魔神の木
ドッ、と鋭い着地音を響かせてレトルが床に降り立つ。
その直後、ふわりと軽やかに続いて奏多とアリスが暗闇の底へと降りてきた。
「うわ、びっくりした〜……。いきなり床が抜けるんだもんなぁ」
レトルが冷や汗を拭いながら槍を握り直す。
「何ですかね、ここは……。ずいぶんと広い地下空間のようですが」
アリスが周囲の闇を見渡す中、奏多だけは前方の一点を見つめ、不敵にニヤリと口元を歪めた。
「レトル……お手柄だ」
「え?」
奏多の言葉に、アリスとレトルがその視線の先を向く。
そこには、地下の巨大な空洞を埋め尽くすようにして、天高くそびえ立つ一本の『巨大な木』が生い茂っていた。不気味なほどの生命力を放ち、根元からは怪しく脈打つような魔力が溢れ出ている。
「まるで……」
レトルが息を呑む。
「ユグドラシル……」
アリスがその言葉に被せるようにして呟いた。
そう、そこに生えていた巨大な樹木は、以前ウォンドで見たユグドラシルの姿に酷いほど酷似していた。
「確かにユグドラシルに似てるけど、なんなんだこれ……」
奏多が眉をひそめた、その時だった。
――ググググググッ!!
突如として、その巨大な樹木が地響きを立てて激しく揺れ始めた。
「な、何だっ!?」
レトルが身構える。
巨大な樹木は蠢きながら、幹の一部分が生き物のように不気味にボコボコと隆起していく。そして、その隆起した部分の真ん中だけが『グパッ』と大きな口を開けたかと思うと、その内部から何かがドロリと地面へ落ちてきた。
それは――外で広臣たちを苦しめていた、あの『子供の姿をした魔神』だった。
「奏多さん、これは……」
アリスの言葉に、奏多が鋭い目を向ける。
「ああ、間違いない。あの魔神たちを無限に生み出していた魔力装置の正体は、この木だ」
「なら、早速ぶっ壊さないとな!」
レトルが槍の穂先を巨木へと向ける。
「いや、その前に……こいつらを片付けないとダメみたいだぞ」
奏多が黄金の刀を静かに引き抜いた。
彼らの背後、そして頭上の穴から、凄まじい気配と共に次々と魔神たちが飛び降りてくる。その数は瞬く間に数十、数百へと膨れ上がっていく。外から一斉に引き返してきたのだ。
『マザーが見つかった』
『マザーが危ない。……お兄さんたち、死んでくれる?』
感情の欠落した無垢な声が、地下空間に木霊する。
それを見たアリスが、即座に横へと走りながら鋭く指示を出した。
「奏多さん! 私とレトルくんでこの人たちを引きつけます! その隙に、あの木を破壊して!」
「応!」
奏多は短く返事をすると、一瞬で地を蹴り、巨木の幹へと肉薄した。
『マザーが危ない。あいつを殺せ』
『あいつを止めろ』
子供たちはアリスとレトルには目もくれず、最優先排除対象として奏多へと一斉に殺到する。
「くっそ! 待ちやがれ、お前らの相手はこっちだ!」
レトルが間に割って入り、目にも留まらぬスピードで槍を突き出していく。無駄のない、確実に急所だけを撃ち抜く一撃一撃が、迫り来る魔神たちを容赦なく一撃で沈めていく。
アリスも細身のレイピアを引き抜くと、そこへ膨大な魔力を一気に込めて駆け抜けた。
「ハッ!」
白金に美しく輝くレイピアは、持ち主の魔力に応じてその刀身を光の刃となってさらに伸ばしていく。そのリーチは優に2メートルを超え、神聖な光に薙がれた魔神たちは、近づくことすらできずに次々と霧散していった。
二人が背後を完全に死守する中、奏多は振り返ることなく、一直線に巨木の中心へと突進する。
刀身に黄金の魔力を爆発的に込めながら走るその姿は、暗闇を切り裂く『黄金の一閃』となり、そのまま巨木の幹へと激突した。
――キィィィィィィン!!!
