紅蓮のオーラ
「……いますぐ、この力を試してえ……! さっさといくぞ、トカゲ野郎!!」
ジリアンは自身の内に満ちる未知の暴威に狂喜し、飢えた獣のように吼えた。
バァン!! と大気を爆破させるような踏み込みで地を蹴り、一瞬にしてドラコとの距離を詰める。その右拳には、すべてを腐食させるようなドス黒い闇のオーラが渦巻いていた。
「オラァッ!!」
ジリアンがその禍々しい拳を容赦なくドラコに打ち込む。
「クッ……!」
ドラコは本能的な危機感を覚え、交差させた両腕でそれを辛うじてガードした。
ボコォッ!!!!
鈍く、重い、肉体がひしゃげるような最悪の音が森林に響き渡る。ドラコは防御姿勢のまま、ジリアンの圧倒的な衝撃力に圧されて地面を数10メートルも削りながら後ろへと吹っ飛ばされた。
ボォン!! と激しい音を立てて何本もの大木を薙ぎ倒し、ドラコの巨体が森林の奥へと突っ込んでいく。
「――こいつはいいな。素晴らしい。いままでの比じゃねえぞ、このパワーは!」
ジリアンは己の拳を見つめ、陶酔したように笑った。
激しく舞い上がる砂煙の奥。吹っ飛ばされたドラコは、すぐには起き上がれずに地面に伏していた。
「ククク……こいつは、マジでやべえな……。一撃で、俺様の自慢の両腕が死にやがった……」
ドラコは苦い笑みを漏らしながら呟く。
見れば、彼の屈強な両腕は、ジリアンの拳をガードした箇所の肉が文字通りぐちゃぐちゃに裂け、骨がきしむほどの致命的なダメージを負っていた。
ザッ……ザッ……。
倒れたままのドラコの方へ、ゆっくりと冷酷な足音が近づいてくる。
「おい、まさか今のだけで終わりじゃねえよなあ? 竜人王サマよ」
煙を割って、ジリアンが悠然と姿を現した。
「ふんっ。これくらいで、この俺様が死ぬ訳ねえだろ……!」
ドラコはぐちゃぐちゃになった腕をだらりと下げ、痛みに歯を食いしばりながら、気合だけでなんとか立ち上がった。
「だけど……さすがにこれじゃあ、もう、近接での殴り合いは厳しいな……」
「ガードごと破壊したんだ。次で完全に決めるぜ」
ジリアンは冷たく告げると、「フン!」と鼻から短く息を吐いて再び気合を込めた。
その瞬間、彼の全身を覆う闇のオーラが、さらに濃度を増してドス黒いものへと変質していく。その膨大なオーラは、まるで生き物のように蠢きながらジリアンの右拳へと収束し、拳の大きさを何倍にも巨大化したかのような錯覚を起こさせるほどに膨れ上がった。
「楽しかったぜ、トカゲ野郎」
ジリアンは禍々しく肥大化した拳を静かに上段へと構える。
「――『魔拳マモン』」
ジリアンが静かにその名を呟くと、拳の闇オーラはさらに倍増し、周囲の空間すら歪み始めた。そして、それをただ真っ直ぐに立ち尽くしているドラコに向けて、最大の一撃として叩き込む。
「逃げ場がねえな。……フッ」
迫り来る絶望的な破壊を前に、ドラコは避ける素振りすら見せず、逆に口角をニィと釣り上げた。
ジリアンの拳がドラコの顔面に直撃する、その刹那――ドラコは全身に残ったすべての神力を、一箇所へと爆発的に増幅させた。
パアン……。
森に、驚くほど乾いた、静かな音が響き渡った。
「……おい。次で決めるんじゃ、なかったのか……?」
ドラコが血に染まった口角を上げ、挑発するように尋ねる。
「てめえ……ッ!」
ジリアンの顔が驚愕に歪む。
ジリアンの渾身の魔拳は、確かにドラコの顔面を直撃していた。だが、ドラコはその一撃を、自らの最も頑強な部位――額のただ一点のみで完全に受け止めていたのだ。
「お前のそのクソ重い拳を耐え切るのに……俺様の全部の神力を使い果たしちまったじゃねえか。……次はもう、流石に無理そうだな……」
ドラコはそう自嘲気味に呟くと、限界を迎えた足がガクリと折れ、その場に両膝をついた。
「……褒めてやるぜ。俺のこの魔拳を正面から2発も受けて、まだ死なないとはな」
ジリアンは拳を引き、冷徹な瞳で見下ろす。
「だが……今度こそ、本当に最後だ」
(やべえな……。もう神力は空っぽだ、次は受けられねえ……)
動かない腕を見つめ、ドラコが心の中で死を覚悟した、その時だった。
『――しょうがないな。情けない我が愛子よ、俺様がすこし力を貸してやる』
傲岸不遜な、しかし絶対的な存在の響きを持つ声が、ドラコの脳内に直接鳴り響いた。
(……なっ!? 竜神様か!?)
