第5話 三度分の記憶が、偽造文書を暴く
書類を燃やす、ということは、燃やすべき何かがあるということだ。消す必要のあるものが存在するという証拠でもある。私はそれを逆手に取るつもりだった。
城下から王宮の東棟の方角を見ると、昨夜の煤の跡がわずかに壁に残っている。
風の向きからして、書記局の近くで火が焚かれたのだろう。
宿の部屋に三人で集まった。
カル副長、ルース、そして私。
窓の外を確認してから、私は書類を床に広げた。
「整理しましょう」
アデル伯爵から受け取った封筒の中身と、書庫から持ち出した原本を並べる。
二つの書類を横に置いて、一枚ずつ見比べていく。
「これが五年前の通商契約書の原本です。そしてこれが──」
私はもう一枚の書類を出した。
「三度目の記憶で存在を確認した、偽造版の写しです」
「写しをどうやって手に入れたんですか」
副長が聞いた。
「三度目に死ぬ少し前、宮廷の書記官が落とした書類を拾ったことがあります。当時はその意味がわからなかった。でも内容は覚えている。記憶を頼りに、今回書き写しました」
私は二枚を並べた。
「まず紙の質を見てください。原本の羊皮紙は縁が均一に薄い。これは丁寧な製法で作られた証拠です。偽造版は縁が分厚く、端を折り込んだ跡がある」
(※豆知識:中世の羊皮紙は仔羊や山羊の皮を石灰水に浸けて毛を除去し、木枠に張って引き伸ばしながら乾燥させて作る。表面を軽石で磨き、均一な厚さに仕上げる工程には熟練の技術が必要だった。急いで作った粗製品は縁が不均一になり、専門家は厚みと縁の処理を見ることで製造時期と技術水準を推定できた。)
副長が身を乗り出して、二枚の紙の縁を指で確かめた。
「確かに違います」
「もう一点。この文書の署名部分を見てください」
私は指で示した。
「原本の署名は、インクの濃淡が場所によって違います。ペンを動かす速度によって線の太さが変わる。生きた人間の手が動いた跡です。偽造版の署名は濃淡が均一すぎる。透かし写しの特徴です」
(※豆知識:文書偽造の鑑定では、インクの濃淡と筆圧の変化が重要な手がかりとなる。本物の署名は筆記者の手の動きに応じて自然な揺らぎが生じるが、模写した署名は慎重に線をなぞるため均一になりやすい。この技術は中世の修道院で写本を大量に作成する際にも応用されていた。)
「確かに違う。しかしこれだけで法的な証拠になるか」
「単独では難しい。だからもう一つ必要です」
私はアデル伯爵の手紙を開いた。
「伯爵はこの手紙に、北部の権利書が消える三日前に、書記局で文書を閲覧した人物がいたと書いています。その人物の名前も記されています」
「誰ですか」
「オズウィン侯爵の秘書官、ダグラスです」
副長は少し表情を変えた。
「知っています。侯爵の右腕で、実務をほぼ一人で取り仕切っている男です。書記局への出入りも多い」
「昨夜燃やされた書類は、おそらくその閲覧記録です。しかし書記局には副本制度があります」
(※豆知識:重要な官庁文書は、原本とは別に副本を作成して異なる場所に保管する制度が中世ヨーロッパの多くの王国に存在した。これにより火災や盗難による情報消失を防いだ。特にイングランド王室の財務府では、同じ記録を二カ所に分散保管する慣行が早くから確立されていた。)
「副本はどこにある」
「書記局の地下保管庫です。正式な担当者でなければ入れません。一般の官吏では権限が足りない」
「誰が入れるか」
「書記局長官の許可があれば。あるいは──王族の権限で」
副長はしばらく考えた。
「殿下を動かすには、昨日の合意を使う必要がある」
「そうです。手順を整理しましょう」
私は紙にペンを走らせた。
