邂逅
「空井……なのか?」
ベッドの上に座る広臣が、信じられないものを見るかのように呟いた。
「甲斐……?」
奏多もまた、その姿に目を見張る。
かつては傲慢さすら感じさせた勇者の面影は薄れ、そこにはただ傷つき、苦悩を背負った一人の少年がいた。
その張り詰めた空気を察したドラコは、2人を見るや否や、隣のアリスに顎でクイッと合図を出して移動を促した。アリスも無言で頷き、2人は状況を理解しているカインと共に、そっと手前の部屋へと戻っていく。静かに扉が閉まり、部屋には奏多と広臣の2人だけが残された。
「空井……すまなかった!」
広臣はベッドの上で、壊れた人形のように深々と頭を下げた。
「え? いや! 顔を上げろよ!」
突然の謝罪に、奏多は慌てて手を振る。
しかし、広臣は頭を下げたまま、搾り出すような声でゆっくりと語り出し、その言葉は徐々に彼の激しい後悔へと変わっていった。
「僕は勇者として、世界を守る使命を持って戦っているつもりだった。それがみんなを元の世界に戻せる、唯一の方法だと信じて……。だが、それはいつしか僕自身を縛り付ける楔になっていた。そんな心の隙間を女神に利用され、君を傷つけた。……いや、利用されていたからじゃない。あれは、僕自身の本心だったんだ」
広臣はゆっくりと顔を上げた。その瞳には涙がたまっている。
「君が無能だと追放された時、本心では君がどうなろうとどうでも良かった。だから君が死んだと信じて疑わなかったんだろう。だけど……君は僕の前に現れた。僕の何倍も強くなって……! 僕にとってそれは、死ぬよりも許せないことだった。嫉妬に狂っていたんだ。でも、君はそんな僕を、最悪の化け物になりかけた僕を、最後まで助けようとしてくれていた。本当に、すまなかった……!」
広臣は再び、深く、深く頭を下げた。床に涙の雫が落ちる。
「あー、いや、頭上げろよ甲斐」
奏多は少し困ったように頭を掻いた。
「別に俺だってお前らを最初から許してたわけじゃないさ。だけどな、流されたあの島……アリスティアで過ごしていくうちに、昔の恨みなんてどうでも良くなっていっただけだ。それに……」
奏多はふっと、どこか懐かしむような優しい笑顔を浮かべた。
「レグドで元気なお前らの姿を見たら、なんだか嬉しくなってな。クラスメイトなのに異世界にまできて殺し合うなんて、冷静に考えておかしな話だろ?」
「君は……君ってやつは……。うっ……ううう……!」
その言葉が広臣の心の決壊を押し流した。広臣は子供のように顔を覆い、声を上げて泣き出した。
「お、おい甲斐、泣くなって……」
号泣する広臣を、奏多は苦笑いしながらも静かに宥めた。
その後、2人は壁を完全に取り払い、この異世界に来てからの過酷な道のりを包み隠さず話し合った。互いの空白の時間を埋めるように、会話は静かに続いた。
「空井……君は魔神たちを止めるためにここへ来たんだな」
涙を拭った広臣が、引き締まった表情で言った。
「ああ。そしてここでまさかお前に出会うとは思わなかった。イリスが『助ける』って言ったのは、嘘じゃなかったんだな」
奏多の言葉に、広臣は少し複雑な表情を浮かべた。
「僕たちはあの戦いの後、女神の力で王城に転移させられたんだ。だが、その時にはもう……この国の中枢はすべて魔神の手に堕ちていたんだよ」
「魔神の手に……!?」
奏多の表情が一変する。
「ああ。アインシア王も、宰相のゴンゾも、ギルドのグランドマスター・ガイすらも、たった1人の魔神によって完全に洗脳されてしまっていた。僕たちがレグドで命がけで戦っている裏で、この国はすでに侵食されていたんだ。僕たちは、いち早く城の異変に気づいたカインの機転と協力によって、辛うじてここに逃げてくることができたんだ」
「たった1人の魔神に、一国が……」
奏多がその脅威に戦慄した、その時だった。
カチャリと扉が開き、「そろそろいいですよね?」と控えめに顔を出したのは、聖女の愛多だった。
「委員長……」
