助っ人
「空井くん……すごい……」
バロンの巨体が物言わぬ肉塊と化した光景を前に、愛多はただただ唖然とするしかなかった。
「これくらいならな」
奏多はふう、と息を吐きながら、何でもないことのように刀を完全に鞘に収めた。
「と、いうか!」
愛多は何かを思い出したように、ハッとして奏多に詰め寄った。
「アリスティアの魔王ってどういうことですか!?」
「え? ……俺、そんなこと言ったか?」
奏多は急に目を泳がせ、あからさまにとぼけ始めた。
「言いましたよ、絶対!」
「いや、あれじゃないか? 俺が言ったのは『アリスティの魔王』って言ったんだ」
「アリスティの魔王? 魔王って何ですか一体!」
問い詰める愛多に、奏多は頭を掻きながら必死に苦しい言い訳を捻り出す。
「いやー、それはあれだ。あの、アリスがよく『女神』なんて言われるんだよ。だから、それにあやかって、俺のことも『魔王』なんて呼ばれるんだよな〜」
「ふーん、そうなんですね……」
じっと見つめてくる愛多の視線に、奏多は冷や汗を流しながら内心で胸を撫でおろした。
(あれ? なんとか誤魔化せたか……?)
「あ、そういえば萌たちが!」
我に返った愛多が声を上げる。
「さっきも言ったけど大丈夫だ。心配なら今から見に行こう」
奏多はそう言うと、静かに呪文を唱えた。
「スキル『近距離転移』」
奏多は愛多に向かってそっと右手を差し出す。
「ほら、捕まれ」
「え? え……っ」
不意に手を求められ、愛多は一瞬で顔を真っ赤に染めた。それでも、恐る恐るその手を握る。
奏多と愛多がしっかりと手を繋いだ瞬間、二人の身体は眩い光に包まれていった。そして次の刹那、音もなくその場から二人の姿が消え去った。
その少し前――奏多たちがまだ魔神将バロンと戦っていた頃。
萌は荒野を抜け、ゴツゴツとした岩山の間を必死に走っていた。魔法の力で、眠ったままの広臣と太一の身体を宙に浮かせ、引きずるようにして運んでいる。
「はあ……はあ……。ここまで、来れば……」
限界が近づき、萌は膝に手をついて立ち止まった。激しく乱れる息を整えながら、走ってきた暗い夜道を振り返る。
「愛多……」
親友の身を案じ、小さくその名を呟いた時だった。
「鬼ごっこは終わりかしら? まあ、気づいてなかったようだから、鬼ごっこではないかもしれないけれど」
不意に、暗闇の奥から不気味な声が響いた。
「……え?」
萌の身体が凍りつく。
岩陰の闇の中から、ゆっくりと歩み出てきたのは、深くフードを被った一人の女だった。
「初めまして。私は魔神将が一人、バロン様の部下リアーナ。あなたたちを殺すように命令されてるから、大人しく殺されてね?」
女はそう言いながら、頭のフードをバサリと外した。
リアーナと名乗ったその女は、綺麗な緑色の髪に眼鏡をかけており、一見すると非常に知的な印象を受ける女性だった。
萌は背中に冷や汗を流しながら、必死に声を絞り出す。
「あなたも……魔神なの?」
「ええ、そうよ。そこにいるイケメンくんならまだしも、あなたくらいなら、余裕で勝てるくらいのね」
リアーナは浮かんでいる広臣を見やり、クスクスと笑った。
その言葉に、萌の心臓がゾッと跳ね上がる。だが、ここで引くわけにはいかない。
「ふっ……言ってくれるわね。やれるもんならやってみなさいよ!」
萌はなんとか虚勢を張りながら、愛用の杖を力強く構えた。
「ロックブラスト!!」
萌が唱えた瞬間、周囲の岩山が凄まじい音を立てて削り取られ、宙へと浮かび上がった。それらは空中であっという間に一つの巨大な岩の塊へと凝縮され、凄まじい質量となってリアーナへ目がけて突進していく。
しかし、リアーナは口元に余裕の笑みを浮かべたまま、微動だにしなかった。
「はっ!」
岩が激突する直前、リアーナは鋭い気合と共に、ただの裏拳でその巨大な岩塊を正面から殴りつけた。
――ズガァァン!!