その場にいた全員の耳に、鼓膜を突き刺すような鋭い金属音が響き渡る。
アリスとレトルがハッとして木の方を見た。
そこには、渾身の一撃を放ったにもかかわらず、巨木の表面に傷一つつけられず、凄まじい衝撃波と共に弾き返される奏多の姿があった。
「くっ……! 硬すぎる……!」
奏多は着地し、じり、と間合いを詰め直す。
「奏多さん!」
「奏多、大丈夫かよ!?」
アリスとレトルが敵を払いながら駆け寄ってくる。
「ああ。だが……今のはただの魔力じゃない、神力を込めた一撃だった。それなのに完全に弾かれた。尋常じゃない硬さだぞ、これ」
奏多の苦々しい言葉に、アリスが目を見開く。
「そんな……、奏多さんの神力でも壊せないなんて……」
「くっそ……。一体どうすりゃいいんだよ」
レトルが歯を食いしばる。
そこへ、周囲の闇から「ざっ、ざっ」と無数の足音が再び近づいてくる。
『マザーは壊せないよ。……でも、マザーを狙う悪いやつらは、全員殺す』
冷たい目で囲んでくる魔神たち。
「くっ……」
奏多が再び刀を構えた、その時だった。
「はあ……。仕方がないな、主というやつは」
聞き覚えのある傲慢な声が響くと同時に、奏多たちの目の前の空間が揺らぎ、小さな精霊オウが姿を現した。
「オウ! お前、大丈夫なのか!?」
奏多が驚いて声を上げる。死んだマナしか存在しないこの環境は、精霊にとって猛毒のはずだ。
「大丈夫なわけがないであろう! ここにいる一秒一秒が、我が何百年、何千年と溜め込んできた貴重なマナを垂れ流しておるのだからな!」
オウはそう言って顔をしかめながらも、巨木をキッと睨みつけた。
「手短に言うぞ、奏多! あの木はユグドラシルと同じような特質を持った模造品だ。ゆえに、並の力では傷一つつけられん。――真なる『神のマナ』でしか、断ち切ることはできんのだ!」
「神の……? だがオウ、さっきの一撃だって、俺の中の神力を極限まで込めた一撃だったぞ!」
「話は最後まで聞け! 込めるだけでは足りんのだ! その神力を、さらにその奥、極限の極限にまで『練り上げる』のだ。あの女神イリスや、我の位にまで密度を高めねば、話にならん!」
「イリスや、オウの領域まで……神力を練る……」
奏多がその言葉を頭の中で反芻する。
その時、オウの身体が光の粒子となってサラサラと透け始め、消えかけていく。
「くっ、もうこれ以上は顕現を維持できん……。だが主なら、あのイリスをも超える主なら必ずできる。自分を信じるのだ、奏多!」
それだけを言い残し、オウは完全に虚空へと消え去った。
「奏多さん……」
アリスが悲痛な声を漏らす。
しかし、奏多の瞳からはすでに迷いが消えていた。彼は黄金の刀を正眼に構え、深く、深く呼吸を落としていく。
「アリス、レトル。すまないけど……もう少しだけ、時間を作ってくれ。こいつを極限まで練り上げる。――次は、絶対に成功させる」
その静かな、しかし絶対的な決意の言葉に、二人は顔を見合わせ、最高の笑顔で力強く頷いた。
「はいっ! お任せください!」
「おう! どんだけでも稼いでやるよ、相棒!」
二人は即座に反転し、襲いかかる魔神たちを迎え撃つために真剣な表情へと切り替える。
『マザーを壊すやつは殺す』
『殺す』
『殺す』
殺意の濁流となって押し寄せる子供たちの軍勢。
「いくらでも止めてやるよ、来やがれぇ!!」
レトルが咆哮とともに槍を振るい、前線へと飛び込んでいく。
「私も、ここからは一歩も通しません!」
アリスもまた、美しくも苛烈な白金の光を纏い、レイピアを構えて敵の渦へと突き進んだ。
背後で命を懸けて戦う仲間の信頼を背に受けながら、奏多はただ静かに目を閉じ、己の内なる深淵へと意識を集中させていく。世界を切り裂く『真なる神の力』が、今、彼の刃の中で爆発的な密度を持って練り上げられようとしていた。