ドラコが驚いて心の中で問い返す。
『本来なら手を出すつもりはなかったが、俺様の加護を受けながら、人間に、それも魔神の力に屈して負けるなどという不名誉は断じて許さん』
次の瞬間。
ドラコの体内の奥底から、先ほどまで枯渇していたはずのマナが、比ではないほどの莫大な「神力」となって津波のように湧き上がってきた。全身の細胞が、神の祝福を受けて急速に活性化していく。
「チッ。相変わらず、とんでもなく世話焼きな神様だぜ……」
ドラコは、思わず笑みを溢しながら口に出して呟いた。
「ああ? 命乞いでも始める気か?」
ジリアンが不審そうに眉をひそめる。
「なんでもねえよ」
ドラコがゆっくりと立ち上がる。その瞬間、彼の全身から、先ほどとは比べものにならないほど濃く、神々しい『紅蓮のオーラ』が爆発的に噴き出した。周囲の地面が、その熱量だけで一瞬にしてガラス状に融解していく。
「驚いたな……。お前、まだこれほどの力を隠し持っていたとはな」
ジリアンがその圧倒的なプレッシャーに、初めて戦慄を覚えたように目を見開く。
「互いに次が最後だ。……出し惜しみすんなよ、全て出し尽くせ」
ドラコはぐちゃぐちゃになり、半分骨が見えている両腕を無理やり持ち上げ、最後の構えを取った。
ジリアンもまた、その凄まじい闘気に突き動かされるように、狂気的な笑みを宿して再び魔拳を構え直す。
「「ハァァァァァッ!!!!」」
二人は同時に叫び、大地を爆破させて肉薄した。
「――『魔拳マモン』ッ!!!!」
ジリアンの拳が、光をも飲み込む純粋な闇の弾丸となって突き出される。
「――『紅竜覇拳』ッ!!!!」
ドラコの全身の黒い鱗が、竜神の加護によって真っ赤に燃え上がり、全てを焼き尽くす一撃となって放たれた。
闇と紅蓮、互いの魂のすべてを懸けた拳が正面から激突し――。
ドカァァァァァァァァンッ!!!!
世界樹の麓の森林を消し飛ばさんばかりの、凄まじい大爆発が巻き起こった。
シィィィィィィ……。
激しい爆炎の後、焼けた大地の熱気とともに、白い砂煙がシュウウウウという音を立ててゆっくりと立ち上る。
「最高、だ……ぜ……」
そう、満足そうにポツリと呟き、先に地面へと力なく倒れ込んだのはドラコだった。彼が繰り出した拳は、肉が消し飛び、ほぼ骨が剥き出しの状態で黒く焦げ付いていた。
一方のジリアンは、静寂の中、天を仰いでいた。
「ふっ、ふふふ……ハッハハハハハ!!」
高らかに、狂ったような歓喜の笑い声を響かせるジリアン。
しかし、風が吹いて砂煙が完全に晴れたその時。ジリアンの姿を見た者は、誰もが息を呑んだだろう。
彼の、渾身の魔拳を突き出していたはずの右肩から下――腕そのものが、跡形もなく消滅していたのだ。
「……俺の、負けだ……」
ジリアンは笑みを浮かべたまま、ガクリと、そのまま後ろへと倒れ込んだ。竜神の力を受けてなお、自分の腕を消し飛ばしてみせた人間の執念に、心からの敗北を認めて。
倒れたドラコは、微かに残る意識の中で、隣に倒れたジリアンに向けて弱々しく言葉を返した。
「俺様は……竜神様の力を借りて……なんとか、相打ちになっただけ……だ。……お前の、勝ち……だ……ぜ……」
その言葉を最後に、ドラコもまた完全に限界を迎え、静かに意識を失った。
人間と異人の枠を超えた、純粋なる強者たちの死闘は、互いのすべてを出し尽くす形で幕を閉じた。
一方、その激闘の余波による爆風が届く、少し離れた別の平原。
「あら、あっちの方ですごい爆発がしてるけど……アリスちゃんの仲間は大丈夫かしら?」
アウラが優雅に髪を弄りながら、爆発の方向をチラリと見てクスクスと笑った。
「大……丈夫、です……。あの方達が……負けるわけ、ありません……っ!」
息も絶え絶えになりながら、短剣を支えに地面に膝をつくアリス。その身体はすでに無数の擦り傷や打撲でボロボロになっていた。
「あら、他人の心配をするなんて、随分と余裕じゃない。」
アウラが冷酷な瞳でアリスを見下ろす。
「これで決めるぞ。アリスちゃん。」
ロウラが感情の失せた声で淡々と告げ、巨大な盾斧をガキィンと不気味な音を立てて構え直した。
二人の操られた戦友を前に、アリスの本当の試練が、いま始まろうとしていた。




