剣聖
「はあ……はあ……! クソっ、なんで、なんで一発も攻撃が当たらねえんだよ!」
太一は肩を激しく上下させ、大剣の切っ先を地面に突き立てて叫んだ。額からは滝のような汗が流れ落ち、視界をにじませる。
「お前の斬撃は真っ直ぐすぎて、あまりにもわかりやすすぎる。……まあ、そういうお前の愚直な性格自体は、私も嫌いではなかったがね」
ガイは愛用の大剣を鞘に収めたまま、微動だにせず、静かに太一を見下ろしていた。
二人がこの深い森の一角で刃を交え始めてから、すでに数十分の時間が経過していた。
太一は戦闘開始の直後から、その圧倒的な身体能力を武器に猛烈なラッシュを仕掛けていた。しかし、その必殺の剣嵐のすべてを、ガイは抜刀すらすることなく、まるで未来を予知しているかのように紙一重の動作で避け続けていたのだ。
「この……バケモンジジイが……っ!」
「フッ、若き『剣聖』にそこまで言われるとは光栄だな」
ガイは感情の消えた赤い瞳で、フッと皮肉げに息を漏らした。
「何を言ってやがる……。システムから与えられた肩書じゃなく、自分の実力だけで『剣聖』って呼ばれた本物の化け物がよ……!」
太一の言う通りだった。冒険者ギルドの最高峰たるグランドマスター・ガイは、かつてステータス上では普通の「剣士」というありふれた職業でありながら、ただその純粋な技術と鍛錬だけで、世界から『剣聖』と称えられるにまで至った生ける伝説。
システムによる能力補正で「剣聖」の座を与えられた太一とは、積み上げてきた経験の深さが根本から違っていた。そして何より、太一がこの世界に転生して右も左も分からなかった頃、初めて剣の握り方から戦い方の基礎を叩き込んでくれたのが、目の前に立つガイその人だった。
「しょうがねえ……。操られてるあんたを殺しちまうかもしれねえから、本当は使いたくなかったけど……出し惜しみなしだ。スキルを使わせてもらうぜ!」
太一が覚悟を決め、大剣の柄を両手でギリリと握りしめる。
ガイは表情一つ変えず、ただ静かに「やってみろ」とだけ呟いた。
「後悔しても知らねえからな! ――『次元斬り』!!」
太一が叫ぶと同時に、剣聖のユニークスキルが発動する。大剣が眩い光を放ち、振り下ろされた一撃は、ただの空気ではなく、ガイが存在する「空間そのもの」を四角く削り取るように奔った。
死線が迫るその瞬間、ガイは一瞬だけ目を見開いた。そして、驚異的な反応速度で右側へわずか一歩だけ、無駄のない動きで身を翻す。
ギュンッ!!
空間がねじ切れるような狂暴な風切り音が響き、ガイの左肩の衣服が、空間ごと綺麗に削り取られて消失した。
だが、傷はない。完全に直撃を回避されたのだ。
「くっそ……! これでもダメかよ!」
太一が歯噛みする。
「どうした? いかに空間を断つ絶技であっても、当たらなければ何の意味もないだろう」
ガイは静かに、初めて自らの大剣を鞘から引き抜いた。
「では、今度は私が、キュレム様から与えられた力を見せてやろう」
ガイが低く、重い構えを取る。
その瞬間、彼が手にする大剣の刀身が、どろりとした墨のような黒色に濁り、不気味に変質し始めた。
「な、なんだよそれ……!?」
太一が本能的な恐怖に身を震わせる。
「これこそが、私の新しい力――『魔剣』だ」
ガイの口角が、ここにきて初めて不気味につり上がった。操られているとはいえ、その執念が言葉となって溢れ出る。
「この歳になって、私はもう自分の肉体と技術の『限界』を知っていた。これ以上の成長はないと絶望していた。だが……キュレム様は、その絶対の限界すらも超越させてくださったのだ! 見るがいい、これが我が魂の具現――『魔剣サタン』!!」
ガイが叫ぶと同時に、黒く濁った魔剣から、大気を激しく狂わせるほどの禍々しい漆黒のオーラが 凄まじい勢いで噴き出した。
「一撃で沈むなよ? 剣聖」
ガイが両手で魔剣を握り直し、上段から一気に振り下ろした。放たれたのは、光をも呑み込むような黒色のエネルギー波。
「そんな不気味なもん、正面から斬り伏せてやるよ! 『次元斬り』ぃぃ!!」
太一は退かずに真っ向から迎え撃つ。空間を削り取る太一の光の斬撃と、ガイの放った魔剣の黒きオーラが、正面から激突した。
パァァァンッ!!!!
