集まる狂気
ウォンドの街から少し離れた森林地帯。
本来なら青々とした緑が広がるその場所に、今、大地を埋め尽くさんばかりの凄まじい数の冒険者たちが集結していた。
しかし、そこに集う者たちからは、手練れの冒険者が放つべき活気や緊張感は一切感じられない。皆一様に目はうつろに濁り、魂が抜けたかのようにただ呆然とそこに立ち尽くしている。不気味なほどの静寂がその場を支配していた。
その時、彼らの頭上を優雅に羽ばたく、一体の魔神が声をあげた。
「みんな〜! よくきてくれたね! キュレムだよ〜!」
鈴を転がすような愛らしい声。しかしそれは空気を通したものではなく、そこにいるすべての冒険者たちの脳裏に直接響き渡る精神支配の声だった。
その声を合図にしたかのように、それまで静まり返っていた冒険者たちが突然、
「うおおおおおお!」
と地鳴りのような雄叫びを一斉にあげた。
「ここに集まってもらったのはね! みんなにあの巨大な木、ユグドラシルを破壊してもらいたくて集まってもらったの〜!」
キュレムが無邪気に笑いながら、遥か彼方にそびえ立つ世界樹を指差す。その狂った命令に対しても、洗脳された冒険者たちは疑うことなく、さらなる大歓声をあげる。
「ウオオオオオオオオオ!」
「それでね! あそこのユグドラシルにはとーっても強い守人がいるみたいなんだけど、今私の崇拝するミリア様が相手をしてるみたいだから安心してね〜!」
「うおおおおおお!! ミリア様〜!!!」
もはや完全に自我を失い、魔神を盲信する操り人形と化した冒険者たちが、割れんばかりの声で魔神将の名を称える。
「あとね! 君たちじゃユグドラシルに傷一つつけられないだろうから、これをあげるね!」
キュレムは上機嫌に微笑みながら、小さな両手を前に突き出した。
すると、その手のひらからゾワリとするような禍々しい黒い球体が溢れ出てくる。その巨大な球体は、次の瞬間「ギュン!」と激しい音を立てて無数の光弾へと弾け飛び、地上の冒険者たちに向かって雪崩のように散らばっていった。
光弾は抵抗することのない冒険者たちの身体へとスッと吸い込まれていく。
「ウオオオオオオオオオ! 力が、力が溢れてくるうううう!!!」
その直後、男たちの肉体が異常に膨張し、血管が黒く浮き上がり始めた。あまりのエネルギーの奔流に、森全体が狂乱の渦に包まれる。
「これはね、ミリア様から受け取った魔神のマナを人間でも使えるようにしたものなんだよ〜。すこーし体に負担があるけど、君たちには関係ないよね?」
純粋な悪意に満ちた顔で、キュレムはクスクスと残酷に笑った。人間の命など使い捨ての道具に過ぎないと言わんばかりの冷酷さだった。
「うおおおおおお! キュレム様ァァァァ! ミリア様ァァァァ!!」
狂った肉体強化を施された冒険者たちは、自らの身体が軋みをあげていることすら気づかず、狂信の叫びを上げ続ける。
「じゃあみんな、お願いね?」
キュレムが小首を傾げ、可愛らしく上目遣いで囁いた。
その言葉を皮切りに、理性を失った凶戦士と化した冒険者たちは、我先にと津波のような勢いでユグドラシルを目指して走り出したのだった。
ところ変わって、天を突く大樹ユグドラシルの頂上。
そこは、激しい戦闘によって切り裂かれた枝葉が散乱する凄惨な戦場と化していた。
「グハァッ……!」
大量の鮮血を吐き出しながら、その場に膝をついたのはギリス。女神イリスの分体であり、この世界樹を未来永劫守り続けてきた守人だった。
「まさか……私が感知できないほどの隠蔽をする魔神が、いたとはね……」
ギリスは細い目をさらに細め、痛みを堪えながらも、まだ余裕を崩さない口調で目の前の敵を睨みつける。
「あらー? 随分と余裕そうじゃない? そろそろ死ぬのにね」
ギリスの目の前に傲然と立ちはだかる女。それは、圧倒的な闇の気配を纏った魔神将の一人、ミリアだった。
「フッ。私が、魔神ごときに遅れをとるとでも?」
ギリスが不敵に言い返す。
「そう言う割には、ずいぶんと余裕がなさそうだけど?」
ミリアの視線の先――ギリスの脇腹には、肉が大きく抉られた深い傷跡があり、そこからとめどなく鮮血が流れ落ちて床を赤く染めていた。
「これくらいの傷、どうってことはないですよ。私は、このユグドラシルがある限り、決して死にはしませんから」
ギリスが静かに告げると同時に、世界樹から目に見えるほどの濃密な緑のマナが溢れ出し、彼女の身体を包み込んだ。瞬く間に脇腹の凄惨な傷口が塞がり、滑らかな肌へと戻っていく。
「なるほどねぇ。ユグドラシルが出す大量のマナを使えば死なないと」
ミリアはその様子を冷ややかに観察していたが、次の瞬間、ニヤリと邪悪に口の端を釣り上げた。
「で、も! この木が破壊されたら、どうなのかな〜?」
それを聞いた瞬間、ギリスの常に冷静だった細目が、驚愕で見開かれた。
「な……! 貴様、まさか……!」
「あら? 初めて余裕なさそうな顔になったじゃない」
ミリアは楽しそうにクスクスと笑うと、細い指を「パチン」と小気味よく弾いた。
その瞬間、ミリアの隠蔽魔術の一部が解除され、ギリスの五感にユグドラシルの周囲の惨状がダイレクトに飛び込んできた。
麓の森林地帯を埋め尽くす不気味なマナの集団、そして、禍々しい力を得て世界樹の根元へと一斉に群がっていく大量の人間の姿が、鮮明に認知される。
「な、なんてことだ……。人間たちが、世界樹を……!?」
ギリスの顔から血の気が引いていく。
「私は神をも欺く隠蔽の力を持ってるの。だから、あなたが私の相手に夢中になって気づかないうちに、こうやって外の地盤を固めたってわけ」
ミリアが勝ち誇ったように告げる。
「くっそぉ!」
ギリスはもはやミリアを相手にしている場合ではないと判断し、麓へ向けて一気に走り出そうとした。
だが、その進路を遮るように、一瞬でミリアが目の前に立ちはだかる。強烈なプレッシャーがギリスを押し潰さんばかりに襲いかかった。
「ダメじゃない。まだ、私と遊んでる途中なんだから」
ミリアが冷酷な瞳でギリスを釘付けにする。
「くっ……。イリス様……!」
圧倒的な窮地に、ギリスは思わず本尊である女神の名を呟いた。
それを聞き逃さなかったミリアが、わざとらしく驚いたようなポーズをとってみせる。
「あっ! イリスはもういないわよ。なんか私の仲間が、綺麗に封印しちゃったみたい」
「なっ……!?」
その決定的な言葉に、ギリスは完全に目を丸くして硬直した。世界を支える主神が封印されたなど、到底信じられることではなかった。
「あれ? やる気無くなっちゃった?」
呆然とする守人を、ミリアは小馬鹿にしたように歪んだ笑みで見下ろす。
神を侮辱され、世界を脅かされ、ギリスの心の中で何かが弾けた。
「キッサマァァァァァァ!!!」
かつてない怒号を響かせ、ギリスは怒りのままに武器を構え直した。
「ふふ。良い顔になったじゃない」
ミリアは愉悦に満ちた笑顔を浮かべながら、その猛攻を真っ向から迎え撃つべく、闇のマナを凝縮させるのだった。




