006 イスフェリアに到着
イスフェリアの東門は煌びやかだった。ここがフェリヌーン隷国だと知らなければ何処かの首都に来たのだと錯覚する。首都は強ち間違いでは無い。フェリヌーン隷国は独立国であり、その政治の中心が何処かと問われれば、このイスフェリア以外に候補は存在しない。しかしグラースエヴァン王国の貴族が運営しているのを強調するかのように、イスフェリアを支配しているのは総督の役職を与えられている。グラースエヴァン王国はこの地を「逃亡者と犯罪者を永遠に入れておく牢獄」として運営したいがために本来は占領地を軍事支配する将軍に与えられる役職を使用させていた。
グラースエヴァン王国の土を踏んだことがある初期の貴族は既に死に絶え、この地で生まれた子孫が残っているに過ぎない。それなら独立意識が湧きそうなものだが、それは定期的に追放されて流れ着く王国生まれの貴族の介入で芽吹く事が無い。この様な僻地に追放されたい貴族はいない。しかし貴族の身分を持ったまま移動するか死罪かと問われれば、前者を選ぶ者もいる。
王都になるべき都市がいつまでも王都にならずに中から腐ったのがイスフェリアだ。その煌びやかな外観とは裏腹に、それは野望渦巻く退廃の都市だ。ロギはアリシアにはこの都市の本当の顔を見て欲しくないと思いながら、城門を潜る列の動きを追っていた。アリシアは顔を隠すためにフードを深く被っているために、ロギの知覚はソナーの様に点々を俯瞰しか出来ないが、その視点のおかげでアリシアは何度も助かっている。ロギは今回もアリシアを下手な奇襲から守るべき神経を集中した。
「小金貨一枚だ!」
「た、高!?」
アリシアは衛兵に入場料を言われて驚いた。ホープエンドに入るのに必要なのは大銅貨五枚なのを考えると、優に二百倍の値段だ。
「払えないなら帰れ!」
「四級だから安くならない?」
アリシアと衛兵が話している横で、五級冒険者や彼らが護衛した商人がイスフェリアに入るのを断念していた。商人の方はアリシアの雇用主みたいに小金貨を支払って中に入る商人に自分の品を売ったり販売を頼んだりしていた。このままホープエンドに持ち帰るよりは赤字覚悟で売りさばいた方が良いと判断した。ロギが聞き耳を立てた限り、彼らは城門近くで野宿をし、全員一緒にホープエンドへ帰還を目指すらしい。ロギが配置したシャドーエルフの戦力が待ち構えているので彼らの判断は正しい。しかしシャドーエルフの脅威とはまた違った脅威がイスフェリアと言う城塞都市だ。ロギは都市の外が安全だとはとても思えなかった。
「ならん!」
「なら私と師匠の分で小金貨二枚」
アリシアは争うだけ無駄だと悟って支払いを済ませた。最初にホープエンドに入った時は足し算すら覚束ない状態で衛兵に必要以上の入場料を払ったのが嘘のようだ。ロギはアリシアをホープエンドに送り込んだのは決して無駄では無かったと一人で感動した。
「人が多いところは慣れん」
ダアガスがアリシアの近くで愚痴る。愚痴りながらもアリシアをそれとなく守れる位置をキープしている。ダアガスに取ってここは既に敵地であった。それを悟れないアリシアは生まれて初めて見た煌びやかな街並みに注意力散漫になっていた。
「知らないものがたくさん!」
『フェリヌーン隷国の工業力ではこの数は作れないな』
『そうなの?』
『ああ』
アリシアはロギの呟きに反応するが、それだけだ。ロギはこれらが密輸洞窟経由で入って来たと睨んだ。そしてその洞窟が潰れればここらの品の補充が出来なくなる
無論、正規の手段で追放されてくる人間が持っているかもしれない。だがそれでは原価に比べて希少性が天元突破するだけだ。フェリヌーン隷国で生産できるように職人を育成するか密輸の再会が急務だ。
(ここの様子だとまだ密輸が止まったのは知られていないな)
しかし噂が流れるのは止められない。ここの領主である総督は住民にパニックが広がる前にどう動くだろうか。そしてその中でホープエンドはどういう位置づけか。総督は勇者が来るのを知らないはずだ。来るのならそれこそ絶望の関門を超えれば一日で来られる。良くて、近々来ると知らされているくらいだ。フェリヌーン隷国全土で勇者が確実に来ると唯一確信していたのがロギだ。それ故に彼の戦略は常に「最強の敵が最悪の場面で敵対する」前提で考えられ、その上で確殺出来る布陣を用意する事に苦心する。そうした案を考えるためにもイスフェリアを直接見るのは大いに助かる。ダアガスとマイケラスは何か懸念がある素振りだったが、ロギは「力尽くで粉砕すれば良い」と楽観視していた。ロギは理性的であるからこそ、魔城が本心的にこの世界の敵だと言う事を理解している。魔城の行く手を阻む人類の拠点があるのならそれを粉砕するのが自然だった。
『アリシア! スリだ!』
アリシアに近づいている光点の一つが急に敵表示に切り替わった。相手がアサシンの可能性はあったが、イスフェリアに入ってすぐに殺しに来る様な短絡的な勢力はいないと考えた。
「痛ぇ! 放せよ、このよそ者が!」
「私の財布」
アリシアは容赦なくスリの腕を捩じ上げる。ミシミシと音がするが気にしない。腕か首を斬り落とさないだけ温情だ。アリシアが舐めた対応をすればこのやり取りを見ている者達がアリシアをカモと断定する。
「返す! 返すよ!」
アリシアとそう歳が変わらないであろう少年が財布から手を放す。アリシアは彼を軽く突き飛ばす。
「……」
少年は恨みがましい目を向けて雑踏に消えた。
「良くやった!」
ダアガスが褒める。
「何か変」
「そうか? スリはスリだ。殺さなかったのを咎めようかと迷っているくらいだ」
『変なのは雰囲気か? それとも服装か?』
『あっ、服! 普通の服だった』
『なるほど。なら気を付けろ。普通の人間がいつ敵になるか分からない』
『ええ!?』
アリシアはショックを受けたが、ロギの驚きはそれ以上だった。
(レアケースの可能性は無視する。一般住人がスリに手を出さないと立ち行かないほど物価が上昇しているのか? 密輸洞窟とは別件で何か動いているのか?)
