封印されし女神
「空井ィィィィィィィッ!!!」
理性を失った広臣の絶叫が地下空間に木霊し、振り下ろされる白い聖剣が、世界そのものを裂くように空間を黒く切り裂いていく。
「くっ! 甲斐、やめろ! このままだと本当に死ぬぞ!」
奏多が必死に叫ぶ。
広臣が放っているのは、世界の理を無理やり捻じ曲げて他人のスキルを強制行使する異質な力だ。そんな無茶な権能を、剣を振るうたびに全開で乱発していれば、その反動が術者本人にどう返ってくるか。奏多には痛いほど分かっていた。
「うるさいッ! 僕は死なない! 君のような絶対の悪を倒して、世界を救うまではッ!!」
広臣は聞く耳を持たず、さらに顔を血走らせて叫ぶ。
「クッソォ……! 《神の秩序》!!」
広臣がそう叫んだ瞬間、彼の周囲に凄まじい規模のマナが渦巻き、火、水、風、雷、土の五色の魔法が、それぞれ鋭利な槍の形となって虚空に無数に現れた。
「死ねえええええええええッ!!!」
広臣の腕の一振りと同時に、五色の魔法の槍が、雨あられとなって奏多の全身へと襲いかかる。
地上で見上げていた萌が、その異様な光景に目を見開いて叫んだ。
「な、なんなのよあの信じられないマナの量は……っ!? 嘘でしょ、あたしの《マナ生成》のスキルを、あの規模で使ってるっていうの!?」
奏多は迫り来る魔法の嵐を、超人的な抜刀術で次々と切り伏せていく。しかし、広臣は息をつく間もなく、無尽蔵に次の槍を生み出し、放ち続けてくる。
(クソ、甲斐のやつ、マナが枯渇しかけているはずのこの大陸で、なんでこれほどのマナを使えるんだ!? なんなんだよ、あの理不尽なスキルは……!)
流石の奏多も、間髪入れずに襲いかかる広臣の神速の剣戟と、頭上から降り注ぐ果てしない魔法の雨に、次第に余裕がなくなってきていた。
「……しょうがない。悪い、甲斐! お前を無力化するには、もうこれしかないんだ……っ!」
奏多が覚悟を決めると同時、彼の身体を爆発的な黄金のオーラが包み込んだ。
「あれは……さっきの……っ!」
愛多がそのまばゆい光に思わず目を細める。
「神なる真の力じゃないと無力化できないなんて……。あれが、本当の勇者の……」
アリスが息を呑みながら見守る。
―――ボォォォォォン!!!
空気を激しく震わせ、荒れ狂う黄金のオーラが膨れ上がる。その神聖な圧力の余波だけで、広臣が放っていた無数の魔法の槍は、触れることすらできずに次々と霧散していった。
「やはり、さっきのあの黄金のオーラは君のものだったか……! だが、どんな力を使おうと、僕には効かないッ!!」
広臣の叫びと同時、今度は広臣の身体から「ボォォォォォン!」と不気味な音が響いた。そして、彼の全身から、世界を塗りつぶすような漆黒のオーラが荒れ狂うように噴き出し始めたのだ。
「なっ……!?」
その場にいた全員が、驚愕のあまり同時に声を上げた。
「……君ごときに使える力が、この僕に使えないわけがないだろうッ!!」
広臣が勝ち誇ったように笑う。相手の力すらも《神の秩序》で模倣し、己の力に変換したのだ。
「……そんなのありかよ、マジで」
奏多は呆れたように呟くが、その目には強い警戒が宿る。
地下空間の底で、極大の黄金のオーラと、漆黒のオーラが、全く同じ質量を持って激しくぶつかり合い、周囲の大気をパチパチと爆裂させる。
「いくぞっ、空井ィィィ!!!」
漆黒を纏った広臣が、大地を蹴って飛びかかる。
「チッ、死んでも知らねえぞ!」
奏多も黄金のオーラを刃に宿し、正面から応戦した。
黄金の刀と漆黒の剣が真っ向から激突した瞬間、世界が反転したかのような凄まじい衝撃波が炸裂した。あまりの光量と爆風に、太一たちもアリスたちも、一斉に腕で顔を覆って身をすくめる。
地下空間全体が、悲鳴を上げるように激しい地鳴りを立てて崩れ始めていた。
「奏多! 流石にこれ以上は空間自体がもたねえ、やばいぞ!」
レトルが上からの落石を避けながら叫ぶ。
「おい、萌! ここは危険すぎる! 一度上に逃げるぞ!」
太一が叫ぶと、萌は「わ、わかったわよ!」と必死に魔力を練り、太一と愛多の身体を魔法でふわりと浮かび上がらせた。
それを見たアリスも即座に判断する。
「レトルくん、私たちも上に避難しましょう!」
アリスも魔法を展開し、怪我をしたレトルを支えながら、崩落する大穴の上空へと退避を始めた。
仲間たちが上に避難していく間も、地下の底では、奏多と広臣による常人では視認不可能なほどの超高速の剣戟が繰り広げられていた。
激突するたびに、地殻が削れ、空間が歪む。
(やばい……! これ以上はお互いにどうなるか、俺にも制御できねえ……!)