「別室でアリスさんたちにはすでに説明させていただきました。この国の悲惨な現状……そして、私や萌、桐生くんが街に潜伏して得た情報を」
広臣がベッドから愛多を見つめる。
「彼女たちは、僕が怪我で動けない間、危険を冒してずっと情報を探ってくれていたんだ」
愛多は頷き、奏多に向き直って深刻な事実を告げた。
「この国はいま、キュレムという1人の魔神によって完全に支配されています。その魔神は、極めて強力な精神支配の能力を持っているようです。甲斐くんの言う通り、王様やゴンゾさんだけでなく、冒険者ギルドのほぼ全域が操られています。そして今朝……王都に集結した全国のの冒険者たちがウォンドに向けて出発していきました。大樹ユグドラシルを破壊するために」
「やっぱり、ウォンドに向かったのはユグドラシル破壊のためだったか……」
奏多が拳を握りしめる。
背後の扉から、アリスが静かに部屋に入ってきて付け加えた。
「おそらく、世界樹の力を絶つことでこの国のマナを枯渇させ、魔神たちの領土を広げるつもりかもしれませんね」
「奴ら、もとは魔物のくせに、ずいぶんとせこい作戦を考えやがるな」
ドラコもアロハシャツの襟を正しながら、呆れたように部屋に足を踏み入れた。
すべての状況を把握した奏多は、深く息を吐くと、「わかった」とだけ短く答えた。その瞳には迷いのない強い光が宿っている。彼は傍らに置いていた刀を手に取り、静かに立ち上がった。
それを見た広臣が、慌てて声をかける。
「空井……君は今アリスティアの王なんだろ? リスクを冒してまで、この人間の国のために行く必要はないと思う」
奏多は少し照れくさそうに頭の後ろを掻いた。
「いやー……イリスに頼まれちまったしな。それにさ」
奏多は広臣や愛多、そして外の部屋にいるであろう仲間たちに視線を向けた。
「この国にはお前らや、俺の仲の良い冒険者だっているんだ。今動けるのが俺だけなら、行くしかないだろ?」
その言葉に、ドラコが獰猛な笑みを浮かべて前に出る。
「うっし! じゃあ早速そのウォンドってところへ殴り込みに行くか!」
「はい!」
アリスも力強く頷いた。
「待って!」
その時、部屋の入口の方から凛とした声が響いた。
「空井、あんた見ない間に随分とカッコよくなってない? だけど、1人でそんなに何もかも背負わなくてもいいよ。あたしたちにも手伝わせて」
腕を組んで不敵に笑う萌がそこに立っていた。
その後ろから、太一も肩をすくめながら入ってくる。
「俺たちだって、あの魔神のやり方にはムカついてんだわ。当然、ついてくぜ」
そして、愛多も真剣な眼差しで奏多を見つめた。
「私も、空井くんと共に戦います」
「お前ら……」
クラスメイトたちの頼もしい言葉に、奏多の胸が熱くなる。
「空井……」
広臣はそんな彼らの絆を羨むように、そして誇らしそうに見つめ、悔しさに唇を噛んだ。
「悔しいが、今の僕の身体ではまだ動けない……。だから、これを持っていってくれ」
広臣はベッドの脇から、頑丈な布に厳重に巻かれた細長い“何か”を取り出し、奏多へと差し出した。
「これは……?」
受け取った奏多が尋ねる。
「僕がずっと使っていた剣だ。先代の勇者が使っていたという、本物の『聖剣』らしい。今の僕より、君が持っていた方が確実に活きる」
「聖剣……か。サンキューな、甲斐。ありがたく使わせてもらう」
奏多が微笑むと、広臣もまた、かつての確執を完全に洗い流したような晴れやかな笑顔を返した。
「ああ。僕も身体が治り次第、すぐに追いかける。……絶対に死ぬなよ、空井」
「お前もな」
部屋を出る際、見送るカインが一同に向かって一礼した。
「では、お気をつけて。私はこちらで、勇者様を絶対にお守りします」
「カインさんも、油断しないでね!」
アリスが元気に手を振り返す。
こうして、かつてのクラスメイトであり、頼もしい勇者の仲間たちを新たに加えた奏多たちは、魔神の陰謀を打ち砕き、世界樹を救うため、決戦の地であるウォンドへと向かって力強く歩み出すのだった。