ロギはイスフェリアの社会が想定より早く崩壊し出している事に冷や汗が出た。アリシアを偵察に送る必要は確かにあった。しかしこの状況のイスフェリアに送る事を想定していなかった。ホープエンドとイスフェリア間に展開しているシャドーエルフの部隊をイスフェリアに入れるべきか本気で迷った。そして下手に動かさずアリシアが逃げ帰る場合の補助に動かした方が安全と算盤をはじいた。
「アリシアさん! 大丈夫でしたか?」
「あの程度は楽勝!」
「おお、お強い!」
「それで? 護衛依頼は一応終わったよね」
護衛依頼は行きと帰りがセットになっている。行きが終わり、帰りの始まるまでが自由時間だ。本来ならこの期間も拘束すべきだが、そうすると掛かる費用が多くなる。なので商人はで留まる際は冒険者を一度解雇し、次に動く時に再雇用する。アリシアの再雇用は既にホープエンドで済ませてある。なのでこの商人が何人イスフェリアに残るかが重要になって来る。
「はい。それでこれから宿に行こうと思うのですが、アリシアさんは何処か泊まる場所を見つけていますか?」
「見つけていない」
「なら一緒の宿にしましょう。私が居ればぼられる事はないでしょう」
「師匠?」
「帰りの護衛対象の近くに居た方が何かと動きやすかろう」
『宿代はケチるな!』
宿代をケチらずに睡眠薬を飲まされて奴隷商館に誘拐されたので、確実に安全とは言えない。それでも高い方が安全度は高い。ロギはそう信じたかった。
「なら、一緒に行きます!」
「分かりました。こっちです」
商人に案内されてそこそこ高級な宿に到着する。商人が知り合いのオーナーと丁々発止やりあって値段交渉をしている。ホープエンドでは一年ほど生活出来そうな金が一晩の宿泊料みたいだ。
(かなり良い宿屋でこれか。もはや貨幣経済が完全に崩壊している? そんなバカなとは思うが……)
「アリシアさん、何とか三日分の宿を取れました」
「おお! でも領主様の代役は一週間から十日って?」
「ですな! ここは私の腕の見せ所! 追加の宿泊費を稼ぎます」
「分かった。この値段なら一週間分は余裕」
アリシアがドカッと大金貨数枚をテーブルに置く。圧倒的資金力を商人と宿屋に見せてつけるのはロギとマイケラスの発案だ。少女の姿ではどうしても舐められる。ならパトロンは本当に怖い存在だと強調するのがアリシアの安全に繋がる。商人より金持ちな護衛と言う倒錯した状況に宿屋の人間は困惑するも、きっと貴族の少女が外の世界で修行ごっこをしているのだと勝手に納得した。何せ彼女が師匠と慕うドラゴニアンの方が圧倒的に厳つく強そうに見えた。
『料理は結構美味しい!』
混乱から立ち直ってしばらくすると夕食となった。アリシアに取って幸いにもマナーに五月蠅い商人は商談でいなかった。
『それは良かった』
『でもロギ様の料理も……』
ロギが気を悪くしたのかと心配したアリシアが下手に取り繕う。
『いや、流石にプロには負ける』
ロギは気にせず料理を楽しめと言う。
「明日はどうする?」
豪快に骨付き肉に嚙り付くダアガスが問う。
「冒険者ギルド」
「ここの安酒の出来を計るとしよう」
もはやそれが楽しみなのではと思えるダアガスが気楽に言う。
『物の値段を調べくれ』
『値段?』
『そうだ。この一月で変わったかも』
『分かった!』
『頼むぞ』
ロギはもっとアリシアを大きく動かしたかったが、アリシアに取っては初めての都会だ。明日くらいはゆっくりさせようと思った。何せロギがアリシアを送り込む予定の場所は血を見ずに済まない場所だらけだ。
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