奏多の額に冷や汗が流れる。
「空井ィィィィ! 死ねええええええええ!!」
広臣がさらに出力を上げ、狂ったように斬りかかってくる。
―――パキッ。
それは、唐突に、静かに響いた。
「え……?」
あまりに不自然な高音に、奏多は思わず攻撃の手を止めた。
「パキッ、パキパキ……」という、まるでガラスが割れるような硬質な音が響くと同時に、突如として広臣の顔の一部分が、皮膚ごとポロポロと剥がれ落ち、虚空へと消えていった。
「な……なんだ、これ……!?」
広臣自身も動きを止め、自分の顔に手を当てる。だが、そうしている間にも、彼の腕や足、身体のあちこちが、少しずつ、しかし確実にひび割れ、崩壊を始めていく。過剰な神のマナをスキルで無理やり再現しようとした代償。器である人間の身体が、その負荷に耐えかねて自壊を始めたのだ。
「お、おい! 甲斐! 大丈夫か!?」
あまりの異常事態に、奏多が慌てて刀を引いて叫ぶ。
「僕の……僕の身体が……崩れていく……!?」
広臣は自分の手がボロボロと崩れ落ちていくのを見て、恐怖に目を剥いた。
「くっそ! 落ち着け、甲斐! まずは今すぐその力を解除するんだ! オーラを消せ!」
「あ……あ、ああ……っ!」
奏多の怒鳴り声に少しだけ正気を取り戻したのか、広臣は必死に意識をコントロールし、身体から漆黒のオーラを消し去った。
しかし――
「パキッ……パキパキパキ……」
「なんでだぁぁぁぁ……っ!! 止まらない! 嫌だ、嫌だ! 僕は……僕はここで死ぬのか……!?」
オーラを消しても、一度始まった肉体の自壊は止まらない。広臣は絶望の叫びを上げる。
「くっそ……!!」
奏多は刀を収め、手を伸ばそうとするが、崩壊していく神力の拒絶反応に触れることもできず、ただそれを見つめることしかできなかった。
その時だった。
―――ピキィィィン。
奇妙な音が響くと同時に、世界から一切の動きが消失した。
完全なる、時の静止。
激しい地鳴りを立てて崩落しかけていた地下空洞も、吹き荒れていた突風も、いま、まさに頭上から落ちてきていた巨大な土砂や岩も。それら全てが、空中に固定されたかのようにピタッと動きを止めた。
「……は? なんだこれ」
奏多が呆然と周囲を見渡す。
広臣の方を見ると、彼は絶望と恐怖に顔を歪めた、まさにその表情のまま、彫刻のように時を止められていた。
そう、今この空間で、奏多だけが唯一、自由に動くことを許されていた。
「やってくれたわね。空井奏多……」
静寂に包まれた空間に、突然、鈴の音を転がしたような、しかし酷く冷徹な少女の声が響いた。
「え?」
奏多が声のした方を鋭く睨みつける。
すると、何もなかったはずの空間が淡く発光し、彼の目の前に、見覚えのある一人の少女が姿を現した。
アリスに酷似した長い青髪に、尖った耳。神々しい光の衣を纏ったその存在は――間違いなく、女神イリスだった。
イリスは崩壊しかけた広臣を冷ややかな目で見下ろしながら、ため息をつく。
「まさか広臣ちゃんが、君の姿を見たことで無理やり記憶を取り戻した上に、あんなに取り乱すなんてね……。おまけに、自分自身の器に不相応な力を扱おうとして、勝手に自壊まで始めるなんて……」
イリスは少しだけ困ったように、悲しそうな顔を作ってみせた。
「お前……。お前が甲斐に、あの異常な力を与えたのか!?」
奏多が激しい怒りを込めてイリスを問い詰める。
「そうよ。あの子がカオスを倒すため。そして……『あなたを超える力が欲しい』と心から望んだから、広臣ちゃんのために与えてあげたのよ?」
イリスはさも当然のように首を傾げた。