「まず副本の書類を確認する。次に原本と照合する。二つの文書の内容が一致すれば、消された原本の存在を間接的に証明できます。そしてダグラスの閲覧記録の副本が残っていれば、誰が文書を操作したかも特定できる」
「三点揃えば、文書偽造を証明できますか」
「委員会に持ち込むには十分です。王国の公正委員会は宰相家の管轄外で、独立した第三者機関として機能しています。委員長のベイン老侯爵は、どの派閥にも属していない」
副長は立ち上がり、外套を手にした。
「殿下に連絡を取ります。今日中に」
「急がせてしまいますね」
「いえ」
副長は扉のところで振り返った。
「あなたの計画が、どこまで届くのか。それを最後まで見ていたいんです」
それだけ言って、出ていった。
私はルースと二人になった。
ルースが温かい湯を入れた杯を渡してくれた。
陶器の肌が掌に温かい。こんな小さなことが、ありがたかった。
「お嬢様、怖くないんですか」
「怖いですよ」
正直に言った。
「三度死んで、それでも怖いと感じます。死ぬときの感覚を身体が覚えていて、時々急に息が詰まることがある」
ルースは黙って聞いていた。
「でも──怖いと感じることが、まだ生きている証拠だと思っています。怖さがなくなったら、それは何かを諦めたときです」
「私も怖いです。でもお嬢様が動いているなら、私も離れません」
その言葉が、思いがけず胸に沁みた。
これまでずっと、誰の力も借りずに戦ってきた。誰かの言葉がこんなにありがたいと思ったのは、初めてかもしれない。
夕方になって、副長から短い伝言が届いた。
「明後日の午前、書記局地下を確認できる。殿下が承諾した」
私は書類を丁寧に重ねた。
証拠は積み重なっている。
まだ完成ではないが、形が見えてきた。
「ルース、明後日のために、身体を休めてください」
「お嬢様は」
「少し書き物があります」
私は机に向かい、羽根ペンを取った。
書き始めたのは覚書だ。
これまで見聞きした事実を、できる限り正確に書き記す。日付、場所、人物、発言内容。記憶を信じるのではなく、記録として残す。
これがいつか、証言の代わりになる。
ペンが紙をこする音だけが、部屋に響いた。
灯りが揺れて、壁に私の影が映った。
私は机に向かったまま、もう一つの記憶を書き出した。
三度目のループで、宮廷の書記官から聞いた断片的な会話がある。
書記局の廊下で、二人の官吏がひそひそ話をしていた。
「北部の契約書、あれは宰相閣下の直筆ではないぞ」
「知っている。だが誰が書いたかを言えば、首が飛ぶ」
当時の私にはその意味がわからなかった。
しかし今なら理解できる。偽造を実行したのはダグラスだが、指示を出したのは宰相で、その仲介をしたのがオズウィン侯爵だ。三者の共謀が一本の線で繋がっている。
覚書にはその会話の内容も書き加えた。
日付は正確に覚えている。場所も。声の調子も。
(※豆知識:中世ヨーロッパの文書鑑定では、インクの成分分析も重要な手法の一つだった。没食子インクは鉄塩とタンニンの反応で作られ、製造元や時期によって微妙に色味が異なった。同じ文書の中でインクの色が異なれば、後から書き加えられた可能性を示唆する証拠となった。)
ルースが湯を替えてくれた。
三杯目だ。夜が更けていた。
「お嬢様、少しは休んでください」
「もう少しだけ」
覚書の最後に、私は一行書き加えた。
「これらの記録は、シェルトン家当主エリアナの記憶に基づくものであり、事実の証明には別途物証が必要である。しかし記録として残すことに意味がある。記憶は消えるが、文字は残る」
ペンを置いた。
インクの匂いが指先に染みている。
窓の外が、うっすらと白み始めていた。
夜を越えていた。
翌日の昼過ぎ、妹のサラが城下の市場に来たという知らせが耳に入った。そしてサラが、私の居場所を尋ねて回っているという話も。