岩は一撃で木っ端微塵に粉砕され、ただの砂礫となって地面に飛び散る。
「石を投げるのが、あなたの魔法なの?」
リアーナは小馬鹿にしたように眼鏡の奥の目を細めた。
「くっ……なら!!」
萌は悔しげに歯を食いしばり、さらに杖を振る。
「風の精霊よ、我望む力を貸したまえ――ウインドカッター!!」
鋭い詠唱とともに、無数の目に見えない風の刃がリアーナを襲った。シュシュシュと小気味いい音が鳴り、リアーナの衣服や肌に無数の小さな傷が刻まれていく。
だが、リアーナは痛がる素振りすら見せず、またもや不気味な笑みをこぼした。
「はあっ!!」
リアーナが短く気合を込める。パアン! という衝撃音と共に、彼女の身体がみるみるうちに筋骨隆々へとパンプアップされていく。それと同時に、萌が放ち続けていた風の刃は肉体の圧力だけで全て弾き飛ばされ、刻まれたはずの傷跡も、膨れ上がった筋肉の圧力によって一瞬で塞がり、消えてしまった。
「そ、そういうキャラだったのね……」
知的な見た目とは裏腹すぎる脳筋ぶりに、萌は引き攣った笑いを浮かべながら焦りを募らせる。
「バロン様に遠く及ばない風の魔法。私の筋肉の前では、全てが無意味よ」
リアーナは首の骨をゴキリと鳴らすと、じりじりと歩を進めて距離を詰めてきた。
「もう終わり? なら、さっさと殺してあげるわ」
「くっ……!」
萌は浮かび上がらせた二人を連れて、ジリジリと後ろへ下がる。だが――
「がっ!」
鈍い音とともに、萌の後退が強制的に止められた。運悪く、萌のかかとが地面から突き出た岩場に当たってしまったのだ。
ついに、リアーナが目の前まで迫る。
「じゃあ、一撃で沈めてあげるわ」
リアーナは残酷に微笑み、その太い右腕を大きく後ろへと振りかぶった。
「オオラァ!!」
野太い咆哮とともに、空気を破る容赦のない拳が上空から萌へと振り下ろされる。
(終わった……!)
萌は恐怖に身をすくめ、ぎゅっと目を瞑った。
しかし、いつまで経っても肉体を破壊される衝撃は訪れない。
「え……?」
萌が恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
目の前に、一本の槍を掲げてリアーナの巨大な拳を真っ向から受け止めている男が立っていたのだ。
「だ、だれ……?」
思わず呟く萌。
「俺はアリスティのレトル。冒険者……だ!」
男――レトルはそう叫ぶと、槍に渾身の力を込め、リアーナの拳を力任せに押し返した。
「チッ!」
リアーナはそのまま後ろへと軽く跳び、距離を空けて着地する。彼女は自分の拳を弾いた男を忌々しげに睨みつけた。
「なにあなた? 彼女たちの仲間?」
「まあ、そんなところだな」
レトルは槍を鋭く振り、構えを崩さない。
「そう。よく私の拳を受けられたわね。少しは楽しませてくれそうじゃない」
リアーナは狂暴に、嬉しそうに笑う。
「残念ながら、俺は楽しむつもりはないんでね」
「言ってなさい!」
リアーナが地を蹴り、弾丸のような速度で襲いかかる。
レトルは冷静に槍を操り、彼女の猛烈な拳を受け止めた。
「オラァ! オラァ! オラァ!!」
狂ったような拳のラッシュを仕掛けるリアーナ。だが、レトルはその嵐のような攻撃を、流れるような槍捌きで丁寧に、全て完璧に受け流していく。
(な、何なのこの人……。強すぎる……)
萌は息を呑み、呆然と戦いを見守るしかなかった。
「どうした? それが本気か?」
レトルが涼しい顔で挑発する。
「うるさいわね! そんなに死にたいなら、見せてやるわ!」
頭に血が上ったリアーナは、大きく後ろへ跳躍して距離を取った。
「――原化!!」
リアーナが叫んだ瞬間、彼女の肉体がボコボコと不気味に蠢き、激しい変化を始めた。
「あ! あれは……!」
萌が声を上げる。