「でも、イレギュラーなことが重なりすぎたわ。あの子はあなたがアリスティアの魔王だってことを思い出しちゃったし、あなたは私と同じ『真なる神の力』を手に入れてしまっていた。そして、それをあの子はスキルで無理やり再現しようとした……。彼にとっては、少し不幸な偶然が重なりすぎちゃったわね」
イリスはフッと、嘲笑うように口元を歪めた。
「何を言ってやがる。偶然なわけねえだろ、お前が最初から全て仕組んだことだろ!」
奏多が刀の柄に手をかけ、怒りを露わにする。
「そんなわけないじゃない。ここレグドで起きることは、私には直接干渉しきれないもの。だから、代わりにカオスを倒してもらうために力を与えてここに送り込んだの。そこに、運悪く覚醒したあなたが居合わせたからこうなったのよ」
イリスは悪びれる様子もなく淡々と言い放つ。
「ふざけたことを……っ」
「安心していいわよ。広臣ちゃんはちゃんと助けてあげるから」
拳を握りしめる奏多を遮るように、イリスは人差し指をチッチッと振った。
「……ただし。条件として、あなたがカオスを倒すのよ」
「なっ……。何を言って――」
「あなたが広臣ちゃんをこんな精神状態にして、ここまで追い込んだんだから、当然の責任でしょ? まあ、広臣ちゃんたちがカオス討伐に失敗したら、どうせあなたたちがしゃしゃり出てくるだろうなとは思ってたから、結果オーライよね?」
イリスは悪びれもせず、むしろ楽しそうに笑う。
「くっ……! お前、どこまで人を舐めたら……!」
奏多が激昂する。
「じゃ、そういうことだから。あとはよろしくね〜」
イリスが軽い調子でひらひらと手を挙げた。
その瞬間、「シュン」と軽い音を立てて、目の前にいた広臣の身体が空間から完全に消失した。奏多には見えていなかったが、この時、上空の大穴で静止していた愛多、萌、太一の三人 も、同様に光となって消え去っていた。
「あ、おい! 甲斐をどこへやった!?」
奏多が叫ぶ。
「言ったじゃない。助けるって。私の神殿で、あの子の器を再構成してあげるわよ」
イリスはそう言うと、「じゃあ、私も帰るわね。約束は違えないでよ、魔王サマ」と、背を向けて消え去ろうとした。
だが、その瞬間だった。
―――ガッ!!!
突然、帰還の術を発動しようとしたイリスの身体が、まるで強固な見えない鎖に縛られたかのように、ビキッと不自然に硬直した。
「な……ッ!? ま、まさか……このタイミングを狙って……っ!?」
イリスの顔が、生まれて初めて見るような驚愕と恐怖に染まる。
「なんだ……?」
奏多が怪訝に思う。
『この時を……千年間、待ち侘びていたぞ……』
時が止まり、あらゆる音が消え去ったはずの空間に、どこからともなく地鳴りのような、おぞましい重低音の声が響き渡った。
そして、静止した空間を切り裂くようにして、上空から「黒い羽」を持った、圧倒的な存在感を放つ何者かがゆっくりと舞い降りてくる。
「は……? なんだあいつ……」
状況の急変に、奏多の思考が一瞬追いつかない。
『感謝するぞ、人間の魔王よ』
その男は、奏多に向かって不敵な笑みを浮かべた。
真っ黒な髪の毛に、2メートルは優に超えるであろう屈強な巨体。背中には禍々しい黒い翼。そして、その男が周囲に放ち始めた規格外の『圧』に、あの奏多でさえも一瞬、身体が本能的にこわばるのを感じた。
時を止められ、指一本動かせなくなったイリスが、辛うじて口だけを動かして男を睨みつける。
「カオスの手下が……一体なんの用かしら……?」
『わかっているクセに、何を白々しいことを? 私が千年前、貴様の送り込んできた忌々しい勇者を殺し、貴様によってこの地に封印されてから……この時をどれほど待ち望んだことか。貴様を捕らえ、カオス様の完全復活の贄にすること。それこそが、我が希み……!』
