードウィンが個人的にハルバードを振るって飛ばすと決めていた。
「当然でしょう。イスフェリアの分は耳を揃えて用意してあります」
「……何が言いたい?」
「ホープエンドの分は来ません」
「まだ来ていないだけだ」
「いえ、来ません」
「何故分かる!」
答えをはぐらかすデオノートに怒り、机を強打するボードウィン。
「あっちの領主から『嘆願書を出すからよろしく』と内密に頼まれました」
デオノートはそれが悪い事ですらない様に語る。
「私を無視するとは良い度胸だ!」
ホープエンドの領主としては根回しの一環でしか無かった。根回しをしたデオノートが盛大に裏切って最悪の形でボードウィンに報告するとは考えもつかななかった。例年ならデオノートはホープエンドの領主と共謀してボードウィンの権力を削ぐ方向で動いた。しかし生まれて初めて喋った言葉が「賄賂」だと言われるデオノートですらイスフェリアの現状を憂いていた。このまま事態が悪化の一途を辿ればフェリヌーン隷国で築き上げてきた財が奪われる。それだけは何が何でも避けたかった。そのためには王国からボードウィンの政敵になる様に派遣された事を一時棚上げしてでもボードウィンと共闘する道を選んだ。
「やばくないか? ホープエンドの年貢を上からちょっと頂く事で胡口を凌ぐ奴らは多い」
堪らずヨーリスが会話に押し入る。二人が民の事を気にしていないのは痛いほど分かっていた。ヨーリスと言えば民のために動く男ではない。しかし密輸業に関わる人間はイスフェリアに住む一般人だ。彼らが飢える様になれば密輸再開の目途が立っても動かせる足が足りなくなる。最悪、彼らが洞窟を占拠してボードウィンに取っては頭の痛い小勢力が誕生するかもしれない。
「ホープエンドが全部悪い」
それはヨーリスからすれば唐突な発言だった。
「その通りかと」
しかしデオノートは打ち合わせてあったかの様に追随した。
「ヨーリス! ホープエンド略奪自由を掲げて兵を集めよ!」
ボードウィンはこの冬をホープエンドの血で維持している間に次の一手を取る事を決めた。密輸をもっと大々的に行い、農地をイスフェリアの目と鼻の先で開拓する必要があると観念した。上手く行けばイスフェリアは繁栄する。失敗すればイスフェリアは廃墟となる。どうなろうともその前にホープエンドは灰燼と化す。
「へ、攻める?」
「ぼさっとするな! 洞窟が使えない貴様の代わりになりたい者は多い!!」
「た、直ちに!」
ボードウィンの雷が落ち、ヨーリスは平身低頭して首が物理的に飛ばされない事を祈るしか出来なかった。
「閣下、少しお待ちを」
「なんだ!?」
「ホープエンドからの使者がここ数日中に来るはずです」
「……それまでは大きく動かない方が良いか」
ボードウィンが一瞬熟考して方針を示す。
「左様です」
「ヨーリス、上手くやれ!」
「は、はい!」
ヨーリスは首の皮一枚が繋がって安堵した。その使者が帰るまでは如何にボードウィンでもヨーリスの変わりを用意出来ない。ならばその数日で何処まで裏を纏められるかでヨーリスは自分の有能さを示すしか無かった。
「その使者は帰しますか?」
デオノートがボードウィンを試す様に言う。
「同じ王国貴族としてせめて話を聞いてやろう」
ボードウィンは鷹揚に構えた。その姿を見てヨーリスとデオノートは王の姿を幻視した。ボードウィンは愚かな男ではない。ホープエンドへ兵を進めるのがどういう意味を持つか理解していた。グラースエヴァン王国がボードウィンの言い分を受け入れるのなら良し。ボードウィンは王国が受け入れる可能性を半分より少し上と見ていた。今の王国にフェリヌーン隷国へ大規模な軍隊を送る余裕は無いのを知っていた。これからボードウィンが行うのは分の悪い賭けで得るものが少ない鶏肋でしか無かった。それでも今を失わないためにはそれを選択するより道は無かった。
そしてこの会議から二日後、ホープエンドから領主の代理が東門を通ってイスフェリアに来た。ボードウィンは盛大な歓待の準備を整え、領主の代理を出迎える準備をした。事態がそこまで切羽詰まっていると思っていない代理は約束された歓待に気を良くして、ボードウィンとの協議を楽しみにしていた。代理に帯同した文官や雇った冒険者が雰囲気に異常を感じるも、代理が動かないのなら出来る事は無かった。
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