「知ってるのか?」
レトルが前を見据えたまま尋ねると、萌は必死に記憶を呼び起こした。
「詳しくはわからないけど、魔神が使う形態変化(原化)だと思う! とにかく気をつけて!」
「ああ!」
レトルは槍をさらに強く握り直した。
リアーナの身体はさらに巨大化し、まるで岩山そのもののような、おぞましい筋肉の塊へと変貌していく。白かった肌の色はくすんだ灰色へと変わり、全身を濃い体毛が覆っていく。
「……完全にゴリラじゃない」
萌が思わずツッコミを入れる。
「これは確かに、強そうだな……」
レトルも流れてくるプレッシャーに表情を引き締めた。
『もう遊んでられないわよ』
獣のような声で吠えたリアーナは、太い腕を前脚のように地面につけると、四足歩行の姿勢から爆発的なスピードで突進してきた。
一瞬にして距離を詰め、レトルの顔面目がけて巨大な拳が振るわれる。
「くっ!」
レトルは槍を盾にしてガードを試みたが、その圧倒的な怪力により、身体ごと遥か後方へと吹き飛ばされた。
レトルは空中で素早く受け身を取り、突き刺した槍の刃を地面に滑らせて、凄まじい勢いをどうにか殺して着地する。
『どう? このパワー』
勝ち誇るリアーナ。
レトルはふぅ、と息を吐き、肩をすくめた。
「たしかに強いな。……流石に俺一人じゃきついかも。アリスさん! 手伝って!」
レトルが上空に向かって大声で叫ぶ。
すると――
「やっと呼んでくれましたね」
どこからともなく、鈴の鳴るような可憐な声と共に、一人の美少女がふわりと姿を現した。
「ごめん! やっぱり一人じゃ無理だった!」
レトルが苦笑いする。
「レトルくんが『俺がやる』って言うから見てたのに」
アリスは少し呆れたように息を吐いた。
「な、何なのこの子……?」
場違いな少女の登場と、その緊張感のないやり取りに、リアーナは思わず戸惑いの声を漏らす。後ろで見ている萌も、全く同じように戸惑っていた。
しかし、リアーナはすぐに気を取り直し、胸を張って威嚇する。
『私に勝てなさそうだから仲間を呼んだのね。無意味よ、この力の前では!』
「ごめんなさい。奏多が待ってるから、私も少し急いで戦いますね」
アリスは淡々と、しかし決定的な言葉を口にした。
その名を聞いた瞬間、萌の脳裏に電撃が走る。
(かなた……!? この子、今『奏多』って言った? ……嘘、空井のことじゃないよね……!?)
萌が内心で激しく混乱する中、リアーナはそのアリスの態度に激怒していた。
『舐めやがって、この小娘がぁぁ!!』
地響きを立てて、リアーナの巨体がアリスへと突っ込む。
『死ねえっ!!』
アリスの頭部を粉砕せんと、丸太のような拳が振り下ろされる。だが、アリスは避ける素振りすら見せず、ただ静かに立ち尽くしていた。
リアーナの拳がアリスの顔面に届く、まさにその直前だった。
――ドゴォォォン!!!
突如として、リアーナの顔面に真横から凄まじい衝撃が叩きつけられた。
『ぶっ……!?』
リアーナは悲鳴を上げ、凄まじい勢いで横方向へと吹き飛ばされていく。岩肌に激突し、自身の頬を抑えながら、何が起きたのか分からずパニック状態で周囲をキョロキョロと見回した。
『な、誰だ!? どこから撃った!!』
「誰もいませんよ。私の攻撃です」
アリスが静かに告げる。
『な、何をしたのよ……!?』
「これです」
アリスが小さく微笑むと、彼女の真横の空間が歪み、眩い青白色に光り輝く『巨大な光の腕』が忽然と出現した。
『それは……神力……!?』
リアーナの顔が、恐怖に引きつる。
『それも……そんな、これほど高密度の神のマナなんて、見たことも聞いたこともない……っ!』
アリスは巨大な神力の腕を従え、不敵に、そして美しく微笑んだ。
「じゃあ、第二ラウンド、始めましょうか」