男の邪悪なマナが膨れ上がる。イリスは動けないまま、必死の形相で奏多へと視線を向けた。
「奏多くん……。私、ちょっとドジを踏んじゃったみたい。……少しの間、私は世界に何も干渉できなくなる。だから、あとの世界はあなたに任せるわ。……あと、勇者たちはちゃんと王都の安全な場所に帰してあるから、そこは心配しないで……っ」
「はぁ!? イリス! おい、何言ってやがる、説明しろ!」
奏多が叫ぶが、イリスからの返答はない。
黒い翼の男は、横の空間を強引に引き裂くと、そこから見る者を狂わせるような、禍々しい紫黒のオーラを放つ一本の槍を取り出した。
『お前は神だ。完全に死ぬことはないが……我々と同じように、永き眠りにつかせてやる。そしてカオス様の最高の贄となるがいい。――魔神将が一人、“ベノム”の名において、《グングニル》の行使を開始する』
ベノムと名乗ったその男は、容赦なく、その禍々しい槍をイリスの背中へと勢いよく突き刺した。
突き刺された瞬間、イリスは声にすらならない悲鳴を上げ、身体をビクビクと激しく痙攣させたかと思うと、足元から光の粒子となって、吸い込まれるようにベノムの槍の中へと消えていった。
「おい! なんなんだよ、一体全体何が起きてるんだ!!」
奏多は叫び続けるが、なぜかベノムの放つ圧倒的な呪縛のせいか、身体が上手く動かない。
イリスを完全に槍の中へと封印し終えると、ベノムは自分の右手を確認した。槍を握っていた彼の右腕が、赤黒く、まるで腐り落ちるように変色している。
『ふむ……神を封印した代償か。片腕が死んだな。まあ、イリスを捕らえたという大戦果に比べれば、これくらいの犠牲は安いものだ』
ベノムは冷徹に呟くと、最後に、まだ金縛りのように動けないでいる奏多の方をゆっくりと振り向いた。
『貴様だな。我が同胞バロンを殺し、この地のマザーを破壊した者は。……ふん、今の私には、貴様ほどの存在と戦う余力は残っていない。……また次、戦場で相見えた時に、確実に殺してやろう』
ベノムはそう言い残すと、黒い翼を大きく広げ、凄まじい速度で大穴の上空へと飛び立ち、消え去った。
「な……なんなんだよ、クソが……っ!」
奏多が思わず床に膝をつく。
―――チチチチ、ピキィィィン!
その瞬間、世界を縛っていた「時の静止」が、唐突に解除された。
一斉に動き出す世界。
「ズガガガガガガガガッ!!!」
崩壊しかけていた地下空間が、一気にとてつもない勢いで崩落し始める。大量の土砂と巨岩が、奏多の頭上へと容赦なく降り注ぐ。
「しまっ……! パニックになってる場合じゃねえ!」
奏多は即座に意識を切り替え、黄金のオーラを爆発させて迫り来る岩を砕きながら、全力で大穴の上へと跳ね上がった。
地上へと飛び出すと、そこにはすでに避難を完了していたアリスとレトルが待っていた。
「奏多さん!」
「奏多! 無事かよ!?」
二人が慌てて駆け寄ってくる。
「一体、下で何が起きたんですか……? 甲斐さんたちや、あの凄い気配の人たちは……」
アリスが不安そうに周囲を見渡す。
奏多は、ベノムが飛び去った空の果てを見つめ、苦々しく刀を鞘に収めた。
「……わからない。色々とイレギュラーが起きすぎた。だけど、一つだけはっきりしたことがある」
奏多は二人を振り返り、真剣な眼差しで告げた。
「一度、アリスティアに戻る用事ができた。急いで戻るぞ」
勇者たちの消失、女神イリスの封印、そして現れた最強の魔神将ベノム。世界の歯車は、勇者たちを置き去りにしたまま、最悪の方向へと加速し始めていた。
用事があるので長めに




