異変
「ひっさびさにきたなぁ!」
人間の国アインシアにある港町アクエリア。その喧騒を切り裂くように、ドラコが町に出て早々、これでもかと声を張り上げた。
「おい! あんまり目立つようなことするなよ!」
奏多がすかさず周囲を気にしながら、声を潜めて注意する。
アリスはそんな対照的な2人のやりとりを、後ろから微笑ましそうに笑って見ている。
3人は、アリスティアの塔からこのアクエリアの町へと転移してきたばかりだった。
「人間の国にきたのは何年振りだろうな! ワクワクするぜ」
拳を突き出し、子供のように目を輝かせるドラコ。
「お前なあ……。声がでかいし目立つんだよ」
奏多は額を押さえて深いため息をついた。ドラコは変化魔法を使って人間の姿になっているとはいえ、その体格はあまりにも大柄で屈強だ。その上、南国を思わせる派手な原色のアロハシャツを着込んでいるのだから、目立たないはずがない。町行く人々が皆、何事かと足を止め、奇異の目でドラコを振り返って見ていた。
「いいんだよ。俺様は目立つのが好きだからな!」
悪びれる様子もなく堂々と胸を張るドラコに、奏多はもはや諦め顔になる。
「はあ……。じゃあさっさとギルドに顔を出すぞ」
これ以上注目の的になるのを避けるため、奏多は足早に歩き出した。
そうして3人は、アクエリアの冒険者ギルドにやってきた。
「ここならお前でも目立たないからよかったな」
中に入る前、奏多が少し皮肉混じりにドラコへ言う。荒くれ者や一癖ある冒険者が集うギルドなら、アロハシャツの巨漢とて埋もれるだろうという計算だ。
「面白そうなやつがいっぱいいるってことだな」
ドラコは強者との出会いを期待するように、不敵な笑みを浮かべた。
「ははは……」
そんなドラコの好戦的な態度に、アリスはただ苦笑い混じりの愛想笑いを返すしかなかった。
バタン、とギルドの重い木製の扉を開ける奏多。
だがその瞬間、奏多とアリスの身体にピリッとした違和感が走った。
いつもなら扉を開けた瞬間から肌に伝わってくる、酒の匂いや大声での談笑、喧嘩の怒号といった生々しい喧騒。それが、影も形もない。静寂だけがどんよりと満ちていた。というよりも、広いホールの中に冒険者の姿が全く見当たらなかったのだ。
「な、なんだ……」
奏多の足が止まる。
「奏多……あれ!」
アリスが驚きに目を見開き、ホールの壁際を指さした。
いつもなら新着の討伐依頼や採取依頼が大量に貼られていて、冒険者たちが群がっているはずの巨大な掲示板。そこには、一枚の依頼書すら貼られていなかった。不気味なほど真っ白な板が虚しく晒されている。
「なんだ? 誰もいねえじゃねえか」
ドラコがつまらなそうに首を傾げた。
閑散としたギルド内は静まり返っており、カウンターの奥には、いつもなら忙しそうに書類を捌いているはずの受付嬢すら一人もいなかった。アクエリアの冒険者を統括する組織が、完全に機能停止している。
「お前さんがた、冒険者かい?」
突然、背後の開け放たれた扉の外から、しわがれた声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、荷物を抱えた町人らしき身なりの老人だった。
「あ、ああ、そうだ」
奏多が怪訝そうに答える。
「なんだ? 冒険者のくせに、ここの事情を知らないのかね?」
老人は不思議そうに眉をひそめ、3人の顔を見つめた。
「事情?」
ドラコが鋭い視線を老人に向け、先を促す。
「ここは数日前から誰もおらんよ。いきなり全員が王都に向かったんじゃ。ギルドの受付嬢すらもな」
老人の言葉に、奏多とアリスは顔を見合わせた。一国すべての冒険者が突如として一箇所に集まるなど、異常事態以外の何物でもない。
「なんかあったのか?」
奏多が核心を突く。
「それが、誰にもわからんのじゃよ。理由も告げず、ただ知り合いが、皆一様に血相を変えて王都へ向かうのを見たって言ってたからのう……」
老人は困惑したように首を振るばかりだった。
「へっ。なんだかずいぶときな臭いな」
ドラコが獰猛に口の端を釣り上げた。トラブルの予感に、むしろ血が騒いでいるようだ。
「どうします? 奏多。王都に向かいましょうか?」
アリスが引き締まった表情で、奏多の判断を仰ぐ。
「……そうだな。早速だが、俺たちも王都に向かおう」
背後に蠢く巨大な陰謀の気配を感じながら、奏多が静かに告げた。
そうして3人は、真相を確かめるべくアインシアの王都へと急行した。
ところ変わって。
ここはアインシア王都の中心にそびえ立つ、アインシア城の謁見の間。
かつては厳かな空気が満ちていたはずのその部屋は、今や異様な妖気に包まれていた。
「もうそろそろ、全国の冒険者がここ王都に集結しようとしております」
バァンと重々しい扉を開けて入ってきたのは、冒険者ギルドの最高責任者であるグランドマスター、ガイだった。その目は焦点が合っておらず、うつろに濁っている。
「そうか。ではまもなく、ウォンドに出撃の準備をさせよ」
その報告を冷酷な表情で受け止めたのは、アインシアの宰相、ゴンゾだ。彼は機械的な動きで傍らの兵士に命令を下した。
「ふふ。みんなをちゃんと集められてえらいね」
鈴を転がすような、無邪気で愛らしい少女の声。
しかし、その声の主が座っていたのは、この国の最高権力者たる王だけが許される、豪華絢爛な玉座の上だった。そこに偉そうにちょこんと腰掛けていたのは、魔神将ミリアの部下であるキュレムだった。
そして、そのキュレムの足元には、信じられない光景が広がっていた。
本来なら国を統べる絶対の存在であるはずのアインシア王が、まるで主人の機嫌を伺う犬のように、惨めに床に跪いていたのだ。
「キュレムちゃん、ワシを褒めて」
王はうっとりとした、狂信的な表情で、懇願するようにキュレムを見上げる。
「えらいえらい。ユグドラシルを破壊できたら、もーっとえらいよ」
キュレムはふふっと邪悪に微笑みながら、王の頭をよしよしと、子供をあやすように残酷に撫で回した。その小さな手から放たれる精神支配の魔力が、王の理性を完全に狂わせている。
そして、キュレムはふと何かを思い出したかのように、ポンと手を叩いた。
「そうだ! ミリア様から特製の兵隊たちを預かってたの! その子達も使って!」
キュレムが瞳の奥に狂気を宿らせ、無邪気に言い放つ。魔神将ミリアから授かったという、敵を蹂躙するための最悪の戦力。
その言葉を受けたガイ、ゴンゾ、そして足元の王までもが、生気を失った瞳を怪しく輝かせ、同時に声を揃えて狂ったように叫んだ。
「「「わかったよ、キュレムちゃん!」」」
人間の国アインシアのすべての戦力、そして集結した冒険者たちが、今や魔神の手駒として、大樹ユグドラシルへと牙を剥こうとしていた。




