暗躍する執事
萌は、自分の目の前で繰り広げられている超次元の光景を、まったく理解できていなかった。
「うっ! ぐえっ! ぶっ!!」
知的なイメージなど完全に崩壊したリアーナが、アリスの横から伸びる神力の腕に、なす術もなくボコボコに殴られ続けている。
『も、もうやめ……ぶえっ!!』
最後は容赦のないアッパーを食らい、リアーナの巨体は派手に吹き飛んだ。
アリスは聖母のような満面の笑顔を浮かべたまま、リアーナが倒れている方へと軽やかな足取りで歩いていく。
「もうそろそろ、観念しますか?」
アリスのその優しすぎる笑顔に、リアーナは心の底からゾッとした。逆らえば確実に消される――そう本能で理解した彼女は、何も言わずに高速で何度も、何度も首を縦に振った。
「よかったです!」
アリスが嬉しそうに言うと、フッと横の巨大な腕が消滅する。リアーナは緊張の糸が切れたように、そのまま地面にぶっ倒れて白目を剥いて気絶した。
「これでおしまいです」
アリスはパチパチと手を叩きながら、衣服の埃を払う。
「あ、え……」
萌は杖を握ったまま、言葉も出ずにただ唖然と立ち尽くしていた。
その時だった。萌たちのすぐ近くの空間が、いきなり目も眩むような光を放った。
「え?」
萌が思わず振り向くと――
タッ。という小気味よい着地音とともに、光の中から二人の人影が現れた。
「萌!」
そのうちの一人が、萌の姿を見つけるなり全力で走ってくる。
「え? 愛多!? なんで!?」
萌が驚愕する間もなく、愛多は勢いよく萌の身体に飛びつき、ぎゅっと抱きしめた。
「よかった……! また会えて……!」
愛多の顔は、すでに涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。萌はその泣き顔に少し苦笑いしながらも、親友が生きていてくれた安堵感から、愛多の背中に腕を回して強く抱きしめ返した。
愛多はしばらくの間、萌の胸に顔を埋めて泣いていたが、ようやく心が落ち着いたのかゆっくりと身体を離した。
「萌、あのね……この人が助けに来てくれたんだよ」
愛多は涙を拭いながら、誇らしげに後ろを振り返った。
――しかし、そこには誰もいなかった。
「……愛多? 何言ってるの? 最初から誰もいなかったよ?」
萌が不思議そうに周囲を見回す。
「……え?」
愛多は言葉を失った。つい数秒前まで手を繋いでいたはずの奏多の姿が、影も形もないのだ。
「もー、何言ってるのよ。それより私も、ピンチの時に助けてくれた人がいて……って、あれ?」
萌もまた、自分の後ろを振り返ってフリーズした。
そこには、さっきまでいたはずのアリスとレトル、そして地面に気絶していたはずのゴリラ姿のリアーナすらも、影も形もなく消え去っていた。
風だけがヒューヒューと吹き抜ける岩山。
まるで狐につままれたような顔で、二人はしばらく無言で見つめ合っていたが、ハッと我に返った。
「「早く船に戻らなきゃ!」」
二人は気を引き締め直すと、浮かせた広臣と太一を連れて、今度こそ船着場へと急ぎ走り出した。
「あれ? ここは……」
リアーナがようやく目を覚まし、重い頭を振った。
視界がハッキリしてくると、目の前に見知らぬ黒髪の男が座っているのが見えた。
「き……さま……は……」
言いかけたリアーナだったが、その男の背後に、自分を完膚なきまでにボコボコにした、あの青い髪の女を発見した。
その瞬間、リアーナの全身に極限の恐怖が走り、言葉を失ってガタガタと震え出した。
「あ、おい」
黒髪の男――奏多が、アリスの方を向いてジト目で睨みつける。
「そんなに脅すなって。話が聞けなくなるだろ」
「いや、私も本気でやらないとダメでしたし……。それに、奏多さんなんて(バロンを)倒してきちゃってるじゃないですか!」
アリスがプンプンと頬を膨らませて逆ギレする。
「しょうがないだろ。委員長が危なかったんだし」
二人が言い合っていると、横から一人の男がやれやれと肩をすくめて入ってきた。
「おいおい、言い争ってないでお二人さん。この人、完全にビビっちまってるぞ」
「レトルくんはさっき勝てなかったんだから、黙っててください!」
アリスが一喝する。