鼓膜を破らんばかりの、ガラスが粉々に砕け散ったかのような凄まじい衝撃音が辺りに炸裂する。
「……あ?」
太一の口から、間の抜けた声が漏れた。
激突の直後、彼が自らの身体に目を落とすと――自分の左腕が、肩の付け根から先、綺麗に丸ごと消滅していた。
「な……なんだよこれ! 俺の腕が、消え……っ!? ギャァァァァァッ!!」
遅れてやってきた凄絶な激痛に、太一が絶叫する。
ガイは漆黒に、燃え盛る魔剣を構えたまま言った。
「私の魔剣サタンが放つのは、消えることのない悪魔の炎。たとえお前の次元斬りによって『次元ごと消滅』させられようとも、その次元の狭間の闇から、何度でも無限に生まれ変わって対象を焼き尽くすのだ」
「な、なんだよそれ……。ズル……すぎるだろ……」
あまりの痛みに意識が遠のき、太一はその場に力なく膝から崩れ落ち、地面に倒れ込んだ。残された右手から、大剣が滑り落ちる。
ガイがゆっくりと、倒れた太一へと歩み寄る。そして、引導を渡すべく、黒い魔剣を高く振りかぶった。
「もう少し、頭を使って考えろと言ったはずだぞ、太一。ただ自分の持つ強い技を、がむしゃらにぶつけるだけでは、本当に強い者には勝てないと……」
ガイはグッと、魔剣を握る両手に力を込める。
(……なんだよ。俺、ここで死ぬのか……?)
薄れゆく意識の中、太一の脳裏にガイの言葉が鳴り響く。
(考えろ、だって? んなこと……俺にできるわけねえだろ。俺は昔から、頭使うのは苦手なんだよ……)
その時、太一の記憶の底から、親友の声が蘇ってきた。
『太一……君はなんでいつも、そんなに真っ直ぐ突っ走るんだ? 相手によって、もっとちゃんと考えて戦わないとダメだろ』
回想の中で広臣が、いつものように呆れた顔で太一に説教をしている。
『……でもな。僕は、君のそういう「絶対に曲がらない真っ直ぐなところ」を、本当はすごく尊敬しているんだ。僕にその単純さがあれば、もっと人生が楽だったかもしれないって、思うくらいにはね』
(単純さ……。そうだ……。俺には、これしかねえ。戦術や搦手も、俺には似合わねえんだよ……!)
太一の瞳に、極限の精神力で再び命の炎が灯る。
(これしかねえよなァァァァ、広臣!!!!)
太一は心の中で親友の名を叫びながら、残された右手だけで、地面に落ちていた大剣の柄をがっしりと握り直した。
そして、倒れた状態のまま、くるりと仰向けに身体を回転させる。ガイの魔剣が振り下ろされるよりも、ほんの一瞬早く。
「――『神魔斬り(しんまぎり)』ぃぃぃぃぃぃッ!!!!」
剣聖としてのすべてを懸けた、捨て身の、そして最高に単純で最速の突き上げの術理。
それは魔剣のオーラをも切り裂き、振りかぶっていたガイの胸元を、一文字に深く切り裂いた。
「なっ……!?」
初めてガイの顔に驚愕の色が浮かぶ。
胸から鮮血を吹き出し、大剣を振りかぶった姿勢のまま、ガイはヨタヨタと数歩、後ろへと後退していった。
パキィィィン……ッ!
静寂の中、ガイが手にしていた黒い大剣が、根元から綺麗な音を立てて真っ二つに割れた。
粉々になって光の粒子へと変わっていく大剣の破片を全身に浴びながら、ガイは濁っていた瞳に、かつての理性的で温厚な光を取り戻していく。彼は、弟子の成長した姿を見つめ、満足そうに口元を綻ばせた。
「……見事だ、太一。……お前は、やっと……『剣聖』としての頂に、たったようだな……」
ガイはその言葉を最後に、静かに後ろへと倒れ込み、意識を失った。
ドサリ、というその重い音を耳にしながら、太一は残された右手で顔を覆い、天を仰いだ。限界を超えた身体は、もう指一本動かすことすらできない。
「あー……。クソきっつい、マジで……」
太一は満足そうに小さく呟くと、そのまま静かに目を閉じ、深い眠りへと落ちていくのだった。
あと少しで一万pvだ!!