「勝てなかったわけじゃないよ! 生け捕りにするのには、アリスさんじゃないと無理だっただけだって!」
レトルが必死に弁明する。
「もー……二人とも……」
アリスはプッとおこるフリをしてみせた。
「とにかく、話を聞かないとな」
奏多が話を本筋に戻し、リアーナの正面に立った。
「なあ? あんた、名前は何て言うんだ?」
「私……は……」
リアーナは怯えきった様子で、チラリとアリスの方を見る。アリスが「ん?」と小首を傾げて見返すと、リアーナは「ひいっ!」と小さな悲鳴を上げて視線を床に落とした。
「……リアーナだ……」
「リアーナか。お前、あのバロンってやつの手下なんだろ?」
奏多の問いかけに、リアーナはパッと顔を上げた。
「バロン様!? 貴様、バロン様に何をした!?」
「ほら」
奏多はポケットから、レンズの割れたバロンの眼鏡を取り出して見せた。
「そんな……バロン様が……!」
リアーナの顔が絶望に染まる。
「あいつは俺の知り合いを危険に晒した。お前みたいに捕らえるつもりだったけど、そんな余裕はなかったからな」
「ぐっ……貴様ぁ!!」
リアーナが歯を剥き出して吠える。
しかし、奏多は顔色ひとつ変えずに冷淡に言い放った。
「俺たちは、お前を殺すつもりはない。聞いたことに大人しく答えてくれれば、ここから逃がしてやる」
「誰が貴様らなんかに屈するか!!」
「そうか……。アリス」
奏多が諦めたように少し身を引く。
「ごめんなさい。こんなことはしたくないんですけど……」
アリスが済まなそうな顔でリアーナの前に立つと、その背後に、ぼうっとあの青白く光る巨大な手が再現された。
「ひいいっ!! わかった、わかったから!! 話す、話すからそれを出さないで!!」
リアーナは完全にプライドを捨てて絶叫した。
その様子を見ていたレトルが、「案外すんなり行ったな……」と呟く。
リアーナはガタガタと震えながら、一気に口を開いた。
「わ、私たちは、カオス様に忠誠を誓う魔神だ。私は、四柱いる『魔神将』の直属の部下だった……」
「魔神将……。バロンのことか?」
奏多が聞く。
「そうだ。お前が殺したバロン様こそ、魔神将の一人『風柱のバロン』様。そしてもう一人……お前が助けた人間たちが倒したのが、『雷柱のライガ』様だ」
「広臣たちが倒したのか。ってことは、あと二人いるってことか」
「そうだ。だが、残りの二人は……『闇柱のミリア』様と『炎柱のベノム』様……。あの方々にかかれば、お前らなど……ぶおっ!?」
タン、とリアーナが言葉の途中で、突然大量の血を吐き出した。
「何っ!?」
いきなりの事態に、奏多、アリス、レトルの三人が一瞬で身構える。
「少々、喋りすぎでございます」
どこからともなく、低く、冷徹な声が響き渡った。
次の瞬間、リアーナの身体が「ぶちぶちぶちぶち!」と凄まじい音を立てて、内側から強制的に引き裂かれ始めた。
「はっ……!」
アリスが声にならない悲鳴を上げる。
リアーナの引き裂かれた腹の裂け目から、這い出るようにして「人間の手」がヌッと突き出された。そしてその後に、ググッと一人の男の顔が現れる。
「このような形での登場、大変失礼いたします。私、カオス様と魔神将の皆様方をサポートさせていただいております、執事の『セバスチャン』と申します」
現れたのは、白い髭を綺麗に切り揃えた、一見すると気品ある紳士のような初老の男だった。リアーナの肉体を容赦なく内側から突き破りながら、男は平然と一礼する。
「な、なんだこいつ……!」
レトルが戦慄する。
「ここにいるリアーナ様が、少々カオス様方の情報を口滑らせてしまいそうでしたので、始末に参った所存でございます。それでは……これで失礼いたします」
セバスチャンと名乗った執事は、冷酷にそう告げると、肉塊となったリアーナの腹の闇の中へと、ズズズ……と吸い込まれるようにして消えていった。
「ま、待て!!」
奏多が手を伸ばしたが、その声はただ虚しく静寂の空間に響くだけだった。現場には、ただ無残に破壊されたリアーナの骸だけが残された。
カオス、そして残る二人の魔神将。その裏で暗躍する不気味な執事の存在。勇者たちの知らないところで、世界は確実に、より深い混沌へと突き進んでいた




